誰もいない体育館

      世間は入学シーズン真っ盛りで最近の報道もその話題から始まり、次に今日も誰かの叫びを

      形にして画面の中に現れる。

      だが、その具体的な悲しみなんて誰にも伝わらなくて今も、心の底ではみんな愚弄していて

      偽善者もまたその餌食になる。

      この時期の桜は、まるで、それに対して涙を流しているみたいに思える。

      自然の摂理でだろうが、満開の樹に吹く風に儚く散る姿を観ると美しさを語りたくなる気持ち

      と同時に、胸にぐっと来る切なさがきっと、そんな勝手な思い込みをさせるのだろう。

      空座第一高等学校の入学式も今日の午前に行われ、新品の制服と新入生の香りで教職員と

      在校生代表しかいなかった校舎を賑わせた。

      昼近くまで一杯だった体育館には今は誰もいなく、心地良く吹く微風により全開に開け放った

      鉄製の引き戸の中に紅白幕が引っ張られたり引き戻されたりしているだけだ。

      築何百年も時を刻んだ館内にはまだ、パイプイスが取り残されたように深緑の厚紙の上に

      置かれている。

      世間はやれ花見だのやれ入学だのやれ事件だのと騒いではいるが、こんな静かな空間が身近

      にあるとは全く気付いていないだろう。

      風に棚引いている紅白幕を潜れば、空座第一高等学校を囲んでいる桜の木々が最初に目に

      留まるモノだからちょっとした隠れた名所でもある。

      このまま誰もいない体育館を紹介したいが、どうやら先客がいたようで、何やら照明の点いて

      いないステージの上で男女の話し声が聞こえたその時だった。

      館内に軽い音が短く鳴り、逃げるように女子生徒の方がステージから飛び下りようとする所を

      男子生徒が呼び止め、その背から抱きしめて何かを呟いている。

      閉めきっていないためか、広い館内に軽い音が短く鳴っても響かなかった。

      それはどちらかと言えば、バナナチップを囓ったような軽快さだが、少年の右頬を彩る

      季節外れな紅葉に気付かなければきっと式が終了するのを狙って忍び込んだ在校生か若しく

      は、他人の目を憚ってやって来た恋人同士なのかも知れないと勝手に妄想の域を超えて

      しまったことだろう。

      一部の心ない人間が置いていったのだろうか、入学式に招かれた者としては尤も出入り口に

      近い父兄席には同じく深緑の厚紙が布製のガムテープでしっかり固定されてあり、その上に

      薄いピンク色の案内が書かれたパンフレットが風に弄ばれて焦れったくか細い音を立てて

      開かれた引き戸からようやく外へと解放された。

      その姿はまるで、地上の悲しみを集めて飛ぶことを決めた儚い蝶のように思えた。


      「毎夜、誰もいない体育館内でボールを床に打つ音が聞こえる」、そんな古びれた怪談の

      ような噂が校内中に流れたのは石田が入学したその日からだった。

      初めはそんな莫迦げたことに興味はなかったが、葉桜になっても美しく舞散る花びらを

      眺めていた所為だろうか式からそんなに日数も経っていないその日の夜、暗幕が下ろされた

      学校に忍び込んだ。

      体育館を使用する運動部が活動終了し大体の生徒が就寝しているであろう深夜の校舎は、

      何だか荒んだ廃墟に見えた。
      
      正門を越え、できるだけ足音を消して校舎から少し離れた体育館に近寄る。

      霊圧は確かにこの空座第一高等学校に入学した日から感じてはいたが、それは彼達滅却師達

      が消滅させていた虚とは違ってその力は桜が散るように儚いものだった。

      だから、当初はその内自然と浄化するものだろうとそのまま放っていたのだが何故だろう、

      今になってもこんな時間にまだ馴染みの薄い学校に忍び込む理由が分からない。

      しかし、体育館の出入り口に着たまでは良かったが、問題はどうやって中に入るかだ。

      いくら何でもこんな時間に見学は自由ですよ、と優しく微笑む運動部のマドンナ的な

      マネージャーが勧めてくれないのがこんな時は不便であるが、今はそんなことを言っている

      場合ではない。

      どうしたものかと思案していると、それまで音もしなかった館内にバスケットボールだろう

      か、鞠つきの要領でボールを床に打つ音が静かに聞こえてきた。

      先程も言ったが今は真夜中だ、一般の生徒がそう安々と潜り込める場所ではない。

      普通、この世に何らかの未練を抱いて残っている幽霊と呼ばれる者は物質を通り抜ける能力

      を持っている。

      だから、鍵など掛かっているモノだろうと初めから疑いもしないで閉められたドアをじっと

      観察しなかったが、よく見てみるとほんの少しだが前に動いていた。

      幽霊ではない…誰か、いる!?

