耳に鳴り響くのは、うるさく繰り返される鐘の声。
秋も真っ盛りになり、木の葉も次第に染め上げている。
空も今日は晴れ、まるで、その音色が響いてしまうほどだった。
真っ白なチャペル。
秋と言えば、六月に続く結婚シーズンでそれらしい服装を何度も目にしたことがあった。
それなのに、足はふらふらとその中へ引き寄せられるかのごとく観音開きの門に手を掛ける。
こんなことしてはいけないと解っているのに、体の自由は何者かに囚われていた。
門を開けば、長いヴァージンロードの先で誓いの口づけを交わしている二人。
マズイ。
だが、それを祝福する人間は誰もいない。
訳ありなのかと思い、良く花嫁の顔を覗いて見ると、何故だか嫌な予感がした。
そんなことがあるはずない。
だって、アイツはまだ俺と同じ中学生で俺の彼女で……。
そんなことを考えていると、唇が離れた花嫁がこちらに振り返った。
っ!?
それは、今まで悪魔の行為をしてきた彼への復讐だった。
化粧をした彼女は悲しすぎるほどキレイで、駆け寄りたくてもそうできない少年に向かっ
て微笑みかけた。
それはどんな宣告よりも惨たらしい。
『赤也君……ごめんね…』
行くなっ!
その言葉が彼の心の中で響き渡った。
だが、その女性は相手の男の腕を抱きながらどんどん奥へ行く。
しかし、少年の足はまるで地面に貼りついたようにびくともしなかった。
何でだよ!!
あんなに好きだって言ってたじゃんよ!!!
っ!!!!
瞳逸らさない
「あっ、俺。明日さぁ、遊園地行かねぇ?…ん、そうそう。マジ?じゃあ、明日楽しみに
してる」
そう言って顔中に笑みを湛えていた少年は携帯電話を切ると、ため息を吐いた。
周囲は既に闇の中で、頼りになるのは月と街灯の灯りしかない。
彼の名は、切原赤也。
立海大付属中学校が誇るテニス部に所属している。
普段は調子の良さそうなどこにでもいる年頃の少年だが、彼は最近まで魔の14分を
切ると、まるで人が変わったように相手コートに立つ人物を酷にも傷つけ、そして潰すこ
とを心の底から楽しんでいた。
そんな切原の前で無残にも跪いた者は多い。
その現況は、三人の天才が生み出してしまった。
絶対頂点に登りつくという彼の執念とも言える思いは、あの時点で散ってしまう。
悔しかった。
自分は強いと豪語していたのが馬鹿みたいに思えてきて苛立った。
だが、そんな少年でも立海大付属中学校が誇るテニス部のレギュラー入りを果たした。
それからだろうか、どんなことをしても勝ちたいと言う思いが切原の中で目覚めだす。
そのプレイスタイルはまるで、彼を制した三人の天才に向けてのアピールのようだった。
しかし、それは長くは続くわけはなく、関東大会で一人の天才と出会ったことによりそれ
は見事に浄化されることになる。
「あのっ!」
決勝戦前のあの日、失意に家路に着いていた切原は背後から声を掛けられた。
「何だ?」
やはり、彼らとの試合以来の惨敗にショックを隠しきれない様子で、赤目になっていなく
とも機嫌の悪そうな顔をして振り返った。
「あっ…その……」
その先には小柄な少女が立っている。
瞳は今にも泣き出しそうで焦点を失っていた。
ストレートな髪は背中まで伸びており、肌は眩しいほど白い。
どちらかと言えば、彼の好みのタイプだった。
「あっ、ごめん。俺、つい…」
「あなたは十分強いですよ!」
「へ?」
今更になってどうしようかと思い、謝罪しようとすればいきなり訳の解らないことを
言われて思わず変な声を出してしまう。
だが、相手側の彼女は真剣そのもので少年を見上げ続けていた。
「だから、あなたを…あなた自身をもう苦しめないで下さい!!」
「なっ!?いきなり何を言うかと思ったら、アンタ誰だよ?」
「私はと申す者です。以前、あなたの試合を観て...。もう、止めませんか?覇王の
真似事など…」
「真似事?違うね、俺は覇王になる男なんだぜ。今は無理だがいつかは…」
「それじゃあ、あなた自身はどうなるんですか!?いつかなんて絵空事を言っている間に
その覇王に似つかわしいと考えているあなたに飲み込まれてしまいますよ!!!」
それだけを叫ぶと、瞳に溜まった涙を流して走り去ってしまった。
先程までと名乗った人物がいた場所には、その残り香が確かに存在していることを切原
に教える。
「何なんだよ?一体…」
結局、泣かせてしまった。
「いつかなんて絵空事を言っている間にその覇王に似つかわしいと考えている
あなたに飲み込まれてしまいますよ!!!」
ピンクのブレザーと赤のチェック地ベストにお揃いのスカート。
こんな制服の学校などこの辺りにはない。
勿論、彼が把握しているのはテニス部があるものばかりだった。
あんなことを言ってきたのは、あの少女だけだ。
レギュラー陣は口を閉ざして何かを自分に訴えているように感じていた。
(なら……俺はどうすりゃいいんだよっ!)
