逢いたい…


          季節はすっかり冬で昨夜はちらほらと細かい雪が舞ったらしい。

          元日から何日かして短い休みは明け、一人の少女がため息をつきながら漫画のある

          一点を見ていた。

          今日も寒く呼吸するたびに吐いたものが凍って、地面に落ちそうに思える。

          だが、そんなことは実際に起こるわけも無く、彼女の妄想上で終わった。

          久しぶりに着る制服はまるで、新しく下ろしたもののような気持ちを起こさせる。

          多分、制服を着ない社会人に自分がなったとしたら即解雇だろう、と考えて少し

          将来が不安になった。

          だが、まだ見ぬ未来よりも切実なものがあることにもう一度、大きくため息を吐く。

          朝のHRを控えたこの時間にのように自分の机で堂々と週刊漫画を広げ

          ているクラスメートはいなかった。

          友達や恋人とこのスリリングな瞬間を敢えて交流の場として選ぶ者や少女のように

          かは別だが、孤高に読書や勉学に励む者がいる。

          「、おはよ。……ったく、アンタも好きねぇ」

          彼女の机に近づいてきた少女はやれやれ、と首を左右に振る。

          制服の上から着た黒のダッフルコートがとても温かそうだ。

          「あっ、おはよ。良いじゃない。好きなんだから」

          言おうとして何かを飲み込んだと知られないように週刊漫画を閉じ、それを守るか

          のように身構える真似をしてみせた。

          彼女は額をそっと押さえてため息を吐く。

          どうやら今の行動はバレてないらしい。
 

          「いい加減、愛読するの止めたら?私達受験生でしょ」

          「うっ…」

          ごもっともな正論に何の反論も出来ないことが妙に悔しい。

          「それにあの彼氏はどうしたのよ?」

          「うっ!」

          今一番突かれたくない話題に思わず強い口調になってしまった。

          一応、周囲を見渡してみるが、過剰に反応した者は誰もいなく、それさえもお喋

          りの渦に掻き消されてしまった。

          「何よ。まさか、あれから会ってないとか言うんじゃないでしょうね?」

          「ぎくっ!!」

          こんな時、自分の事ながら正直すぎる性格が嫌になる。

          思ったことを大体口にしてしまうのは、誰の遺伝だろうと恨めしく思う。

          「何やってんのよ、アンタ達!?彼氏の方、忙しいの?」

          「う〜…ん。似たようなものかな?」

          「何よ、それ?」

          「うん、……とにかく逢えないの。だから、こうしてマンガを見て気を紛らわし

           ているとこ」

          「恋する乙女の悩みって奴ね。ごめん、気が利かなくて」

          「ううんっ。心配しないで。あっ、先生来たよ」

          「えっ?あっ、ホント、じゃあね」

          何とか誤魔化すことが出来、心の底から担任にこれまで無いくらい感謝をした。

          教壇に近い席に位置する彼女とは違い、親友の森村月乃の席は廊下側の一番後ろで

          ある。

          この時期にはなかなか辛いものがある。

          HRをBGMに又、頬杖を付いてため息を吐いた。

          元々、人に嘘を吐くことはどちらかと言えば嫌いな方である。

          それも親友である彼女にしてしまったことが、の中でショッキングな出来事

          だった。

          だが、そんなことは避けて通れない事だって現実には、あちらこちらにある。

          それが今であることは彼女にだって解っていた。

          周助と言う名前を思うたびに胸が締め付けられ、息をすることさえできなくなるほ

          どだ。

          一番愛しい人の名を呟くたび、あの日をつぶさに思い浮かべることが出来る。
 
          信じられない彼からの告白。

          恋人と一緒に行くと決めていた喫茶店。

          世界中が幸せ色に見えた瞬間。

          二人だけの黄昏に染まる公園。

          …そして、すっかり冷え切った唇。


          ずっと想い続けていた「テニスの王子様」の不二周助。

          それは理想の男性であって実らない恋だと解っていた。

          だが、この解消法を知らない気持ちは次第にどうしようもないくらいに膨らんで

          いく。

          こんなことを漫画やアニメといった類に全く興味がない月乃に言ったとしても、

          何の前置きもなしに止めることを勧められるだろう。

          それが親友ともならば尚更の事だ。

          しかし、想いは時に現実を覆すこともある、とあの日を境に知ることになった。

