いつわりからうまれる日



      五月も下旬となり、背合わせにやって来る六月は少しせっかちなのか、陽気は

      温かいモノの天候はぐしょぐしょに泣き崩れ、道路やグランドなど様々の窪んだ

      箇所をその雫で溢れさせる。


      今日も朝からぽつぽつと降り、聖ルドルフ学院高等部が放課後を迎える頃には

      それに何らかの力が加わり、もう何日も受け止め続け

      ている地上に落ちる度に軽く跳ねた。


      もうすぐ中間試験を控えている校舎は生徒達が午前中で引き上げる為、雨音が

      余計に学院内に響く。


      長いけれども地平線がない廊下はひんやりを通り越した肌寒さを覚えさせ、

      これで来月には衣替えをしなくてはいけないと思うと、

      四月から五月中旬までの温かさやもうすぐやって来る夏休みなどで急上昇気味

      だった気持ちが一気に下降した。


      昇降口の分厚いガラス戸に閉鎖されても元々、人間の目に見える形を持たない空気

      は各教室にも入り込み、誰もいないのを良いことにその領域を拡大させる。


      校舎から少し離れた場所にはテニスコートがあり、その左側には運動部の部室棟が

      五月雨に濡れていた。


      アパートの一室のような造りで、その屋根には容赦なく雫が落ちて周囲にも

      室内にも音がうるさく響いている。


      この時期にこの天候だ、きっと、誰もいないであろう雨とコンクリートによって

      閉ざされたある部室だけは何者の侵入も許さず、独自の熱と音を狭い室内に

      密閉していた。



      「…っ…ふっ…」



      灯りを嫌ってか室内は薄暗く、それ故の怪しさが閉じ込められた観月はじめの

      本能を煽る。


      普段衝立て代わりに使用しているだけのホワイトボードを汗ばんだ拳を押し当て、

      ランダムにガクガクと震える腕に押されて向こう側の壁に消えない傷跡を刻む。


      手首には毎日制服と一緒にアイロンを掛けている緋色のネクタイが乱暴に巻かれ、

      れ果てたシャツは少年の胸を淫らに肌蹴させてある。


      その程良い体のあちこちには無数の小さな傷があり、赤いそれは薄暗くても

      良く解る観月の白い肌に生え、何故だか美術品の銅像を思わせた。



      「あっ、あン…あ」



      穿いていた制服のズボンは下着と一緒に、彼愛用低反発ウレタン素材のイスの

      背凭れに雪崩れ込むように投げ捨てられ、無防備な下半身からは淫乱な水音と

      妖艶な香りが部室内を噎せ返らせるほどいっぱいにさせた。



      「…随分、愉しそうだね、観月」



      こんな情事が行われている中、熱に浮かされていない声が妙に冷たく聞こえた。


      違うと否定したいがまるで、室内にいながら豪雨にでも降られたみたいに

      びっしょり濡れた唇から出てくるのは認めたくない喘ぎだけで頭を左右に振るのが

      精一杯だ。


      汗ばんだ顔に幾度も涙を孕ませ頬に伝わせるが、肌が熱を帯びている所為か

      冷たくない。


      これが悲しみからくるモノなのか、それとも悦びからくるモノなのか、

      今はどうだって良く思えた。


      逃げないように掴まれた腰に、相手の作り物のような指が食い込む。



      「そう?その割にはこんなに濡らして、腰を動かして……淫乱だよね」



      「やっ!?っあん」



      綺麗な手が伸び、闇を掴んだそれはすぐに嫌らしい蜜に濡れた。


      木製の床はぼとぼとと落ちる雫に犯され、500円玉ほどの水溜まりを作る。


      もう、何度イカされたことだろう。


      熱に狂った秘所と理性を捨て、本能のままに動く淫らな躰。


      それなのに彼はいつも平然とし、冷たい言葉しかくれないのが悔しかった。


      誰かに気づかれたらどうしようかなんて思っているのに、下手な
AV女優みたいに

      鳴くだけで助けを求めようとはしない。


      普段からプライドの強い彼だ、他人に助けられることは望まないしその前に

      こんな恥ずかしい所を見られたくはない。


      本当にそれだけかと言う疑問を抱きながら、自分の中で何かが弾けたのを見届け

      何度目かの果てを感じて意識を手放した。






      去年の今頃、都大会が行われ、聖ルドルフ学院もそれに出場していた。


      だが、結果は準々決勝でまさかの敗退をしてしまってから歯車が狂いだし、

      関東大会への切符を手にすることはできなかった。


      プライドが高い分、他人に対しても自分に対しても厳しい観月はその日から

      今までに拍車を掛けたようにデータを収集することに打ち込んだ。


      勿論、自分の甘さや部員達の練習不足が敗退の結果に繋がったとは考えているが、

      今更それを理由に責めても仕方がない。


      男子テニス部を引退した自分が今できると言えば、後輩達の為に優れた逸材を

      スカウトすることとデータにデータを重ねたモノを残すことくらいしかできない。


      しかし、せっかくまとめたノートを残した所で解読出来るのは彼本人くらいだが、

      ないより何かの役に立つことは間違いない。


      五月下旬になり、次第に強くなり始めた日差しに
UVカットの化粧品と帽子を

      忘れずに寮を後にする。


      紫外線対策をした観月が正門を潜ったのは、今年の都大会で準々決勝に当たった

      青学だ。


      本当はこの学校に近づきたくもないのだが、任務に私情を挟むことはしたくない。


