ガラスのシンデレラ ‡第二章伝説の桜の下で‡

        「京兄、ご飯出来たよー」

        フライパンからチャーハンを皿に盛り、香ばしい湯気を目の前には言った。

        それは何処にでもある昼の風景。

        アレから三ヶ月後。

        周辺の住宅地を見下ろすように家は小高い丘ある。

        四月半ばになると、開花宣言に遅れてこの辺りの桜もちらほらと咲き始める。

        だが、今日はあいにくの空模様で朝から花曇が続いていた。

        「んー…」

        「京兄?」

        返事はするが、一向にキッチンに顔を出さない兄のため息ともうめき声とも取れる

        一言に思わず首を傾げてしまった。

        いかにも少女趣味丸出しのピンクのフリルが付いたエプロンを外しながらダイニングに

        いる京一を見る。

        だから、当然それを身に着けているのは女性だと誰もが思ってしまうの当はたり前なの

        かもしれない。

        しかし、腰に手を回した人物、は立派な成人男性だった。

        イスの背もたれにエプロンを掛けるとやれやれと首を左右に振ってため息が自然と

        出てきた。

        やはりと言おうか、ノートパソコンを設置したまま分厚い本に目を通している。

        家は外見が豪華の割りには中はシンプルで、家中の家具はすべて両親がたまに

        海外の仕事に出かけた時にお土産として買ってきたものである。

        今、彼が腰を深く下ろしている真っ白なソファーも父がアメリカでロケをした時の

        もので、結構座り心地が良くて京一の大のお気に入りでもあった。

        悪魔との契約を交わしそれまで女としての人生を歩いていたはあの朝、男として

        生きることになった。

        背丈は一般の少女達と代わりのない151センチという年齢を考えばとても悲しくなるの

        だが、これも遺伝の所為なのだからいくら悲願でも仕方がない。

        悪魔もどうせ男性の姿に変えるのならこの身長も何センチかどうにかして欲しかった

        と、ぶつぶつ言ったとしてもそれは既に後の祭りだった。

        「まったく。せっかく退院出来たんだからもっと、ゆっくりすればいいのに」

        「何を言うか、我が妹よ。やっとこさで入院中に書いていたヤツを編集に回したら

         五日で全部やり直せって言われたんだぜ。それにさっさと、元気になってお前を

         早く戻してやらないとな」

        「京兄…」

        「でもまぁ、丁度キリが良いとこだったし飯でも食うか」

        思わず言葉を詰まらせてしまうと、彼はいつものように笑ってそれまで座っていた

        白いソファーから腰を上げてキッチンの方に歩き出してしまった。

        残されたはその後ろ姿を見送りながら表情を固くした。

        もしかしたら、最期が来るまでこのままなのかもしれない。

        自分が契約を交わした相手は人間でも神でもなく、悪魔なのだ。

        そんな輩が約束を守るとは考えにくい。

        だが、あのまま手を拱いているばかりの人生はもう、イヤだった。

        「?さっさと食わねぇと飯が冷めちまうぜ」

        「あ、うん」

        兄の声で我に返ったは目頭を確かめてからキッチンの方へと小走りに駆け出した。


        「やっつけたい奴がいるんだよね!」

        その声が小さく響いたテニスコートを後に仕掛けたはギクリと体を

        固まらせた。

        まだ青年に成り立ての顔を引きつらせると、恐る恐るとそちらに視線を走らせる。

        彼はあの日、手塚達の計らいによりこの学校の男子テニス部のコーチに就任し、

        レギュラー陣は当たり前だが新たな卵を育てるべくほかの部員達の指導も行っていた。

        おかげで部活終了時にはあっちの世界を見つめたまま家路に着く者が多く、それを

        は明日には帰って来いよと冷たいことを心の中で呟きながら見送るのが最近の

        日課になっている。

        これも単なる部員で終わらないため新しい可能性を見つけるため。