      
それは驚きと共に呆れに変わり、今から自宅に戻って作りかけのパッチワークを仕上げよう

      として足を止めた。

      
もしかしたら、こんな人目がないこの時間をわざわざ狙って忍び込む輩だ、在校生はまだ

      良いが最悪の場合所謂「危ない奴」とも考えられる。

      
そんな中にのこのこ入っていくほどケンカに自信があるわけでもないのにも関わらず、

      ガラス張りのドアの隙間からその細身の体をねじ込み、その少し歩いた先の床の上には錠前

      がだらしなく転がっていた。

      
古びたその500円玉ほどの大きさの黄金色は最後の難関である木製の引き戸を護衛していた

      モノだろう、長年春夏秋冬を刻んでいるそれは両端が黒ずんでいた。

      
長身の身を屈め、先程のように一円玉が入るか入らないかの微妙な隙間を空けて中の様子

      の覗き見た。

      
視界に初め現れたのはまだ馴染み深いステージだが今はそれが目当てではない、瞳を左右に

      あるバスケットへと泳がせある一点にレンズの端が光った。

      「やっぱり…か」

      彼は悲しそうでも嬉しそうでもなく、ただ事務的にそう呟いた。

      
それは、今までの人生が喜怒哀楽一切の感情を抱くことを莫迦なことだと教えられたからなの

      かも知れない。

      
照明の点いていない体育館の中は当たり前だが混沌としていて月明かりさえなければ四次元

      の世界かと見間違いそうになるが、残念ながら今日は満月だ。

      
そんなモノはとっくの昔、何十回も口ずさんだ童謡の中に置いてきた。

      
レンズ越しの瞳の中に見えるのは自分と同い年くらいだろう、小柄な少女が夢中になって

      赤みがかった鞠とは格段の差があるボールを何回かドリブルしてバスケットにシュートするの

      を繰り返している。

      
彼女には失礼して下半身に視線を移動させるが、両足とも欠けずにちゃんと付いていた。

      
だが、その姿はどこか生気を感じられず端から見ていれば美しいとさえ思えてしまう。

      
月明かりに照らされる悩ましげな瞳とジャンプする動きに合わせて靡く癖のある肩まで

      伸びた髪が余計、この名も知らない少女を年齢以上に艶めかしく魅せるのかもしれない。

      
しかし、霊圧はするモノのその源があの彼女でないことが妙に引っかかり、

      霊子兵装「弧雀」を解放し、いざ体育館内に駆け込むが元々が微力的な霊圧だ。

      
まるで、曇り空の上を飛ぶセスナを探そうとするようにどこに何があるのか全く解らない。

      
最初に見た少女はと言えば、相変わらずがむしゃらにゴールを決めている。

      誰も観客がいないのにも関わらず。

      に近づかないでっ!」

      仕方なく一端「弧雀」を元のアンティークに戻し、彼女に近づこうとした時だった。

      
今までどこに隠れていたのだろうか、いきなり目の前にどこかで見たことのある少女が両手

      を広げて立ち塞がった。


      「離してっ!」

      「断る」

      出来るだけの抵抗を試みるが細身の体のどこに力があるのか、振り解こうと必死になっている

      彼女の体が再び自由になることはなく、逆に暴れるほど腕に締めつけられ拘束されているのが

      悲しくて今、胸を熱くしている怒りとはまた別の感情が過ぎり瞳から溢れ出る。

      
石田のことが好きだ…こんな気持ちなんて知らないままでいたかったのに、心は勝手に

      開いてしまった。

      
…それは、彼が初めて母親以外に覚えた名で、入学時に初めて会った女子生徒

      でもあった。

      
当時、彼女は双子の姉を交通事故で亡くしたばかりで本来ならば自宅で骨休みをしている

      はずが入学式の会場に現れたのだ、まだそのことを知らなかった教職員全員が本人と

      見間違うほど祝辞を暗記した姿は凛としていた。

      
だが、その日からの様子がおかしくなり、酷い夢遊病に襲われるようになり夜の

      誰もいない体育館に忍び込み何者かに取り憑かれたかのように相手選手は勿論のこと

      味方選手もいないコートで終わりのないゴールを求め続けた。

      
石田が感じていた霊圧は彼女の姉である真倖が発していたものであり、毎夜の妹の行動が

      気になりずっと見守っていたのだと本人が言っていたなんて笑い話にもならないが、現に

      口にしていたことだ。

      そして、
その日から不思議な三人の関係が出来た。

      
当初、がこのことを信じるかと思っていたが、どうやら取り越し苦労だったようであの

