明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほ恨めしき 朝ぼらけかな

      「ほら、国光。起きて」

      「……」

      目元が眩しい。

      どうやら、また朝がやって来てしまったらしい。

      瞼を開け、どうにか睡魔の誘惑から逃亡を成し遂げた手塚は自分の右隣にいたはずの人物がい

      ないことに今更気づき、シングルベッドから上半身を起こして捜す。

      三回も夜伽を繰り返した体は当たり前に、パジャマも身につけておらず目の行き場に困る裸

      の左肩には小さな赤い傷が一つ刻まれていた。

      昨夜、恥ずかしがり屋の恋人がようやく応じてくれたキスマークである。

      しかし、それはとても弱々しい物であり、先月までいた暑さで肩を出したとしても

         十分、「蚊に刺された」と言う言い訳が周囲に通じそうだ。

      まぁ、それはあまりの羞恥でか、あまりの激痛と快楽で声を上げそうになって唇を強く噛んで

         耐えるのを見かねて左肩を差し出した時の物かなんて今ではもう、判別が着かない。

      彼は下着とズボンを穿いただけの姿でベッドから立ち上がり、小さな部屋中に立ち込める

         匂いの元に足を運んだ。

      きっと、これを見せたら一気に昨夜のことを思い出すに違いない。

      ちょっとした悪戯心のつもりが口元に出て、欲望を新たに掻き立てる。

      何度キスしても抱いても、この心は満たされない。

      が手塚の眼下で喘ぐ声を聞く度、体中の血が逆流をしているんじゃないかと思うぐらいの

      速さで鼓動が騒ぐ。

      繋がる下半身から漏れる音は何も淫らな蜜だけとは限らない。

      差し込まれた彼の塊が行き来を繰り返す度、打ちつけられる互いの股が次第にイヤらしい粘

      膜を帯び狭い室内を犯す。

      彼女はこちらが意地悪をしなくて良いほどに従順で、どんなに恥ずかしいことでも結局、

      戸惑いながらも言うことを利いてしまう。

      二人用のテーブルに腰を下ろす前に、こちらの思惑通りに顔を赤らめ、背を向けたキッチンに

         いるを後ろから抱きしめた。

      今朝のメニューの焼き魚とほうれん草のみそ汁が白く湯気を立て鼻先を擽るが、今求めている

         のは食欲ではなく愛欲だ。

      首筋を舐めるとだめ、と言いながらも吐息が漏れ、性急な手塚の大きな掌がスカートのウェス

      トの隙間から下着の中に忍び込み、まだ何もしていない指が蜜に濡れて犯される。

      朝なんて永久に来なければ良い。

      そしたら、一日中彼女をこの腕で抱いていられるのに……。

      大学に入ってから学校近くのアパートで一人暮らしを始めた。

      自宅からは通学に少し不便だったからと兼ねてからの一つの野望を遂げるため、去年の今月

         に建設されたばかりのこのアパートの二階にある一室を住処としている。

      世話好きな母は三ヶ月に一度電車を乗り継いで監視に来たりするが、の存在に気づいているの

         か作り過ぎたおかずと一緒に菓子を持ってくる。

      彼女とは高校時代の文化祭で出会った。

      それは運命的でもなければ劇的でもない出会いだが、二人にとってはあの日がなければお

         互いすれ違ったままで、まるで落ち葉を踏むように人生を歩いていたと思う。

      は他校の女子高を卒業すると附属の女子大に入ったが、ある雨の夜、突然やって来てからその

         まま同棲している。