        だから、自分のメニューに付いていけない、そう感じた者は即刻退部して欲しい。

        彼は部活と言うものは何かの始まりであって終わりでもあると考えていた。

        今ある自我の殻を破り、そして遥かなる高みを目指す。

        それは、決して固定された道なのではなく、一見曲がり道がなさそうでも必ず障害物

        はあって、それによって誰かは新たな自分を見つけたりする。

        しかし、こんな大それたことがたった一年間の就職活動にも活かせなかった自分が

        言えるわけもなく、この台詞は今のところ彼の胸の内で温存していた。

        「テニスで」

        そのまだ幼すぎる声色には聞き覚えがあった。

        青学ではすでに入学式も終え、今時期では各部活動の仮入部期間が設けられている。

        まだまだあどけなさが残る新入生達は、制服に翻弄されながらも校内を一歩一歩を

        まるで踏みしめるように歩いていた。

        「だ、誰!?リョーマ君が“やっつけたい”なんて」

        「じゃあ、負けてるって話も本当なのか!?」

        振り返った先には四人の新入生がいた。

        一人は白の帽子を深く被り、自前のテニスウェアでほかの三人と同じくコート掃除を

        している。

        他校でも変わらないだろうが、一年生の内は部の雑用をしながら二年三年の背中を

        見て行くことになっていた。

        だが、その規則を根本的に破ってしまった者が今年になって現れたのである。

        彼が実年齢に反した頬をピクリとさせる前に、白の帽子を深く被った少年と視線が

        ぶつかってしまった。

        掃除用具を手にしたままの相手は一瞬大き過ぎる瞳を見開くと、口の端を吊り上げる。

        彼はそのまま視線を外すと、ほかの三人をコートに残して部室に向かって歩いていった。

        後に残された新入生達は数秒間その後姿を見つめていたが、また、掃除用具を手にした

        まま立ち話をし始める。

        しかし、はその場で固まったままあの微笑の真意を見極めようとするかの

        如く、まだ桜が咲き乱れている先にいる小さな影を見送っていた。

        「やっつけたい奴がいるんだよね!」

        先程まで同級生達に漏らしていた声が脳裏に過ぎる。

        「テニスで」

        青学一年、越前リョーマ。

        それが彼の名前だった。

        普通の人間ならば素通りしそうなことには疑問を感じていた。

        男子テニス部では今日から校内ランキング戦が始まり、注目の新入生だった越前が

        現役レギュラーである二年の海堂を6−4で倒したのだ。

        空前絶後の結果にその試合を観ていた誰もが息を呑んだことは言うまでもない。

        そして、それと同時に新たなる風がこの青学にもたらされた瞬間だった。

        彼のプレイスタイルには何かが潜んでいる。

        だが、それは薄い幕で何十にも覆われ、その正体がどうしても思い出せない。

        こうなると、大抵の人間は痒い所に手が届かない思いをするが、は変な所

        で拘りを持っており、そう言う場合が生じたとしても敢えて気にしないことに

        決めていた。

        誰とも似たくはなかった。

        笑顔の中に本性を隠してまるでさも当たり前だと言う態度を取る。

        もしかしたら、そうすることで誰かに構って欲しいのかもしれない。

        151センチと言う自分と全く同じ身長の十も歳の離れた少年に憧れを

        感じていた。

        どうして、そんなにも小さな体で大きなことを簡単にもやり遂とするのか。

        何故、それでも物足りずに挑戦的な目ですべてを見つめるのか。

        自分はすべてを諦めて物事から逃げるようにしか出来なかったことをあの

        越前リョーマと言う少年はそれを楽しんでいた。

        いや、彼だけではない。

        レギュラー陣達と過ごしたこの三ヶ月の間に分かったこと。

        それは、自分以外の人間には必須アイテムに付加しているものなのかもしれない。

        には欠けていた。

        感情も常識も何もかも……。

