Dear Valentine ―――梶本編―――


      『先生ー!せんせ〜!!…まったく、何処に行っちゃったのかしら?』

      女性の声はそう言ったかと思うと、靴音を忙しく立ててその場を後にして行った。

      『はぁ…』

      ……助かった。

      ここ城成湘南中学校に研修しに来たのはつい二週間前のことだった。

      担当は古文。

      この学校に研修に来たのは自分を入れて7名。

      キレイに七教科揃ったなぁと感心してしまった。

      『ありがとう、梶本君。匿ってくれて』


      『いえ…とんでもありません』

      体育館で全校生徒に挨拶を済ませると、一人の女性が何やら怪しげな笑みを浮かべて

      こちらに近づいてきた。

      『先生は、中学時代ウチのテニス部に入っていたそうですが、どうです?放課後、

       テニスコートに来て観ませんか』


      研修初日で教師に睨まれるのはさすがにマズイかと思い、指定通りにお邪魔したのが

      そもそもの間違いだった。

      最初は本当にコートの外から観ていただけだったが、その内先程の白衣、華村先生が

      体育用のラケットを持ってきてレギュラーの誰かと試合をしてみるかと言い出した。

      手合わせをしたのは、どうするべきかと迷っている時に自ら名乗り出てくれたのが

      梶本だった。

      59%の力と設定してくれたが、意外と面白いプレイスタイルだったので、つい本気を

      出してしまったことを今でも覚えている。

      それからと言うもの、彼女の目が異様に輝いては校内中付け回してくる。

      まして、今日は自分がこの学校でお世話になる最終日である。

      華村先生の鋭さが一気に六年前までの「魔王」を思い出さないとは考えられなかった。

      一日中あの視線から逃れ続けていた放課後一階のパソコン室の前を走り去ろうとした時、

      いきなり手が伸びてきてその中に収容されてしまった。

      …どうしよう。

      相手は自分よりも遥かに長身の男子生徒だ。

      だが、後ろから抱きかかえられている体制のため誰だかは判らなかった。

      ……どうしよう。

      こんなに密着されると、どうしたら良いのか分からなくなる。

      妹が生きていたらさぞかし喜ぶシチュエーションだ。


      そんなことを考えていながらも、体は正直で心拍数を上げて行った。

      『先生ー!せんせ〜!!…まったく、何処に行っちゃったのかしら?』

      早くどっかに行ってくれ。

      今はそれだけを願うしかない。

      靴音が昇降口の方へ消えて行く瞬間、和らいだ腕から逃げ出して相手を見上げて

      絶句した。

      それは初日の放課後、試合をした相手の梶本貴久だったから。

      『ありがとう、梶本君。匿ってくれて』

      出来るだけ平静に装う。

      自分は彼より七歳も離れているのだ。

      大人の余裕を見せつけなければ笑われてしまう。

      『いえ…とんでもありません』

      が……、少年は笑わなかった。

      逆に真剣な瞳でこっちを見つめている。

      『先生……俺はっ』

      『ははっ。俺はもう「先生」じゃないよ。だから、もう、その呼び方なんてしなくて…』


      『……』

      それ以上、言わないで欲しかった。

      大切なものを何一つ守れなかった。

      なのに、どうして、それを望んでしまうのだろう?

      『…俺が…俺がなぜ、「先生」とお呼びしているのか…あなたはお解かりですか?』

      『えっ?』


      誰かに甘えたいから?

      誰かで癒されたいから?

      『「先生」と呼んでなければ理性が駄目になってしまいそうだから』

      『あなたが好きです』

      そう諭すのはせめてもの強がり。

      自分には愛される資格なんてない。

      「駄目だよ!俺なんかを好きになっちゃ」

      大切な存在も守れなかった。

      ならば、これからも誰かを守れることはできないだろう。

      『…はははっ、俺なんかを好きになっちゃいけないよ』


      『どうしてですか、先生!!』

      真っ直ぐな瞳。

      そんなキレイな視線で自分を見ないで欲しかった。

      この少年と違って自分は汚れている。

      穢れていると言っても過言ではない。

      あの日、失ったのは家族だけではなかった。

      誰も助けられなかった…誰も救うことが出来なかったと思うあまり一露さえ感じられない

      者になってしまった。

      今ならば、「魔王」と呼ばれても仕方がないだろう。

      『ごめん。君の気持ちには答えられない…っ!?』



      「っ!!」

      「えっ?」


       パシンッ!

