身体測定も終わった青春学園中等部では、一部の紙が全学年の話題と

       なっていた。

       それは毎月、新聞部によって発行される「青学タイムス」から始まる。

       この記事にはこの学校で起きたスクープを取り上げる他、購買部の

       クーポンや文化部の力作を見出しに載せていた。

       そのお陰もあり、「青学タイムス」はこの学園創立以来代々の新聞部員達の

       手によって守られている。

       しかし、学生達にはそれはどうでも良いことで、教室で配られた途端

       喰らいつくように見るものがあった。

       だが、その見出しには対外この学園の目玉とも言われる男子テニス部が一面

       を飾ることが当たり前のように行われている。

       しかし、彼らの勇姿は白黒に配布されるためか、新聞部の部室の前に

       大きくカラーで貼られてあるのをわざわざ見に来るものが多かった。

       だが、見出しは勿論そうだが、彼らには別に注目する場所がある。

       それは…

 



       あなたをずっと見ていた


       「ねぇねぇ、!見た?今月の『返事のない手紙』。何であんな切ないこと

        書ける人が同じ学校にいるんだろ? アンタも頑張りなさいよ」

       一人の女子学生は、移動教室の帰りである小柄な少女を見つけては遠くの方

       から駆けて
来た。

       その頬は蒸気しており、口元は自然と緩められている。

       「あはは……うん、頑張るよ。今日は一時間目から移動教室だったからまだ

        読んでないんだ」

       「あぁ、そうだったけ?ごめん。つい、忘れてて...」

       「いいよ。それでどうしたの?今回は」

       「ふふっ、それは読んでからのお楽しみ。それじゃ、お昼ね!」

       そう言って彼女は来た方に向かって走っていってしまった。

       彼女の感想などあの表情から容易に想像できる。

       その場に残された少女は深いため息を一つ吐いた。

       まるで、台風の目が立ち去ったかのように一瞬、残された女子生徒だけ平安

       が戻ってきた気がする。

       しかし、それは、ほんの一片の時空にしか過ぎなかった。

       「いい加減、正体隠すの止めたら?