          紙一枚の世界にいた少年は愛しい少女に巡り会うため、こちらの世界にささやか

          な時間だが、姿を現し目的を達成する。

          それは一瞬として儚いものと化してしまうが、それに何の後悔もしなかった。

          心境の変化で色は変わるが、不二に気持ちを伝えられたことが嬉しかった。

          例え、時間が経って幸せが哀愁に染まっても、自分だけは彼を待つたった一人の

          待ち人になりたい。

          その気持ちに偽りは無かった。

          しかし、既に精神への限界が近づいていた。


          月が煌々と姿を現す頃には、朝よりも零下とも思える寒さが地上を闇と共に覆いつ

          くす。

          他の季節では姿を見せていたはずの獣達の姿は無く、夜空を制するものだけが

          いた。

          美しいようでどこか寂しげに見えるそれは何を伝えているのだろうか。

          受験生のためか、ここのところ学校から帰ってきては自室にこもり予習復習の

          毎日だった。

          今はちょうど一息をついていたところだ。
 
          窓際に机があるため大きく背伸びをしていたら、不意に月と目が合った。

          「ねぇ…お月様。いつになったら私を周助に逢わせてくれるの?私、もう限界だ

           よ。彼のいない世界なんて嫌だよ!勉強してるけど、彼と同じ高校じゃなきゃ

           何の意味も無いよっ!!」

          ずっと胸にしまいこんでいた不安。

          このまま一生逢えなかったらどうしよう。

          勉学に励んでさえいれば明るい未来が待っているかもしれない。

          突如現れた天才少女。

          有名大学への進学。

          充実したキャリアウーマン生活。

          親同士が決めたお見合い結婚だってあるかもしれない。
 
          どれを想像しても不二が視界に入ってはくれなかった。

          「周助…?」

          彼が向こうの世界に戻った日のような満月を眺めているうちに、涙が重くなり頬

          を一筋流れた。

          「駄目だね。……もう、慣れたはずなのに、泣いちゃうなんて。私ってどうして

           弱いんだろ」

          目元を指で拭ってはみるが、再び濡らし始める。

          顔を両手で覆い、己の脆さに今更ながら嘆いた。

          人間は必ずしも強いとは限らない。

          教師地味たくさいことを言うが、「人」という字は支えあって一つである。

          誰か自分の助けになるものがいなければ、無いものと見なされる。

          どこかの歌詞にもあるようだが、人間だって寂しさで死ぬことだってあるのだ。

          それこそ、一般に言われる「自殺」や「自爆」といった類だろう。

          しかし、この場合は無意識が多い。

          彼を想って床で泣いていると胸が激しく脈打っていることをも知っていた。

          まるで、終わり無きマラソンでもしているかのような苦しみだ。

          その場でしゃがみ込み、声を殺して瞳から幾筋の雫を流した。

          「周助…周助……っ」

          最近の彼女はちょっとした弾みでもこうして涙が溢れてしまう。

          外出する際は気を引き締めていないと普通ではいられなかった。

          うずくまる感じで背中を丸くする。

          階下から聞こえてくるのは平穏な家庭の温もり。

          リビングから響く笑い声。

          キッチンで一つになる水と食器。

          「へっ?」

          だが、どれとも交わらない小さな音が少女を再び現実に戻した。

          「確か、ここから聞こえたような……」

          短く発せられた方を見上げればそこは築十年以上経っている自室の窓だった。

          小さな植木鉢が三個ぐらい入るベランダがある。

          だが、日当たりが悪いため事実上使ったことは無かった。

          聞き間違いかもしれない。

          それでも何故だか確かめずにはいられなかった。

          お気に入りのイチゴ柄のカーテンと一緒に窓を少し開ける。

          外はすっかり闇に紛れて駅前の方からはちらほらとネオンの明かりが見えた。

          「えっ?」

          しかし、それ以上に彼女の視線を釘付けにしたものがあった。

          閉めていた窓を勢い良く開け、それを掌に乗せる。

          「石?何でこんなものがここに……っ!?」

          それは飛ばされてきたと思えないほどの大きさで、人の掌に納まる小石だった。

          今夜は強風どころか顔を撫でるものもない。

          原因を調べよう、と辺りを見回すが、石がこちらに来た理由など解るはずも無

          かった。

          残るものはと冗談交じりに地上を見下ろす。