      いきなり背後でしかも、大声で自分の名が呼ばれた瞬時に走った衝撃。

      それが一瞬何をしましたのか分からなかった。

      腕にはこの寒さで冷え切った墓石。

      目の前には今まで見たことがない月の裏側。

      頬に宿された鈍い痛み。

      「どうして、そんなことを言うんだ!あの時も今も!!お前が死んだら哀しむ奴が

       いるって考えたことがないのか!!」

      叩かれた左の頬に手を当てる。

      実際の痛みよりも心に言われた言葉が壊れたレコードのように何度も再生された。

      『どうして、そんなことを言うんだ!あの時も今も!!お前が死んだら哀しむ奴が

       いるって考えたことがないのか!!』

      あんな荒々しい言葉使いを研修時に一度も聞いたことはない。

      あの華村と話していた場面にも遭遇した事があるが、と大して変わらなかった。

      『約束ですよ』

      別れ際、耳元で囁かれた言葉が今も胸をくすぐっている。

      自分には幸せになる資格などない。

      そう思っている割には、普通の人間のようにときめかずにはいられなかった。

      自分の気持ちが解らなくて梶本を振り払おうとした瞬間、彼が急に腕を強く引っ張った。

      その反動で重心を失ったはそのままキスされてしまった。

      『好きです…』

      長い口づけの後、囁くように言った。

      脈が速くなる度、何かを言わなくちゃと焦っていた。

      でも、何を言えば良いのか分からなかった。

      胸の動悸を抑えて彼を見上げたまま数分間、口にすべきピースが見つからなかった。

      『……待って……くれるかな』

      それからいくらか時間が経って出た結論は、教師にあるまじき言葉だった。

      『えっ?』

      何故、あの日あんなことを言ってしまったのだろうか。

      キスだって避けようと思えば、避けられたはずだ。

      なのに、金のリンゴを食してしまった。

      『俺、今…梶本君の気持ちに混乱してて自分の気持ちが良く分からないんだ。だから、

       それまで待っててくれないか?』


      『……』

      また、続く沈黙。

      何故、自分はそんなことを言ってしまったのだろう。

      あの場で切り捨てることが出来たはずなのにそうしなかったのは期待なんかしている

      のだろうか。

      が俯くと、彼は何かを思い出したのか突然何かを走り書きする。

      相手は現役中学生であって、実習生でもまして同い年でもない。

      きっと、授業の大事な部分を書くのを忘れていたのだろう。

      そんな大切な時期の生徒を誑かすとはなんていけない実習生なのだろう。

      (さようなら…)

