GLORY〜遥かなる高みへ〜

      「はぁ〜い、どなた?」

      進藤家の玄関を中から出てきた女性がそういって開く。

      すると、目の前にいた細身の白髪がかった年配者の女性を見て一瞬で笑顔になった。

      「あら、渡瀬さん。どうなさったんですか?」

      「いえ、ね。今度、家で預かることになった孫をご紹介しに来ました」

      そう言うと、後ろに立っている女性を指す。

      年齢は自分の息子と対して変わっていないように見えた。

      彼女は自分と目が合うと、深くお辞儀をする。

      それを見習うように慌てて頭を下げた。

      「と申します。この度、こちらの大学に受かりまして実家からは遠いので、

       祖母の自宅から通うことになりました。どうぞ宜しくお願いします」

      渡瀬家は進藤家の真向かいである。

      「『大学』って、大学生なの!?」

      確かに、長い髪を結ぶは、幼い顔をして背も小さかった。

      「はい、今月からですけど。見えませんよね?これでも、中学生に間違われるんですよ」

      すっとんきょうな声を上げたのに、彼女はにこりと、微笑を返す。

      謝ると、いつも言われることですからと言った。

      彼女の話しでは、ここから電車で一時間ちょっとする場所にその大学があるようだ。

      ここからなら十五分もあれば駅に着く。

      「それじゃあ、お世話様になりました。、帰るよ」

      「あっ、待って!それでは、失礼しました」

      もう一度、深くお辞儀をすると先に歩いていた祖母に向かって走る。

      その光景を眺める彼女は、珍しいものを見るようにじっと見ていた。

      すると、左の方から自分の息子が帰ってくるのが見える。

      「あっ、ヒカルぅ!お帰りなさい」

      その言葉に振り返る彼女は既に渡瀬家に向かおうかとしていた。

      「ただいま」

      そう言う彼がこちらを見ている。

      「こんにちは、今度お向かいのお宅でお世話になるって言うの。よろしくね」

      彼女は優しく笑った。

      「俺は、進藤ヒカル。中学一年生。こちらこそ、よろしく」

      彼は頬をほんの少しだけ染めると、が差し出した掌をぎこちなく握り返す。


      (良かった。何か、お友達になれそう。…あっ)


