眠り姫に口づけを

        四月上旬、青学では校内のあちらこちらに植林された桜が満開している。

        その一つ一つが風で揺れなくても散ってゆく様は、とても優雅だ。

        空は晴れ渡りこれが、昨夜では雨が降ると、謳われていたとは誰が想像する

        だろう。

        新しい教室と教科書の匂い。

        そして、新しい学年。

        また、一つ、夢へと近づいたと確信できた。

        最終学年になった手塚は生徒会の仕事と男子テニス部の部長を務めている。

        ここはテニスで有名校だが、関係のない学生達にはミーハーな女子学生か

        よほど熱烈なものしか知られていなかった。

        彼のクラスも例外ではなく、無頓着の方が珍しい程である。

        しかし、その側に手塚が気にかけている女子生徒がいた。

        彼女の名前は、

        表情は彼と同じく無表情で、声など授業中しか聞いたことがない。


        昼休み。
 
        いつも決まって彼女は弁当を大事そうに抱えて何処かへ行き、終了のチャ

        イムが鳴ると規則正しいロボットか何かのように返ってきた。

        彼女と初めて出会ったのは、去年の五月に青学に転校してきた頃だ。

        その時も手塚は同じクラスで、隣の席に座った彼女に良く教科書を貸した

        のを今でも覚えている。

        だが、はあれから何ヶ月経っても笑おうとはしなかった。

        特定の友人も作らず、彼女は現在のようにクラスから邪魔扱いされている。


        「あの子、暗くてあたし、嫌い」

        「融通は利くけど、何考えているのかわかんないよね?」

        そう、陰口で囁かれているのを何度も耳にしたことがあった。

        本人はそれに気づいているのか、クラスメートに頼まれたことには、首を

        縦に振る。

        それが彼女の有無の合図だった。

        時々耳にする声は掠れて小さいものだが、透き通るように綺麗な声である。

        笑えば普通の女子学生と変わらないほどの容姿の持ち主なのに、はそれを

        拒んでいるかのように頬をぴくりともさせなかった。

 

 

        彼はテニスコートから見える夕日を眺める。


        (なぜ、は誰とも親しくしないのだろう?……まるで、拒んでいるようだ。

         直接、本人に訊いてみるか?しかし、俺にはそんな余裕はない。部活の

         ことは大石に頼むか?いや……しかし、それでは……)


        「どうしたんだ?そんな顔して。何か悩んでいることでもあるのか?」

        「男子テニス部の母」と謳われる彼が早速手塚の様子に気づき、そう尋ね

        てきた。

        あぁと、大石を部室へ誘い事情を話す。

        「……と言うわけなんだが、すまないが……」

        「解っている。行ってこいよ。彼女は今じゃ、青学中の問題児扱いを受け

         ている。お前がさんの心を癒してやればきっとそれはなくなる」

        「すまない」

        「良いから、さっさと着替えろよ。みんなには氷帝戦の傷が原因だって

         言っとくから」

        彼の微笑んだ顔を見てそれではと着替え始めた。

        持つべきは仲間である。

        しかも、付き合いが長いため多少考えていることを理解してくれていた。             

        大石に何か自分ができることはないだろうか、ポロシャツのボタンを外し

        ながら思う。

        「彼女かぁ……俺も気になっていたんだ。どうしてあんなに頑なに他人を

         寄せ付けないの かって。彼女の過去に何があったんだろうな」

        「わからない。しかし、俺はに直接聞いてくるつもりだ。だから、今日は

         頼む、大石」

        学ランを襟まで止めると、彼の方へ振り返ってそう言った。

        彼は片手を握り、親指を立てて行って来いと微笑む。

        荷物を肩に背負うと、部室を後にした。

 

 

        青学からおよそ一時間する場所に彼女の自宅が、閑静な住宅街の中にある。

        周囲には大きな垣根がある民家がゴールを阻んでいるラビリンスのようだ。

        何処かから鶯の鳴き声がした。

        それに顔を上げると、目の前にある表札と手元にある紙切れを見比べる。

        事前に渡された地図によると、どうやらここらしい。

        それには家族の名が一つずつ書かれてあった。

        澪、留美子、……。

        今では珍しい瓦が屋根に引き詰められている。

        庭も広く、色々な木々が植わっていた。

        随分立派な家柄らしく、それにはどれも規則正しく揃えられている。

        ピンポ〜〜〜ン……。

        真剣な面持ちでインターフォンを鳴らすと、平和な音色が家中に響いた。

        しかし、数分経っても何の応答もない。

        もう一度ボタンを押すところで躊躇し、手を体の横に下ろした。

        (……もしかしたら、何処かに出かけているのかもしれんな。またにするか)