        テニスをしていたのも中学までで、高校からは帰宅部を選んでいつも誰もいない

        自宅と学校を往復していた。

        玄関を開けると迎えてくれるのはいつもの人気のない空気。

        それを吸い込むのがイヤで無我夢中でコンビニのアルバイトを選んだ。

        「…さん」

        「え?あぁ、手塚君。どうしたんだい、何か質問でもあるのかい」

        急に背後から自分の名を呼ばれて振り返ると長身の少年と視線がぶつかった。

        部長の彼は切れ長の瞳をグラス越しに見下ろすと、ちょっと話があると帰宅の道中を

        共に出来ないかと誘う。

        も別に教職員ではないのだから部活終了時には一人で自宅で待つ兄の元に

        帰るだけで、用事もないので素直にその話に首を縦に振った。

        「それで話ってなんだい?」

        「はい。実は、時期を見計らって越前に試合を申し込もうと思うんです」

        放課後の夕闇に紛れて二人は誰もいない中央公園の古びた木製のベンチに腰を掛けた。

        青学からさほど離れていない小高い丘に建設されているためちらほら生徒達を見かける

        こともあるが、時刻は17時半を軽く回ったところでもう犬の散歩をしている人ですら

        いなかった。

        「ちょっと待ってくれよ!君は肩を…」

        「えぇ……ですから、時期を見計らってと言ったのですが」

        「あっ、そうか」

        突拍子もないことに思わず立ち上がってしまった。

        青学男子テニス部コーチとして就任することが決まってまもなく手塚の左肩の異変に

        気がつき、当時もこうして家路を共にしたことがある。

        太陽が地上から消え失せ、闇が沈黙と一緒に姿を現す頃、まだ吐く息が白かったのを

        覚えている。

        「申し訳ありません。隠していたつもりはないのですが、なかなか言い出せず」

        あの日の彼はどこか遠い目をして謝罪をしてくれた。

        今更思い出したが、そう言えばあの時もこの場所でそれもこの年代ものの木製ベンチ

        から夜空を眺めていたことを思い出した。

        自分の右側に座ったままの手塚を覗き込むような形で単身をより小さく屈めると、

        向けられた視線が驚くほど真っ直ぐなもので声が思うように出ない。

        彼は冗談などの類を言わないのは最初から分かっていた。

        しかし、いくら更なる成長を願っていても無理はして欲しくはない。

        それは彼が一番嫌っている普通の人間が考えることだ。

        そんなことは十分理解してはいるが、気を揉まなくてすむなんて事などできなかった。

        もし、手塚とこうして出会っていなければのことだ、後一片しか残っていない

        花びらが風のいたずらで舞い散ったようにしか思わないだろう。

        それほど、と言う架空の人物は冷酷なのだから。

        「それでも、呑気に構えていられるわけないじゃないか。もし、完治する時が来ても

         何かの弾みがあったりしたらどうするんだ。その時はテニスを捨てられるのかい?」

        「……」

        自分を直視していた彼は自身でも想像していただろうことを言われたらしく、小さく

        呻いたままうな垂れてしまう。

        この三ヶ月、彼ら青学男子テニス部と接してきて彼らがどんなにテニスに執着

        しているのか大体理解しているつもりだ。

        だから、手塚があのルーキーとの試合を申し込みたいということはあながち想像

        していなかったわけではない。

        むしろ十分に考えられる簡単なシュミレーションを今、目の前にしているのだ。

        恐らく彼はまったくと同じく越前の中に眠る何かに気づいているのだろう。

        だが、それを快く承諾するほど薄情ではいられないのが、どうしてなのか

        分からなかった。

        きっと、今まで回りにいた京一以外人間とは違って自分を信頼している彼らに感情が

        うまく付いていけないのだろう、今はそう考えていようといつものように笑顔の中

        に隠した。

