俤〜あなたはもう、いない…〜
青学に入ってから三年目の夏が来た。
『夏』といっても、『初夏』のためまだまだ季節は安定しない。
暦の上では領域に達しているものの、今は五月。
時折、肌寒いことがまだまだあった。
今朝は何事もなかったかのように晴天だが昨夜、集中豪雨があったことを
どれくらいの人間が覚えているだろう。
「ったく、良くこんな日に朝練何てやってられるわね」
そう、ぶつぶつ言いながら窓際の席から男子テニス部のいるコートを
見る少女がいた。
彼女の名前は。
机に右肘を頬杖した状態である人物に視線を釘付けにしている。
その人物とは…。
「きゃっ!?」
「なぁ〜に、朝っぱらから鼻の下伸ばしているのよ。あんたは」
急に後ろに束ねた髪を引っ張られ、は小さく叫んだ。
「んもぅ〜、何するのよぉ」
後頭部をさすりながら振り返ると、腰に片手を当てた親友の因幡那智が
鞄を抱えてこちらを見ている。
「何だとは、ご挨拶ね。あんたがいつまで経っても寝起きの悪い顔を
しているから、私が覚ましてあげただけよ」
「ふんだっ。それはどうもありがとうございました。でも、これは
生まれつきの顔よ!ほっといて頂だい!!」
彼女から顔を逸らすと、今度は顎を掴まれぐいっと元の位置に戻された。
「そうはいかないわよ。大体、乾のどこがそんなに良いの?顔やルックス
なんて手塚や不二達の方が数段上でしょうが」
「意中の相手」それは、乾である。
「ちょっ!ちょっと声が大きいって。こんなこと話しているのは、
那智だけなんだからね」
「…あいつを狙っている奴なんかいないって」
「乾君を馬鹿にしないでよ!私は本気で彼のことがっ」
「……俺が何だって?」
その声で我に返り、クラスのみんなが一斉に視線を寄せていることに
気づいた。
しかし、彼女が言葉を失ったのはそんなことではない。
「い、乾君っ!?」
朝練のせいだろうか、彼はラフな出で立ちでを直視する。
「なっ……何でもない!ごめんなさいっ!!」
そう言うと、彼女は那智の腕を掴んで教室を駆け出していった。
彼の顔を見ただけで赤面してしまい、胸がドキドキしてくる。
「ちょっ…っ!!ってば!!」
「あっ、ごめん」
あの場から逃げ出したいと思って腕を掴んだ彼女のことをすっかり
忘れていた。
「ったく。好きなら好きってコクれば良いじゃない」
放されてぷいっと顔を背けてからぼやくように言う。
「無理、言わないでよ。今だってこうして逃げてきたわけだし」
「じゃあ、このままで良いの?」
「うっ…」
「来年はいよいよ卒業かぁ」
「〜……那智ちゃんがいじめるよぉ」
彼女にそう言われて涙目になるが、確かにもう、時間はなかった。
季節は期末を越え、既に夏休みを待つばかりである。
それが過ぎてしまえば、二学期が始まり大晦日の深夜を迎えてしまえば
いよいよ、卒業式までのカウントダウンが始まってしまうのだ。
「…でも、勇気ない」
「『成せば成る』って言うでしょうが。それに砕け散ったら私が
慰めてあげるから」
「もうっ!人の気も知らないで!!」
手を振り上げるから身を翻し、携帯の画面を見る。
「私とジャレていたいのは十分解ったけど、もう直ぐHR始まるよ?」
「げ。それを先に言ってよ…って、あぁ!?ずるい、待ってよ〜!!」
彼女が腕時計を確かめている内に自分のクラスへと駆け出していた。
その後ろ姿を追うようにもまた走る。
入学してから三年間、同じクラスだった彼女は、乾に俤を見ていた。
それは彼女がここに越して来る前、小学五年生の頃だ。
当時、には想いを馳せていた異性がいた。
彼の名は、有馬航。
小学生としては個性的なキャラで、一人で行動することが多かった。
しかし、もう直ぐ卒業と言う所で彼は交通事故に遭い、運悪く即死。
いつもと変わらぬ朝を迎えた彼女は家に帰るなり声を上げて啼いたことを
まだ思い出に出来ずにいる。
両親の都合で青春台に越してきたは、しばらく笑う事が出来なかった。
青学で有馬に瓜二つの乾と出会い、次第にそれを取り戻していった。
だが、次第に、彼自身を見ていた自分に気づく。
いつものように誰もいない放課後。
彼女は教室からテニスコートを眺めているのが日課だった。
「…」
すると、後ろからいきなり声を掛けられる。
「っ!?」
驚いた彼女は一瞬体を硬直させた。
「乾君っ!?」
窓越しに体を預けたまま振り返ると、ジャージ姿の彼が立っていた。
いきなりのことで言葉が出ないには、お構いなしに親近距離まで近づく。
「なっ!?」
「どうして俺を見ているんだ?」
急にそんなことを訊かれ、視線を泳がせていると、乾が窓越しに
両手を置いた。
「なっ、何でこんなことを」
彼女はその中でパニック状態だが、彼はいったって真剣な表情だ。