       背後からやって来た女子生徒は、ため息交じりで彼女の名を呼ぶ。

       小柄な少女とは違い、声を掛けた方は長身であった。

       「シーっ!それは内緒だって言ったでしょ!!」

       互いの耳元で何やら囁きあっている二人の少女達を周囲は不審な目を

       して見ていた。

       だが、誰もこちらに近づいてくる者はいない。

       ましてや、この少女達が何をもめているのかなんて想像もしないだろう。

       小柄な女生徒は自分より背の高い彼女の口元を押さえようとしたが、

       見事それは交わされてしまう。

       「だって、そうでしょ?何が哀しくて他人のフリをしないといけないのよ」

       「だけど、あの時は仕方なかったんだもん」

       彼女が廊下に視線を落とすと、二時間目の開始チャイムが長い廊下に

       鳴り響いた。

       先程まで達をじっと見ていた学生達はとっくに、次の時間に姿を消して

       しまっている。

       右手首の腕時計に視線を移すと、告げられたとおりの時刻が目に留まった。

       「大変っ!次の時間、音楽だよ〜。椿、急ぐよ!!」

       「大丈夫だって、あの先生、いつもチャイムが鳴ってから五分くらい

        で来るじゃない。余裕じゃん」

       「でも、今日は歌のテストでしょうが。それに私よりかアンタの方が

        不利じゃない」

       「あっ!そうだった。じゃ、。私は先に行ってるね」

       そう言ったのが早かったか先程の彼女のように長い廊下を駆け抜けて

       いった。

       「あっ!待ってよぉ!!」

       その後は情けない声が小さく響いたことは言うまでもない。

       「青学タイムス」の一つのコラムに『返事のない手紙』という文芸部が運営

       しているコーナーがあった。

       それは今から二年前のちょうど今月、突然革命のように、この学園に

       登場した場所である。

       そのコラムは、女性から男性への切ない想いを綴った恋文形式の斬新な作品

       が毎月一作発行される。

       だが、そのステージに出演する今や学園のスターになってしまった人物は

       ペンネームで正体を隠しているため誰もどんな人物が書いているのか

       知らなかった。

       勿論、文芸部も完全黙秘を貫いているので外部に漏れることはない。

       音楽室に辿り着いたは、机に広げた教科書の歌詞を暗記しながらピアノの

       音色に合わせてぎこちなく歌う先程まで彼女に絡んでいた椿利香と小声で

       デュエットをしていた。

       その頃、教室ではHR後に担任が配ったのだと思われる「青学タイムス」

       が机の上に置かれてある。

       まるで、彼女でも待ち構えているように表を向いたそれは、見出しと変わらぬ

       大きさで表示されている『返事のない手紙』をより一層目立たせる。

       今月はこのコラムが出来て丁度一周年ということで、今までの作品と今回の

       ものを紹介して
いる。

       その場所にはこう書かれていた。

       【連載作品】

       『返事のない手紙』

       第11回 作:文芸部 ペンネーム 榎野さん

       私はあなたの何を知っているでしょうか?

       あなたは無口な人。

       近づく人には無愛想な素振りを見せるだけ。

       時々、耳にするのは、男性独特の低い声。

       あなたは常に自分のペースを崩さず、でも、確実に前に進んでいきます。

       しかし、それが返って、あなたを少ししか知らない人々は、あなたの

       ことを冷たい人だと思っているのかもしれません。

       私はそんなあなたの目まぐるしい成長をいつも見ていました。

       一つ知るたびに恋をしている私は、あなたの瞳には映らないでしょう。

       私はあなたにこの気持ちを届けるほど大人ではありません。

       ですが、この想いに気づけないほど子供でもありません。

       私達はそんな境界線を生きています。

       もし、この時の砂が全て落ちてしまえば、私達は同じ場所にいることは

       許されないの でしょうか?

       そのことを考えるだけで私は時々、胸が張り裂けるくらい泣いてしまうことが

       あります。

       でも、あなたはそんな私が見えないから今日も、境界線の限界を超えようと

       頑張っているの でしょうね。

       ねぇ、あなた…。

       ほんの少しで良いからあなたのその強さを分けて下さい。

       泣かない朝も涙を流す夜も全て、あなた一色に染まってしまった私。

       心の中でずっとあなたに自分の想いを伝えたシュミレーション。

       だけど、現実にする日はこれからもないのでしょう。

       確実に訪れるのは卒業式。

       公に涙を流しても、それが悲しみだと悟られる日。

       だから、あなたと過ごせる時間を体中で感じさせて下さい。

       あの日、初めてあなたを感じたように。

       (つづく)

