折れた翼で抱きしめて




      『佐伯先輩っ!これ受け取って下さい』


      『えっ?俺に?』


      『はいっ!』


      今日から神無月がやってくると、ここ六角中学校では毎年の恒例行事が同時に

      やって来る。

      とは言っても、が目にしたのは今年で二年目であって、その以前からこの噂が校内に

      存在していたかは確認のしようがない。

      だが、去年の放課後も一人の少年を取り囲んで数名の女子生徒が手にしている

      ラッピングの色が煩い包みを頭上に掲げて頬を朱に染めている。

      それに噂に寄れば慣れているはずの彼は献上品に囲まれ少し困ったように眉を潜め、

      苦笑いを浮かべた。

      色素の薄い髪が夕映えの色を映し、首を傾ける度に反射してまるで金髪のように

      見える。

      それをテニスコートの真向かいにあるプールの柵から息を殺して見つめている

      の瞳にはこの時期特有の季節が宿ったのか、唇を噛むことで胸のざわめきをどうにか

      抑えているが、今にも泣き出したい気持ちでいっぱいだった。

      秋風が校内に植えられた落葉樹の枯れ葉を浚い、誘いの言葉を部活帰りの佐伯の前髪に

      も投げかけるが、それはさらさらと靡くだけでまるで見送っているようだ。

      彼は優しい、困った顔をするものの誕生日プレゼントを受け取り笑顔で礼を口にする。

      言われた方は大抵この黄昏に似合わない黄色い声を上げて走り去り、仲間内で

      勝ち鬨を上げる。

      その場に残された佐伯はやれやれと言った風に笑い、彼女を置いて少女達が消えて

      いった正門に向かって歩き出す。

      その長く伸びた影法師でさえ見えなくなってようやく息を吸ったかのように口を開けば

      熱い息が漏れ、堪えていた純情が雫となって頬を一つ二つと伝い落ちた。






      六月に衣替えや遅い梅雨入り宣言が朝テレビで予報士の中年男性がやっと言えたと

      言うような呆れ顔で映っていたかと思えば、期末試験の準備で追われていたらあっと

      いう間に七月がやって来ており、今日はもう二十五回目の誕生日を迎えている。

      最近、クリスマスケーキと言う言葉が身に染みており、今では冗談としては笑えない

      ようなことをぼそりと呟く両親の言葉が胸に痛い。

      それでも自分にはまだ忘れない人物がいるし、職場の同僚はほとんど既婚者だし

      その前に上げるべき大きな原因としては勤め先が中高大エスカレートの女子校だから

      だろうかと、分析している。


      「せんせーい!ここ教えてっ!」


      「ん?どれのことだい」


      「ここ、ここっ!今日教えてもらった所なんだけど」


      授業終了のチャイムが鳴り終わり、三年の教室から引き戸を開けて出てきた青年を

      同じ教室から小走りに追いかけて現代国語の教科書を開いて掲げた。

      彼の方はどれと言ってそれを手に取り、彼女が言う場所を見た。

      長い廊下に一人目立つ長身が立ち止まっていると自然の摂理なのか、何人もの女子生徒

      が集まりその中にはわざわざ自分の教室から教科書を持ってきた者までいる。

      しかし、次に受け持ち授業があるにしろないにしろチャイム着席は五分後に鳴り響く。

      老若男女問わず教師は生徒が求めるポイントを的確に指し示すと大抵は爽やかな笑顔で

      交わし、彼女達の群れを過ぎり階段にこちらに向かって歩いてくる。


      「やぁ、先生。あなたも授業が終わった所ですか?」


      「え、えぇ…それにしても相変わらず人気ですね」


      できるだけさり気なく手すりに掌を置いて三段くらい下りた姿勢のまま振り返ったが、

      どうも声が上擦ってしまう。


      「あはは、お恥ずかしい。でも、一時期的なモノでしょう。俺が周りの職員の

       先生達より若くて独身だから年頃の少女である性がそうさせるのでしょう」


      「ふふっ、またご謙遜を」


      「本当のことですよ。それより、先生は四時間目授業ないんですよね?」


      反響する階段に使い古したサンダルの音が少し響いたが、彼女の胸の中では違うモノが

      早鐘を打ち鳴らし、頬が正直に熱を発してしまい不自然すぎないように顔を背け

      階段の踊り場まで降りてからまた振り返ろうと思ったが、さすが元運動部所属と言おう

      かすぐに追い抜かれ反対に出迎えられる形になってしまった。


      「え、えぇ…」


      色素の薄い髪がいつかのように揺れて胸がチクリと傷んだが、出来るだけ平静を

