ずっと欲しかった。

      温かい声。

      眼差し。

      嘘じゃない隣で笑ってくれる人。

      でも、全て浜辺の砂だった。

      諦めない。

      でも、そんな強がりは、自分の中では否定し続けたいだけの肯定。

      誰かに…そばにいて欲しい……。

      だけど、そんなことを言えるはずもない。

      自分には言葉がない。

      足りなさすぎる。

      伝えたい気持ちは誰よりもあるのに、それを現すのが怖かった。

      何に?

      答えは簡単で、失うことだった。

      これ以上無くすものなんてないはずなのに、怯えていた。

      欲してしまえば、是が非でも手に入れたいと思ってしまう。

      ならば、いっその事見ないフリをすれば良い。

      何も期待しない。

      いつかを望まない。

      だけど、どこかで誰かを待っている自分がいることにいつも気がつく。

      そんなことをしたって無駄なのに、声を掛けられない。

      だから、自分には言葉がないと、独り私は涙を流すんだ。

 

 

      キャラメルティー


      十一月も早い事で、もう、中旬に差し掛かっていた。

      ここ、聖ルドルフ学院中学校の周りに植林された落葉樹は全て色を染めていくつも舞い降らせ

      ている。

      校舎から少し離れた場所にテニス部が活動するコートがあった。

      だが、その場所も例外ではなく、昨日の雨で濡れた落ち葉が重なっている。

      そのままにしておけば、立派な虫達の冬眠の場所になるのだが、元より提供する気はなかった。

      テニスコートはコンクリートで固めているため、雨が降っても使用できるのだが、この季節

      が来ると、毎年、活動時間を少々減らされるのが、難点である。

      「はぁ…」

      独り黙々と箒を動かしていた少年は、降り止まぬイチョウの樹を半ば一瞥するように睨みつけた。

      彼の名は、観月はじめ。

      ミッション系で有名なこの学校の三年生である。

      成績も然ることながら彼の所属しているテニス部では、なかなか策略家なところがある。

      対戦校のデーターを集める真面目さと何とか成し遂げようとする責任感がそうさせるのだろう。

      だが、この少年でも予期せぬ事態は起こった。

      「……何か、僕に御用ですか?木更津君」

      少年はイチョウの樹を見つめたまま背後に忍び寄る存在の名前を言い当てた。

      「クスッ…さすがですね」

      「何がですか。ここ何日も僕を見つめる君の視線に気づかないはずはないでしょうが」

      先程の憂いいっぱいの表情を崩し、いつものポーカーフェイスの中に隠した。

      冬服に身を包んでからもう早い事で一ヶ月を過ぎている。

      季節はそろそろ軍勢の勇ましい声が聞こえてくる時期になってきた。

      ブレザーの他指定のコートを着る生徒もちらほら見かける。

      この少年、木更津淳も例外ではなく、ベージュのダッフルに身を包んでとても温かそうだ。

      今日は、部活が休みのため部員は各々自由な時間を過ごしているだろう。

      しかし、観月はとてもそう言う気分にはなれず、こうして気晴らしにコート掃除に精を出して

      いたのだが、どうやらイチョウの樹に嫌われてしまったようだ。

      「今年も凄いですね、このイチョウ……」

      季節を問わず、頭に赤いハチマキをした木更津はほとんど変わらない彼の隣に立ち、同じ

      視線で今も舞い降り続けている黄色い羽根を見上げた。

      えぇと、言葉だけを返すと、体をひらりと回転させ部室の方に急いだ。

      自分以外の人間がいる場所では落ち着けることなんてできるわけない。

      しかも、一日中あの少年の視線に追い掛け回されたのだ。