          昔の偉人の書いた話のように誰かがいるはずが無かった。

          だが、彼女の瞳は見開かれ、その一点から離す事が出来なかった。

          声を出せば、幻のように消えてしまうのではないか、と思い恐ろしくて出来ない。

          外の冷気で凍りついた頬に再び涙が伝い出した。

          「……」

          暗闇の中の人物は何かを言うかのように唇を動かした。

          当然のようにそれをじっと見ている少女も、自然と姿勢が前のめりになる。

          『た・だ・い・ま』

          読唇術があるわけではないから確かなことだとはいえない。

          だが、少なくとも彼女には、そう動いたように見えた。

          「ちょっ、ちょっと待ってて!」

          出来るだけ大きく口を開いて薄着のままで部屋を飛び出す。

          信じられない。


          その思いが階段を駆け下りる間、鼓動を高鳴らせた。

          こんなことがあるわけがない。

          あれから何日経ったかなんてそんなことはどうだっていい。

          矛盾が生じているからこそあの場所へと急いでいる。

          「、どうしたの?」

          遠くに聞こえてくる母親の声も無視して、スニーカーに足を突っ込んだまま飛び

          出した。

          「周助っ!」

          小声だが、はっきり聞こえるように叫ぶ。

          辺りは身震いするほど夜の気温は一気に下がる。

          だからだろうか、それを発することで吐いた白い息が消えていくのをじっと見て

          いた。

          先程まで彼に会えるような気がしていたのに、今は幻だったと思う方が大きい。

          逢えるはずが無いのだ。

          あれから一年が経った。

          何の音沙汰も、もちろん連絡も無い。

          「テニスの王子様」が連載されている週刊少年ジャンプで欠かさず少年を応援して

          いる。

          この中にいる彼と想いが通じ合っている、というだけで心強くされたことも

          あった。

          しかし、月日の経つ内にそれは夢のように覚めていくのが早くなる。

          あっという間に過ぎ去ってしまう砂時計のように…。

          もう一度だけと神に願ったのは何遍とも知れない。

          ため息のような深いものを一つ吐き、夜空を見上げた。

          そこには煌々と照る満月と数少ない星々が輝いている。

          「お月様…そして、お星様……ありがとう。少しの間でも彼の幻を見せてくれて」

          冷たい空気の中で光を失わないそれに敬意を表して出来るだけ微笑んではみるが、

          涙の方がどうしても重くて泣き笑いのようになってしまった。
 
          本当は本物に逢いたかったが、そんな贅沢は言ってはいけない。

          ほんの短い間でも不二を感じられただけで充分だ。

          少しだけ風が出できた。

          まだ若いからとはいっても、この姿のまま外にいては風邪を引いてしまう。

          受験生である彼女が体を悪くするわけにいかない。

          もう一度夜空を見上げ、瞳の端に溜まった雫を軽く指の腹で拭った。

          「それじゃあ……ね」

          踵を返して玄関のドアノブを掴むとその上に大きな掌が柔らかく覆い被さる。

          「っ!?」
 

          それは既に冷えきった少女のものを温かく包み込むものだった。

          「幻なんかじゃないよ、

          聞き覚えのある声に勢い良くそれが発せられた方を見る。

          彼がいるはずがないと思っているのに、心はこんなにあの少年のことを想わない

          日なんてなかった。

          月明かりを遮るように立っている長身の男性は溢れんばかりの微笑を浮かべて

          いる。

          「周助っ!」

          「くすっ、…ただいま」

          自室から見たあれは本物だったのだ。

          言葉に詰まり、上手く声が出せずに彼を力強く抱きしめる。

          どんなものより伝えたいことなんてたくさんあって、どれを先に言うかなんてなか

          なか簡単には決まってはくれない。
 
          だが、今自分を抱きしめ返してくれた不二に伝えなくてはいけないことだとした

          ら、と見上げれば拭ったはずの涙が瞳の端から零れた。

          「……ずっと逢いたかった」

          「私も、ずっとあなたに逢いたくて仕様がなかった。……お帰りなさいっ!」

          やっと伝えることが出来た、そう思うと自ら彼の唇を求める。
 
          そうすることで不二周助という一人の人間を感じたかった。

          少女の冷えきったものが彼の温もりに包まれる。