        「構いま…」 

        「手塚君」

        「はい」

        手塚が言おうとしていることを知っていながらわざと強く握り締められていた両手

        を触った。

        彼にはまだ未来があるのだ、そう簡単に選択権を与えられない。

        もっともこの少年なりに懸命に考えた結果なのかもしれないが、本当に自身を犠牲に

        するしか手はないのだろうかと頭をフル回転させていた。

        もし、それをのうのうとして観ていられればどんなに良いだろうか。

        より遥かに年下のはずなのに触れた手塚の手は予想以上に大きくて自分と

        大差のない人物のように錯覚してしまう。

        頭の中に思い描こうとしていたことに自分で突っ込みを入れ、相手に気づかれない

        ように瞬きを何回か繰り返した。

        いくらなんでも下心で青学男子テニス部コーチを引き受けたわけではない。

        は常に何にでも無関心そうに見えるが、間違っても最近報道を賑わしている

        変質者ではない。

        心の中で息を吐いてから苦笑したまま手塚の目を見たが、やっぱりどこか虚ろで

        泳いでいた。

        「俺はな、その選択を許すわけにはいかないんだ。だが、「矯めるなら若木のうち」

         ということわざもある。だから、俺は完全に否定しているわけじゃないんだ。

         分かるか?」

        「はい」

        「君達の試合はむしろ、俺からも頼みたいところだったんだ。だから、君から

         望んでくれて本当に助かっている。だが、俺は青学男子テニス部コーチである前に

         一人の人間として無理をして欲しくない」

        「……」

        自分の中途半端な決断にやはりと言うような諦めが彼に更なる暗い影を落とす。

        「しかし、試合をすることで良い勉強になるかもしれない。手塚君にとっても

         越前君にとっても、ね。だから、もし、その機会があるのならば条件がある」

        「条件?」

        握り締めていた手のひらを緩め、微笑を絶やさないを眩しそうに細い目で見る。

        しかし、これは忠告でもなければ命令でもないことを分かって欲しくて触れた両手

        に熱を送った。

        彼は生まれつき掌の体温を調整することができ、こうして意識すれば自然と指先まで

        集まる仕組みになっている。

        イヤに大人っぽい目つきを向けられてまた遠退いてしまいそうになるもう一人の

        足蹴りをし、淡々とした口調で話し出した。

        「うん。条件と言っても大したことじゃないけど、もし、君達が試合をすることに

         なったとしても当日俺を観戦させてくれるかい?」

        「さん……もちろんです!」

        やっと、手塚がいつもの……いやそれ以上輝いてくれたことにこちらも次第に本当の

        笑みを浮かべてしまいたくなる。

        彼を知っている誰もが無表情だとか顔が硬いとか言っているが、実際もあの

        ストリートテニス場で初めて会ったあの日、そう思った。

        だが、あれから三ヶ月の時間が経つ内に微妙な変化でそれが理解できるようになった

        というのはあくまで自分の中での思い込みに過ぎない。

        だから、今までの中で一番手塚国光と言う少年が輝いて見えるのもただの勘違い

        なのかもしれないので、敢えて口にしないことにした。

        「よし。それじゃ、早く治さないとな」

        「はい…あの、さん」

        彼の両手に触れたまま体を起こし、一回大きく伸びをすると小さな体よりも高い位置

        にあった手のひらを年齢よりもしっかりとした瞳の前に差し出し、ベンチから腰を

        上げるようにとジェスチャーをする。

        見た目が高校生風だが中身は中学生なのである。

        男性と言えど、未成年をこんな時間まで自宅に帰さないわけにはいかない。

        しかし、手塚は何かを思い出したかのように顔色をぱっと変え、また顎に手を当てて

        言い迷う体制を取っている。

