乃公遊記


     「……今日さえ、終われば」

     は、教室の窓から顔を出し、グラウンドから正門をぐるりと大きな目を余計大きくして

     見回す。

     校庭の至る所にはほとんど運動部が主催する屋台が並び、文化部を含む生徒は各自思い思いに

     描いた催し物を二日限りに火を灯し、トップを狙っている。

     そして、今日はその二日目である文化祭最終日を迎えた氷帝は少し浮かれ、少し戸惑いの色

     を秋風に添えていた。

     関東ではここ一、二週間雨が降り続いていたが、十一月初旬である昨日今日と見事な

     秋晴れに見舞われ、空に浮かぶ鰯雲がとても綺麗に見える。

     こんな陽気がいつまでも続けばなんて思いたくなるが、その気持ちを大幅裏切るように

     明日からはまたもや寒々とした雨が降ることが決まっている。

     せめて、今日だけは残り一ヶ月もないこの季節を満喫せねば損というものだろうが、三年生

     の教室に独り窓の外を眺めるにはそんな気分に浸い訳がある。

     「、話がある」

     冷たい風に吹かれ、開け放った窓を閉めると隣の生徒会室から現れた生徒会長様が堂々とした

     歩調で近づき、彼女の名を呼ぶ。

     「景吾君っ」

     その声に両肩をビクッと振るわせ、振り返った少女の目の前に立ち塞がった幼馴染みは部活

     の所為もあるのか中学部に入ってからぐんと背が伸び、175pにもなってしまった。

     幼い頃の可愛さはいつしかカッコ良さに変わり、描いている夢に確実に向かっている。

     自分はと言えばこの三年間の成果を勝ち取って文化祭実行委員長を任されるようになった

     だけで、生徒会長との差は比較にならないほどはっきりしている。

     あの時は感じなかった壁が今ではマジックミラーに阻まれていることに気づかされ、敢えて

     見ないように努力していても、彼はいつも難なくノックもしないで入ってくる。

     文化祭実行委員達は蜘蛛の子のように飛び散り、各自でシフトを組んでいるため委員長

     であるは半ば、この一室に閉じこめられた形で独り待機している。

     今日に限って、副委員長や書記らは揃いも揃って病欠なのだから尚更致し方ない。

     活動期限は昨日今日の二日間だけで残りは、文化祭の反省と来年は何を活かすべきか撲滅する

     べきかと言う会議しかないのに、彼らとしてもなかなかかわいそうなことである。

     どうしたの、と何でもない素振りで話しかけても跡部のズバ抜けた眼差しは自分の奥を

     見据えているようで、少しの刹那に流れた沈黙でさえも痛かった。

     この文化祭が終わってしまえば、彼とは今以上に引き離されてしまう。

     窓際に立つ彼女の傍にある机の上には自宅から持参してきたバニラティーが緩く湯気を

     くねらせていた。

 