      ため息を吐きながら帽子を深く被り、テニスコートへ急いだ。


      着いたら着いたで、樹木なり建物なりの物陰に隠れてデータを収集してさっさと

      切り上げてしまおう。


      青学には聖ルドルフ学院に転入してから何度も来ているため、今更違和感などない。


      問題は今から偵察しに行く男子テニス部だ、思い出すだけで歯を強く噛みしめ

      てしまう。


      今年の都大会の準々決勝に聖ルドルフ学院は青学と当たり、一勝はしたもの3対1で

      負けてしまった。


      彼は当時、シングルス2としてエントリーしていたが、それがそもそもの始まりだと

      は誰も想像はしていなかっただろう。


      入念にチェックしていた苦手ポイントに合わせてメニューを組んでいたのにも

      関わらず、向こう側のコートにいる不二周助は飄々としたもので涼しい顔をして

      こちらを見ていた。


      それが、プライドの高い観月には絶えられなかった。


      ちょうど良い高さの木立に凭れ、持参してきた学生カバンの中からノートと

      シャーペンを取り出す。


      三年である自分も彼も来年には卒業してしまう、データを収集するには二年生と

      一年生の何気ない動きもリサーチする必要がある。


      木陰に隠れてテニスコートに視線を送る、いた。


      同じ学校に通っている弟より華奢で色素の薄い髪の所為だろうか、その姿は探さず

      とも自然と目立つ。


      微笑みを崩すことはさほどないから物腰が柔らかそうに見えるが、彼は先日の

      対戦でよく知っていた。


      アレは、「偽善者の仮面」だ。


      今、思い出しても屈辱的な敗北感だった。


      不二が自分ではない人物と話すのも、試合をするのも気に食わない。


      確かに彼の弟である裕太の体に敢えて負担を掛けるメニューを組んだが、それも

      聖ルドルフ学院のためだった。


      だが、今更そんなことを不二に伝えた所であの性格だ、まともに信用するはず

      がない。


      逆に、考えても大事な弟の身を危険にさらしたことには代わりはない、どちらに

      転んだとしてもその結果は決まっていた。



      「何をしているの?」



      「っ!?」



      コートから見えないように木立に隠れながらノートにシャーペンを走らせていたの

      に、その声は突然観月のすぐ傍から掛かり、あまりのことに手に力が入って不自然な

      音を立てて芯が何かの図形の上で折れた。


      聞き間違えることはない、今、最も耳にしたくない声だ。


      慣れた手つきで鞄の中にノートとシャーペンを放り込み、一応礼儀として頭を

      垂れ足早に退散したいのをぐっと堪え、且つ冷静にその場を後にしようとした。



      「待って」



      しかし、その言葉が先だったか、風を纏っていた左手首が掴まれた。


      細身の割にがっしりとした力があるその掌は先日、都大会の準々決勝ですり抜けられ

      た右手だと解り、余計に頭に血が上る。



      「その鞄にしまったノート、渡してくれる?」



      「嫌だ、と言ったら?」



      どこまでも平静な彼の口調に莫迦みたいにイライラしている顔を見られたくなくて、

      振り返らず言葉を吐き捨てた。


      何故、自分だけこんな気持ちを抱いてなければならない、全く腹が立つ。


      不二のことは、最初裕太に声を掛ける前から知っていた


      天才不二周助とその弟である不二裕太、兄が逸材として持て囃される分、彼は

      周囲から疎外されその結果、強い反抗心を持つようになった。


      そんなどこにでもあるような話も、彼にしては好都合…いや、単なるシナリオ通りに

      過ぎない。



      「なっ!?」



      少し間を置いてから掴まれた手首がぎゅっと引っ張られ、想定外な展開に反射的に

      その勢いに任せてバランスを崩し、容姿に恵まれた彼の顔を急降下の中仰ぎ見た

      次の瞬間、背中に衝撃を感じてその場で押し倒されたのだとようやく理解した。



      「なっ何をするんですか。不二君がこんな乱暴な人だったなんて見損ないましたよ」



      できる限りの睨みを利かせてみたが、あの日試合終了後に見下ろされたように

      どこまでも澄んだ青い瞳はこちらを凍りつかせる力を持っているのか、体が固まって

      それ以上何も言えなくなってしまう。


      背中には土の感触がシャツ越しに感じ、別の意味でため息が出た。


      プライドが高い観月はこの歳にしてまるで、単身赴任のサラリーマンのように

      炊事は一切自分でやっている。


      さすがに料理は限られてはいるが、寮生活をしているのだからその辺は

      自立心がある。


      今、唯一幸いだと挙げられることは押し倒された場所が休日の樹木の茂った大地の上

      だと言うことだろう。


      こんな所を他人に見られたくもないし、肌の上にシャツを着た形だからもし、

      アスファルトの道の上で押し倒されていたら制服の汚れだけでは済まない。


      唇を強く噛みながら彼の次の動きを伺っていると、先日のように冷たい言葉が

      降り注いできた。



      「君は僕の名前知っているんだね」



      「なっ!?」



      「だけど、僕は知らないんだ。だから、……教えてくれる?君の全てを」


 