      酷かった夢遊病もパタリと治まった。

      「……もう、あの子大丈夫よね」

      「……そうだな」

      しかし、それは長くは続かなかった。

      
五月中旬の空座市では先月まで満開だった桜の時期は終わり、花びらが全て落ちた樹木には

      蕾から新たに芽を出した葉が青々と風に靡かせていた。

      
その日の夜も彼女と待ち合わせていたが、彼は隣に座るもう一人の彼女の都合を知っていた。

      
このまま魂魄がこの世に留まり続けていたらいつ虚に吸収されるか解らないし、逆に

      真倖自身が虚化してしまう可能性もある。

      
そうなれば、体を分けた妹でさえ生命の危険に曝せてしまうかもしれない、だから…。

      「私、逝くね……が来たら泣いちゃいそうだし、それに……まだ、ここにいたくなるから」

      妹をよろしく、と言い残し出来るだけの笑みを浮かべて空の色に溶け、一つの魂魄が天高く

      昇っていった直後、息を乱した彼女がやって来た。

      「ごめんねっ……ねぇ、真倖もう来てる?」

      には姉の姿が見えない。

      
どんなに会いたいと願っても、もう二度と…。

      「…いや」

      「そっか、遅れちゃったと思って走ってきたんだけど、まだ…」

      「違うんだ!……もう、真倖さんはいないんだっ」

      誰もいない体育館に妙に石田の声が響き渡るが、それもまたしばらくすれば闇の中に木霊は

      吸収されるが、二人の間に流れる沈黙はそれを待たなかった。

      
彼女がどう理解するのかよりも傷付かせることの方が緊張するなんて重傷だ。

      「……ねぇ、消しちゃ…ったの?」

      「!」

      だが、その沈黙を破ったのはの方だった。

      
彼女が選んだ選択は、この残された二人の絆を断つには出来すぎたシチュエーションだが、

      彼には肯定しか言えなかった。

      
そうすることで、がもう酷い夢遊病になるほど思い詰めないようにするためにも

      ちっぽけな自分の誇りを守るためにも。

      あれから月日が流れ、彼女は所属していた女子バスケ部を退部した。

      
もう、試合に来てくれる姉はいない。

      
クラスメートに担がれて生徒会長にはなったは良いが、正直言って真倖が座っていた席に腰を

      下ろすのは苦痛の他何モノでもなかった。

      
きっと、心優しい彼女ならそんなことを望んではいないと解っていても石田を全ての現況の

      ように思おうとしていたが、本当は解っていた。

      
彼が嘘を吐いてくれている、それも…自分のために。

      
入学式が無事に終わり、自分の今日の任務が終了し誰もいない体育館を後にするはず

      だった……

      さん」

      あの日からずっとその声を待っていた約一ヶ月間、その名で呼ばれていたから今まで気が

      変になってしまったかのように妙な脱力感が自分を包んでいた。

      
石田は何故この場にいるのだろう?

      真倖のため?

      それとも他の理由?

      「よく頑張りましたね」

      その途端、喜怒哀楽と言う全ての感覚を無視して掌が動き気付いた時にはもう、彼の頬を

      思いっきり叩いていた。

      
そんな言葉を自分に言うために休みを返上して登校してきたのかと思うと涙がじわりと溢れ、

      頬を濡らす。

      
欲張りだ、何て自分は欲張りなんだろう。

      
無い物ねだりばかりをして石田を困らせているが嫌いだ。

      
それなのに、背後から強引に奪われた唇に息を切らし、へなへなと体中の体重を背後から

      自分を抱きしめる彼に預けてしまう。

      「好きです……貴女が…っ……僕は」

      お世辞にも雄弁だとは言えない石田がこんな恥ずかしいことを口にしている時はどんな顔を

      しているのだろう、キスの余韻の残る顔で恐る恐る振り返れば見るな、と言わんばかりに

      左手で目を覆われ、覇気を失った唇をもう一度塞いだ。



      ―――…終わり…―――



 

      #後書き#

      こちらは「School Lover」様に参加作品として作業しましたが、柊沢がいい気

      になっていたら締め切りが過ぎてしまったと言う裏話がある初石田Dream小説です。(爆)

      最近、別ネタで根詰まりをしていたので、枯れたかなぁと悩んだりしたんですが、管理者様

      から最後通告を受けて三日で作業できたので、不謹慎ながらも良い経験をさせて頂いたことを

      感謝しております。