Value of you
パチパチパチ…。
大歓声の中。
私は胸の谷間が少し見えるぐらいのパーティードレスを身に着け、耳には
真紅のそれと不釣り合いな黒真珠のイヤリングをしていた。
貸しきった講堂の中には著名な人物達でいっぱいだった。
これから何が起こるかなんてもう、知っていた。
何十回も重ねてみる夢の世界。
そこには、私に用意されている未来が待っていた。
私は逆らうことの出来ないただの人形。
幸せそうな顔をしていればそれだけで良い存在。
そんな自分がイヤになってきたのはスクールを卒業する頃だった。
だが、その行為は俗に言う「反抗期」と見なされるだけだった。
私は何も変われない?
誰かの手を借りなければこの檻から抜け出すことはできない?
そんなことを毎日考えていた。
『…さっ、そろそろステージに移動して』
「はぁー……」
一人の少女は道の真ん中でため息を吐いていた。
十一月に入りたてのはずでも、厳しい現実は許さず吹く風は当たり前に寒い。
辺りには民家が立ち並び、休日だからだろうか家族連れでどこかへ歩いていくのを
良く見かけた。
今日は快晴で、どこも溜まった洗濯物を一斉に干していて、それがまるで旗の
ように棚引いている。
仕方なく石垣に凭れかかる彼女の手には二つのパンフレットがあった。
それは、今頃の名物である文化祭の案内状である。
一つは地区予選をノーシードで駆け巡った不動峰中学校のもの。
そして、もう一つは、あの王者立海大付属中学校のものだった。
「…どうしよう、……二つとも今日だけなのよね」
そう言って何度目かのため息を吐く人物の名は。
細長い楕円形のような形をした眼鏡を掛けていると、どことなくインテリっぽい。
それもそのはずで、彼女はあの名門藍青中学校の二年生である。
しかも、白地のセーラーにチェック柄のスカートという制服だけでも視線を
引き寄せるのに少女は見事なブロンドの持ち主だった。
とすれ違う誰もが振り返り、映画のヒロイン並である彼女を隠し撮りする者も
中にはいる。
だが、そんなものなど眼中に値しなかった。
今はとにかく目先のことだけ考えているのに精一杯だ。
さらにため息を吐くと、出来の良い人形のような青い瞳でじっと二校を見つめた。
十一月に入ったばかりの今日は、俗にはまだまだ秋だというのに、朝や夕暮れ
時は目が覚めるぐらい寒い。
だが、一人家路に着いている少女はため息交じりで所々でこぼこになって
いる歩行者用の道を見つめたまま顔を上げようとしなかった。
すれ違う人々が一瞬映画女優と見間違えるほどのブロンドの長髪とスタイルを
誇る彼女は訳あってアメリカから日本に留学してもうすぐ半年経つ。
しかし、日本人の父とアメリカ人の母との間に生まれたはバイリンガルで、
言葉には全く不自由はしていないが、問題は勉強にあった。
向こうでは習っていないことを当たり前に答えている同級生達愚か、自分より
年下の子がテストの話をしていると、何だか心に刺さるものがある。
だが、彼女自身が選んだ道なので愚痴る相手を探そうと言うのは、見当違いという
ものだ。
真面目に勉強をし、名門藍青中学校頂点に登りついたもののそこには他人を
寄せ付けないという代価が待ち受けていた。
転入したての頃は仲良くしていたクラスメイト達は自分よりも次第にランクを
上げていった少女をライバル視し出した。
当初は、みんなの目を覚まさせようとこれでも努力したつもりだ。
しかし、それは全て空回りで、逆に激しくさせるだけだった。
「……ねぇ」
時刻は、18時39分。
「ねぇ」
今日は日直のため早めに家を出た。
だが、相方の男子生徒は仕事を放棄し、自分はさっさと帰宅して行ったので、
書いた日誌を職員室に戻すだけで終了するはずだった仕事も元々のんびり屋の
彼女が一人で教室に残っていたのだ、わざわざ理由を解説しなくてもご理解
頂けることだろう。
「ねぇってばっ」
この髪が気に入らないのだったら、墨汁を頭から被ったように染めよう。
この瞳が気に入らないのだったら、眼鏡を止めて色付きコンタクトをしよう。
そしたら、あなたたちは何をしますか?
子供のように自分と明らかに違う部分を探し出して罵倒しますか?