       学園中の話題を我が物にしている人物はどういう人物なのかよく取り上げ

       られるが、その度に文芸部のみんなは恐らく空想上の人物を口にして

       誤魔化した。

       だが、それにうすうす気づいている者がいるとしても、本人に気づくことは

       ないだろう。

       あの榎野がごく身近にいることを。


       「私はアンタのセンスは買ってる方だよ」

       二時間目が終わったあと、緊張を理由に空腹を訴える少女と一緒に購買

       部に寄った。

       この学園の購買部はリーズナブルで、一般の中学生のお小遣いでも十分

       満腹になることができる。

       彼女は焼きそばパンを一つ買うと、早速、透明なラップを開けて一口放り

       込んだ。

       その満足そうな顔の隣で、紙コップに注いだメロンソーダの泡を見つめ

       ながらため息を吐く。
      
       その仕草に気づいた親友兼同じ文芸部員は、少女の頭をぽんぽんと音が

       出そうなくらい優しい手つきで触った。

       その温もりに思わず涙が出てしまいそうになったが、懸命に堪える。

       公に涙を流しても、それが悲しみだと悟られる日は卒業式だから…。

       何故、教室に戻っていないが榎野の作品の一部分を知っているかと言う

       と、彼女こそ青学を騒がせる彼女自身だからである。

       ことの始まりは、今から一年前の入学式からだった。


       「あれ?ここどこ?」

       髪をおさげに結った少女は顔に不安の色を浮かべ、辺りをきょろきょろ

       と見回していた。

       学園のあちらこちらに桜が植林されているため辺りは、桃色だらけだ。

       今日は青学の入学式。

       彼女は期待に胸を膨らませてこの中等部に足を踏み入れた。

       既に、両親は会場である体育館に行ってしまっただろう。

       彼女の周囲には広いテニスコートが広がっているだけだった。

       それでも桜はキレイで少女の目を熱くさせる。

       「うっ…」

       瞳の中に潤んでいたものはやがて、雫と化し、の頬を幾筋も流れた。

       彼女はどうしようもない方向音痴なのだ。

       『あなたは方向音痴なんだからあまり人がいない所へ行くんじゃないわよ』

       少女が校庭に咲き誇る桜を見に行くと利かなかった時の母親の言葉が

       脳裏を過ぎった。

       心の中で何度も謝っても、この場に現れてくれるはずもない人物の名を

       呼びながら新しい制服の袖で涙を拭う。

       耳には遠い日の記憶が聞こえてきてそれが返って彼女の悲しみを深いも

       のに変えた。

       「おい!お前、大丈夫か?」

       すると、誰かがこちらに向かって近づいてくる足音が聞こえてくる。

       助かったのかと思い、袖口から顔を上げた。

       そこには、自分と大して変わらない少年が立っている。

       一見、怖そうに見えたが、乱れた呼吸と額の汗でそんな気持ちはすぐどこかへ

       吹き飛んでしまった。

       「あ…あのっ、私、桜を見ていたら迷っちゃって……ここどこだか解り

        ますか?」

       半べそを掻いている自分に引いている訳でもなく、彼は荒い呼吸を何回も

       二人の間
に吐いた。

       だが、意志が強そうな眉はきりっとし、それが妙に独立して個性を

       現している。

       ここまで走ってきたのか、髪は寝起きのように乱れていた。

       彼女は居心地の悪い顔を浮かべて辺りをきょろきょろと見回す。

       しかし、二人の周囲にあるのはどこまでも広くて大きいテニスコートだった。

       「おい」

       「はいっ!」

       いきなり声を掛けられ、心臓が飛び跳ねるのではないかと思った。

       制服のリボンを片手で抑えながら再び少年に視線を向ける。

       少女がおろおろしている間に乱れた呼吸も汗も整えたのか、彼は何もな

       かったように平然とした姿で立っていた。

       男子学生指定の学ランはカジュアルに着こなされてはなく、首元まで丁寧に

       留められて
いる。

       「急がないと式が始まるぞ」

       「えっ!もう、そんな時間なのっ?!どうしよう…」

       「何を悩んでいるんだ?」

       「行きたいんだけど、私、凄い方向音痴だからどこが体育館か解らないの」

       そう言うと、はまた途方にくれたように悲しみを瞳へ溜め始める。

       遠くで新しい生活と期待で笑っている同い年の子供達の声が聞こえた

       気がした。

       だが、それは単なる幻聴なのだろうとその方角に見向きもしない。

       そんな淡い考えで待ち構えているのが落胆だったら……。

       そう思うだけで彼女はすべての悲しみを背負った気分になる。

       これが世に言う被害妄想というものだろう。

       この少女は物心付いた頃からこの症状があった。

       それは、単に、小心者の思考がに抱かせている陽炎なのかもしれない。

       曇った表情の彼女を何回も瞬きを繰り返して見ていた少年は、突然、

       何を思ったのか 少女の手をとり、テニスコートの向かい側に向かって

       走り出した。

       「ちょっ、どうしたの?」

       「良いから黙って着いて来い」