          なぜか今流れる涙の色が急に熱を持ったような感じがする。

          唇を離すと少し驚いたような顔をした少年がそこにいた。

          まさか、久しぶりに会った恋人から歓迎のキスが待ち構えていようとは予想もしな

          かっただろう。

          暫くして今度は不二からの唇を求めてきた。

          だが、それはあの頃のものとは比べ物にもならないほど深いものだった。

          彼が角度を変えて啄ばむように少女を攻め続ける。

          自然に吐息のような声も漏れ、それに驚いた瞬間に、彼自身が口内に侵入して

          きた。
 
          息継ぎをしようものなら、後頭部を片手で固定され、甘い口づけをより深いものに

          代えられてしまった。
 
          歯列をなぞらず、一気に彼女自身を求める。

          それは、めったに表さない不二周助の本性だろう。

          笑顔の中に隠した激情は誰よりも強い。

          唇を離すと数的の愛し合った跡が光った。

          「っ、……好きだよ。ずっと、待たせちゃってごめん」


          二人は暫く家の玄関の前で抱き合うと、何の目的があるというわけでもなく、

          駅前商店街の方へ歩みを進めた。

          彼女は二度と離さないかのように彼の腕にしがみついている。

          そんなを少年は優しく微笑んで見ていた。

          「くすっ、どこに行くの?」

          「どこに行くかは決めてないんだけど、駅前の商店街なら何かあるかなって

           思って」

          「じゃあ、それでいいよ。僕は君と一緒にいられるならどこでもいいから」

          「周助」

          思わず足を止めそうになって彼の腕に絡ませたそれに少し力を加える。

          不二はなかなか己のことを話したがらなかった。

          それは前回のたった一度きりのデートで既に把握していたことだが、それが何かを

          悩んでいるのではないかと不安に感じる。

          冷えきった夜はまるで、この少年の心の中なのかと冗談抜きで思った。

          だが、外出する前に一度自宅に戻ってお気に入りの白いロングコートとマフラーを

          着込んでも夜風に吹かれる度に体温が奪われていく。

          だが、彼の腕はとても温かった。
 
          駅前に着いたらあの頃と同じ喫茶店に入って自分はミルクティーを頼もうと考えて

          笑みが込み上げてきた。

          「どうしたの?何か面白いことでもあった?」

          その声がして見上げてみると、彼の微笑んだ顔が首を傾げて見ている。

          「ん、ちょっと思い出し笑い」

          「何を思い出したの?」

          「えへへっ……私達が初めてデートしたあの日のこと覚えている?」

          「あぁ、今も昨日のことに覚えているよ。現に、僕のこっちでの記憶はあの頃から

           止まっているままだしね」

          「え…じゃ、じゃあ、向こうの世界に戻ったら私のこと忘れちゃうの?」

          「そんなわけないよ。僕はいつだってのことを見ていたよ。あの時、こっちの

           世界で初めて作った思い出だからだよ」

          「なっ、なぁ〜んだ」

          それを聞いて心底ほっとした。

          何故だろう、こんな他愛のない会話さえ自信がなくなっている。

          それは埃を被ってしまっている恋心故だろうか。

          「で、何を思い出したの?」

          「あっ、うん。その時、一緒にお茶したお店があったじゃない?せっかくだし、そ

           こであの日と同じものを頼んでみたいなぁと思って」

          「あぁ、良いね。じゃあ、そうしようか?今夜は冷えるしね」

          「うん!」

          彼女の不安な表情を悟ったのか、不二はいつものように優しく笑った。

          駅前は夜中だというのに、人通りが激しく彼にしっかりと寄り添っていないとこの

          歳にも関わらず迷子になってしまいそうだ。

          そのまま店内に入ると、いろんな匂いと共に暖房が彼らを包み込んだ。

          「いらっしゃいませ!何名様ですか?」

          忙しく動いていたウェイトレスの一人がこちらの方に小走りに駆け寄ってきた。

          睫毛が長く、そのままお客としていても、ちょうど良いくらいだ。

          長期アルバイトかパートのどちらかであろう。

          華奢な体に、妙にこの店の制服が似合っている。

          「二名です」

          心中で興奮していたからなのか不二の顔が先程のものより優しく見えた。

          彼女に案内されるがまま、二人は込み合った店内の中を縫うように歩くが、の心

          は穏やかではない。