強くなりたい。
その気持ちばかりが一人歩きをしていた。
細かいことを考えているのは性に合わないと、いつも逃げている。
それなら、どうすればいい。
今が考えるべき時なのだろうか。
だが、先程の惨敗と焦りで何かが思い浮かぶはずもなかった。
ならば、どうすれば良い。
そう、自分に問いかけても何も返ってこないことにいつも苛立っていた。
「クソッ!!」
少年の声が短く響いた住宅街は街灯がちらほらと点き始めている。
見上げれば、既に空は暗く一番星が白く輝いていた。
そして、運命の決勝戦。
無敗を守り続けていた王者立海大付属中学校は、青春学園中学校に負けた。
ダブルスは何とか守られたが、シングルスから徐々に押され始めた。
彼らの熱い思いが勝つことに拘りを持ってしまったあの王者立海を制したのだ。
この事実はあっという間に全国を駆け抜け、今まで以上に青学が注目されたことは言うまで
もない。
他のレギュラー陣には遅れて病院に向かう切原の目には、もう覇王はいなかった。
青学の誇る天才と試合をした彼は、今までの自分と同じプレイをし出した彼に恐れを感じた。
今までこうして相手を潰してきたことが走馬灯のように思い出された。
初めて相手のことを考えた少年には、もう、覇王は敵に背後を向けて逃げ出してしまったのだ。
何度も助けを求めても、もう、そこには誰もいない。
あの娘の言うことを素直に聞いていれば良かった。
キツイコースに技を決められ続けると、瞬時に先日のことを思い出す。
彼女は、あのと名乗る少女だけは心から心配をしてくれた。
それなのに、自分はそれを突っぱねてしまったのだ。
その代償が今のコート上の道化師。
情けなかった。
目の前にいる一人の天才に降り立った覇王へ恐怖を感じてなすがままでいる自分自身が
悔しかった。
「切原さんっ!」
「……アンタはっ!?」
突然、背後から呼び止められ、振り返った彼の眼に見覚えのある人物が映る。
ピンクのブレザーと赤のチェック地ベストにお揃いのスカート。
先日見た姿と同じく長い髪を風に揺らしていた。
彼女が視界に入った瞬時、不覚にも泣きたくなり、唇を強く噛んで俯く。
情けない自分をにだけは見せたくなかった。
きっと、笑われるだろう。
この前あんなことを豪語していたのだ。
その資格は十分と言って良いほどあった。
なのに…
「っ…ひっ…く……」
「?」
耳に入ってきたのは微かな泣き声だった。
顔を上げれば、やはり少女が俯いた形で涙を流している。
「ちょっ!何でアンタが泣くんだよ?!これは俺の問題だろ!!」
「ごめんなさいっ。私がちゃんと言っていたらあなたにこんな思いをさせなくて済んだのに」
そう言って、また瞳から溢れ出る涙を頬に一筋流した。
自分のために泣いてくれている。
こんな娘とは今まで出逢ったことがなかった。
学校指定のスポーツバックを肩から下すと、彼女を自らの方に抱き寄せる。
「切原さんっ?!」
「もう、泣くなよ。美人に涙は似合わないぜ。でも、嬉しかったぜ。俺のために泣いて
くれて」
自分の中に温かい気持ちが脈打っているのに戸惑いながらに微笑みかけた。
少女だけのために…。
「へっ?」
頬を染める彼女は短く唇を開いた。
だが、彼にはそれが届かず、出会った頃のように聞き返す。
いや、正確に言えば信じられなかった。
そんなことがあるわけはないと否定しているのに、心の片隅では1%の期待をしている。
「あなたのことがずっと好きでした!最初は、知り合いの試合で切原さんを観て…気になっ
て。そしたら、いつの間にかお慕いして…アッ」
その続きは彼が強く抱きしめたことで未遂に終わってしまった。
胸にはどちらかのものか解らない速いビートが奏でられている。
鼻には女の子特有の甘い匂いがしてそれが余計少年の脈を打たした。
「……サンキュ。そー言ってくれるヤツって、アンタだけだよ。なぁ、俺達付き合わねぇ?