      もう、何度不二に抱かれたことだろう。


      あの日を境に、彼は隙を見つけては頻繁に躰を求めてくる。


      きっと、裕太にそれとなくこちらの情報でも聞き出しているのだろう、弟の性格を

      知り尽くしている不二にとっては雑作もないはずだ。


      寮の自室に籠もり、照明を消して風入れのため開け放った窓の外を見ながらイスに

      深く腰を下ろす。


      よくよく考えてみれば、妙に腹が立つ。


      いつも情事の後気がつけば、今まで白昼夢でも見ていたかのように身なりも辺り

      も気を失う前と何も変わっていない。


      あの日もそう思い、この体勢でいるのも決まりが悪くて起き上がろうとした時、腰に

      明らかに不自然な痛みを覚え愕然とした。


      夢から覚めたら現実だが、実際は緩やかな悪夢として彼を貫いていた。


      今日は観月はじめの十五回目の誕生日だ。


      その特別の日に一人で寮の自室で過ごしているのは無論、敢えて断ったからだ。


      本当は実家に休日を利用して帰ってこいと、先日携帯電話に姉からメールが来たが、

      どうしても行く気になれなくて風邪を理由に嘘を吐いた。


      夕方、轟いていた雷は今では大人しく、開け放った窓から入り込む風は少しばかり

      肌寒さを感じる。


      だが、何故か閉めようとは思わなかった。


      初めて彼に組み敷かれた時、男色と言うことよりも自分に触れたことの方が驚いた。


      不二は、通常の人の倍以上独占欲がある。


      それは家族なり友人なりなら至極当たり前なことだが、彼の場合全く違う。


      彼らを虐げようが愛でようが自分の勝手であって、それを横から他人が手を出して

      くることを絶対に許さないのだ。


      なのに、何故、愛してもいない自分のことを何度も抱くのだろう。


      腹が立つのとは違った感情が沸き上がり、まだ少し痛む腰を上げて窓際に立った。


      自分の指で唇の感触を確かめる、遊女が紅を指すように滑らせるが、途中で怖く

      なってその手を下ろした。


      まるで、自分のモノではないかのように艶めかしく感触を確かめる度、誰かの温もり

      を思い出してしまう所でようやく、ああ、そうかと誰もいない部屋で一人呟く。


      自分は、不二に愛されたいのか。



      「ふっ…」



      涙が一筋落ちたと思えばそれは本降りの始まりで、熱くなった瞳から溢れて一つ二つ

      と窓辺を濡らす。


      男が泣いて良いのは最愛の人が亡くなった時だけだと昔、父が言っていたのを

      思い出し無理に笑おうとして止めた。


      少しでもこんな自分を元気づけようとしたが、一度沈んだ気持ちはなかなか浮上

      せず、逆に深海に住まう貝のつもりか自身を抱きしめ僅かに残る彼の温もりを感じて

      思わず声が漏れてしまう。



      「っ…不二君…あ」



      「…ふふっ、観月が一人Hしている所を見るのも良いね」



      その声に両肩をビクッとさせ、月を仰ぐように見上げると自分とほぼ同じ目線に

      氷を宿した碧眼が彼の心を抉った。


      夜の闇に光るそれはいつも観月を昼夜問わずに抱く時のように、怪しい。


      まるで、獲物を狩ろうとして標的を見据えている猛獣のようだ。


      しかし、幼すぎる気持ちは割り切れず、堪えていたはずの涙が頬を濡らして自身を

      奮い立たせる。


      こんなのは嫌だ……愛されてもいないのに、これ以上……抱かれるのは嫌だ。



      「どうしたんだい?綺麗な涙なんか零して。僕を誘っているの?」