        「ん、どうしたんだい?」

        が首を傾げて尋ねてみても視線を慌てて逸らすだけで望んだ答えは返ってこない。

        「手塚君?」

        「あ……あぁ、申し訳ありません。少し考え込んでいたものですから」

        そう言って、彼はメガネの縁を繊細そうな指で触れて持ち上げた。

        アレから三ヶ月、青学男子テニス部のコーチとして就任してからというものどうも

        誰かに見られているような気がする。

        それは一人だったり四人だったりと様々なのだが、一番態度に出やすいのはあの

        生意気な新人越前リョーマである。

        先程のように表情を固まらせて驚いた顔を何度も見ていると、そのうち知らない内に

        TVのビックリ大賞が送られてくるのではないかと思ってしまうほどだ。

        もちろんそれも単なる自分の憶測なのでこんなことを聞けるわけもなく、一番信頼

        している兄の京一にだって話したことはない。

        それにもし言ったとしても、小説のネタにされるか「ついにBLの道に走るように

        なったか!」と驚きながらもジャンルが増えたことに喜びを噛み締めるだけだろう。

        はある意味不幸過ぎた。

        身内に腹を割って相談できる者など本当は誰もいない。

        昔、両親に捨てられ京一の部屋で泣き明かしていた日に見つけた壁に刻み込まれた

        文章を思い出す。

        所々角ばっていたが、あの筆跡は兄のものだと幼いにはすぐに分かった。

        あの日も今も、それが妙に大きく体の中に染み込んでくる。

        体は春の風に吹かれているのに心はガラスの中に閉じ込められたまま通り過ぎる誰かを

        見送っていた。

        きっと、彼の言うとおり人間は独りで生きているのかもしれない。

        でも、それがどうであれ今は彼らがいる。

        だから、自分はとして生きていかねばならない。

        たとえ、という人物がこの世から消える日が来たとしても…。

        「ほら、俺の手を取って。君はまだまだ中学生君なんだからこんな時間にこんな人影

         がないところにいちゃ駄目だよ?これからは大人の時間だからね」

        「……はい」

        最後の部分は冗談で付け足したのだが、なぜか彼の顔が先程よりも硬くなった気がして

        まずったかなと、軽く咳を一つ吐いた。

        やはり、手塚にはこう言ったものは受け入れられないものらしい。

        「もう、そんな顔をしないでさ。それより俺に話しが合ったんじゃなかった?」

        その言葉を耳にした途端、素直に目の前に差し出された手のひらに自分のものを

        乗せようとして、ビクッと震えた。

        「どうした?」


        はそれを見逃さなかった。

        自分の手のひらの上の空が瞬間的に固まってしまったのかと錯覚するくらいピクリ

        とも動かない。

        彼の顔を再び覗き込めば、まだ何かを言い迷っているように唇を噛んでいた。

        「もしかして、アノことかな?」

        「……」

        「やっぱり、そうなんだ」

        その問いに一度視線を合わせてから唇を固く結んだ手塚をは思い当たる節と

        繋ぎ合わせ目をようやく見つけることができた。

        彼は秩序を重んじているのか単なる性格なのか、滅多に他人と話す事はない。

        だから、周囲に顔が硬いとか冷たいなど在らぬ疑いを掛けられてしまう。

        「アノ噂が本当かどうか直接俺に聞きたいって訳か」

        「すみません」

        「いや、多分君じゃなくても誰かに訊かれるだろうなって思っていたからさ。でも、

         誰に訊かれようとも話を大きくしたくないからね、レギュラー陣に訊かれない限り

         本当のことは答えないよ」

        「「本当のことは」?」

        「ふふっ」

        「……」

        彼は極端に歪んだ性格の持ち主である。

        それは手塚と同じくレギュラーの不二や乾と通じるところがある。

        本当のことは自分の胸の内に隠してもし訊かれることがあったとしても必ずしも