          これが世に言う「ヤキモチ」なのかと思うと、自分が惨めでならなかった。

          「どうしたの?さっきから黙り込んじゃって」

          彼は出された水の入ったコップをじっと眺める少女に訊ねる。

          案内された場所は店内の奥から二番目の先程空いた四人掛けのテーブルだった。

          何も知らなさそうに装って全部お見通しだよ、と顔に書いているのが解って面白

          くない。

          それは一応、彼氏と彼女の関係であるから互いの気持ちが理解できて当然と

          言えばそうだが、自分のことでこの存在を困らせてみたかったと思うのは、だけ

          だろうか。

          「べ、別に」

          ぶっきらぼうを装ってその視線から目を逸らした。

          不二の瞳が眩し過ぎてこの邪険な欲望を見透かされそうで怖い。

          「そう?」

          「っ!?」

          だが、それも無駄な足掻きだったかのように顎をそっと抑えられ、今度は至近

          距離で訊ねられた。

          どこまでも深い青い瞳が彼女にもう逃げ場は無いと伝えているようだ。

          顔中を赤らめて蚊の鳴くような声でごめんなさい、と呟いた。

          「くすっ、どうして謝るの?」

          「むぅ……知っているくせに」

          「さぁ、何のことかな?」

          「……」

          やはり、全てにおいてこの少年に勝つことなんてできなかった。

          大勢の客とオーダーで忙しなく動く店員達をBGMにしながらだが、彼の声がはっきり

          と聞き分けることが出来る。

          それは、不二周助と言う少年が特別なのだろうか、それとも単なるこの少女の耳

          が可笑しくなったのだろうか。

          「言ってくれなきゃわからないんだけどな」

          「いやぁっ」

          彼女の耳元に唇を寄せ、甘く囁かれ、反射的に色っぽい声が口から零れ出た。

          それを聞いた途端、不二は少し驚いた顔をしてから笑い、は火照らせて俯く。

          「お待たせしました。コーヒーのお客様は?」

          「はい。僕です」

          彼女が、少女と女性の間で揺れている間、先程オーダーしたものが運ばれ、一人

          で笑っていた彼がウェイターに指示し、気づいた頃は二人の間に温かい白い湯気

          が漂っていた。

          「私っ…さっき、案内してくれたウェイトレスさんがキレーだなって思って。

           周助が……同じこと思ってたら・・嫌だな・・・って」

          「要するにヤキモチ妬いてくれたんだ?」

          「うっ」

          妙に明るい声が返ってきて言葉が詰まる。

          恐る恐る彼を見上げれば、当の本人は穏やかにこちらを見つめていた。

          「……何、嬉しそうに笑っているの?嫉妬深い女だなって厭きれないの?」

          「どうして?ヤキモチ妬くってことはそれだけにとって僕が大切だってことで 

           しょ。だから、僕は嬉しいんだ」

          そんな恥ずかしいことを平気で言う彼を直視することは出来ず、テーブルの下にあ

          るティーカップの中を覗き込んだ。

          そこには不二の色素の薄い髪と同じミルクティーがまるで、鏡のように映し出して

          いた。


          喫茶店を後にしてからも二人は一言も話さず、互いの腕を絡めて商店街を歩く。

          店内の暖房と冷えた体を優しく包み込む飲み物で温まったはずなのに、外に出れば

          それも長くは持たなかった。
 
          冷え切った空気と風が二人を四方から狙い、唯一の対処法を互いの体を密着させる

          ことのみにさせる。

          「寒い?」

          「うん……でも、こうしてれば大丈夫だから」

          自分の方を見下ろす彼を哀しそうに微笑んで言葉を返した。

          商店街はネオンの明かりや人ごみで賑わっている。

          すれ違う人々は皆幸せそうな顔をして自分達も先程までその中にいたというのに、

          今ではそれも幻と化してしまった。

          逢えたのは、嬉しい。

          だが、微風でも散ってしまう桜のようにそれは過ぎ去ってしまう。

          本当は、彼の世界へ行ってしまいたかった。

          しかし、その術を知らない彼女には無理な話だった。

          「あっ!見て、

          商店街の一店の前で不二がいきなり足を止める。

          少女は急いで頭を左右に振って明るい顔に戻し、それを追うように見上げた。

          「あっ、ここ…」

          それは彼女の母親がいつも使っている大手スーパーの一つだった。

          毎週水曜日には冷凍食品が何割か安くなるらしく、毎度抱えきれないほど買って