      「……君は、僕を弄んで……愉しいですか?」



      喉元から声を絞り出すように、言葉を紡ぐ。


      彼が何を選ぶか何て解りきっているから敢えて、考えようとはしない。


      今できることは耳に戸を、心に壁を造ることぐらいだろう。


      嫌だ嫌だなんて思ってはいても、躰は既に不二周助を求めている。


      涙を拭おうともせず、理性の数だけ頬に投げ捨てられてしまった本能は色香を

      無意識に漂わす。


      例えられるとすれば、不二は観月はじめと言う華に誘われてやって来た蝶だろう。


      瞳から一片落ちた涙に唇を寄せ、舌先で舐めた。



      「愉しいよ。君の全てを手に入れるのが僕以外なんて殺したいくらいに

       許せないからね」



      「え?…っ」



      疑問を口にしようとした唇は秒読みで奪われ、微かにどこかのチャックが開く音が

      耳に入ったが、彼の性急な舌にまたもや翻弄される彼は押し寄せてくる快感の細波に

      両手を伸ばした。


      だが、その腕は空を舞い、危うくまた自慰行為に走ってしまう所で何とか堪える。



      「不二…君?」



      確か、先程まで彼とキスしていたはずだ、唇にはまだ真新しい熱が灯っている

      ままだ。



      「あ…っ」



      しかし、突然下半身に痺れを感じ、何度も抱かれた躰はこの刺激を覚えているのか、

      私服のシャツに隠された胸の突起ももう一人の観月も敏感にその存在を主張させる。



      「…す…だよ……」



      先程とは別の涙をぐっと堪え、荒い息を繰り返しながらその言葉に耳を傾けた。


      白くぼんやりする視界にその声色が妙に熱を持っているのだけが解りまるで、

      体中がどうにかなってしまったかのように感覚が研ぎ澄まされている。


      今、何て言った、そんな言葉だけが喉元を天井に仰ぐ彼をどうにか現に止めている。



      「は…あぁ…っ」



      闇を部屋に取り込んだ室内には観月の鳴く声とフローリングの床に跪き、分身を

      口に含んで舌でその感触を楽しんでいる彼の姿が月のない夜に怪しく映える。


      その姿はまるで、授乳中の赤ん坊のようで全身を覆う痙攣にどうにか堪えながら見る

      彼に羞恥心と父性の両方を教え、やめてと強く言えない。



      「ふ…じっ、あ…ダ……っ」



      彼の繊細な舌先が裏筋をわざとゆっくりした調子で這い、軽く歯を立てたのが

      観月の臨界を越え、息を呑み込むのと同時に白濁とした欲望を解き放った。


      熱に浮かされたのともう立っていられないのが重なり、へなへなと不二のように

      フローリングの床に、座り込み本人の顔を再び直視して頬を赤くする。



      「愛しているよ…」



      不二の口元には先程彼が手放した欲望がまるで、生クリームのようにべったりと

      付いてある。


      それに気づいたのを見計らって人差し指で掬い、恰も見せつけるように焦れったく

      舐めた。



      「…誕生日、おめでとう……観月」


 








      ―――…終わり…―――









      #後書き#


      こちらは「観月さんに薔薇を。」様に参加作品として作業しました

      不二観月裏
BL小説です。


      良い経験をさせて頂いたことを心より感謝しております。


      また、余談ですが、このタイトルに疑問を感じられた方がいらっしゃいましたら、

      お手持ちの漢和辞典をご覧下さい。


      それでは、こちらまでご覧下さり誠にありがとうございました。