     夏休みが終わり、二学期を迎えてから何日かすると、それと入れ替えにやってきた生徒達が

     楽しみにしている文化祭の会議が始まった。

     昨年の委員長が指さした四人が壇上に出て黒板を白く塗りつぶそうとしたが、名案がうまく

     浮かぶ訳でもなく、結局、第一回目は新メンバーの紹介だけで終わった。

     ブレザーを脱いで教壇に立っていたは面倒臭そうに袖を通すと、生まれつき癖のある髪を

     靡かせ、自らも何かないかと思案に耽った。

     先月に衣替えをした冬服には慣れ、今では薄衣が両腕を覆っているだけでも温かい。

     こうして中学部の制服を身に纏うのも今年、三年生である彼女には後、何ヶ月かに制限

     されている。

     教室を出て直ぐ隣にある生徒会室をちらりと横目で見て、はぁ、と深いため息を吐いた。

     今日は文化祭実行委員会と一緒に活動日だったはずなのだが、室内はシンと静まり

     返っている。

     「あれ?もう終わっちゃったのかな」

     我が校の生徒会長様である跡部景吾とは幼馴染みにあたる。

     学校中で最も近い存在なのに、こんなにも遠く感じているなんて他人から見たら贅沢で

     勝手な被害妄想の内に入るだろう。

     生徒会室のドアを少し押してみるが、やはり中は閉まっている。

     別段、跡部に用がある訳でもないが誰もいない今なら二人きりになれると期待していた。 

     だが、結局はそんな抜け駆けが許される訳もなく、現実は頑丈な鍵と時に邪魔を

     されてしまう。

     会議中でも焦る気持ちで腕時計を見ていたが、各学年から集まった委員達に不審を抱かせ

     なかっただろうか。

     不幸か幸いか提案が出ないこともあり、各自に次回までの課題として考えてくること、と

     言い渡し予定の十分前に全員が教室を退席してから来たのにそれでも間に合わなかった。

     二人が成長していくに連れ、彼はあまり話しかけてくれることはなくなりその代わり、

     夕焼けに照らされて伸びる影のように距離だけが無情にも長く離された。

     中等部に入ってからと言うもの、跡部の周りには何百人ものファンがいるためもあり、

     余計に近づけなくなってしまう。

     その団体から見れば、自分は邪魔な存在であり裏を返せば憧れの対象でもあるのだろう。

     彼女たちと刹那、目が合った時そんなんじゃないよ、と瞼を伏せて訴えたが、それは

     プライドの高い人間にとっては不信感を逆立てさせるだけで寧ろ、逆効果だった。

     彼女達はに反発と共に憧れを抱き、彼女もまた素直に好きと言える跡部様ファンクラブに

     憧れを抱いていた。

     冬と隣り合わせの今月は夕焼けが早く、まだ17時を軽く回っただけなのに、廊下を反射して

     照らす光が弱くなり窓の外を見れば街頭の明かりが見えた。

     ここから見ると、どれも蝋燭に灯した火のように思えて何だか心が落ち着く気がする。

     「…何をしている」

     「け、景吾君っ!?」

     深いため息を吐く前に、誰もいないはずの廊下に聞き慣れた低い声だけが聞こえ、幽霊や

     化け物を見るよりも肩を強張らせてそれがした方向に振り返った。

     視線の先で待っていた本人は、階段から姿を現した所でじっとこちらを窺っている。

     その瞳はまるで、また馬鹿が何かをやっているとでも言うような呆れたもので、近づいて

     見なくても何十年も幼馴染みをやっている彼なら息づかいまでもが解るだろう。

     跡部が誰もいない廊下に上履き特有のゴムが伸縮する音を響かせると、何か話題を探さなきゃ

     と言う気持ちにさせ余計にを焦らせた。

     そんな時はいつだって、妙案は出てくるはずもなく、的を外すかこれは極希だが射過ぎて口

     を何日も閉ざされたこともある。

     しかし、一度慌てた彼女の脳裏は数々の失態を重ねた上にも関わらず、可愛らしい唇は

     半開きになり言葉は白に覆われるだけで、音に変わることはない。

     寧ろ、うまく最善の答えを見つけることを教えて欲しいほどだ。

     混乱した思考回路の中に小さい光が見え、それが消えてしまう前に急いで掌に包み込む。

     恐る恐るそれを開いてみるのと同時に、それは言葉になることを選んだ…。