      こんな突然の感情などきっと受験本番になったら、忘れてしまうだろう。

      だから、こっちから忘れてしまおう。

      そう思って口を開こうとした瞬時、少年はペンを走らせるのを止めた。

      『約束ですよ』

      そう言うと、自分の携帯番号を書いたメモ用紙を渡した。

      「うっ」

      六年振りの感覚にその一言が夕立が降り出す前触れの雷鳴となったことは

      言うまでもない。

      この少年までも嫌われてしまったら自分はどうなってしまうのだろうか。

      何故だろうか、そんなことが脳裏を過ぎった。

      今の今まで家族のことを怖いと感じていたのに、梶本のことを考えている。

      溺れている。

      どうしようもないほどこの少年に恋をしているとしたら…。

      「うっ…っ……く」

      気づくのが遅すぎた。
      の心はあの場所から始まっていたのだ。

      『…俺が…俺がなぜ、「先生」とお呼びしているのか…あなたはお解かりですか?』

      そんなの薄々気づいていたが、見ないフリをしてきた。

      こんな自分に誰も見向きはしないと、思っていたから。

      しかし、それは違った。

      『「先生」と呼んでなければ理性が駄目になってしまいそうだから』

      『あなたが好きです』

      あの時、上昇気流が彼に向かって吹いた。

      自分を取り戻すために、彼に会うために…。

      「…」

      「ぷっ……何だよ。俺のこと「」って呼べるじゃないか」

      顔を覆っているため今、少年がどういった表情を浮かべているのか分からない。

      だが、彼のことだ。

      いつだって真剣な顔をして自分を見てくれたのだろう。

      「もう、自分を抑えられないっ」

      「……梶本君」

      顔を覆っていた両手を優しく退け変わりに、彼の顔が近づいてくる。

      「お前があんなこと言うからだぞ」

      「ごめん」

      「おかげでもう、お前を諦められなくなった……の責任だ」

      「んっ」

      そんなことを言っている唇は言葉よりも優しくて何も考えなくさせる。

      二度目のキスはちょっと不思議でそれでいて冷たかった。

      「ごめん。俺が冷えさせちゃったな。本当にごめん」

      半年振りの口づけは何だか眩暈がして頭がクラクラする。

      「じゃあ…温めてくれるか?」

      熱にうなされるような目つきで少年を見上げると、いつかのように笑っている。

      差し出された手をおずおずと握り締めると立ち上がらせ、再び口内を侵した。

      「んっ、ンン」

      舌が絡み合うのが早いかそれとも吐息が早いか二人は互いに身動きが出来なかった。

      息がうまく出来なくて思わず空気を求める行為が吐息となって彼を余計に駆り立てる。

      互いの唾液が舌の動きでかき混ぜられての首筋をいやらしく濡らす。

      その動きはとても緩やかで、まるで彼がどんな想いでこの半年もの間を過ごしてきたかを

      物語っているようだ。

      「っ、好きだ

      「俺も梶本君が好き」

      頬を赤らめて目の当たりにした月の裏側に伝言ゲームのように早口で言った。

      そうでもしないと、真冬に見る吐く息のごとく白く濁ってきえてしまいそうだから。

      これ以上自分の気持ちを伝えずにいることなんてできない。

      「っ!?……やっと、聞けたんだな」

      本当はあの場所での心は決まっていたのかもしれない。

      思わず瞳から涙が溢れ出る。

      何故、あの時伝えることができなかったのだろう。

      少年はその雫を親指の腹で拭うと、飴でも舐めるかのように舌先ですくって口に運ぶ。

      「かっ、梶本君っ!?」

      「…甘いな」

      「やめて……くれないか。そういう恥ずかしいことは……うわっ」

      「「恥ずかしいこと」か。これからもっと恥ずかしいことをしようか」

      いきなり腕に抱きかかえられ、思わず声を上げてしまった。

      空は何処まで続いているのだろうか。

      その短く叫んだ声もすでに空気の中に溶け込んでしまった。


      「もう、俺…限界っ」

      そう言ってテイクアウトされたのはあの公園の近所であるマンションの一階だった。

      いくらなんでも家族の誰かに見られたマズイだろうと抗議したら、どこか黒さが見え隠れ

      する笑顔で即答された。

      「あぁ。だから起こさないように静かに、ね」

       その言葉が引きつった笑顔の中に浮かんだのは言うまでもない。

      この少年は半年もの積もり積もった想いをぶつけてくるつもりではないだろうか。

      そんなしなくても良い心配が次々に浮上してくる。

      玄関からすぐ近くの個室に入ると音を立てないようにそれを閉めた。

      ガチャリと中から鍵を掛け、ベッドの上に優しくを寝かす。

      「梶、本君」

      制服を乱暴に脱ぎ捨てる。

      その衣が擦れる音が彼を妙に緊張させた。

      「キスしてっ」

      消え入るような声で覆い被さる彼に強請った。

      本当は年上の自分がこんなことを言うのはすごく恥ずかしかった。

      しかし、このまま彼がどこかに隠れたまま抱かれるのは嫌だった。

      「……意地悪して……ごめん」

      軽くキスを降らした少年には黒は失せていた。

      「魔王」なんて言葉は自分だけで良い。

      白いTシャツをめくり上げ、上に重ね着していただけの洗いざらしのシャツと一緒に

      制服の上に投げた。

      「キレイだ」

      「んっ」

      その囁くような言葉だけでも感じてしまう。

      自分はこんな体をしていたかと悩みそうになって止めた。

      生れ落ちてからの癖なんかではない。

      これはあくまでもこの少年だけが付けられる刻印なのだから。

      「あ…あっ、っ」

      胸の飾りに唇を合わせる感覚に思わず体を弓のように反らす。

      先程まで口内を侵し続けた舌先でちゅっと生々しい音を立てて攻め、それを弄ぶ。

      ねっとりした湿り気が下半身へと下りてゆく刹那、声を殺そうと必死だった。

      鍵を閉めたからと言っても防音設備が施されているわけではない。

      「ふあっ」

      だが、その思考よりも言葉が鳴き声になって梶本を求めてしまう。

      「やっぱり…っ……声が出るっ」

      両の掌で口を覆うと、またもやそれを取り去られた。

      「何するんだよ。聞かれても…」

      「ごめん。本当は両親結婚記念でハワイに行っているんだ」

      「りょ、旅行っていつから?」

      あまりの出来過ぎたシチュエーションに思わず顔を歪めてしまった。

      「昨夜から……三泊四日のツアーで出掛けたんだ」

      頭の中が真っ白になる。

      今までの自分の苦労は何だったのだろうか。

      「本当に悪かった。でも、俺…のことがホントに好きだからこのまま抱くなんてこと

       したくなかった」

      「梶本君…」

      「お前の声が聞けなくなるなんてイヤだったから」

      「……好き」

      ちゅっと音を立てて初めて自分からキスをした。

      そんなことをさせてしまうのは、彼だけの特権だから。

      「愛してる…」

      離した唇は強引で、体のあちらこちらにその跡を降らした。

      しかし、そんな少年らしさも愛しい。

      (あぁ…そうか、「愛している」ってこの感じなんだな)