      ストレスもピークに突入していた。

      「観月さんっ!」

      心の中で彼に対する罵声を考えながら歩いていると、不意に自分を呼ぶ声がした。

      それは、紛れもなく背後からのものである。

      一つ咳払いをしてから何ですかと、振り返った。

      胸の中では、冗談ではないと思いつつも、こうして感情をポーカーフェイスの中に隠してしま

      うのは少年のポリシーである。

      再び目にした木更津はいつもの彼ではなかった。

      視線は振り返った観月を捉え、鞄を持った左手をぎゅっと握り締めている。

      その姿に何か言いたいことがあるのだと察して、彼はとりあえず部室に誘った。

      「どうぞ。私のお気に入りの店で買ってきたアールグレイクラシックです」

      「ありがとうございます。観月さんにお茶を淹れてもらったなんて光栄です」

      「んふっ。早速で悪いのですが、木更津君。僕にお話とはなんでしょうか?」

      とても高価そうなカップに手を伸ばした彼の手が一瞬、ビクッとしたのを見逃さなかった。

      瞳は落ち着きがなく、雨に濡れた捨て犬のようである。

      ため息交じりに苦笑すると、自分専用の腰掛イスから少年の隣に座ってその肩に手を乗せた。

      「観月さん?」

      「話して下さい。僕は何を聞いたとしてもあなたをどうこうしたりはしませんよ。それに、

       温かいものは温かい内に飲んだ方が美味しいですよ?」

      最後はちょっと悪戯っぽく唇の端を上げれば、彼は安心したように頷くと遠慮するような

      笑みを返した。

      白い清潔なソーサーに乗ったカップからは異国の匂いが漂ってくる。

      その情緒が少年の心も温めてくれるはずだろう。

      木更津がカップに口を付けたのを確認してから彼も何度も確認しているはずの外へと視線をず

      らした。

      部室の窓から見えるのは、ここに来る前と変わらない秋の妖精が舞い踊っている姿である。

      かと言って、木々を見上げてみれば、まだまだ染めきっていないものたちが残っていた。

      彼らが地上に姿を消した時、次の季節がやってくる。

      こうして落ち葉を集めて掃除しているのを考えていると、少し名残惜しい気がした。

      あと四ヶ月もすれば、彼ら三年生はこの学園を卒業する。

      二人とも無事年内に合格を決め、来年は他校生同士になるのだ。

      引退をしたとは言え、やはり、テニスコートにやって来てしまったのは、彼らの宿命だった

      のかもしい。

      「実は、俺……見ちゃったんです」

      カップをソーサーに戻した音を聞いて視線を戻すと、少年がじっとこちらを見ていることに

      気がついた。

      「何をですか?」

      即答すれば、また言い難そうな顔を浮かべて俯いてしまった。

      「木更津君。私はあなたの仲間です。その仲間に隠し事をするんですか?プライベートに関

       わることは別ですが」

      「いえ、違いますが…あっ、でも、観月さんの事ですから……」

      「僕がどうかしましたか?」

      「それは…」

      「話して下さい。もうすぐしたら、僕らもこうして同じ場所で話し合うことも無くなるのです

       から」

      「……はい。実は、昨日、俺があなたに借りていた本を返しに行きましたよね?」

      突然話題に出された昨日の自分を探す。

      そう言えば、遠くで声が聞こえたと思ったら、夕食事前に渡された。

      そそくさと逃げるような素振りをされたので、頭の片隅に覚えている。

      だが、大して疑問には感じていなかったため、今まで忘れていた。

      (あの時の彼はまるで、自分は見ては成らないものを見てしまったというような……

       まさかっ!)