     「あ、あのっ……文化祭、雄志で参加してくれませんか?」

     文化祭もいよいよ明日に迫った。

     学園内も最初は何もなかった場所に何かの屋台が組み立てられたり、機材が

     置かれていたりする。

     いよいよ明日なんだと、文化祭実行委員長のの胸に緊張が走る。

     だが、それは決して嫌なものではなく、寧ろ武者震いに近い。

     「しっかし、ええんか?中坊の文化祭で会場借りて」

     「あぁ……上には許可をもらったし、何も問題はないだろう」

     呆気に取られ、いつものポーカーフェイスを少し崩した忍足の横で事務的な言葉を返す。

     文化祭を明日に控えた今日は、彼を含めたテニス部正レギュラーとのメンバーで来年の

     一月もお世話になる合唱コンクールの会場に来ていた。

     跡部と久しぶりに二人きりで話したあの日、パンドラの箱を開けた瞬間、それは言葉に

     なることを選び、気がついた時には彼女の唇から放たれていた。

     「雄志?何にだ?」

     が掌でそれを覆う前に彼は馬鹿にする訳でもなく、真剣な表情でそう答える。

     「バンドです。校内中で一番人気のある景吾君と同じように人気のテニス部

      正レギュラー陣でバンドを結成したら、今以上にお客さんを呼べると思うんです」

     彼がそう返したのは幼い時くらいに聞いたことがなく、緊張が嬉しさと一緒に浮上すると、

     まるで魔法のリップでも塗ったような唇は再び動いてしまった。

     「私たち三年生にとっては最後の文化祭、最後にお互い華を咲かせて潔く引退をするのも

      また良いと思い、提案をしました」

     「……」

     彼はそれを聞くと、少し黙り茜が夜の闇に呑み込まれる頃、今度は廊下中を人工の明かりが

     灯されると再び、彼女の瞳を見て口の端をつり上げて笑った。

     それは跡部が何かの価値を見出した証拠のようなもので、少なくとも皮肉を言う表情ではない

     ことは知っている。

     「面白いじゃねーか。しかし、鳳はいいが、俺を含めた奴らはほとんど楽器に触ったことはねぇ

      が、それはどうするんだ?」

     「それは、まだ話しはしていませんが、姉の友人にバンドをやっている方がいるので、

      スケジュールを合わせて練習すれば大丈夫かと思います」

     「そうか……よし、にしてはなかなか良い案だ。採用させてもらうぜ」

     彼は背を向けると着いて来い、と言わんばかりの視線を向け彼女が小走り気味に近づくのを感じ

     ながらテニスコートまで歩いていき、練習をしていた二年に先程の話しをした。

     最初は困惑していたが、跡部の言うことは絶対的な力があり、二つ返事で承諾を得た。

     残った三年生には後から自分で連絡を取ると言い、その場は解散になった。


     「は、話しって何?」

     文化祭実行員室から隣の生徒会室に招かれたは、妙に緊張してしまった。

     カーテンを閉めていないお陰で完全なる闇からは逃げられたが、照明を点けない室内は薄暗い。

     こんな場所で、しかも、二人きりと来れば何とも思わない方がどうかしていると言うもので、

     平静を装おうとばかりに膝の前に両手を握りしめて何とか耐えてみせる。

     だが、窓を見たまま背を向ける彼に声を掛けるが、どもる癖がこんな時に限って表れてしまい

     焦りが必要以上にの鼓動を速くした。

     「落ち着いて聞けよ。……どうやら、お前狙われているようだ」

     「えっ…?」

     「……副委員と書記休んだだろ」

     「何で知っているの!?」

     「しっ!声を上げるな。あいつらは俺目当ての奴らで、今日お前を見つけ次第監禁し、校内中

      で問題を起こして罪を擦り付けるのが目的らしい」

     「そんなっ…」

     言葉が続かない。

     何ヶ月だとは言え、世話になった仲間を疑うなんてしたくない。

     これはきっと、何かの間違いで今は自宅で寝ているか病院に行っているかのはずだ。

     しかし、そう信じ込もうとした矢先、階段を駆け上る音がしたかと思えば隣の

     文化祭実行委員室のドアを荒々しく開かれた。

     「っ!今日こそは我慢の限界よ……っていない?」