      下着ごとズボンを下ろされる最中、そんなことを考えていた。

      「あ、あっ」

      それと同時に彼が次第に険しくなるのに対してどうして自分自身は下半身の締め付けを

      さほど感じなかったのかも分かった。

      胸の飾りを口で指で愛撫しながらもう片方の手でジッパーを開け放ったからだ。

      一気に立ち上がった分身は白い噴水と化している。

      脈打つように快楽を求めるそれは少年の手によって握り締められ、滾々と湧き上がる

      泉には祈りを捧げるように指が何本も差し込まれていた。

      いやらしい水音が彼の部屋を汚す。

      渇きを知らないのかそれとも水遊びを楽しむ梶本を酔わす為なのかその泉は愛液を

      溢れさせている。

      握り締められた分身はもっと違う場所も触って欲しいんだと抗議するように白濁とした

      欲望を噴き上げている。

      突き上げられる感覚。

      思い切り彼を抱きしめてその激痛に耐える。

      だが、この感覚をどう対処すれば良いのか分からず、ただなすがまま腰を揺らして

      それに答えた。

      「アッ!そこ……っ」

      「っ…っ」

      あまりにも愛し過ぎて思ってないことを口にしてしまう。

      イヤだなんて本当は言えないから。

      「やっ、あぁっ」

      この少年が与えてくれる痛みだからこそこんなにも愛おしい。

      家にはこの二人しかいない。

      だから、今はこうして梶本のリクエスト通り甲高く鳴いていよう。

      内壁に包まれている彼が動くたび水音が部屋中に響き、二人を共に何も考えなくさせる。

      もし、この時何かを思い描いていたとしたら、それは互いの表情だろう。

      赤く火照った頬に流れる涙までもが熱い。

      吐く息だけでイってしまいそうになる。

      「んっ…梶本ぉ…」


      ドク……ン

      体が大きくそれる瞬間、ビクっと震えた。

      そのすぐ後、体内に何かが放たれた感覚がしての記憶を甘く遠くへと誘う。

      体の中に何かが放たれた瞬間、夢の中に吸い込まれてしまうかのごとく眠りに落ちた。

      それはまさに、糸車の針に指を刺してしまった眠り姫そのものの姿だった。


      「は…あっ、ちょ……」

      もう、深夜を軽く越えている。

      時折、パトカーがバイクを追いかけている音が耳に響いては来るが、室内でじゃれ合って

      いる男達にはそんなことどうでも良かった。

      あれから七年後。

      彼は、今年の春にはプロテニスプレイヤーの道を歩み出す。

      自分が足を伸ばさなかった分野に羽ばたく青年を心から送り出したい。

      その気持ちは十分あるが、また恋人としての寂しさが過ぎるのは当たり前なことなの

      かもしれない。

      「はぁ…は…ッ」

      今は卒業式待ちの春休み中で、梶本は彼の家に泊まっては夜をこうして過ごしている。

      「テストの赤点をしているんだから……あっ」

      「そんなの昼にすれば良いじゃないか。それに…ここも限界なんだろ?」

      そう言って、硬くなった彼の分身をぎゅっと握り締める。

      彼はが城成湘南から消えた後、卒業時に記録された資料を盗み見たりしてあの事件のこと

      を知ってしまったらしい。

      たった独り残された遺族。

      「魔王」と呼ばれていた孤独。

      すべてを理解した上で自分の手でという個人を愛したいと思ったそうだ。

      「俺について来いよ。俺はもう、お前と離れたくはない」

      「貴久っ、あ…」

      「愛してる…



      ―――・・・終わり・・・―――



      ♯後書き♯

      はい、皆様こんにちは。

      「Dear Valentine」の梶本編はお楽しみ頂けたでしょうか?

      こちらは「バレンタイン企画」に作成しました男主人公VS小説の第一作です。

      作業していて途中で挫けそうでやはり書いてしまったのは何と言っても教師と生徒の

      ネタが面白かったという点でこうして後書きまでこれたんだと思っています。

      一度やってみたかったんです。

      私が偏っているからでしょうが、普通は教師が攻めで生徒が受けですよね?

      これは今年に入ってからの私の作品が以上に年下設定が多かったためも理由になる

      のですが、男性教師が同じく男子生徒にvと言う設定はなかなかないじゃないですか。

      ですから、書いていてとても退屈をしなかったキャラだったなと振り返っています。

      それでは、長々と失礼しました。