「今朝のように逃げられちゃ困るからね。さ、何で俺を見ているのか
答えてもらおうか?」
「もしかして……私、……乾君に迷惑かけちゃったかな?」
鼓動が苦しかった。
ひょっとすると、このまま気絶をしてしまうのではないかと心の中で思う。
彼は深くため息を着いて眼鏡をずり上げた。
それが西の空で茜に染まる夕日を映して光る。
乾の真剣な顔を見て入れないが俯こうとすると、呟く声が耳に入った。
「俺がどうとかじゃなくての気持ちが知りたいんだけどな」
「えっ?」
勢い良く顔を上げると、彼は背中を向けて廊下の方へと歩き出している。
歩幅も大きい乾は既に教室を出ようとしていた。
「待って!」
そう叫ぶと、急いで駆け寄って彼の背中を抱きしめる。
「っ!?」
「ずっと、乾君が好きだったの!!」
遂に言ってしまった。
清潔感漂う真っ白なT−シャツの裾をぎゅっと掴む。
高鳴る鼓動が彼に伝わってしまいそうだ。
「だからっ、……だから……ずっと、あなたのことを見ていたの」
「…それは、俺じゃなくて有馬航に?」
「どうしてそれを!?」
驚きと同時に手の力が抜け、乾の長身の体が彼女へと振り向く。
「俺が調べていないと思った?君の事はずっと見ていたからね。データの
一部にさせてもらったよ」
ずっと見ていた。
その言葉が白紙に近いの頭に残る。
彼に、知られてしまったことにショックを受けた彼女は、その事実を
確かめるように後退りをした。
「私……最初は、彼にそっくりなあなたに俤を見ていた。でもっ!
それは段々見えなくなったの。あなたに恋していたから!!」
口調を激しくする度瞳から涙が溢れてくる。
目の前にはぼやけた乾が何でもないといった風に立っていた。
「…っ……ごめんなさい。泣いちゃって……私、帰るね」
手の甲で瞳をこすると、鞄を取りに行こうと走りかける。
「待て、」
「へっ?」
再び涙腺が緩みだした目を気にしながら彼の方へ振り返った。
ふわっ…。
一瞬で、彼が背中に腕を回す。
彼女は胸の中にいることが信じられなくて暫しの間黙っていた。
「さっき、俺が言ったことちゃんと聞いてた?…俺、ずっと君の事が
好きだった。だから、のことを調べた。どんな奴よりも理解したいから」
「乾…君……、嘘じゃ……ないよね?私、「両思い」だって思って
良いよね?」
頬に涙をこぼしながら彼の顔を見上げる。
乾はそれを指で拭い、不意に悪戯そうに笑った。
「あぁ、俺も断れたんじゃないと思って良いよな?」
「うんっ!」
そう言うときつく彼の背中に腕を回す。
ずっと来たかったこの場所がどんなことよりも嬉しかった。
「…顔、上げて」
乾にそう言われ、瞬きをしながら見上げる。
「……キスしたい」
いきなりそんなことを言われて放心状態になった。
「良いよな?」
彼の顔が至近距離に近づいてからそう訊いて来る。
「……でも、恥かしい…」
「大丈夫。誰も見ていない」
そう言うのが早かったか、の唇を奪った。
「んっ」
夕焼けに染まる誰もいない3年11組の教室。
一つになる二人はお互いの気持ちを言葉で伝えられない分、それで
伝え合う。
思わず息が漏れると、乾の顔が離れていった。
「好きだ」
「…私も」
二人は再び唇を重ねる。
3年間の時間が嘘のように消えていった。
「でも、キスする時ぐらい眼鏡、外して。当たって痛いから」
「嫌だ。全く見えなくなる訳じゃないけど、お前の顔が見えにくくなる」
「……ケチ。それじゃあ、あなただけキスしている時に私を見ている
ようでやだな」
部活終了後、二人は彼女の家まで歩いている。
本当は途中までと言う約束だったが、夜道は女性に危ないからと結局、
彼に押し切られてしまった。
「何、言ってんだか。俺が、緊張してないと思った?」
「えっ?乾君でも緊張することがあるの?」
「当たり前だよ。俺、初めてだったんだからな。……アレ」
彼の顔を覗き込み、先程の出来事を思い出し今更ながら赤面する。
消え入るような声で、私もと言った。
「……そんなに俺の眼鏡、外した所見たい?」
「別に、良いよ。そんなに嫌なら」
「いや。もし、見られるとしたら……そうだな、ベッドで抱く時だろうけどね」
「いっ、乾君!?」
「……、キスして良い?」
「もうっ……そんなこと訊かなくったってするくせに」
二人は再びお互いを抱きしめて唇を奪い合った。
―――・・・終わり・・・―――
♯後書き♯
遂に書いちゃいました。
乾ドリ。
いや〜、初めてにしては随分、強引な彼に仕上げてしまいました。(汗)
腐女子で、すいません。(滝汗)
もしも、その時が来たら彼は本当に眼鏡を外すのでしょうか?(笑)
作っている本人が疑問に思っていると次回書きたくなります。(爆)