      大学にはその翌日から通っていないようだが、深く事情は聞かなかった。

      いつか、彼女自身が話してくれるだろうと信じているし、これ以上傷つけたくはなかった。

      男の一人暮らしの部屋に傘も指さずに転がり込んできたは全身ずぶ濡れで、雨と涙に彩られた

         唇は一段と色っぽい。

      ……無防備にもほどがある。

      シャワーだけでもと勧め、体の一部が暴走しそうなのを知らないフリをしてインスタントコー

         ヒーの瓶を手に取った時だった。

      「国光君……抱いて…」

      「っ!?」

      ガタンっと激しい音を立てて瓶が床に落ち、中に入っていた砂が大げさに飛び出る。

      彼女は依然として冷たいままで、背後から手塚を抱きしめる体には何も身につけてない。

      しばらく沈黙が続いた。

      一階の住人のことは考えない、今はこの静かすぎる部屋に二人の鼓動だけが響く。

      その刹那、背中に密着している柔らかさと腹部に回されている腕の震えが男をただの狼へと変えた。

      あれからもう三年も経っている。

      は一向に家のことを話してはくれないが、彼にしてはそれは些細な悩みでも障害でもなかった。

      彼女がずっと傍にいてくれればいい、なんて不道徳なことを考えてしまう。

      だが、何が正解で何が間違いだなんて状況によれば見方は全く違う。

      夜が明け、手塚は大学へはアルバイト先の花屋に出かける。

      また日が暮れればに逢えると解っているのに、片時も離れたくない。

      だから、この狂おしい気持ちを閉ざし、眠る姫君の唇に啄むような優しいキスをして自宅を

         後にする。

      彼より一時間遅く出勤する彼女の左鎖骨の上に咲いた花はまた、新たに刻まれていた。

      どうするべきか、手塚は悩んでいた。

      大学からの帰り道、ケーキとワインを購入し信号が赤から青に変わって人々が交差し出しても

         心の中の進行方向は定まらない。

      最近、顔が余計に険しくなっていると良く周囲から言われるが、本人はまるで意識はしていな

         いのが何とも彼らしい。

      アスファルトの道に何十枚も敷き詰められている落ち葉を踏みしめ、アパートの階段を

         一歩ずつ上がる。

      滑りやすい所に限ってこういう物が集まりやすい。

      この家を購入する前はオープン時で、不動産屋の方で必ずほうきを手にした店員がこちらに

         向かって挨拶をしたが、今は住民の役目に変わってしまった。

      今週の当番は誰だったかと考える前に足が二階に辿り着き、三歩足を運べば自室の201号

         室のドアがある。

      しかし、一歩前に踏み出す前にあれと思い、その場で立ち止まる。

      扉の下部に設置された郵便受けにはまた、頼んでもいない折り込みチラシが無雑作に差し込

         まれたままだ。

      まだ、親に援助してもらっている身でやれTVだのやれパソコンだのと我が儘を言える身分

         ではないから新聞は勿論頼んではいない。

      最初は支援しようとしたもそれを聞いて快く了解してくれた。

      手塚より早く帰宅するはずの彼女が郵便受けに溜まった折り込みチラシを取ってくれるのだ

         が、今日は遅いシフトを任されたのだろうか。

      今日はの誕生日だと言うのに全く、災難である。

      ともあれ、これも現実の厳しさと言うものだ、今日だけは一週間限りの一人暮らしに戻ったつ

         もりでやるしかないな、と思った所で気がついた。

      ドアが…開いている?