俺も
のことが好きになっちまったみたいだし」
「はいっ!!宜しくお願いしますっ!!!」
それが、二人の付き合いだしたきっかけだった。
後に知ったことだが少女は、お嬢様校で有名な明媛女学館中等部の二年生で、友人の付き
添いで切原が出場していた大会を観に来ていたそうだ。
彼の所為で、同じく出場していた友人の兄は怪我をしたのだが、彼女は周りのように非難
しようとはしなかった。
逆に哀れんでしまっていたのだ。
コート上の孤独な覇王。
四面楚歌を受けて尚、輝きを増す。
そんな一人の少年が悲しかった。
あれから切原の存在を追うたびにこの名の知らぬ痛みが胸を過ぎる。
そして、あの日、二人が出会った瞬間それが恋だと確信した。
「赤也君…赤也君ったら!」
「うわっ!?」
考え事をしていたらいきなり耳元で大声を張り上げられ、思わずベンチから立ち上がってし
まった。
今日は気持ちが良いほど秋晴れで、絶好のデート日和だ。
「もう、何、一人で黙っちゃっているのよ〜。何か悩みでもあるの?」
先程まで座っていたベンチの隣には頬を膨らましてこちらを睨んでいる大好きな彼女がいた。
「ちげーよ。ただ、この柿があんまりウマイんで思わず無口になっちまっただけだって」
「そう?それならいいけど…」
思わず嘘を言ってしまった彼はに気づかれないように心中でため息を吐く。
昨日はいきなりデートの誘いをしたと言うのに、少女はにこにこして手作りのお弁当を
持参してきた。
デザインTシャツにサブリナパンツ姿の彼女には、いつものお嬢様と言ったものがない。
首にボンボン付きのマフラーをして柿を美味しそうに食べるはどこにでもいる普通の女の子だ。
だが、この少女は大手製薬会社の社長の一人娘である。
昨日は、朝っぱらから不吉な夢を見てしまった。
今より十年ぐらい経った彼女が誰かと結婚式を行っているものである。
悲しいほどキレイだったその姿の所為か、覚めたばかり瞳にはうっすらと水が浮かんでいた。
あの頃よりもずっと好きになっている自分に今更気がついて笑おうとすれば、頬に一滴の
涙が流れる。
覇王がいなくなった瞬間に感じたものよりも怖かった。
誰にも渡したくない反面、をメチャクチャにしてやりたいと言う男性特有の欲望に恐れ
戦っている。
その気持ちは失ったはずの覇王の忘れ形見ではないかと触れる事に躊躇いを感じているからだ。
あの悪夢は今までの報いだろうか。
そう考えては、頭を強く左右に振った。
こんなことを考えてはいけない。
今の自分は空き地に転がっている空っぽのペットボトルと変わらない。
中身は何もないくせに、缶より柔軟性があるため軽く凹んでもまた元に戻る。
そんな自分にいい加減厭き厭きしていた。
一瞬でも少女から瞳を逸らしてしまえば、どこか手の届かない場所に行ってしまいそうなのに…。
「赤也っ!!!」
「へっ?……んわっ?!」
いきなり目の前に黄色いボールが見え、反射的に右に避けた。
今は放課後で、朝見た夢の所為で全然頭が働いていない。
実際、コートに立つ前は何をやっていたかなんてろくに覚えていなかった。
「大丈夫かよっ!?」
相手側のコートから一人の赤みがかった髪の人物が切原に駆け寄る。
彼の名は、丸井ブン太。
立海大付属中学校の三年で、彼の先輩である。
同じレギュラー同士の二人は、試合をしていた途中だった。
「へへっ…すいません、丸井先輩。ちょっと考え事しちゃいました」
「考え事ぉ?らしくねぇな。おっし!話してみろぃ」
癖のある髪の毛を乱暴に掻くと、少年は自らの胸を軽く叩いてからこちらに笑いかけてくる。
偶々、今日は部活が休みのためコートを抜けることには何の躊躇いもなかった。
しかし、こんな女々しいことで悩んでいるなどと口にするのもどうかと考えてしまう。
もしかしたら、腹部を抱えて笑われたりするのではと思っているからだ。
瞳を泳がせても周囲には当たり前に誰もおらず、ダイレクトではないが切原にブレイクタイ
ムすることは決まっていた。
重たい足取りで部室に戻ると、ベンチに腰掛け持参してきたスポーツドリンクを一口飲む。
同じく隣に座った彼はタオルで顔中の汗を拭いながら聞き取りにくい声色で、悩みとは何
だと聞いてきた。
もう、後戻りはできない。
「実は…」
ペットボトルの蓋を弄んでいた少年は意を決したようにキュッと強く締めた。
話し出すと、意外にも少年は真剣な眼差しをこちらに向けたまま黙って最後まで聞いてくれる。
先程まで自分は何に躊躇いを感じていたのかと思い出すと、馬鹿馬鹿しくなった。
「それで、お前はどうしたいんだよ?」
話し終えると、いきなり質問され彼は視線を隣人から足元にずらした。
予測していても返す言葉が見つからない。
言葉のキャッチボールもこうなればひたすら投げる投球練習だった。
「どうしたら良いか、わからないんです」
ようやく自分の考えを言葉にすることが出来た切原は体を丸めたい気持ちでいっぱいである。
何を望まず、そして、何をしたいのか。
現実世界に戻れば、いきなり視界が水で遮られた今朝。
一筋流れた涙には何が自分の中にあったのかを静かに物語っていた。
彼女を誰にも渡したくはない。
は自分のものだ。
ならば、どうすれば良い?