レンガの敷き詰められた歩道には色鮮やかに染め上げられた落ち葉が何枚も
重なっていた。
それをローファーで踏みつけたい思いを深いため息を吐くことで諦める。
何をやっているのだろう。
そんなことをしたって事実は覆されない。
「さんっ!」
「ひゃっ!?」
いきなり耳のそばで呼ばれたものだから彼女は大きな声を張り上げてしまった。
時間的にも何が出没してきても可笑しくない。
今さっきまで西の方角を見ればいた太陽は、遥か彼方に存在している山に
消えようとしていた。
耳の奥ではまだ先程の声が響いているようで、ジンジンしている。
「そんなに驚くことないじゃない。それとも何?俺に声を掛けられたのが
嫌なわけ?」
左耳を擦りながら振り返った少女の目の前には黒い学ランを詰襟まで閉めた
長髪の少年がいた。
「伊武君っ!どうしたのこんな所で!!部活の帰り?」
喜びと先程までのことを悟られないようにとわざと明るく取り繕う。
そうでもしないと、今にも不安に押しつぶされそうで胸が苦しかった。
「うん。さんは?女の子がこんな時間に一人なんて物騒だね。僕が家まで送るよ」
「いいよ、私なんか狙う人なんていないから」
彼は正直者なのか単なる頭の回転が速いだけなのか、次に言おうとする言葉を
口にする。
そのため相手側に立つ存在はいつも選択時に何秒か躊躇ってしまうのだった。
彼の名は、伊武深司。
あの今年開催した地区予選をノーシードで駆け巡った不動峰中学校のテニス部に
所属している。
「…………無自覚って時によっては怖いものだね」
「えっ?」
「ほら、さっさと行くよ」
何かをボソッと言ったかと思うと、きれいな横顔をほんのりと紅く染めて
歩き出した。
この少年とは、留学してきたばかりに、最初に遇った日本人だったのだ。
だが、紹介をする前に別れてしまった以来、連絡を取り合ってはいなかった。
しかし、夏休み前のある日、運命は面白い事で繋がる。
家の近くで開催された関東大会を観に行った彼女は少年との再会をした。
「…」
だが、運命は時に試練を与える。
その時再会を果たしたのは、伊武だけではなかった。
彼と肩を並べて歩いていた彼女はその声に反応して視線を元の位置に戻す。
歩調を合わせてくれていたのか少年も一緒に目の前に立つ存在を見た。
それは試合相手を見るものである。
「っ!?ジャッカル!」
しかし、それに気づかない少女は彼の名を呼んでは駆け出してしまった。
それはの天然過ぎる鈍感な性格故に起こした運命である。
思い切り傷ついた顔をした伊武を唇の端を吊り上げて見てから彼女の頭を
大きな掌で撫でた。
「元気だったか?」
「うんっ!関東大会ぶりだね!!今日は一体どうしたの?こっちに来たりして」
「実は、渡したいモンがあるんだ」
何、と首を傾げるとジャッカルは肩から提げていたバックの中から一つの
パンフレットを取り出して少女に手渡した。
それは、立海大付属中学校のパンフレットである。
「明日、ウチの学校で文化祭があるんだ。良かったら一緒に行かないか?参加する
のは文化部だけで俺ら運動部は自由参加なんだ」
「へぇ!じゃあ…」
両手でパンフレットを胸に抱えたまま元気良く返事しようとしたの口を
片手で遮った人物がいた。
「すみませんが、俺もコイツに渡したいものがあるんですけど。つぅか、
いきなり出てきて何様のつもり?」
それは、先程まで彼女の背後で思いっきり毒気を放っていた伊武深司である。
表情はいつになく険しく自分より背の高い色黒の少年を睨んでいた。
ジャッカルもまた無言で燃え盛るような視線を返す。
少女の唇から掌を外すと、それと交換のように一部のパンフレットが
差し出された。
それもまた同じく文化祭の案内である。
「俺の方も明日ある。俺の方は模擬店で食堂をやるけど、さんが来てくれ
るなら一緒に回りたいんだけど…」
そして、語尾に再び年齢の違う二人の男性の激しい火花が散った。
両校共に開催されるのは明日のみ。
要するに、誰か一人しか選べないということである。
優柔不断なにはなかなかできない芸当だった。
それを熟知しているのか彼は右の手首に填めた腕時計を見てから肩に背負った
荷物を掛け直す。
「どちらかに行くのは君に任す。不動峰に来なかった時には潔くさんの
ことは諦めるよ」
「私のことを諦めるっ…て?」
「まだ気づいてねぇのかよ。俺達はお前のことが好きなんだ」
「ウっウソ!?」
「悪いけど、気持ちばかりは偽れないから」
「返事は明日の来る、来ないで判断させてもらう」
「…信じているから」
「校門のところで待っているぜ」
それだけを言うと、二人は互いに背を向けて歩き出した。
あれから寝ずに考えたが、やはり迷ってしまう。
彼らのことはどちらも好きだった。
だが、運命の悪戯とはこういうことを言うのだろう。
あの日あの時あの場所で、三人が再会をしてしまったのは必然だろうか。
それとも出来すぎた偶然だろうか。
同じ瞬間に二人の男性を想ってしまった。
それは、自分勝手な心がそうさせたものだから彼らには話したことがない。
両校のパンフレットに視線を注ぐたびに二人の顔が脳裏に過ぎった。
こんなことではいけない。
紅く染まった顔を左右に強く振った。
どちらかを選ぶのだ。
そうすることによって自身の価値も大きく変わるだろう。
幼い時から周囲が決めたレールを歩かされてきた。
それ故にブリーダーに育てられるペットのように将来も決まっていたのだ。
周りが輝かしい未来と言うほどそこには何の可能性も価値も存在しては
いなかった。
ただ、そこで座って役目を果たすだけの自分。
そんな場所が欲しいわけじゃない。
自分がどんな人間か知らない中で、と言う価値を見つけてくれる人が
欲しかった。
「…………決めた」
瞳を長い時間伏せてみる。
そこには優しい声を発して呼ぶ一人の少年が現われた。
もう、迷わない。
彼女はバイバイと口にし、一校のパンフレットを少し歩いた公園のくず籠に
捨てた。
今までの自分とは、もう別れよう。
これからは少女自身が道を選ぶ番だ。
その先にはの価値をもっとも理解している男性が待っていた。
いつもは重りの付いた足が軽い。
ふと、気づけば足が自然と彼を求めて駆け出していた。