          くる。

          も何度か狩り出されることもあった。

          「知ってるの?」

          「うっ…まぁ……ね」

          首をかしげる少年にそんなことは言えない。

          自分でも解っているが、最近やけに主婦染みているところがあった。

          例えば、休日に広告を見てどの店のものが安いとか考えていたりする。

          それは母親や月乃に言わせて見ればそれは完全なるおばさんが入ってきているらしい。

          自分では何かで気を紛らわそうと必死なのだが、どうもその的となるものが普通

          の青少年から大分ずれていた。

          「それで、この店がなんなの?」

          話しを反らすと、彼がすっと人指し指で何かを捕らえる。

          その先からゆっくりと目線を動かすと一つの色鮮やかなポスターに目が止まった。


          「「屋上テニススクール生徒募集中!見学無料」?これがどうかしたの?」

          「特に行くところもないならいってみない?せっかく見学無料だって言うんだし」

          そう言うと、彼の目が一瞬、開いたような気がした。

          青い瞳が何かを求めている。

          強い相手がいるかもしれないという不二周助の期待と闘志の表れである。

          まだまだ現役のテニス部に所属している彼に今以上の我慢はさせられない。

          「うん、そだね。行ってみよう。私も一度間近で見てみたかったしね」

          時間を見てみれば後十分で閉館してしまう。

          「じゃあ、急ごう」

          少年はとても嬉しそうな顔をしていて、こちらまでそれが伝わってきそうだ。

          「うんっ!」

          商店街の中でも低いその大手スーパーは、屋上を入れて六階までしかない。

          だから、エレベーターで行ってもエスカレーターで行ったとしても大して何も

          変わりもなく、あっという間に辿り着いてしまった。

          「っ!?」

          夜間だと言うのに、日中の如く照明がテニスコートを照らし、自動ドアから足

          を踏み出すと、まず彼女は目を細めた。

          もう直ぐ深夜になるというのに、屋上には4コートが設けられており、その中には

          少人数だが確かにいる。

          「どう?」

          彼が落胆してないか心配になり、恐る恐る訊ねた。

          だが、当の本人は至って楽しそうな表情をしている。

          「うん。みんな、楽しそうだね」

          それは、自分が求めていたものがいないという無言の意味。

          だが、ポーカーフェイスの不二に絶対とは言い切れないが、嬉しそうなのには変

          わりなかった。

          「もう、時間もないし、僕達もちょっとやって行こうよ」

          「えぇっ!?無理だよ!私、テニス強くないし。それに最近受験で体動かしてな

           いし」

          「それじゃ、丁度良いじゃない。さっ、早く」

          手を引っ張られ、仕方なくスクール内に入る。

          ガラス越しに見ていたためか、何故か自分達がいきなり小さくなり、箱庭の中に

          入ったのではないかと錯覚してしまった。

          小さく見えていたものは当たり前のように背丈があり、逆に歩みを進めれば

          視界から姿を消すものがある。

          「君達、もしかして見学者かい?」

          入り口から入って直ぐにここの関係者らしい白のポロシャツに青いジャージズボン

          の青年がこちらの方に駆け寄ってきた。

          「はい。テニスをちょっとかじっているので、少し打たせてもらえないかなって

           来たんですが」

          心の中でカウンター突っ込みをしたい所だが、当の本人は余裕の微笑みを浮かべて

          いる。

          「なるほど。それじゃあ、空いている所は……あっ、奥の右側にあるコートにしよ

           うか?」

          「はいっ!」

          彼は不二の挑戦的な発言に何も言わず、辺りを見ますと、場所を指差す。

          そこは、先程まで中年男性たちがプレイしていたらしく、こちらに向かって荷物

          を背負いながら歩いてきた。

          「ちょっ!周助っ!!」

          来ていたブラウンのダッフルコートを彼女に預け、自分は指定された場所に歩調を

          速めながら長袖のシャツの袖を腕まくりしていた。

          「大丈夫だよ。心配しないで」
 

          だが、彼は向こうの世界のように生き生きしている笑顔を見せる。

          そんな顔をされてはやめてなど言えるわけがない。

          「頑張って!」

          せめて、自分に出来ることは応援することだけだった。