        「きゃっ!」

        「っ!すみません」

        踵を返すと、すぐ後ろの人物にぶつかる。

        衝撃は少ないが、相手が抱えていた紙袋から玉ねぎが三個、地面に落ちた。

        「すみません。自分が不注意だったばかりに…」

        すぐさまそれをしゃがんで集めると、その人物が中年女性だったことに

        今更ながら気づく。


        「あら?ありがとう。家に御用かしら?」

        玉ねぎを丁寧に紙袋の中へ入れると、笑みを浮かべて彼の方を見た。

        「あら?その制服は青学のじゃない?ちゃんに御用なのかしら」

        「はい。自分は彼女のクラスメートの手塚と言います。少しお聞きしたい

         ことがあり、お訪ねした所お留守なようでしたので次回またお邪魔させ

         て頂こうと思いましたら…」

        「私とぶつかってしまったって訳ね?」

        相変わらずニコニコと笑っている女性は一瞬、何かを考える素振りを見せ

        ると、慌てだす。

        「あらあら、やだわ。私、まだ自己紹介をしていないわよね?歳を取る

         のってやぁね」

        そう言うと、口元を片手で押さえて笑った。

        彼女の名前は留美子。近くのスーパーで夕ご飯を買ってきた帰りらしい。

        「あら、ちゃんいなかった?んもう、せっかくお友達が遊びにきてくれ

         たって言うのにあの子ったら何してるのかしら……なんて話しにくいっ

         て言ってた癖にちゃっかり作っているものは作っているじゃない」

        「えっ?」

        留美子の謎めいた囁きに困惑の色を浮かべながら玄関を開けると、こちら

        に振り返る。

        彼が意味もわからず彼女の方に視線を返すと、手招きするのが見えた。

        「入って。汚い所だけど、あの子を待つには充分でしょう?」

        「いえ、また今度で…」

        「いいからいいから!お茶が良い?それともコーヒーが良いかしら?」

        彼女は自分より大きな手塚の背を叩いて中に入るよう促す。

        瞳は生き生きとしていて有無を言わさない顔だった。
 
        彼は気づかれないようにため息を漏らし、コーヒーでお願いしますと呟き

        家に入る。

        外から見ても想像がついたように中もひっそりとし、余所者を歓迎してく

        れなかった。

        物質的ではなく、そんな雰囲気がこの家にはある。

        彼女はリビングで待っててねと言って台所に姿を消す。

        残された手塚は指示された通りそこへ行き、黒いソファーに遠慮がちに

        腰を下ろした。

        自宅ではないからであろうか、どうも拒まれているように感じて仕方がない。

        (何なんだ?……この雰囲気は……まるで彼女のようだ)

        彼は少しの間辺りを見回すと、三段ある黒いタンスの上にいくつか小物が

        並んでいるのを発見した。


        (何だ?)

        視界に入ったのは、たくさんの郷土品の中から身を伏せている写真立て。

        手塚は何故かそれが気になって、ソファーから立ち上がるとそれを手に取った。

        「っ!?……これは」

        それは、家族で出かけたものであろうか、その中でが満面の笑みを浮かべ

        ている。

        「あら?この写真、見ちゃったの?」

        「えっ!?」

        いきなり背後から声をかけられ、心臓が飛び上がるような気持ちで振り返った。

        留美子は彼と目が合うと、にこりと笑って、可愛いでしょと呟く。

        「この頃のちゃんは良く笑っていたらしいわ。私は見た事ないけどね…」

        少しだけ微笑むとソファーの前にある木製のテーブルにコーヒーカップを

        置いた。

        「『この頃』というのはどういうことなのでしょうか?」

        最後の言葉も気になったが、そっちは訊かない方が良いような気がして

        そっと向かいのソファーに腰を下ろす。

        「えぇ……私、後妻なのよ。だから、今の彼女しか知らないの」

        彼女は遠い昔を思い出すように目を細め、コーヒーから立ち上る白い

        湯気を見つめて重たく

        なった唇を開き出した。

        「……昔話をするわね?今から五年前にある事故があったの……」

        家族旅行からの帰りの交通事故だった。

        家族は月日が経つ内に回復したが、当時15歳だった少女は頭の打ち所が

        悪く意識不明で生死の境をさまよっていた。

        「私はその患者さんの担当看護婦だったけど、一向に目を覚まさない娘に、

        精神的にも体力的にもまいっていたご両親は離婚。それから何年か経った

        ある夜、彼女は五年の歳月をまるで眠りから覚めたように気が付いた…」

        言葉が出てこない。

        いっその事「昔話ではなくてさんのことを訊かせて下さい」と言えばこの

        気持ちは手塚の中で起こらなかったのかもしれなかった。

        しかし、嫌な気分はとどまる事の知らない情報のように体中を駆け巡る。

        「それは……」


        ドサドサッ!!