歯を音が鳴るくらいに噛み締めると、隣からおい、という声が聞こえて振り返った。
「最近、デートしてないんだろ?なら、これやるよ」
そう言って少年がスポーツバックの中から何かを手渡した。
それは、ここから近い場所にある遊園地のフリーパスだった。
「丸井先輩っ!これって…」
「今度、弟達を連れてってやる約束だったけど、二人とも風邪引いちまってさぁ。俺、
一人行くのも何だし、誰かもらってくれねぇかなって思っていたとこなんだ。これやる
代わりに約束してくれるか?」
いつもとは違う真剣な面持ちでいる彼の次の言葉を待つ。
こんな時、耳は異状にも周囲の音という全てのものを浚ってくるものだ。
校舎のどこかでさえずっている小鳥の声や何人かの学生達が賑やかに帰宅して行く風景が
脳裏に映った。
いつもならあんな風に馬鹿をやりながら天真爛漫でいられただろう。
だが、今は事情が違った。
喋っていないことが少なかった少年は無口が多くなり、ため息も時間が経つに連れて増えて
いる。
最初は無気味がっていた切原を知る人物は遠ざけていたが、次第に哀れみの視線でその姿
を追っていた。
この少年もその一人で、部活が休みだと言うことを利用して彼をここに連れて来たのだ。
「いっちょ、プロポーズしてこいっ!」
「はぁっ!!」
丸井の妙案に思わず大声を上げてしまった。
「赤也、声デカイって!!!」
「あっ、すいません…って元はと言えば先輩が妙なこというからですよっ!!!!」
「へっへ〜ん。見たか、俺の天才的妙技を…ってそうじゃねぇだろうが。良いか?これはマ
ジな話で言ってんだよ」
「どういうことっすか?」
「お前、彼女を他のヤツに取られても良いのか?」
「うっ」
「育ちが良いからってそれで尻込みしてるのか?」
「ぐっ!」
「だったら、今から予約して来いよ」
「丸井先輩…」
「好きなんだろ?浚っちまいたいぐらいによ」
「はい」
「なら、やることは一つしかない……だろ?」
「はいっ!!」
少年は自分よりも少し小さい先輩を抱きしめながらありがとうございますと、熱く連呼した。
時刻は、17時15分。
最近は、十月も下旬に近づいている所為か夕暮れが速い。
二人は遊園地を出ると、の自宅に向かった。
デート終了後は決まって彼女を送り届ける。
それが、切原にとっての新しい感情だった。
冷たそうなアスファルトの上を歩く二人の靴音が妙に耳に付く。
もうすぐ決行する答えに今更ながら緊張していた。
通り過ぎる何台もの車の音が空しく心に響く。
『赤也君……ごめんね…』
させない。
あの夢を現実のものにしてはいけない。
「どうしたの?」
繋いだ掌を強く握り締めた。
いつもの家の前。
一般の民家が何百軒収容されたサイズが彼女の住処である。
不安そうな目でこちらを見つめている少女が愛しい。
こんな気持ちなど誰にも感じなかった。
もし、この存在を手放してしまったら二度と味わうこともないだろう。
「…好きだ」
「んっ」
彼女の両の頬を掌で覆うと、自らの唇を降らせた。
温かいキス。
その唇に誓いを立てると、彼は意を決したようにそれから離れる。
「何?」
いつもとは違うものに少女も不安を隠せない様子だ。
だが、彼は柔らかい笑みを浮かべると、ズボンのポケットから何かを取り出して彼女の左の
薬指に填めた。
「赤也君っ?!これっ!」
少女の指に光るものはどこかのアクセサリー専門店で販売されているフェイクパールの指輪で
ある。
「今は無理だけど、俺、本気でえかねのことを愛している。だから、俺と結婚してくれっ!」
「っ!?……はい」
夕日は既に西の彼方に消えてしまった。
街灯は次第に色を濃くしている。
それと同時に背伸びをした彼女が影を長くして口づけた。