          「うんっ!」

          不二のぬくもりを抱きしめながら武運を祈る。

          勿論、彼が負けるわけはない。

          寧ろ、このスクールの講師であろうと思われる青年を気にしていた。

          ここで働いているということはそれなりな所から出ているはずだ。

          それなのに、中学三年生でしかも、紙一重の住人だと知ったら彼のショックは

          確実だろう。

          コートの隅から試合の様子を見守る。

          名前も知らぬ少年の鮮やかなプレイに惹かれたのかそれとも、どうにか喰らいつい

          ている講師を応援しに着たのか次第に他のコートにいたはずの人々が集ってきた。
  

          「おっ、兄ちゃん!頑張れ」

          「高木先生も頑張れ〜!」

          ほとんどは先程入れ違ってコートを出た彼らのように中年男性で妙にタオルを首に

          掛けた姿が似合っている。

          やはり、今、不二とボールを上手く交わしているように見える男性はこのスクール

          の講師のようだ。

          だが、彼のプレイは相手の出方を把握してから序々に本領を発揮していく。
  
          今はどうにか持っているが、もう、そろそろスタミナも切れるだろう。

          「あっ」

          今、彼がこちらを見たような気がした。

          その瞳は青く輝いていた。

          「すみませんが、もう、そろそろ終わらせて頂きます。彼女を待たせているので」

          「おやっ?……負けてくれるのかい?そりゃ……助かる」

          「くすっ」

          不二のあの微笑方はそんなものではない。

          勝利を確信しているものだ。

          懇親の一撃のようなスマッシュが彼に向かってやってくる。

          「あぶねぇ!兄ちゃん、逃げろっ!!」

          「くすっ…」

          誰もが目を瞑りそうな瞬間、それは起きた。

          突然、彼の体をつむじ風のようなものが見えたと思ったら黄色いテニスボールは

          キレイな円を描いてラインぎりぎりのところで軽い音を残した。

          「おぉっ!兄ちゃん、すげぇ!!」

          「くすっ」

          高木講師は唖然として口をだらしなく開いている。

          自分は何て大きい相手と試合しているのだろう、と。

          羆落としだ。

          一方、少女はすっかり冷え切った彼のダッフルコートを抱えながら心の中で叫んだ。

          現実にこの目で見るのは、勿論初めてだ。

          間近で見られるなんて自分は何てツいているんだろう。
 
          キャラは違うが彼の見事な技術の高さに酔ってしまった。

          その後も、天才不二周助の勝利は確実で、羆落としを何度目か連続すると直ぐに、

          試合終了してしまう。

          「参ったよ。君、強いね」

          「いえ、そんなことはないですよ。それでは、僕はこの辺で」

          「待ってくれ!君、名前は?うちのスクールに入らないか?もう直ぐ、アマの

           大会があるんだ!!」

          二人とも汗でびっしょりになった掌を合わすと、高木講師はそれを自分の胸の

          辺りに持っていき、祈るような目を不二へと送った。

          だが、それは通じるはずもなく、考えてみますという彼の言葉で遮られた。

          その姿は、見る者の目を背けさせるほど儚さが漂っている。

          体中にびっしょり汗を掻いた不二に哀れそうな表情を浮かべた中年男性が

          紳士的に自分のタオルを差し出した。

          しかし、彼はお礼を述べただけで受け取ろうとはしない。

          代わりに、テニスコートの隅で今まで見守っていたに、自分の方に来るよう

          視線を走らせた。

          「それでは、僕らはここで失礼します」


          屋上テニススクールから逃げ出すように歩調を速めて着いた場所は、あの時別れた

          公園だった。

          ここで交わした口づけのことはつい昨日のことのように鮮明に覚えている。

          たった一年では何も変わらず、あの頃と同じ哀愁の雰囲気を漂わせていた。

          そういえば、最近母親がこの公園が取り壊されるようなことを言っていた気がする。

          どの遊具も泥だらけで、この場所がどれだけ近所の子供達にとって大切な場所か

          解った。

          この事実を知ってしまったら、一体彼らはどこで遊ぶことが許されるのか。

          少女が昔駆けまわっていた空き地は現在、十階建てのマンションが建っている。

          朝の通学途中、その場から生まれ出たような様々の人達と共に歩くことがある。

          帰宅時には黄昏に染まるそれを見上げて、センチメンタルに浸ることだって