      にこりと微笑んだ顔が何かを感じたことによって崩れた。

      「どうしたのさ?……えっと」

      「『』で良いわよ。ヒカル君」

      「俺も『ヒカル』で良いよ。みんなにそう呼ばれているから。それよりどうしたんだ、?」

      対して身長差がないので、彼女が見ている先を追うことは容易い事だった。

      「あっ…」

      彼もそれに気づき、表情を崩す。

      『えっ?えぇ!?』

      その先にいる藤原佐為は、二人の顔を見比べて一人であたふたと慌てていた。

      「……もしかして、見えるの?」

      「あら、あなたにも見えるの?私、昔から霊感が強くって良く会うのよ」

      そう言う彼女に向かってははと、作り笑いを零す。

      「?こっちにいらっしゃい。あら、ヒカル君。こんにちは」

      渡瀬家の玄関から少し顔を出した先程の女性が、彼の存在に気づき挨拶をした。

      それに向かって、こんにちはとお辞儀をして返す。

      彼女がそれじゃあねと言ってその場から去ろうとすると、ヒカルが呼び止めるように口を開いた。

      「おばさん。と話ししたいんだけど、ちょっと、良いかな?」

      「あら?もう、お友達になったの。良いわよ。ちょうど、お茶にしようかと思ったから家にい

       らっしゃい」

      そう言うと、彼女のように優しく笑う。

      「せっかくだけど、見せたい物があるんだ。ごめんなさい」

      「あら、そうなの?良いわよ。そんな事、気にしなくて……

      「解ってます。失礼なことは控えます」

      そう言うと、二人はお互いの顔を見て行って来ますと元気良く進藤家に入っていった。

      それを見送る女性は、まだまだ子供ねと笑う。


      「コイツは、藤原佐為。平安時代で、囲碁を教えていたりしてたんだけど、いろいろあってこ

       の碁盤に住み着いていたんだ」

      『ヒカルっ!それでは、私が悪霊か何かのようではないですか!!』

      「ぷっ!?……ふっふふ」

      彼の説明でぷんすか怒っている姿を見ると、何だかこっちが可笑しくなってきた。

      「何がそんなに可笑しいのさ?」

      ヒカルがこちらをじっと見てくると、笑いを抑える。

      「ごめんなさい。『佐為』で、良いかな?」

      『えぇ、別に構いませんよ。殿』

      「『』で良いわよ。ずっと、一人で寂しくなかった?」

      彼女がそういうと、彼は哀しそうな顔をして見せた。

      何だか悪いことを訊いてしまったと、胸が痛んだ。

      千年もの間に誰も話し相手がいなくて寂しくないはずがない。

      「ごっ、ごめんなさい。私、失礼なことを訊いたわね…」

      『いえっ!私の方こそすみませんでした』

      彼女が頭を深く下げると、佐為もつられた様に垂れた。

      「ねぇ、佐為。私にも囲碁を教えてくれないかな?プロを目指すってわけじゃないけど、こう

       してあなたと知り合えたんだもの。同じことができるようになってもっと仲良くなりたい

       の。それに佐為の話し相手がヒカルだけだなんて寂しすぎる。これからは私も宜しくね」

      『はいっ!こちらこそ宜しくお願いします!!

      彼は瞳を大きく見開き、満面に笑顔を浮かべる。

      こうして見ると、自分と対して年齢は変わっていない様に見えた。

      「お二人さん。いちゃつくのも良いけど、俺のこと忘れないでよね?」

      その声に振り返ると、意味ありげに微笑んでいる彼がベッドに座ってこちらを見ている。

      「『いちゃついてなんかいませんっ!!』」


 

 


      それが、三人の出会いだった。

      彼女は講義が終わると、真っ先に進藤家にやってきて彼と打っていた。

      最初はヒカルと佐為の対局を見ていたが、次第に指導碁を受け出す。

      彼女は何回ぐらい受けただけでページを捲る様に上達して今では彼とも打つようになった。

      「ヒカルって、本当は才能あるんじゃない?」

      「なっ!?…何をいきなり言うかと思えば、俺にはないよ。でも、佐為にはある。だから、

       追ってくる奴がいるんだ」

      ある日、そう言ったら彼は遠い目をする。

      その瞳に何かが光っているように見えた。

      『ヒカル……』

      隣に座っている彼もいつかのように哀しそうな顔をする。

      「才能、あるよ!だって、この手、君が考えたんでしょ!?彼はそんなことなんて考えられな

       かった。院生になりなよ。佐為の影武者ではない、ヒカルしか出来ない力を見せてよ!!」


      彼の哀しむ顔が見たくなかった。

      これが叶わぬ恋だと知っても…。


      「えっ……ヒカル。今、何て言った?」

      彼の姿には以前の元気な姿はない。

      ただ、目の前にいるヒカルは瞳を曇らせるばかりで、彼女を見ようとはしなかった。

      「佐為は、もう……いない」



      ドサッ!


      手にしていた紙袋をカーペットの上に落とす。

      「な、んで?……どうして?」

      涙が自然に溢れてきて、頬を伝った。

      「わからない。俺が、目を覚ました時には消えていたんだ」

      「嘘……っ」

      「嘘…じゃない」

      彼はそのままの姿勢を保ったまま瞳を細める。

      紙袋の中から包装用紙に包まれた箱がちらりと飛び出ていた。

      ゴールデンウィーク中に自宅へ里帰りしていたがお土産にとまんじゅうを買ってきた

      ものである。

      渡瀬家に帰宅する前に進藤家に寄って、彼から指導碁を打ってもらうつもりだった。

      「……信じない」

      「俺だって、信じたくない。…だから…もう、囲碁は打たない。俺が打ってたから……俺が

       佐為にやらさないで、俺だけが楽しい思いをしてたから、あいつは消えたんだ」

      そういう、ヒカルの肩が震え出す。

      今も尚、曇っているそれから雫が降り出した。


      ふわっ。


      気づいた時には彼を思い切り抱きしめている。

      彼女の瞳はまるで、何もなかったように微笑み、ヒカルをなだめ出した。

      「あなたのせいじゃないわ。もちろん、誰のせいでもない。きっと、神様が彼にもう、役目

       は終わったって言ったのよ。きっと、彼はあなたと出会うために千年もの時を越えた。あな

       たに力を授けるために……」

      「でもっ!!!お前は、悲しくないのかよっ!?アイツが消えて何とも思わないのかよ!?」

      彼女の肩を掴んで揺らす。

      彼が始めての顔を見た。

      よく眠れないのだろうか、目が赤く充血している。


      「悲しいわ。…とても」

      「じゃあ、何でっ!?」

      「佐為を悲しませたくないから……だから、私はいつものようにしていなくちゃいけない」

      ヒカルが言葉を失うのが、表情を見て解った。

      「お前は、……強いな。俺なんか駄目だ」

      「ううん。自分を駄目なんて言わないで。それよりあなたが囲碁を続ける方が佐為は喜ぶん

       じゃないかしら?もし、天国に逝ってしまったとしても、あなたが悲しんでいるのを知った

       ら彼も辛いと思うの。だから…」

      彼は寂しそうに微笑むと、首を振る。

      「そう……だよな?でも、もうちょっとだけ…気持ちに整理が着くまでこのままでいたい」

 