        そうではないが、方向違いな返答を口にしたりする。

        だが、はそれが極端過ぎてどちらかと言えば、困っている人がいたとしてもそれを

        遠くから見て楽しむ方だった。

        気まぐれで真実を口にしたりするから青学男子テニス部員達はこれは試練なんだと

        大きな勘違いをして燃え、信頼と憧れの眼差しを向けたりする。

        そんな行為を外で微笑んでおきながら中で馬鹿な奴らと言ってあざ笑っていた。

        「聞きたいかい?俺と彼との試合」

        「はい」

        切れ長の瞳で見つめる少年は未来を見ようとでもするかのごとく細め、の反応を

        窺っている。

        そんなキレイな視線を向けられてしまったら虚偽をしたくなるなど何処までも歪んだ

        性格が返答を躊躇っていた。

        しかし、先程の宣言を撤回するわけにもいかず、迷った末に夜空を見上げて独り言を

        呟くように唇を開いた。

        「負けたよ」

        「っ!!」

        「そんなに可笑しいことを言ったかな、俺は」

        「いえ…その……意外だったので」

        「あっ、手塚君。俺がか弱い新入生を甚振ったって思っていたんだ?」

        「違いますっ!」

        「あははっ、そうムキに言うことないのに」

        「さん……もしかして、俺をからかって楽しんでいますか?」

        「さぁ、ご想像に任せるよ」

        「……」

        やはりと考えているのか彼は深く息を吐いてからいつまでも自分を待っている彼の

        手のひらを軽く握り締めた。


        「…ちーす」

        「あぁ、海堂君。おはよう、今日もすごい汗だね。部活の前に自主トレをやってきた

         のかな」

        部室を軽く整理をしていた自分に低い声が掛かり、振り返るのと同時にその本人の

        名を呼ぶ。

        「い、いや……別に…」

        汗だくのまま学ランを詰襟まできっちり留めた少年は荒い呼吸のまま言葉少なげにそう

        答える。

        は幼い頃から記憶力には少し自信があり二日でレギュラー陣の名前と一緒に声色と

        性格を把握し、今ではこうして背後や何処から呼びかけられても即応答をすることが

        出来た。

        彼は一見険しい表情と目つきの持ち主だが、知り合ってしまえばそんなことは二の次

        になってしまうほど大して気にならなくなってしまう。

        海堂薫と言う少年は地がとても優しく、それでいて自分にも他人にも妥協を許さない

        ある意味融通が利かない頑固な部分もある。

        まぁ、そんな不器用なところが可愛くて仕方ないのだが。

        四月八日、今日は青学の入学式が行われる日。

        普通ならば何かのイベントがあれば全部活動が休みを取っても可笑しくない。

        だが、兎角青学男子テニス部と来れば話は別で、コートが会場である体育館から

        離れているためも助けて特別に通常活動をしているのである。

        「あはは、相変わらず秘密主義だね。君は」

        「そ、そう言うわけじゃ…」

        「でも、そうだね。桃城君が捻挫したからその分頑張ってもらわないとだし」

        「ふん。アイツが悪いんすよ・・・こんな時期に怪我なんかするから」

        「こらこら、そんなことを言わない。彼だってしたくてしたんじゃないと思うし、

         それにこの期にいつも以上の勉強ができるだろうから今まで以上にテニスを好きに

         なってくれると俺は考えている」

        「アイツもちょっとは頭が良くなるんじゃないっすか」

        「ふふっ…、また」

        「俺は事実を言ったまでっすけど」

        口は悪いがその一つ一つに彼の優しさが裏返っているように思えてそれが

        返って笑いを誘う。

        そんな時は海堂はいつだって顔を赤らめ、まるで借りてきた猫のように大人しく彼が

        笑い止むのを待った。

        (弟がいたらこんな感じなのかな?)