      いや、あるはずはないと打ち消そうとするが、他に思い当たる節はない。

      フローリングの床を駆けていく音が妙に響いた。

      それは、今、表情を崩している少年のために用意された序章だったのだろうか。

      「そのまさかです」

      自分を見つめたまま固まった彼を察し、木更津が唇を開いた。

      「何か心配事があるんですか?俺なら誰にも喋りませんから話して下さい」

      その言葉にまたもや驚いたのは言うまでもない。

      「心配事なんてありませんよ。一体、何をあなたにお話しするんですか?」

      「惚けないで下さい!昨日、俺が観月さんの部屋に行ったら泣いていたじゃないですか!!」

      「僕が?…あぁ、あの事ですね」

      ようやく、少年の言っていることが解ったと、表情に笑みを浮かばせ、首を左右に振った。

      この木更津淳という存在は他の部員よりも気配りが鋭い。

      だから、余計に彼のことを心配してくれたのだろう。

      心の中で感謝をしながらまだ温かい紅茶を口に含んで離した。

      その趣旨が一向に理解が出来ないと言った顔をする彼の前に一冊の本を出す。

      それは、今、注目を置かれている最年少小説家の新作『碧の異邦人』だった。

      この話は、アイルランドの妖精アハイシュカという水の馬を人魚姫風に仕上げたものである。


      「この方は私達と同年代だそうですが、とても悲劇的な話を書かれるのですよ。お恥ずかしな

       がら、この間発売された『碧の異邦人』を読んでいる途中から泣いてしまって……それをあ

       なたは見てしまったのではないですか?」

      読み終えた後も少年の目からはアハイシュカのように涙が止まらなかった。

      自分はこうも涙腺が敏感な方だったのかと、悩んでしまう時がある。

      だが、そんな考えなどいつも無意味だと頭を左右に振った。

      観月が悲劇に弱いのではなく、がそうさせているのだ。

      「何だ、そうだったんですか。そうなら早く言ってくれれば本人に…あっ」

      木更津は言いかけた言葉に思わず自分の口を掌で覆った。

      だが、そんな行動はデーターテニスを得意とする少年にとっては、無意味なことである。

      「「本人に…」何ですか!?もしかして、お知り合いなんですか!!」

      「えっと、俺は何も知りませんよ?やだな、観月さん、そんな怖い顔をして……」

      「この期に及んで嘘を言うのはおやめなさい。あなたは人に嘘を吐く時、必ず冷静にしようと

       する癖があるんですよ」

      「くすっ。やっぱり、あなたには敵いませんね。そうですよ。は、俺の元いた六角中の

       友人です。でも、アイツ小説書いていることを俺と家の人しか知らせていないんですよ。ま

       わりに騒がれるのが嫌いだって」

      彼はそう言って後頭部に手をやりながら、苦笑いをした。

      あの彼女と知り合いがこんな身近にいたとは、まさに、灯台下暗しである。

      とにかく落ち着こうとティーカップの取っ手を掴むが、小刻みに揺れて上手く飲めなかった。

      鼓動もそれに連動してか、先程から妙に高い鐘の音を奏でている。

      「観月さん。会ってやって…くれませんか……?」

      その声に我に返れば、隣にいたはずの彼は、いつの間にか真正面の席に移動してこちらを凝視した。

      その声色は言葉とは裏腹で、少年に決定させる権利はないと言っている。

      室内には張り詰めた空気が数分間流れた。


      季節は既にクリスマスムードで、駅前には大きなツリーが立てられ夜には客を呼び寄せている。

      一般的にはそれらしく装飾されたライトなどが巻きつけられているだけだが、ここはちょっと

      違って、クリスマスツリー全体が真っ白に染められ、飾りと言えばお約束のライトと赤と青

      のオーナメントである。

      光ってなくてもやたらと目を引く色彩で、老若男女問わずこの時期限定の名所である。

      それを駅近くの喫茶店から見下ろしている彼は、癖のある前髪を意地ってはため息を吐いた。

      ここ、「喫茶LENGE」は観月のお気に入りの紅茶専門店である。

      休日にはいつもこの場所に来るのが、恒例だった。

      だが、まさか、人を待つのに使うとは思っても見なかった。

      結局、半ば押し付けられたような形でこの場所で会うことになり、こうして指定席である奥

      のプライベート空間のようなテーブルに頬杖を付いて遥か階下を見下ろしているというわけだ。

      勿論、今でもに会いたい気持ちは合った。

      しかし、有無を言わさないあの少年は何をそんなにムキになっていたのだろうか。

      「いらっしゃいませ〜!お一人様ですか?」

      店内の自動ドアが開くたびに耳にする何度目かの雑音に再度、ため息を吐いた。

      すっかり人肌以上に冷めてしまったブレンドティーを口に含む。

      「あ……あのっ」

      「はいっ?あっ、あなたはっ!?」

      いつもと違って苦い味が口いっぱいに広がると、頭上からおずおずとした声が掛かってきた。

      見上げた先には自分より小さい少女がこちらを見辛そうに瞬きを繰り返している。

      その姿に木更津の言葉を思い出し、思わずイスを倒して立ち上がってしまった。

      「あっ、はい!あの…です」

      セーラー服のスカーフを片手でぎゅっと握ったまま辺りをきょろきょろと見回す。

      そう言えば、彼が他人に自分の存在を知られることが好きではないのだと言っていた。

      彼女は今、一番注目を置かれている存在である。