        彼が何か言おうとした瞬間、廊下から物凄い音が響いた。

        「っ…!?」

        「ちゃんっ!?」

        二人が急いでそちらに振り返ると、図書館からの帰りだったようで彼女の

        足元には本が何冊も散らばっていた。

        青学でも時間がある限り何かを読んでいるのをいつも目撃している。

        口元を両手で隠していたが、瞳には怒りが宿り今にも何かを言い出しそう

        だった。

        それに焦りを感じてに駆け寄りたい気持ちを必死に抑える。


        (まただ……この感じは一体なんなんだ…?)


        「………ぁ……っ」

        何かを言いかけて唇をつぐむ彼女の瞳に陽炎が見えた。

        しばらくの間、三人の間に気まずい雰囲気が流れる。

        その沈黙を破ったのは、やはりの方だった。

        「バレ……ちゃ…った。……青学に転校する三ヶ月前に気がついたけど、

         いつまた、昏睡睡状態に陥るかわからないんだ。気持ち……悪いよね?」

        言葉を口にしている間も、大きな瞳から涙を流し必死に何かを堪えている

        ようだ。

        体の横で拳と握り、それがわなわなと小刻みに震えている。

        足元に散らばった数冊の書物たちはまるで彼女の心を描いているようだった。

        「……ごめんなさい。……私、もう!」

        そう言ってそれを飛び越えて奥の方へ走り出す。

        「待てっ!!!」

        ソファーに腰を下ろしていた手塚は立ち上がり、留美子に軽く会釈してか

        らその後を追った。

        「来ないでっ!」

        二階へと続く階段を駆け上っていると、背後から聞こえてくる足音に

        向かって叫ぶ。

        しかし、彼はそれに従おうとはせず、自室のドアノヴに手を掛けたの肩を

        鷲掴み、抱き寄せた。

        「なっ!?…放してよっ、手塚君!こんなこと、好きな子とやってよっ!!」

        「好きだから良いだろう」

        「えっ……今、……なんて?」

        その言葉に驚いた彼女は抵抗を止め、彼を見上げる。

        「ずっと、のことが気になっていた」

        「嘘……」

        「嘘なものか」

        「だって、変だよっ!こんな、いつ停滞するか解らない女を好きになる

         人なんて…」

        「ここにいるぞ」

        手塚は意思表示のためにか、の背中に回した腕に力を込めた。

        「あっ…もうちょっと、力を緩めて」

        「……嫌だ」

        そう言うと、の唇に自分の物を押し当てる。

        「んっ!」

        思わず瞼を強く閉じる。


        (私…今、…キスされているの?)

        意識すればするほど鼓動はリズムを変えていった。

        唇を放されると、恐る恐る目を開けた。

        すると、はにかんだ様に微笑む彼がこちらを見つめている。

        「手塚……君」

        「お前の気持ちを聞かせてくれ」

        彼は彼女の瞳を捉えたままそう囁いた。

        この時、は意地悪と心の中で思う。

        (さっきより力が弱まったけど、こんなに体を密着しているから鼓動が

         聞こえないはずないのよ!)