       何分か走ったところでお互いの呼吸が荒々しく耳を掠める。

       だが、二人の間で結ばれた掌は汗ばんでも離れようとはしなかった。

       それはどんなに疲労が体中を駆け巡っても、しっかりとした強さで握られ

       ている。

       まるで、抜け出せないラビリンスからこの少女を救い出すために現れた

       ナイトのようだった。

       しばらくして彼は立ち止まると、ずっと背を向けていたの方に振り返る。

       「ふしゅー……着いたぞ」

       「はぁ……はぁ……」

       彼女は掌を解放され、両膝へ変わりに手を置いて息を吐いた。

       頭上から声を掛けられた気がして彼の方を見上げようとするが、なかな

       か疲労感を満たした体は言う事を利かない。

       少年は、一瞬間を置いたかと思うと、今度は頭に自分と違うものを感じた。

       「よく頑張ったな」

       ふと見上げると、それが何かなんて容易に理解できた。

       姿勢よりその正体を確かめたかった幼すぎる少女の瞳に映ったのは、不器用に

       笑う
彼だった。

       その途端、今までを覆っていた不安はどこかへ消え去り、その代わり別

       の感情が胸を
熱くする。

       それは、当時は何て呼べばよかったのか解らず、笑い返すことしか出来

       なかった。

       しかし、一つの答えが既に彼女の心の中にあったのも否定できない事実だ。

       だが、当時はそれにたどり着くことを恐れていた。

       もしかしたら、小学校を卒業した時の失恋が尾を引いていたのかもしれない。

       何せ、五年間も同じ人物に想いを寄せていたのだ。

       それは、恋に臆病になってもしかたないことだった。

       でも、その痛手を癒すのもやはり、新しい風である。

       「あのっ……私、って言います。あなたの名前は?」

       その時一陣の風が吹いた。

       汗でぐっしょり濡れた彼の前髪が一瞬で靡き、木の葉のように宙を舞って

       しまうのではないかと心配で目を離せられない。

       「俺の名前は、海堂薫だ。今日からお前のクラスメートだ。よろしくな」

       それが、二人が始めてお互いを知り合った瞬間だった。

       彼が言ったとおり、式後に新しい教室に集められると、教壇の前の席に

       彼の姿を発見した。

       あれから時が経つに連れてこの気持ちが二度目の恋だと知った。

       知らず知らずの内に彼を目で追っていた毎日に自分のことながら圧倒

       されてしまう。

       そんな彼女自身の気持ちを大事にして行こうと決めたのが日記だった。

       考えて文字にするほど自己を理解できるものはない。

       しかし、彼女の場合、それだけでは自身を整理することは出来なかった。

       それが「返事のない手紙」の原型である恋の片道切符だ。

       初めは一日一回で心の整理が取れた。

       だが、人の欲望など一瞬の風で吹き飛ぶはずことなどできないものだ。

       いつしかそれは授業中に学業の傍らに書き記し、そして、それは部活中

       にも綴られた。

       さん、その記憶の一片を作者未詳で伝えてみないか?」

       届かぬ文に気づいたのは、当時この学園の二年生であった部長だった。

       彼はこの部を包み込むような逸材で、入部当初も彼女に何かと目をかけ

       ていたのだ。

       ある日、文芸部の活動中に少女が何かをノートに走り書きしていた場面

       を目撃し、終了後に声を掛けてきた。

       ある意味脅しかと思ったが、同年代の少年とは違った微笑みを寄せたので、

       その時は渋々OKをしたのが『返事のない手紙』の誕生秘話である。

       部長の狙い通り、の切なさは青学を駆け巡った。

       ペンネームを榎野にしたのは、彼女のわずかな願いでもある。

       この読み方は一般の学生は、「カノ」と読んでしまうだろう。

       だが、正式には「カノン」と読む。

       カノンとは、音楽の言葉で、ある声部の旋律を他の声部で、厳格に模倣

       しながら追い駆けてゆく技法、または曲である。

       こんな風に海堂とお互いの想いを奏でられたらと言う切なる想いで名づけた。

       彼はこのことにも気づいているようで、このネーミングを最初に聞いて

       二度返事で
許しを得た。

       親友の才能を誰よりも早く知っていた椿はもちろん、知っている。

       こうして、三人の秘密はこうして成立したのであった。


       結局、私は、誰にも気づいてもらえない


       自分でしでかしたことなのに、少女は心の底では悩んでいた。

       事実、想いを本人に伝えずだらだらと恋文を公にかざしている。

       何の恥じらいも感じず。

       みっともないから止めてくれとも訴えられずに今日まで来ていた。

       夕暮れ時、は教室に一人いた。

       今日の日直だったため、日誌を書いているのだ。

       もう一人の男子学生は、あいにく休みのため仕方なく一人で仕事をこなした。

       今日は発行日だったためか、放課後まで学生達の話題は榎野一色だった。

       誰も自分だと言うことに気づかない

       そんな感情もこの頃になって薄れてきたのか対して深く考えていない。

       いや、もしかしたら、考えたくないのかもしれない。

       