      よくTVで特集を組まれているのを彼も知っていた。

      正直言って面白可笑しく報道されることに腹が立っている。

      同い年だからこそ、そう感じているのかもしい。

      だが、別名「幻想の案内人」と言われる悲劇の小説家を応援し続けたことより救いたいという

      気持ちが強くなった。

      彼女と一緒にオーダーしたものが、再びテーブルの上を白く曇らせる。

      「初めまして、観月はじめと申します。デビュー作の『金色の愛人』からずっと応援してい

       るんですよ」

      「そっ、それは……ありがとうございます」

      喫茶店の奥で囁き合う二人の姿はクリスマスツリーしか知らない。

      紅茶に限らず、温かい飲み物は人の心を解す。

      こういうお互い緊張し合っている席では、とてもそうだと断言できた。

      最初はぎこちなく受け答えをしていた彼女もオーダーしたキャラメルティーの香りと甘い味

      に、次第と笑みを零すようになった。

      それに気づかないように少年もまた微笑み返す。

      その繰り返しがくすぐったくて、少女をどんどん欲している自分がいた。

      そんな勝手な妄想を描くのは辞めようと思ってはみるが、その度にフライングなの笑顔が寄

      せられ、ますます深みに嵌っている。

      その感じは彼女にも伝わっているのだろうか。

      少女が席を立った数分間、そのことを考えていた。

      心臓を鷲掴みされたように脈打つのが苦しい。

      大人びた文章能力を持っているとは言え、外見は同年代の少女だ。

      さらに、予防のためか長い髪を三つ編みに結って眼鏡を掛けている。

      そうしてしまえば、どこから見てもガリ勉少女だと思うだろう。

      まさか、今、注目の的であるとは誰も想像はしない。

      だが、観月だけは彼女を見つめていた。


      喫茶店から出て駅に送ろうとすると、まだ時間は大丈夫だと慌てて言った。

      行き場のない二人は仕方なく、聖ルドルフの男子寮に歩みを進めた。

      「ここって、女子禁制じゃないですか?」

      少し夜風に吹かれた所為か、少女の表情も声も冷たかった。

      困惑した彼の脳裏に過ぎったもの。

      それは…

      「ちょっと待っていて下さいね!」

      「えっ、観月さん?」

      少年はの声には振り返らず、寮の中へと駆け出して行った。

      正直言って、この案は自分好みではない。

      だが、彼女を再び「無」の世界から取り戻すためにはどんなことでもしてやりたかった。

      男女共々寮は三階建てである。

      彼は都合が良い事に玄関の一つ上の個室だった。

      窓を誰にも気づかいように開けると、一階の屋根に音を立てないように下りる。

      「すみませんが、この樹を登ってきてくれませんか」

      「えっ!?」

      小声でも解る叫びである。

      互いに唇の前に人差し指を立て、気持ちを抑えた。

      やはり、女性であるには無理だっただろうか。

      「すみません。私の案がいけなかったですね」

      「そんなことはありませんよ。それはちょっと驚きましたが」

      「えっ……うわっ!?」

      いきなり耳元で囁かれたかと思い、振り向くと、そこには先程まで階下にいたはずの彼女がい

      たのだ。

      その瞬間、冷たくて柔らかいものに少年の唇が触れる。

      慌てて大声を出してしまったが、少女の方が冷静で、今度は人差し指を立てられる側になっ

      てしまった。

      「すみません。私が驚かせてしまって。私は、昔から木登りとかしていたので、割と得意なん

       ですよ」

      と言って、笑うの頬も微かに赤い。

      さすがに、瞬時のキスは頂けないだろう。

      体中の血流が逆戻りしてくるようで、呼吸が苦しい。

      だが、またしても、彼女は何かを思い出したように笑った。

      それは天使とも見紛うものである。

      「私の本名は、って言うんです。一年前、あの喫茶店で紅茶を飲んで新作を

       考えていた時に一目惚れした観月さんだからこそ教えたいんです」

      彼の手が少女の頬を擦った。

      「それは……「幻想の案内人」として僕を誘っているわけではないですよね?」

      「はい」

      夜の寒さに凍えた唇にほんのりとキャラメルティーの味がした。

      甘い痺れにまたすぐ離れた彼女はありがとうございます、と礼を述べる。

      不思議に思えばそれは、簡単なことだった。

      「今日は、私の誕生日なんです」

      「そうですか。それではお誕生日おめでとうございます、……」

      短く、だけど、ため息が出るほど甘く少女の名を呼ぶと、また口づけ合った。



      ―――…終わり…―――



      ♯後書き♯

      れなさん、お誕生日おめでとう!

      そして、ごめんなさい。(土下座)

      一週間後に駄文を送りつけてしまって。(沈)

      せっかく、リクして頂いたのに、精進していなくて。

      えっと、駄文を送りつけて置いて何、拘っているんだよって言われるかもしいけれど、『碧

      の異邦人』の「碧」は、あお、『金色の愛人』はこんじき、と読んで下さい。

      「異邦人」と「愛人」はそのまま読んでも良しだし、ストレンジャーでもアイレンでも好きに

      読んじゃって下さい。

      ちなみに、『金色の愛人』の方は、現代版『かぐや姫』の話です。←誰も聞いちゃいないっ

      てそれでは、長々と失礼しました。