 



      それから何日かしてヒカルはプロに戻っていった。

      彼女は塔矢名人が経営している碁会所でアルバイトをし始める。

      佐為のいない寂しさを拭い去るように必死で働いた。

      すると、時々だが、彼と塔矢アキラが対局しに来る。

      ヒカルの笑顔を見ると、振り切ってくれたようでほっとしている彼女だが、夜、独りになると

      毎日のように泣いていた。

 

 



      ある日のバイトからの帰り道だった。

      渡瀬家の前に見覚えのある後ろ姿がある。

      「っ!?佐…為…?」

      胸が期待と不安で波を打って痛かった。

      それでも、声を掛けずにはいられない。

      世界中で愛しい人を見間違えるはずはなかった。

      今まで、何度も彼の幻を見て泣き、幻聴を聞いては胸を痛める。

      そんな地獄のような日常を過ごした。

      目の前にいる人物はゆっくりと振り返る。

      長い紫がかった髪が風で揺れた。

      「…」

      「っ!?」

      胸が一杯になり、声が出ない。

      ただ、涙がぼろぼろと零れて彼がぼやけて見えた。

      彼は白い頬を真紅に染め、彼女をそっと抱きしめる。

      「なっ!?」

      「会いたかった…ずっと、あなたに会いたかった……」

      そう言うと、腕に力が入った。

      佐為に抱きしめられたことなんて一度もない。

      それ以前に、触れたことさえないのだ。

      彼が体を持たないことに不満はない。

      だが、強く求める時にはこんな風に哀しくなっていた。

      「佐為……なの?本当に、あなたなの!?」

      「えぇ。もっとも、今は津田志登ですけど」

      「『つだ ゆきと』って…まさかっ!?」

      彼はあれから神様と会い、生身の人間に次元を超えた想いをいだいてしまったため、天国へ

      行く資格を失い、もう一度やり直すことに決まったそうだ。

      気がつくと、病院のベッドの上で両親だと言う人がそばにいて交通事故で三年間生死を

      彷徨っていたと医師達に聞かされた。

      すぐ会いに行きたかったが、体の回復を待っていたため時間がたったらしい。

      「やっと……を抱くことが出来た。ずっと、あなたをお慕いしていました」

      「佐為っ…私も、あなたが好きだった!」

      彼の背に自分の腕を回し、抱きしめ返した。


      ずっと、来たかった愛しい人の胸の中。


      重なり合う鼓動はハーモニーを奏でて、それは永遠への序曲を指している。


      しかし、それを確かめるには、やはり、二人を隔てていた時間が教えてくれるだろう。

      彼女の顎を優しく掴むと、そっと微笑む。


      「…私の名を呼んで下さい」

      佐為がいたずらっぽく笑っていることに気づいた彼女はこう言った。

      「志登……世界中で……ううん、どんなに離れていてもあなたを愛している」

      それが合図のようにお互いの唇を合わせる。


      今までの時を越えるように長く……。


      唇を放すと、笑い合いながら進藤家のインターフォンを押した。

 

 



      ―――…終わり…―――

 

 

 


      ♯後書き♯

      こちらの作品は私には勿体無い友人である朝月様に捧げる二作目になりました『ヒカルの碁』

      はどうだったでしょうか?

      今まで佐為を書いたことがないので、こちらも初になります。

      私自身、佐為が消えてしまったことにショックを隠し切れませんでした。

      それで、このようなことを思いつき、『GLORY〜遥かなる高みへ〜』で蘇生させました。

      佐為の名前に不満を持っている方、申し訳ありません。

      実は、前回書かせて頂いた塔矢アキラ作の『囲碁を志す者』の主役の名前をもじっただけ

      なんです。(爆っ!)

      もし、興味をお持ちになられた方はどうぞ名前を変換なさらないで、お立ち寄りなさって

      下さい。

      また、ご感想などお待ち申し上げております。