      少しひんやりとするノブを掴んだ所で、引力に従って難なく開かれた扉に一瞬、体が固まる。

      分厚い鋼の門番を通り抜けた先は朝、出かけた時のままで電気は点いてなく、黄昏から夕闇

         に変わった室内は薄暗い。

      視線を懲らしても何かが飛び出してくる気配がないことを確かめてから静かにドアを閉める。

      こんな時、ワンルームの部屋は意外と役に立つことが今、うんざりするほど思い知らされる。

      足音に気をつけて部屋中を見回していると、不意に今朝方二人でじゃれ合ったベッドが視界

         に入った。

      ベッドに凭れてフローリングの床に膝を抱えて顔を俯かせている彼女の姿を見つけ、不審も

      下手に攻撃的な感情も捨てその肩を揺する。

      「っ?」

      「いやっ!」

      先程までまるで、人形のように微妙な動きさえもしなかった華奢な体がビクッと震え、気がつ

         いたらいつも彼を優しく抱きしめる小さな掌で頬を叩かれていた。

      だが、反射的に左手で覆うが痛みはなく、ただ衝撃だけが小さな部屋に響いた。

      薄暗い部屋でも息づかいと漏れる声色から彼女が泣いていることが解る。

      しかし、手塚にはその訳が見当も着かなかった。

      確かに、に家事一切を任せきりですまなく思ってはいるが毎度彼女の言葉に甘えてしまう。

      そのストレスが堪ったのかそれとも別の理由なのかまだ解らないままだったが、黙っていると

         この雰囲気に呑み込まれそうなのでとりあえず口を開くことにした。

      「……どうしたんだ?何故、泣いている」

      だが、そう聞いてもは黙って瞳から頬へ、頬から顎へと涙を落とすのを繰り返すだけで何も

         語ろうとはしない。

      その一滴がまるで水時計のようで、通常の彼ならばあり得ないほど気持ちを高ぶらせた。

      「何かお前に不快な思いをさせたのなら謝る。…だから、何か言ってくれないか」

      普段、無口な手塚にしては珍しく焦っている。

      それほど、彼女が彼の中で空気以上に必要な存在なのだ。

      その言葉に何か思い当たることがあったのか、それまで俯いたまま涙を流していたがキッと

         睨んで顔を上げた。

      「……留学のこと…っ……どうして黙っていたの?」

      「何故それを知っている?」

      「質問に質問で返さないでっ!私はっ……私は国光の何だったの?……もしかして、遊びのつ

          もりだったの?……今まで…」

      「違うっ!ちゃんと決まってからに話すつもりだった。……一緒に行けるように寮ではなく、

          狭くても良いからアパートを探していて…結局、今日まで掛かってしまったんだ」

      「えっ…」

      それまで荒々しかった気持ちはこの薄暗がりの部屋に溶けてしまったのか、彼女の可愛らしい

         唇から短い声が上がっただけでその表情は固まってしまう。

      手塚はやれやれと思う訳でもなく、ただため息を吐いてその頬を左手で覆った。

      柔らかい感触に水気を帯びていて……まるで、出かける前にベッドの中で戯れたままのようだ。

      「……すまない。泣かせてしまったようだな」

      「んっ…」

      の返答を聞く前にその唇を奪う。

      不安にさせてしまったことや泣かせてしまったことに対して謝罪をしていると伝えるためには

         言葉よりも体で感じる方が彼女も安心するだろう。


      「っ、…はぁ」

      ワンルームの狭い部屋の中、ベッドの軋む音と乱れた吐息だけが木霊する。

      は頭上の枕を後頭部に押し当てるように両端を掴み、初めて彼に男を意識させられてから

         過敏に反応する淫らな体が押し寄せる快感に震えている。

      互いの体は熱く、触れる度に心の奥の方でもっと、と欲情が性急な命令を手塚にする。

      「……国光っ」

      自分を呼ぶ声はもう何度聞いただろう。

      彼女の腰を持ち上げる要領で少し背中を持ち上げ、重力で脚の動きが封じられるのを横目で

         確かめてから蜜を溢れさせている茂みに顔を近づけ、物欲しがる割れ目を舐める。

      舌を蜜壺の中に差し入れると、愛撫の途中で咽せりそうにくらいの甘い香りと溺れそうなくら

         いに溢れてくる愛液に手塚自身もシーツにシミを零す。

      「あっ…ぁ……」

      ここから見る婀めく姿は彼をより限界に近づけさせる。

      こんな色香を覚えさせたのは勿論自分だが、ここまでになると一種の才能である。

      まだ自由の利く唇は快楽を喜び、乾きを知らないのかまたいやらしい粘り気がある水を溢れさす。

      「……ごめん、っ…な、さい」

      「っ…」