        自分と十も歳の離れた彼らといる時間が出来てからと言うものそんな新たな感情が

        芽生え出していた。

        それは思春期の真っ只中を生きている全国の中学生に失礼な物言いなのかもしれない。

        しかし、こればかりは偽りではないの鎮魂歌だった。

        「仲良くしろとは言わないけどこれからは桃城君ともダブルスで当たるかもしれないん

         だから喧嘩は程々にな。これも海堂君自身のためにもなるんだから」

        「それは、解ってます」

        「ん。じゃ、俺は行くね。着替えの邪魔をしてごめん」

        「あっ、いやぁ……」

        何か言いたそうな顔をしている海堂を背後に感じたまま部室を後にした。

        アレから何日もしないうちにレギュラー陣が自分に向ける視線が何故だか変わったか

        のような錯覚を起こしている。

        例えば、先程の彼のように何か言いたそうな顔をしていたり、以前は

        見つけては抱きついてくる菊丸が今ではその姿を見かけるたびに身を翻して何かから

        逃げるかのように駆け出される始末だ。

        自分で言っておきながら疑問形はないだろうと誰かに突っ込みをされることを呑気に

        考えている者もいるものである。

        部室を出たはそのまま舗装された道に従って正門へと歩みを進めた。

        青学に初めて足を踏み入れたあの日も思ったが、あそこに植林されている桜は見事な

        もので今時期はキレイに花びらを散らしている。

        そんな日にこの学び舎に入学できるかと思えば、祝福したい気持ちと一緒に

        妬みたくなった。

        彼は自慢じゃないが、今まで運が悪くこの時期満開の桜を潜って新しい生活を始めた

        ことがない。

        だが、考えを変えてみれば性別が変わったからこそこんな立派な樹に出会えたのだ。

        はあの桜がとても好きで、暇さえ見つければ舞い散る桃色の妖精をずっと

        眺めていた。

        だから、今日もあの場所に行きたかった。

        「君はキレイに咲いてるね」

        それが何百年もこの学園を見つめている賢者への挨拶だった。

        彼を目の前にしていると、自然と笑みが零れてしまう。

        「知ってた?今日は君が青学に割き始めてから何百年目かの入学式なんだよ。本音を

         言うと悔しいけどでも、まぁ、今年の子供たちのためにも少しでも良いから長く

         咲いてあげてよ」

        木に話しかけるのは一般常識からしてはお子様世代がするものだろう。

        しかし、彼にとってはそれが極自然なことで逆にそんな平凡な人生を送っている者達

        を批判していた。

        「ん?……あれ、男の子?」

        満開の桜の花から視界を外すと、その根元には一人の少年が気持ち良さそうに

        眠っていた。

        彼が身につけているパリッとアイロンが掛けられている制服から容易に想像する

        ことが出来る。

        この少年もきっとと同じくらいの身長だろう、だらしなく伸ばした足と頭を

        セットにしてみても小柄だ。

        「ふふっ、こんな無防備な顔して寝ちゃって……ほら、そろそろ起きないと入学式

         始まっちゃうぞ」

        「ふぇっ!?」

        その一言で瞼を見開いた瞬時、その現れた瞳と目が合った。

        先程も思っていたが、どうしてこの学校はこんなにも美形揃いなのだろうか。

        いや、単に自分のストライクゾーンが広いだけだろう、そういつものように笑顔の中

        に疑問を隠した。

        「ふふっ……やっと起きたね」

        「…っあ、どうもっす」

        「でも、もうすぐ入学式が始まるのは本当だよ。後、五分もすれば予鈴がなる時間

         だから」

        「うわっ!?そ、それじゃ!!」

        傍らに置いていた鞄を方に担ぐと、そのまま校舎に向かって駆け出して

        いってしまった。

        「それにしてもあの子も私を見て驚いていたな。どうしてだろう?」

        「それは、私が彼に本当の君の夢を見せていたからだよ」

        「!?」

        思わず声が出なかった。

        辺りを見回してもこの時間帯に誰もいるはずもなく、それがまた自分を混乱させる。

        「誰?」

        「ほら、君が今、目の前にしている桜の樹だよ」

        「えぇ!?」

        「そう驚くこともないだろう。君だって悪魔を見たわけなんだし」

        「そう言われれば…」

        本当に京一が喜びそうな世界をひたすらに走っているそんな気持ちが妙な哀愁を

        感じさせた。

        「いつも君に声を掛けてもらってとても嬉しかった。だから、こうして君と話せる

         なんてすごく嬉しい」

        「私もどんなにあなたと話せたら良いだろうって思ってました。いつもキレイに咲いて

         くれて本当にありがとうって伝えたくって」

        「なぁに、これが私の役目。ここで多くの生徒達が一つ大人になって行くのをここで

         見届けている」

        「ねぇ、どうしてあの子に私の夢を見せたの?」

        「君を助けたいんだよ」

