青空の下でまた君と逢いたい




           『……先輩のことが好きですっ!』


           三月十八日、この日は今も色褪せることなく覚えている。

           まだ桜の蕾は硬く閉ざされていたが、その代わりにブレザーの左胸に咲いた花は

           どんな華やかなモノよりも輝いており、それを付けた者は何らかしらの夢や希望という

           モノを抱いていただろう。

           その日は三月としては寒く、先月に逆戻りをしたかと思うほど大気は凍え肩まで

           伸びた色素の薄い髪が風に弄ばれて頬を突き刺すような勢いで撫でなければ、頬が

           熱を帯びていることに気が付けないでいただろう。


           『……好き……です』


           目の前にいる彼は今にも泣きそうな顔でもう一度、同じ言葉をくれる……だけど…。


           『…私、子供には興味ないの』






           GWも終わってしまい、夢から覚めた現実には大人になりきれない子供に中間試験

           一週間前と言う辛い悪夢が待っていた。

           全ての部活動は勿論のこと、氷帝学園高等部の午後も点数の知れている藁半紙のために

           カットされてしまったが、大抵の生徒はこう言う時だけは大人しく教師の言うことを

           聞いて正門を後にするのだからいつの世も子供というのは現金である。

           しかし、一人の女子生徒だけは教室で何人かの友達と別れると荷物を抱え、彼女達が

           何か話しながら昇降口に向かって階段を降りて行くのを耳で確認してからそれとは

           別の階段を足音に注意しながら上がっていった。

           普通の真面目な優等生タイプならば、自室の机に齧り付くか優雅に図書館の密室で

           教科書を広げたりするのだろうが、彼女だけは違った。

           根が体育会系だからだろうか、どうも空気が密閉された所は返って落ち着かない。

           実は教室に居る時もストレスを感じている方なのだが、それは少女特有の担当教諭の

           視界を潜って何人かの友達とする手紙が大きく影響している。

           天気の良い日は寒かろうと暑かろうと空気の入れ換え上、ガラス窓から風が迷い

           込み教室を巡回してまた、空へと還って行く。

           あまり強すぎるのも問題だが、達にはそれもまたスリルのある一種のゲームだ。

           その所為か、走り書きが大分上達したような気がするのは本人だけではなく、定期的に

           授業終了後に集められるノートに書き零した点が一切ない彼女は最早太鼓判を押され

           て居ると言っても過言ではない。

           音を殺して最上階まで辿り着くと、目の前には避難訓練時に閉められる各階事にある

           シャッターよりも如何にも丈夫そうにできた鉄製の扉が行く手を塞いである。

           だが、厳めしい外装の割には自由な校風が売りなのが、我が氷帝学園高等部だ。

           ドアをがむしゃらに押すと、さすがに重々しい音が階段中に響くが先程と同様に

           少しずつ前進していけば良いだけの話だ。

           一般女子生徒の拳くらいの大きさずつ広げた隙間からは教室とは明らかに違った風が入り

           込み、いたずらなそれは制服に覆われた年頃の熟しきっていない足にまとわりつく。

           膝丈のスカートが捲れる前に隙間に体をねじ込み、その勢いでドアに凭れノブを

           捻ったまま押し返して閉めた。

           ため息を一つ吐き捨て、同時に閉じた瞳を再び開ける。

           目の前に広がるのは、風の音に包まれた青空だった。

           屋上のあちこちには昨日まで降り続いていた雨の所為で、何箇所か水溜まりが

           出来てある。

           その一つ一つの水面に映る碧を跨ぎ、四限の時刻まで乾いた場所を探すが見つからず、

           仕方なくいつもの給水塔の上に軽くジャンプして飛び乗りその上に寝転がった。

           仰げば、その先に空と白雲に囲まれた太陽が眩しくこちらを見返してくる。

           まだ真新しい今年の卒業式から日に日に強くなったそれの所為か、背にしている

           給水塔のタンクも何だか温かく感じる。

           今頃、クラスメート達は「腹が減っては戦は出来ん」とか言って、思い思いのランチ

           タイムを過ごしていることだろう。

           現に、の空腹も脳に煩く響かせているがまた無茶なダイエットを始めたのか痩せ

           我慢をしているだけなのか、珍しくその命令を聞かないフリをしてまた瞳を閉じた。


           「君のことがずっと好きだった」


           記憶にまだ新しい声が瞼を下ろせば、暗闇の中から聞こえてくる。

           最近、床に就く時も目が覚める時も彼女が気を緩めるといつもこの言葉が脳裏に

           再生され、恰も今まさに耳にしているように錯覚させる。