          あった。

          「周助…」

          まだ咲くことはない桜の下で彼を抱きしめる。

          「っ」

          又、離れたくはない。

          二人の気持ちは口にしなくとも繋がっていた。

          彼女の震える背中を優しかったが、このまま自分の中に閉じ込めてしまいそうなく

          らい抱きしめ返す。

          先程掻いた汗は消え、体温を奪ったのかほんの少しだが、冷たかった。

          まるで、それが永久の別れを伝えているようで嫌だった。

          「こ、今度は、いつ、こっちに来るの?」

          意地らしくも明るい声でそう言う。

          そうでもしなければ、今にも涙が頬に零れそうだ。

          「……っ」

          何かをかみ殺すように彼女の名を呼んだ唇は、無我夢中のようにそれを塞ぐ。

          いきなりの事で息が詰まりそうな衝動を彼の背中に回した腕に力を込めて抑えた。

          向こうの世界では常にポーカーフェイスで他人に自分が何を思っているのか

          なかなか悟らせない不二もやはり、一人の人間である。

          この絆をどこまでも求めているような深いキスが、何かを物語っているようで

          怖かった。

          唇を放されても少しの時間、瞳を開ける事を躊躇う。

          もし、その瞬間になったら、この少年が光の粒と化して向こうの世界に帰ってし

          まったらどうしよう。

          一年前の悪夢が脳裏に浮かんだ。

          精一杯の笑顔で見送ったあの時、たくさんの涙を瞳の奥へ抑えようと必死だった。

          「……

          「っ!?」

          内緒話でもするかのように耳元で囁かれ、驚いた少女はあんなに恐れていたのにも

          関わらず瞳を見開いてしまった。

          「朝……、が起きたら、……僕の名前を呼んで……」

          彼女の恐れていた通り、神様は待ってはくれなかった。

          彼はいつものように笑って消えていった。

          月明かりが照らすと、そこにはただ中学三年生の少女しかいなかった。

          いつ逢えるかなんて定かではないのに、何故あんなに優しく微笑めるのだろう。

          「周助っ!嫌だよ。こんなっ別れ方なんて!!」

          だが、いくら言っても、誰もいない公園に虚しく響くだけだ。

          彼のテノールの声は返っては来ない。


          「朝……、が起きたら、……僕の名前を呼んで……」

          不二は姿を消す瞬間に呟いたあの言葉。

          あれは、何を指しているのだろうか。

          「周助ぇ―っ!」

          涙で顔中をくしゃくしゃにしながら叫んだ。

          それでも月は優しく天地を照らすだけだった。


          「……周助っ」

          「…ん?……なぁに」

          重い瞼を開けるのをいつもは十五分も躊躇うのに、今朝は違った。

          家族の誰とも似ていない、でも、大好きで甘いテノールの声に聞き覚えが合った。

          それを確かめたくて、瞳を開ける。

          いつの間に自室へ戻ってきたのだろうか。

          桃色のフトンを跳ね除け、声がした方を見た。

          そこには、やはり大好きな微笑みがあった。

          「周助っ!?」

          「うんっ!」

          パジャマ姿のまま抱き合う。

          先程まで見ていたのは、夢だったのだろうか。

          多少の疑問はあるが、そんなことはどうだって良い。

          「「逢いたかった」」

 

 

 


          
―――…終わり…―――

 

 

 


          ♯後書き♯

          今年最初に書き上げました不二ドリ作はいかがでしょうか?

          久し振りに仕上げた作品なので、少し長いものになってしまいました。(汗)

          この作品は、月影れゆ様から頂いて来た『Magical Love Power! Type-S』に、

          勝手にその後の話を付け足してしまいました。(滝汗)

          すいません、すいません。(土下座)

          柊沢は何度も申している通り、切ない話は弱いです。(涙)

          ですから、二人を再び逢わせてこちらの世界で結ばせました。←言い訳

          この話の元になった作品を拝見したのは、真夏の早朝でした。←今でも覚えている

          その後、恐れ多くも続編を書きたいと思い、羽月様にお願いし、了承を得たという

          わけです。←身勝手でなんて無謀なことを

          それでは、大変長くお読み頂きありがとうございました。 

          今年も「光と闇の間に…」を宜しくお願い致します。