        「え?」

        意外な返答に思わず目を丸くしてしまう。

        しかし、桜の樹は風に花びらを散らすだけだった。

        「あの少年だけじゃない。ほかにも君があの悪魔によって男性に変えられてしまった

         時から君が関わった少年達に同じく夢を見させていたが、今ではここの

         男子テニス部のレギュラー陣にしか見せていない」

        「だから、私への態度が当初の頃より余所余所しかったのか……だけど、何故彼らと

         あの子に限定しているんですか?まぁ、自分が出演している夢なんか他人に見せたい

         わけではありませんが」

        「だが、彼らでなければならないんだよ。彼らならば君を救い出すことができるから。

         あの少年は時期に男子テニス部に入る。そして、その力を発揮させる」

        「私は何をすれば良いんですか?私のことなのに大事なあの子達にそんなことは

         させたくないんです!」

        「すべては最後の審判に委ねられる。その時、本当に一人だけ守りたい者を選べ……」

        「きゃっ!?」

        そう聞こえたと思えば、いきなり目の前が物凄い光に覆われ、瞼を強く閉じた。


        「……っさん、さん、さん!」

        誰かが呼ぶ声が聞こえる。

        それは今まで自分が話していた桜の樹とは明らかに違った爽やかな少年の声だった。

        「う…んっ」

        先程までの瞼を刺すような激しい光に体を強張らせてしまう。

        「さん、起きて下さい」

        その言葉の真実を確かめるべく恐る恐る瞼を開けてみる。

        「さん、大丈夫ですか?疲れているんじゃないんですか」

        遠慮がちに瞳を開くと第一声がまた別の方から声を掛けられる。

        彼を待っていた二人の声はもう、脳内に名簿と一緒に録音されているから良く

        覚えている。

        「大石君……それに、河村君」

        この二人はレギュラー陣の中で言えばお人好しで生真面目なタイプである。

        きっといつまでもコート上に現れない自分を心配して探しに来てくれたのだろう。

        彼らより十歳ほど離れていると言うのにしっかりしないとな、と心の底で謝罪をした。

        先程まで桜の樹と一緒に立ち話をしていたと言うのに、今はどうしたことかそれに

        背も垂れてしゃがみ込んでいる。

        これではそう思われても仕方がない。

        「春眠暁を覚えず、だね」

        「これでまたいいデータが取れたというわけだ」

        その声に気がつけば周囲をレギュラー陣に囲まれていることに今更ながら気がついた。

        「えっ、何?どうしてみんなここにいるんだい。練習は?」

        「アンタが居なければ落ち着いて練習できねーな、できねーよ」

        「それに直接訊きたいことがあるんだよね。このまま逃げてても何も始まらないし」

        そう言うと、再び彼らがに送る視線が熱くなったのを感じて、情けなくも

        ドキドキしてしまった。

        それと同時にもう逃げ場がないことを察しろと言っているようで、ある種の屈辱

        を感じる。

        「この三ヶ月間、俺たち夢を見るんです。とても寂しそうな女の人

         が、「私を助けて」って消える夢を…」

        「訊けば皆、同じ夢を毎日のように見ているって話が合って」

        「そして、全員その人に心を奪われている」

        手塚の言葉を不二が繋げ、それを終着駅まで送り届けたのが乾だった。

        その確信に迫った声に先程の言葉が脳裏に蘇ってくる。

        「すべては最後の審判に委ねられる。その時、本当に一人だけ守りたい者を選べ……」

        あれはどういう意味なのだろうか。

        そんなことを考えていると、さらに追い討ちを掛けるような言葉が大石の口から

        放たれた。

        「話し合った結果、その女性はあなたではないかと言う結論になりました」



        ―――…続く…―――



        ♯後書き♯

        皆様、こんにちは。

        「光と闇の間に…」管理人で『Streke a vein』の編集者のです。

        2005年夏初月号はどうだったでしょうか?

        私は今回を振り返って春の嵐の如く連載の嵐だったなぁと自分の反省と今後の楽しみと

        で複雑ですが。(苦笑)

        えっと、『ガラスのシンデレラ‡第二章伝説の桜の樹の下で‡』のことはさて置いて

        言い訳をしますと、今回は私の本業が忙しくて作業が大変遅れてしまいました。

        そのため、只今深夜作業で『Streke a vein』2005年夏初月号を編集しています。

        ですから、楽しみに待っていたと言う方は本当にすみません。(深々)

        こんな不祥事を起こしましたが、次回も応援して下さると光栄です。

        そして、今回の『ガラスのシンデレラ‡第二章伝説の桜の樹の下で‡』では、

        イッパイイッパイでしたが、どうにか全員登場させることができました。(疲)

        どうなるヒロインと言うところで終わらせてみましたが、皆様の反応が吉と出るか凶

        と出るか楽しみです。

        それでは次回の涼月号もご期待下さい。