     「まさか、予測して逃げたんじゃ」

     「そんな訳ないじゃん、飲みかけの紅茶もあるしどうせトイレでしょ。ここで待ち伏せて

      予定通り図書室にでも閉じ込め…」

     その後は聞きたくはない。

     彼女は跡部が止めるのも聞かずに生徒会室を飛び出し、彼女達がいる文化祭実行委員室のドアを

     開けた。

     中にいる副委員長達は下げた机の上に腰掛けていたが、自分が来たことに嫌みったらしく

     口の端に笑みを浮かべ、外に声が漏いようドアと窓を閉めた。

     「ねぇ、今日って休みじゃなかったの?体は大丈夫なの?」

     そんなことこの状況を見れば一目で嘘だって解るのに、つくづくお人好しの

     信じたくはなかった。

     疑うより馬鹿だと言われても信じていた方が十分マシだ。

     だが、そんな元からない望みなど叶うわけもなく副委員長が代表して偽りを口にする。

     「アンタ、馬鹿じゃない?この状況見て良くそんなことを言えるわね」

     「なっ!?」

     「アンタの所為で跡部様がどんな苦労をなさったと思っているのよ!身の程を

      知りなさいよっ!」

     殴られる?

     彼女がじりじりと距離を縮めると、予想通りに片手を高く上げ、次の瞬間、それは勢いよく

     振り下ろされた。

     「やめろっ!」

     その声が叫ぶのと同時に彼女の体は何かによって引っ張られ、頬に走るはずだった衝撃はそれに

     よって宙で留められた。

     「景吾君っ!」

     「跡部様っ!?」

     彼はを自分の方に顔を向かせると、距離など最初からないように近づけ、数秒後また離れた

     時には周囲に音はなかった。

     彼が何の前触れもなく自分からそれを埋めた時には確かに黄色い叫び声にも似たものが聞こえた

     のに、今は何も聞こえない。

     「こいつは……俺の女だ!」

     跡部の声が遠くに聞こえたが、その声色の温度がハッキリと伝わると、彼女はまるで他人事の

     ように驚いていた。


     「良いんですか?…あんなことを言って…」

     茜が夜の闇に覆われた頃、会場は二日間の文化祭が無事終了してもまだ熱の冷めない

     生徒で一杯だった。

     まだ開かれていない幕の内では機材が置かれ、スタッフや出演者が客席のざわめきに紛れて

     各自任された役割に最後の一仕事だと、足早に行き交う。

     ステージの袖でそれから取り残されたように隠れ、彼の腕に肩を抱き寄せられたの顔は

     影からもバレてしまいそうなほど赤く火照っている。

     「その解りきった面して俺様を拒むのかよ?」

     「わ、解りきった顔って」

     「昔っから、顔に出しやすいよな。まぁ、そんな所も引っくるめて好きなんだが」

     「え……」

     その言葉に過剰反応してしまい、体をビクッと震わせてしまう。

     それをどう取ったのかは解らないが、跡部はステージの用意が済んだのを横目で確かめてから

     彼女の肩を引き寄せ、軽く頭にキスしてからその華奢な体を放した。

     しかし、やっと自由になれたと言うのにはだらしなく壁に凭れ、彼に送る視線も何だかピント

     が合っていないような錯覚を起こす。

     「そろそろ時間だな……行ってくる」

     まだ、余韻から冷めない彼女の耳元に、このステージが終わっても俺様から離れるなよ、と

     囁くと今まで何事もなかったように堂々とした歩調でローファーの踵を鳴らす。

     「……行ってらっしゃい」

     その背中に声を掛けたもまた、この片思いもようやく終わるんだなぁと嬉しく思えば寂しくも

     思える15の誕生日だった。



     ―――…終わり…―――



     ♯後書き♯

     お誕生日おめでとうございますっ!

     俺様っぷりの跡部君を出すためとは言え、タイトルもそりにしてしまいました♪

     なかなか聞き馴染みのない「乃公」(だいこう)とは、ぶっちゃけ「俺様」って意味です。

     この言葉を見て「絶対これは跡部君だ!」とまたもや柊沢の勝手な思い込みでタイトルに

     決めちゃいました。

     来年からは少し寂しいですが、これからもどうぞ仲良くして下さいね。