話しかけられるきっかけを作って待ってる
九月下旬になり、中旬まで賑わせていた雨が明ければ夏服を着る日数も残り僅かで
濡れた世界を窓の中から見下ろし、生徒会選挙をしたのもまだ記憶に新しい。
真夏の蝉の鳴き声は健在だが、まだ終わりたくない季節を歌っているようで聞き慣れ
た調べでも何だか物悲しいのはきっと気のせいではないだろう。
それと入れ替えにやって来た音色が秋の夜に涼を呼び、寝苦しかった頃なんてまるで
長き悪夢だったかのように思わせる。
だが、現実逃避したくなる気持ちを唯一引き留めているのは子供に取っては季節の思い
出になっても大人、特に女性にとっては単なるため息になるだけの日焼けぐらいだろう。
真夏の力を失いつつある日差しに映し出された小麦色の肌がとても虚しい。
そう思えてしまうのは、古から今に生きている侘び寂びと言うものなのかと理屈を
考えればそれもまた悩みの種に変わる。
「来ないでっ!」
「俺の話を聞けよっ!」
朝は九月下旬だと言うのに暑さが一気に戻り、心なしか太陽まで紫外線を多くアス
ファルトに叩きつけている気がしたがそれは長く続かず、秋空と女の心とはよく
言ったモノで正午を告げる針が少し傾いた途端にグランドの砂に一筋の涙が落ち、
それを初めに雨は勢いを付けて降り出した。
大半の生徒や職員がこの不意打ちの襲撃に何の用意もしていない昼休みの六角中学校
の家庭科室では、それさえも切り裂くような緊迫感が室内を覆っている。
染めているのだろう、色鮮やかなオレンジ色の少し伸びた短髪をどこかのゲームキャラ
クターを想像させる個性的なヘアスタイルの少年が、その日本人離れした彫りの深い顔
に冷や汗を浮かばせながら目の前の小柄な少女を睨む。
それに比例して腰まで伸びたストレートの黒髪が彼女の背を覆い、まるで、大きすぎる
瞳から溢れる涙から支えているようだ。
その震える手には何故か包丁が握られており、その危ない輝きを放つ白い刃には鮮血を
思わせる紅が一滴を作り、ボタッと床に落ちた。
「好きなんだっ、のことがずっと…」
「っ!?ご、ごめんなさいっ!!」
「えっ……」
暦の上では三月はもう春だが、隣り合わせの冬に着慣れていたコートや首に巻いていた
マフラーがまだ手放せない。
しかし、の心はこの日からどの花の蕾よりも硬く閉ざされた。
卒業式を終えた市内の小学校の中から走り出てきた彼女は息を切らせ、ひたすら正門
を目指した。
正月が終わってやって来た持久走とは違う嫌な動悸が重たく胸を襲い、何かの病気に
罹ってしまったのではと疑いたくなるが、今はそんな余裕はない。
「……遅かったね、」
両手を膝に置いて何度も呼吸を繰り返す少女を待っていたのは、祝う言葉でも体温の
ある言葉でもなく、去年降らなかった雪が静かに舞った。
あれから三年の歳月が流れ、ついこの間入学したつもりでいても秋をこの学舎で六度
目迎えることはない。
まだ、夏の余韻を残した九月でも彼女達受験生にはいよいよ本番で、この日も中学に
入ってから通い始めた予備校に急ぐためHR終了後、茜に染まる放課後の廊下を走っていた。
なるべく急いだつもりだが、今日は掃除当番と日直が重なってしまい、更にそれに追い
打ちを掛けるように相方の男子生徒が病欠のためほとんど一人でやらなくてはならな
かった。
毎回、一日のコメントを書くのに迷ってしまい、適当に済まそうと思い始めるのに最高
で十分は掛かる。
校舎にはしか残っていないのか、スニーカー型の上履きがきゅっきゅっと鳴る音だけが
虚しく長い廊下に響いた。
こんな状況に置かれるとまるで、小学校の卒業式に戻った感覚が甦っていつも体が