        そう思っていると、手塚が悪戯っ子のように微笑んで、もう一度唇にキス

        を落とした。

        「好き……」

        「…。……好きだ」

        彼女の部屋の前で抱きしめ合ってから何分かして家を後にする。

        肩を並べて歩くはまだ醒めきらない現実に頬を染めていた。

        その沈黙を破ろうとして会話を探すが、なかなか出ては来ない。

        本来、彼は口数が少ない所為か、こんな時何を言えば良いのか戸惑っていた。

        だが、それを察するようにが唇を切る。

        「…事実を飲み込むことが嫌だったの」

        「えっ?」

        突然の事で訳が解らず、変なことを言ってしまった。

        しかし、彼女は顔色を変えず、地面に視線を落としたままだ。

        「ずっと…転校してからずっと年下の子たちの中で五年前より進歩したこ

         とを勉強して……変な感じだった。同期の子達はみんな卒業して働いて

         いたり子供までいたりするのに、どうして私だけって……ずっと思っていた」


        「……」

        一言を話し終える度に、唇を強く結びとても辛そうな顔をする。

        そんなを見ている手塚も辛かったが、彼女の方がよほど苦しい現実と戦って

        いるのだと思い、黙って耳を澄ませる。

        「……長い……覚めない夢の中で、身動きもできずに、ただ病院のベッドに

         横たわってた。何十本の管に繋がれて、……話し掛けてくれる両親に何か

         返したくても口が利けなくて悲しかった。最初はお見舞いに来てくれた

         あの人たちも段々来なくなって。やっと、自由に動けるようになったら

         夢の続きだった…」

        口数が多くなると、感情が高ぶってきたのか再び瞳から涙をこぼし始めた。

        彼はもう我慢することが出来なくなり、の振るえる体を抱きしめる。

        「もう、独りで悲しまなくて良い。これからはお前の傍にいる。だが、

         お前自身も失われた時間を取り戻さなければいけない」

        「どうすれば…」

        「わからない。だが、二人なら取り戻せる。……だろ?」

        手塚の声が頭上から聞こえ、彼女はゆっくりと顔を上げた。

        しばらく見つめ合う。

        すると、段々彼の顔が近づいて、が瞳を閉じると頬に朝露を一滴流す。

        唇が一つに重なると、手塚の背中に腕を回し意思表示を表した。

 

 

        「……おはよう」

        「あっ、さん。おはよう」

        それから彼女は少しずつだが、色を変え様と必死だった。

        初めは授業中以外に耳にすることが信じられないと言うような表情をした

        けれど、一週間もすればそれが消えてしまうのが子どもの良い所である。

        しかし、は、心はまだ15歳だが実際には二十歳だ。

        精神的に大きな傷痕が今もまだ炎症したままだった。

        「はんっ。皆、何であの子に騙されているのが解らないのかしら」

        だが、そんなを快く思わない者がいた。それから彼女の自宅へ通うように

        なったの彼に想いを寄せるクラスメートの女子だ。

        学内で二人の姿を見る度、その不満はエスカレートして行き、それはある

        日前触れもなく噴火し出した。

 

 

        ある日の放課後。

        彼女は掃除当番で焼却炉にゴミを持って捨てに行った。

        「大変そうね。さん、手伝いましょうか?」

        そう言う声に振り返ると、クラスメートが焼却炉の出入り口に立っている。

        「あっ、…大丈夫。……ありがとう。汚いから近づかない」

        「そうね。あなたは汚いのに、どうして皆、騙されるのかしら?その頭の

         回転の速さにホント敬服するわ」

        「えっ…」

        言葉を失っていると、彼女はくすくすと笑った。

        「あんたが手塚君の彼女な訳ないじゃん。同情しているだけよ。生徒会長

         だから公平に付き合わなくちゃならないから、クラスの嫌われ者のあんた

         なんかに親切なのよ。それを良いことに彼女面してんじゃないわよ!あんた

         なんて要らないのよ」

        「っ!?」


        要らない。


        その言葉がの傷口を開かせるにはちょうど良く、激しい眩暈が襲う。

        脳裏には言われた言葉が壊れたラジカセのように、何度も同じ部分が流れた。

        視界には悪夢が映り、捨てられた惨めさが思い出される。


        (もう、ヤダ……こんな世界なんかに………居たくない)


        彼女はそのまま焼却所の冷たいアスファルトに倒れこんだ。

        (あっ…帰ってきちゃったんだ)

        気がつくと、天井に病室の古びた壁が見える。

        再び踏みしめてしまったこの地は、現実でのの視界をマジックミラーの

        ように見せる事が出来た。

        そうする事で、彼女に悪夢を見せる。

        (結局、ここからはどう足掻いても戻ってくる。それが、あの時生きるこ

         とを選択した私の条件でもあり、運命……)


        そう思うと、目の奥が熱くなる気がした。
    


        (もう一度だけでも良いから、…手塚君に会いたいなぁ)

        涙が溢れ出ると、不意に彼の声が聞こえてくる。

        (手塚君!?)

        叫んでも聞こえないと解っていても、叫ばずにいられなかった。
 

        「…。一緒に失った時間を取り戻そうって決めただろ?停滞してはいけな

         いんだ」


        (でも、…私、あなたに迷惑をかけている。…そんなの……嫌だよ)

        「お前は一人で考えすぎるんだ。どうして俺に相談してくれないんだ?