       誰かが彼女本人を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

       「海堂君?!」

       その幻聴に素直に顔を上げると、2年7組の引き戸式のドアからこの

       少女がもっとも愛しく思う少年が顔を出した。

       突然のことで先程まで手にしていた青いシャーペンを机の下に落として

       しまった。

       だが、既に最高潮に達したの耳にはそのかすかな音でさえ入らない。

       聞こえてくるのは戸惑いと囚われの姫の声。

       日常の鎖に繋がれた彼女は一人の不器用な王子の迎えを待っていた。

       だが、そんな姫の声など彼に届くはずがない。

       彼女にはその術は自身によって失った。

       姫君は自分で魔法を掛けてしまったのだ。

       本当の自分に気づいてくれる王子を探すために……。

       2年に上がっても彼と同じクラスになったが、二人の仲は何の変化もな

       かった。

       元々、この少年は無口で、男子テニス部の仲間以外で彼が一緒にいるところ

       など見たことが
ない。

       だが、その彼らでも恐らく海堂薫の素顔を知っているものはいないので

       はないだろうかと、変に胸を張っていた。

       それは、が唯一誇れる彼との思い出だからだ。

       今日まで海堂への気持ちを温めてきたのは、他でもない伝えるためなのだ。

       宝石ではないけれど光りが反射するたびに輝く硝子を見せるためだった。

       「どうしてクラスに戻ってきたの?今日は部活があったんじゃないの?」

       しかし、臆病な唇からこぼれ出てきたのは平然を基調としようとする

       偽善だった。

       「あぁ……今日はミーティングだけで終わった。それよりお前に訊きた

        いことがある」

       彼はそういうと今にも崩れ落ちそうな彼女の前まで来る。

       先程までバンダナをしていたのか髪は不自然に毛が立っていた。

       「な、何かな?」

       少し今の返答は可笑しかったのではと疑問に思いながら次の言葉を待った。

       目の前の少年は返事の変わりに、肩にかけていたラケットケースのチャックを

       開けて何回かがさごそと言う音を立ててから何かを取り出す

       それは丁寧に四つ折りされた印刷用紙だった。

       彼は無言にそれを少女の方に差し出す。

       受け取った方は見慣れた紙を噛み締めるようにゆっくりとそれを開けた。

       「……「青学タイムス」」

       「あぁ」

       これを渡した本人は自分に何を求めているのだろうか。

       少年のすべてを見透かしてしまいそうな鋭い視線と目が合ってしまい、

       うまく唇を動かせ
ない。

       「このペンネームのヤツは、お前じゃないか?」

       「どうしてっ?」

       しばしの沈黙の後、海堂がいきなりそう言い放った。

       想像もしていなかった言葉に先程までの金縛りが取れた彼女の唇は、

       即座に質問を返す。

       名を明かさない自分のことなど気づいているはずなどあるわけがなかった。

       まして、この少年が気づくはずなどない。

       だが、彼の瞳は確信を突いているように見えた。

       しかし、再び海堂に視線を返すと、頬を上気させている。

       こちらまでも次第にその部分だけでなく、体中が妙に火照ってきた。

       期待などしてはいけない。

       そう思っているのに心はそれを求めてしまっていた。

       「俺はずっとを見ていた。……だから、お前が俺を見ているのも気づい

        ていた」

       「えっ?「ずっと」……って」

       何を頓知なことを言ってしまったのだろうか。

       自分でしでかしたことなのに、他人事のように自らの口を両の掌で押さえて

       瞳を強く
閉じた。

       恥ずかしい。

       今、去年から好意を抱き始めた少年に胸の内を告げられたのと彼女が「返事

       のない手紙」
その前の作業も見られていたのかと思うとこのまま海堂を直視する

       ことができなかった。

       ?」

       だが、彼が自分の名前を呼んでくれる。

       榎野ではなく、を…。

       「私も…あなたをずっと見ていましたっ!」

       涙が溢れてくる。

       だが、その雫が頬を伝うまでの時間は与えられなかった。

       海堂は泣き笑いの表情を浮かべている少女を思い切り抱きしめたのだ。

       黒い学ランには一瞬、涙の跡が着いたが、それは布地にシミを作ることで

       姿を消した。

       涙の記憶などもう、いらない。

       今、最も求めているものは互いの口づけだった。


 

 


       
―――…終わり…―――


 

 


       ♯後書き♯

       皆様こんにちは。柊沢歌穂です。

       『あなたをずっと見ていた』をご覧下さり、誠にありがとうございます。

       そして、やっと『返事のない手紙』をupするきっかけの作品を書きました。

       本当はこっちを作業してから新設するつもりでしたが、私事ですが、手紙の

       方を先にしてしまいました。

       何作か書いておきながら今更気づいたことなのですが、私の小説のタイトルで

       「あなた」シリーズは今回で4作目なんですね。

       ネーミングセンスのない柊沢は、また、使ってしまうかもしれませんが、どうぞ

       宜しくお願い致します。

       それで、話しは内容に戻るのですが、榎野はもう正体がバレてしまったのですが、

       日記を元に『返事のない手紙』を続けます。         

       ですが、なぜだか、以前より読者を幸せにする内容になったと噂になります。

       たくさんのご訪問下さる方々のご感想を心よりお待ちしております。