緊張する。
『あんたってさ、話しかけられるきっかけを作って待ってるよね……いつだって』
「っ!?」
「あぶねっ!」
階段を踏み外しかけたの体を背後から抱き寄せた存在により、最悪の結末は掛けていた
眼鏡に譲った。
レンズ越しじゃなければ全く見えない訳ではないが、まるで寝ぼけ眼で世界を見なく
てならないのがとても歯痒く思えて選んだのに、今、どこに何があるのか把握し難い。
「ほら、これ。眼鏡、あんたのだろ?」
「あ、ありがと」
嫌に深みのある声色に戸惑いながら差し出されたモノを掴み、掛けてみた瞬間に
名の知らない少年がぼそりと言ったことが彼女の硬い蕾で覆われていた心に皹を入れた。
「眼鏡に目がねぇ……ぷっ」
「ぷっ、……あははっ」
あの日から笑ったことはなかった。
家族の前では心配をさせてはいけないと思い、無理をして笑顔を作っていたが本当に
笑ったのはあの時が久しぶりだった。
小学校の卒業式の日、親友の好きだった同級生の男子から告白され、それをどこで
聞いていたのか知ってしまった彼女と絶交したまま千葉を後にした。
風の噂で、海外に父親が転勤することになったことを知ったが、そんなことはどんな
美しい花びらより硬い蕾の中に心を潜めた一人の少女には届かなかった。
「マジかよっ!ダビデ」
「ざっと、こんなもんっすよ。俺の実力は」
非常階段からそんな声が聞こえてきたのは、天根と出会ってから一週間経った昼休みだった。
降り出した雨の中、外に出ようとする生徒は誰もいなく廊下を走り回る者の方が多く
目立ったのに、その声だけが静かに降る雨に掻き消されることなく聞こえたのはが彼に
惹かれていることを自覚し始めたからだろう。
五時間目の調理実習の前に天根にカップケーキを差し入れしようと思い、パンを一つ
胃に入れてから早めに家庭科室に急いだ。
奮発して冷凍イチゴを買ってみたが、キレイに盛りつけられるかなと悩みながら歩いて
いた時だから余計なのかもしれない。
「あのが、お前のダジャレで笑ったのかよ」
「うぃす」
「確かに、学校中で一番無愛想なアイツを笑わせられたらダビデの寒いダジャレでも
認めてやるとは言ったけどよ」
……結局は、こんな落ちだったか。
自分は利用されていただけなんだ、なのに、怒りという感情は不思議と湧いてこなかった。
足早に非常階段を離れ、家庭教室に入りイチゴを盛りつけている最中、タマネギを切っ
ている訳ではないのに涙が溢れてきた。
そうか、自分は悲しかったんだと今更目を覆った所で天根が空気を割いて家庭科室に
飛び込んで来たと言うわけだ。
「確かに、俺はみんなに認められようとアンタの話を持ち出された時にやってやろうと
思った!けど、そんなのはあの時、の笑顔を見た時どうだって良くなったんだっ!
その意味解るかっ」
震える手で包丁を握るが、それも元々支える力自体持ち合わせておらず、軽いがママ
ゴトのモノよりも重い音を立てて床に落ちた。
両肩で呼吸をする彼女にジリジリと近寄る彼が怖くて目を強く瞑ればいつかのように、
だが、今度は正面から抱きしめられる。
その感触があの時のモノより優しく感じ、ぶわぁと何かが中から溢れてくる気がして
涙が天根の肩を濡らし始める。
特別な言葉はいらない、声よりも早くあなたの熱が欲しいから。
―――…終わり…―――
#後書き#
天根Dream小説、いかがだったでしょうか?
今作は「brihigh」様への参加作品として作業しました。
三作までこちらに提出させて頂きましてとても光栄に思います。
また、今作までお付き合い頂きました『brihigh』の管理人、浅生様に心より感謝致
しております。