      ねっとりとした粘膜から舌を離すと、その先に着いてきた幾筋かシーツに垂れた。

      彼女が吐息の中で何を言っているのか解り、掴んでいた股を下ろし、唇にキスをすると柔らか

         いものが口内に侵入してくる。

      の方から手塚を求めるのは稀で、いつも歯でガードした唇を舌で突かなければこの門は開かれ

         ない、余程不安だったのだろう。

      絡めるモノはやはり弱々しいが、それでも彼女にとっては凄いことだ。

      貪るようなキスを唇達に任せ、片方は股を、もう片方は暴走する昴ぶりを茂みに定めて一気

         に貫いた。

      「はぁ……あ、ああんっ」

      もう幾度となくこの道を辿ったはずなのに、厭きるどころか怖いくらいにのめり込んでいる。

      それはきっと、も同じことで、膣の中で彼が敏感な部分を擦る度に今まで以上の鳴き声を上

         げ、侵入した昴ぶりを甘く締めつけてくるのだろう。

      「…くっ……っ、ああ……」

      「あぁ……ぃ……アアッ」

      体が震える度に彼女は狂ったように首を左右に振り、滴る涙の粒が弾けた。

      艶めかしい水音とぶつかる肌が吸いつく音が何ともヤらしくて、もっと、を壊したくなる。

      「んっ」

      手塚の額から一滴の汗が流れ落ちたのがまるで、スローモーションに見えた頃、彼が一瞬顔

      を険しくさせた。

      先程とは違って背中に腕を回すと彼女の体を起き上がらせ、今度は逆に手塚がベッドに倒れ込む。

      「あぁ…国光……んっ……!」

      スプリングの軋む音で大きく揺れ、体制を崩したもその胸に倒れ込みそうになったが、両脇

         を支えられ阻止される。

      重力と本能に負けた彼女の体内には先程より大きくなった彼の昴ぶりが一番敏感な場所にそ

      の熱を伝え、何とも言い難い心地良さがを虜にする。

      逃れようと必死に呼吸をしようとするが、それが脈打つ度に体中を甘い痛みで痺れさせこれ

         以上動くのを拒ませる。

      「……もっと、っ……あ」

      しかし、本能は貪欲で貫かれても尚、腰を動かして手塚を誘うのに夢中だ。

      もう一人の彼女はどう煽れば効果的なのかを心得ている。

      口で彼の眼鏡を外し、意識的に膣の中にいる昴ぶりを締めつけた。

      「くぅ……っ……っ…、っ……」

      「国光っ……ああ……くにみ……アアッ」

      「…っ、はぁぁ……あ、イク、イっちゃっ!」

      歪んだ視界の中、手塚は自分をどう見ているのだろうか、と激しく抜き差しを繰り返され脳

         裏が白くなりつつある頃、そんなどうでも良いことを考えていた。


      彼女は目を閉じた。

      世界中で最高に好きな人の傍にいられるほど幸せなことなんてない。

      あれから一年後のの誕生日、二人の姿は日本にはなかった。

      「愛の逃避行」でも「駆け落ち」でもない単なる留学のはずだったのに、白いヴェールの中

         に大事に抱かれられているのに気づかない内に、モミジの上を歩かされていた。

      彼女の家は代々続く華道の家元で、小さい頃から許嫁が決められていたことを大学に入ってか

         ら聞かされ、彼の家に転がり込んだ。

      手塚がのことを家族に知らせると、母以外はとても驚き、事情を説明された二人もまた驚きを

         隠せなかった。

      彼の家には古くから親交のある家があり、お互い異性同士の子供が生まれたら結婚させようと

         いう約束がある。

      勿論、本人は今まで知らなかった訳だが、その家こそ彼女の自宅である家だった。

      ベランダに出て肩を寄せ合っていた二人に鳴り響く低い重みのある鐘の音に耳を澄ませると、

         祝福の鐘の音に聴こえてくるようだ。

      「……誕生日、おめでとう」

      手塚の声に振り向き、ありがとう、と笑いそれが鳴り止むまでそのまま肩を寄せ合った。



      ―――…終わり…―――



      ♯後書き♯

      今作は「isn't it?」の管理人、上月ちせ様の誕生日プレゼントに作成させて頂きました。

      「手塚に愛されるヒロイン」とのリクエストを受けてこんな彼になってしまったのですが、どう

       でしょうか。(汗)

      ……ごめんなさい、柊沢はいろんな愛され方を想像して結局、小倉百人首に手を伸ばしちゃいました。

      意味は、『夜が明けてしまうと、また必ず日が暮れてあなたに会えるとは知っていながらも、

      やはり朝の別れが名残惜しくて夜明けが恨めしく感じられることだ』という何とも情熱的なも

      のを世に残した藤原道信作品です。

      それでは、最後になりましたが、上月様お誕生日おめでとうございます!