      装い手にしていた古文の教科書をわざと持ち替える。

      先程、女子生徒達に向けていた笑顔で聞かれ思わず熱を顔に出してしまい、瞳を背け

      て無理矢理何でもないように言ってみるがその動作は一目瞭然だった。


      「良かった。俺もないんですよ、良かったら一緒にお昼にしませんか」


      「ふふっ、早弁のお誘いですか?」


      「そう言うわけではないのですが……」


      「冗談ですよ。でも、そうですよね。もうすぐ夏休みの準備でろくにお昼を摂っている

       暇はないですからね」


      まいったなとでも言いたそうな顔で髪を掻き上げる真似をし、じゃあ行きましょうかと

      階段を二人で降りた。






      房総半島の一角にある六角中学校は二人にとって母校であり、彼は一学年上の

      先輩だった。

      本人は知らないだろうが、入学する前から何かと有名だった佐伯の誕生日当日には

      ファンの女子生徒が貢ぎ物を渡すのが恒例になっていた。

      彼の優しさを彼女達は知っていたのか、が把握している限りでは去年と同じ女子生徒が

      プレゼントを何度も渡していた気がする。

      彼女は言えば、許可が降りたプールで空を見上げるフリをして真向かいのテニスコート

      を掛ける少年の姿を追っていた。

      季節が巡ればスクール水着姿だったから目が合ったら最悪だったが、そんな心配は無く

      二年間はあっという間に流れ、あれから佐伯の姿を見ることも無くなったが、十年後、

      教師になった が勤める女子中学校の新しい現代国語の教師として赴任してきた。

      風の噂で一度はプロの世界には入ったが、その後、不意の事故で肩を壊して引退した

      と聞いたことがある。

      真意は知ることはできないが、なるべく六角中学校を思い出させるキーワードを

      極力控えた方が良いのではと入らぬ心配をし、また彼女としては再会だが、彼にして

      みれば一度も口の聞いたことのない後輩の一人である自分を知っている訳ない。


      『佐伯です。今日からよろしくお願いします』


      『あっ……です。こちらこそよろしくお願いします』


      握手を求められて恐る恐る差し出した掌が男性特有の大きな手に掴まれ、声が上擦った

      が敢えて「初めまして」を選んだ自分にぐっと来て女子職員用トイレに隠れて泣いた。






      「誕生日おめでとう、私」


      仕事帰りに行きつけのバーに寄り、一人カウンターの中央に腰を下ろしオーダーした

      マティーニのグラスを唇に傾けて飲む。

      学校帰りに酒を煽ると言うのもなかなか妙な話で、就任してまだ間もない頃は躊躇って

      はいたが、前に一度同僚の教師達と来たことがきっかけでここに寄ることがある。

      他のカクテルも大体そうだが、逆三角形の洒落た小さな芸術品が好きでアルコールが

      強い訳でもないのに、何かがあると足を運びメニューを開く前に喉が選んでしまう。

      それほどカラカラに乾いていると言う訳ではないのに、オーダーして数分して目の前に

      出された小さなグラスを見ると一口含みたくなるから不思議である。

      淡い黄色がオリーブを包んでいるのが有名で、「カクテルの王様」と呼ばれていると

      言うのも頷ける。

      少し揺らしただけで小さな毬藻のような実がカラカラと回り、それだけでも清涼が

      感じられ、クーラーが程良く効いたこの場所にもう少しいたいと思わせる。

      今日でもう、25歳になってしまった。

      普通の人から見ればまだ若いと言われるだろうが、後五年もすればもう三十路。

      呑気に誕生日を喜べない歳になってしまったのは、あまり喜ばしいことではない。


      「結局、今年も言えなかったなぁ…」


      ぐいっと一息で飲み干し、おかわりをオーダーし終わってから頭がクラクラして

      いることに今更気づいて両手で額を抑える。

      あれから五年経ったというのに、まだアルコールには免疫がないらしい。

      中学から始めた水泳を大学でも続けていたのだが、この学舎にもなるとさすがに様々な

      世代が入り交じり、何かの拍子に飲み会を開く機会があるのだが、その時飲まされた

      ビール一口だけでのびてしまった恥ずかしい経験がある。

      これは自重した方が賢明というモノだろう、オーダーを取り消しイスから腰を上げた

      の目の前に先程キャンセルしたはずのマティーニが軽い音を立てて置かれた。