リーンゴーン…リーンゴーン…。
時はあっという間に九年経ち、真っ白なチャペルの奥には、今、結ばれようとしているカップ
ルがいた。
新婦は純白のヴェールに身を包んでいるため、遠くからではどんな人物かは解らない。
しかし、新郎は白いタキシードを着ているだけなので、正体は容易につかめた。
事前にストレートパーマーを専属の美容師に掛けてもらったと言うのに、妙に主張しているそ
れはいつもとは違う場所で跳ねている。
「それでは、誓いの口づけを」
たどたどしい日本語で言う牧師も今日ばかりはすんなり耳に受け入れた。
生涯で最高の瞬間。
二人は向き合い、彼は羽衣を持ち上げ何度も施している唇に短くキスをする。
「きれいだ…」
「赤也…」
真紅のヴァージンロードを再び歩く二人にライスシャワーが容赦なく降り注がれた。
「このヤロー!幸せにならねぇと承知しねぇぞ!!」
「おっおい!結婚式の席でそんなこと言うかよ!!」
「赤也もようやりおるな」
「えぇ、本当に。お二人ともお幸せに」
「ふふっ、先を越されちゃったね。真田」
「全くだ。しかし、テニスではそうはいかない」
「俺達がいる限りは抜かさせないさ」
などなど様々な言葉が掛けられる中、新郎はつい最近のことのように九年前を思い出した。
丸井に言われ少女を遊園地に誘った帰り、初めて家の敷居を跨いだ。
広間に通された二人は、珍しく早めに帰ってきたという彼女の父親と会い、少年はダメ元で
娘さんと結婚させて下さいと床に土下座する形で頼んだ。
最初は驚いたのか怒っているのか沈黙が何分も続いたが、次の瞬間気持ちの良さそうな笑い
声が耳に入ったのだ。
顔を上げれば、やはりの父親が笑っている。
そんなに一般庶民と自分の娘が付き合っているのが可笑しいのだろうか。
先程までとは打って変わって怒りの感情が沸々と覇王を呼び戻そうとしていた。
「パパ、笑わないでよ!私達真剣なのよ!!」
隣にいる彼女も同じ気持ちのようで依然として笑っている彼を睨む。
「あぁ、ごめんごめん。ちょうど結婚シーズンだからさ、みんなともそれを話していて、まさ
か、その帰りにこんなことがあるなんてと思っていたらつい、ね」
「お義父さん…僕は本気です。さんを僕に下さい!お願いします!!」
「お願い、パパ!」
「しかし、私は、学生結婚は認めないよ?私は娘をせめて大学まで通わせたいと思っているしね」
「なら、待ちます。そのつもりで、今日は伺ったんです」
「ふふっ、予約か。良いだろう、その契約は飲んだ」
「パパ?」
「元々、私は実力がある若者に社長の座を譲ろうと思っていた。そのおまけに大事な娘を
好きでもない男に渡すことなどしない。だから、君にはこちらからも宜しくお願いしたいの
だよ」
「ありがとうございますっ!」
そして、今日、九年前彼がプロポーズをしたこの日を選んで式を挙げた。
「なぁ、」
ブーケを投げてしまった後なので、両手で夫に抱きつく妻。
これから新しい生活が始まる。
彼は彼女の耳に唇を寄せて内緒話でもするように囁いた。
「今日だったよな、誕生日。……誕生日おめでとう」
―――・・・終わり・・・―――
♯後書き♯
皆様、こんにちは。
今作は私のお友達になって下さった茉莉花恋様にお送りしました。
初めてお友達の誕生日に自分の作品を送るので、どうしようと悩んだ結果、秋のウェディング
シーズンを意識したものしてしまいました。
私はジュニア選抜の合宿時の彼を拝見して辛かったんだろうなと思い、いつかは切原君の
作品を書いてみようと考えていました。
本当は去年考えたネタを使ってみようかと思っていたのですが、そちらは裏作になってしまう
ので、今回はパスしました。
それは次回までのお楽しみということで、失礼しました。