         そんなに俺は頼りないか?」


        (違うよ!私は手塚君のお荷物になりたくないだけだよ)


        「俺はのためなら手にも足にもなってやる。だから、早く起きてくれ……」


        (……)

        胸が締め付けられるような想いに刈られる。

        天井に映る彼は彼女の左手を握り締めていた。

        「……なんかじゃない」

        (えっ?)

        「同情なんかじゃない。俺は、本気でのことを愛している」

        (っ!?手塚君!)

        そう囁くと、まだ意識が戻らない彼女自身に口づけをする。

        彼が連絡してきた両親は主治医と話し中で個室のためもあり、この瞬間を

        垣間見た者は誰もいなかった。

        初めて顔を合わせた父親はの言うとおり、家族を省みない仕事人間ではな

        く主治医の話し合いに行く途中、手塚に振り返って娘をお願いしますと

        言って頭を深く下げる。

        その髪は大分白一色に染まっていた。

        彼女の話によれば、まだ五十代に入ったばかりである。

        愛する家族のために、命を削るように働き続けているのではないかとそん

        な思いが過ぎった。

        (頼む。起きてくれ!……っ!!)

        淡い祈りを唇に籠める。

        そうすれば、今にも彼女の苦しそうな息が漏れてきそうだから…。

        「んっ…」

        「っ!?」

        一瞬、幻聴に思ったが、それにしては彼の耳を甘く掠めた。

        「手塚……君」

        唇を放すと、彼女がこちらを見つめているのに気づく。

        「っ!?戻ってきてくれたのか!」

        「うん……ごめんね。あなたと約束したのに……」

        「そんなことはどうでもいい。体の具合はどうだ?」

        「大丈夫だよ。私、ずっと見ていたよ。…ありがとう、私を待っていてくれて」

        彼の頬を空いている右手で擦った。

        「そんなこと誰だってできる。が戻らなかったら俺は…」

        「私、あなたにもう一度会いたいって泣いちゃった」

        あの時を思い出すと、うっすらと涙が耳の当たりに落ちる。

        「もう一度なんて思わなくても、これから何度でも会えるだろ?」

        彼はそれを長い指で拭った。

        「私も手塚君のこと愛しているよ」

        彼女は頬を染めて言う。

        彼が言ったあの言葉をどうしても口で返したかった。

        上半身を起こすと、大丈夫かと背中に手を回して支える。

        「大丈夫だよ。ありがと、手塚君。……っ!?」

        彼の方へ微笑みを返すと、いきなり抱きしめられた。

        「手塚君?」

        「…もう、……どこにも行くな」

        「……うん」

        胸の中に顔を埋めながら囁くような声を聞く。

        「愛している」

        「手塚君…」

        彼の顔見上げると、自分を見つめていることに気づいて俯こうとした。

        だが、左指がそれを許さず顎を捉える。

        「……」

        「が……欲しい」

        疑問を与える前に唇を奪った。

        「んっ」

        手塚が彼女を強く求める度、角度を変えながら確かめ合う。

        「んっ……手塚君……」

        背中に回した手で制服のワイシャツを強く掴んだ。

        「私も……あなたのことを愛してる」

        「…」

        再び抱き合い、彼女はある種の覚悟を決める。

        彼の後頭部を押さえて自らの胸に押さえつけた。

        「なっ!?」

        「抱いて……」

        「何を言っているんだ!自分の状況をわかっているのか?」

        「わかっているよ。でも、私は至って元気だよ。だから……」

        「いや、わかってない。頼むからそんな無茶なことを言わないでくれ」

        そこから脱出した手塚はの両肩を掴んで見つめる。

        その瞳から何かが感じられそうで首を縦に振るしかなかった。


        「わかった……。ごめんなさい、無理を言って」

        「いや、お前が俺のためを思って、言ってくれたのだからむしろ嬉しい。

         もっとも、回復したら保証しないがな」

        最後に近づくと、悪戯っぽく微笑んだ顔が嬉しくて強く抱きしめる。

        「「愛してる」」

 

 

 


        ―――…終わり…―――

 

 

 


        ♯後書き♯

        久々に手塚君を書いてみました。

        いや〜…、前回の作品に続き長ったらしい作品になりました。()

        最後がヤルならヤレよって終わり方ですみません。(反省)

        私的には、再び悪夢に戻ってきた所から『テニプリ』のサントラ『夕暮れ』

        をバックになさってお読み下さるのがお勧めです。

        只今、サントラを聞いているのですが、『夕暮れ』が一番気に入っていま

        す。(と言うよりも、泣けました)
 
        このような作品でも宜しければ、ご感想をお寄せ下さい。