      「あのっ……さっき私がオーダーしたマティーニは取り消したはずですが」


      「そうですが、あちらの男性が是非あなたにと仰いまして」


      「私に?」


      お客の一人である彼女にさようでございますと言って軽く一礼してからカウンターの

      奥に消えていった。

      ここは居酒屋とは違い気が利くのか、色恋沙汰や改まった話し合いなどがあると

      気を利かせたマスターがオーダーや会計が無い限り五分くらい奥に行っててくれる。

      二十五年間男っ気がない自分にわざわざこんな手回しをしてくる人物は一体どんな顔を

      しているのだろう、まだ酔いに溺れていない瞳を彼に指定された席に向けた

        思わず掌で口を覆うのを忘れてあっと呟いてしまった。


      「こんばんは」


      「こ、こんばんわっ!」


      同じカウンターに座っていても彼女とは違い、入り口に近いイスに腰を下ろし

      小さいグラスとは言え、カクテルグラスとは比較にならない大きさで中に入っている

      のはウィスキーかブランデーだろうか茶色くカランと軽い音を立てて氷が溶けた。

      彼は自分と違ってアルコールが強いのだろうか、そんなどうでも良いことを考えていた

      ら鼻に先程飲んだオリーブの香りが付いて軽く咽せた。


      「どうしたんだい?もしかして、酒はあまり強くないとか?」


      「……はい、…お恥ずかしながら」


      「全然恥ずかしくないよ。でも、そっか……じゃあ、俺のプレゼントは迷惑だったね」


      「い、いえ!」


      ごめんねと言いそうな勢いがイヤで、ついテーブルにあるお馴染みのオリーブの

      実が上品に淡い黄色に沈んだマティーニを一気に飲み干し、空になったカクテルグラス

      を小さな店内に響かせるほどの大きな音を立てて戻した途端に浮遊感が体中を覆い、

      遠退く意識に誰かが自分の名を呼ぶのが聞こえた。






      「にはもう、アルコールは飲まさない方が賢明みたいだな」


      「うっ……ごめんなさい」


      土日の車道は平日よりも混雑する、もうすぐ夏休みが始まる所為かただ信号待ちして

      いるだけなのに、往来する人と車の多さで昨夜とは違う酔いが彼女を襲っていた。

      少し銀色に近い小型車の助手席に座りながら身を縮めるにくすりと笑い、事前に

      この交差点の待ち時間が掛かることを調べてある佐伯はハンドルに凭れるように姿勢を

      低くすると彼女の名を呼び不意打ちにキスをする。

      ご想像にお任せするが、会計を済ませてから半ば浚うみたいにその場を後にし、

      一人暮らしをしている彼の自宅に。

      中学時代からのことは知っていた。

      プールがテニスコートの真向かいにあったこともあるが、目立たないが地道に

      記録を伸ばしているルーキーが入ったとクラスメートの水泳部の友人が自慢していた

      のを覚え、部活が休みの日に本人の知らぬ間に練習している姿を覗き見て恋に落ちた。

      勿論、が自分に好意を向けていることも知っていたが、もっと自分のことしか考えられ

      ないようにしたくてそのまま告白をしないで中学を卒業したのが罰だったのだろう、

      大学卒業後にプロに入って何年もしない内に肩を壊してしまった。

      初めは人並みに恨んだり後悔をしたりしたが、大学時代に何かあった時の為に取得して

      おいた教諭免許のおかげで彼女の勤め先の女子校に赴任することが出来たし、

      何より一年後の今は の実家に向かって車を走らせている。

      彼女に言わせれば、恋人が出来たらまず連れてくることと口酸っぱく言われている

      らしいが、佐伯にしてみれば結婚の許しをもらうつもりでスーツで決めてみた。

      その事実をできたてほやほやの恋人はまだ知らず、心の片隅にしかその可能性を

      想像していないだろう。


      「一日遅れたけど、誕生日おめでとう……


      制限時間がやって来て青になった信号の命を受け、若葉マークが取れたばかり

      の新品の車を走らせる。

      翼は折れてしまったが、これからはその翼で愛しい君を抱きしめていよう。

      願わくは、このまま俺だけをその瞳に宿して欲しいから。









      ―――…終わり…―――

      #後書き#

      こちらは、平成十九年度「サイト四年目企画」作品としてUPしました。

      二日間で作って雑なんですけど、慌てて作ったので読んで下さると嬉しいです。

      それでは、ここまでご覧下さり誠にありがとうございました!