           「……ごめんなさいっ」


           それにつられてワンテンポ遅く、謝罪を口にした声が聞こえてきた。

           もう、うんざりするほど耳にしたがいくら再生したとしても、あの日の風の音と

           暖かさを覚えている内は彼女にとってこれは覚めない悪夢だ。

           目の前には、今年の三月に氷帝高等部を卒業した先輩が立っている。

           容姿端麗でその上、文武両道と来ればほとんどの女子生徒の憧れである彼が制服のボタン

           を誰に渡すのか、のクラスでもちょっとした話題になっていたがその矛先が

           まさか自分だとは自信過剰な人間しか想像しないだろう。

           まだ大人になりきれてない自分にとってこの人物は眩しすぎるくらい大人で、自分には

           到底持ち合わせられない素材を兼ね備えている逸材だ。

           …でも、答えは考えるまでもなく決まっていた。

           校内にちらほらと咲く小降りの梅の花が眩しすぎて涙が出た。

           情を込めた瞳でこちらを見てくれるが、その先にいる自分はただ泣くことしかできない。

           きっと、この場に監督やスタッフが数歩下がった所から見ていたら黄色い声を上げて

           中断させ、同時にこちらに早足で近づいて来て大分使い込んだメガフォンで力強く頭に

           振り下ろされただろうが、現実には一美形卒業生と一在校生のの二人しかいない。

           なのに、耳が全身の神経を二年前のあの日に遡らせ、目の前に居るはずの自分より

           背の高い先輩からまだどことなくあどけなさが残る少年が今にも泣き出しそうな顔で

           こちらを見つめているように錯覚させる。


           『……先輩のことが好きですっ!』


           彼の薄い唇から熱を帯びた言葉が向けられた瞬間、あの子と被った。


           『……好き……です』


           そんなことを言わないで欲しかった。

           梅の香りが鼻を掠めるほど嗚咽が喉を責め軽い呼吸困難を起こし掛けたが、突然

           差し出されたハンカチに驚いてみっともなく一度大きく体を震わせてしまった。

           他でもない彼に式後呼び出された屋上には勿論、二人しかいない。

           だから、敢えて確かめなくてもハンカチを差し出してくれたのは先輩だと知って

           いるにも関わらず、その反動で顔を上げてしまった。

           今、彼の顔を見たくない。

           あの少年は泣いていたから。

           しかし、彼は年上だしその前にそんなか弱い性格だとは思っていないが、それが

           トラウマになるのには十分すぎるほどの威力があった。

           何故ならば、彼女も……


           「そっか…ありがとう。答えてくれて……泣かせてごめんな」


           「えっ…?」


           返さなくて良いから、と青いチェック柄のハンカチを握りしめさせ重たい鉄の扉の中に

           姿を消していった最後に見た彼の顔は満面と言えないが、笑っていた。

           生まれて初めてと言うわけでもないのにその反応に拍子抜けしてしまい、その背が

           ドアの中に消えても莫迦みたいに数分間立ち尽くしていた。






           まるで、長い夢でも見ていたかのように目を開ければ、やはり給水塔に上った時と同じ

           太陽が眩しく空を照らしている。

           あれから大分時間が経っただろう、気だるそうに右腕を仰ぐように伸ばし手首に

           巻いた腕時計に視線を走らせたが、それほど針は進んでいない。

           何だか、空腹状態で白昼夢を見ていた気分だ。

           空に伸ばした手は誰を思い浮かべていたのか、違和感もなく風を掴んでいた。

           …泣かしたかった訳ではない。

           今のように決して温かかった訳ではないけれど、息が凍えるほど寒かったと言う訳では

           ない風に銀色の柔らかそうな短髪が気持ち良さそうに靡いていた。

           自分よりも二歳年下の鳳長太郎は当時、がマネージャーとして所属していた

           男子テニス部の期待の新人だった。

           最初は可愛い弟のような存在だったのに、夏休みが終了する頃には同じ身長になり

           秋が深まる頃には声変わりが始まっていた。

           間もなく引退をしなくてはならなくなり、そんな人によってはどうでもいいささやかな

           変化を見られなくなって初めて彼を異性として意識している自分に気がついて幻滅した。

           今まで、自分は同い年の男子が恋愛対象だと思っていた。

           あれから半年は過ぎたが、入学仕立てでまだまだ青い中学一年生君を本気で意識して

           いる自分が情けなかった。

           現実では男女問わず年の差カップルがいるのだからと開き直れるが、年上の方が

           自分だと思うとなかなか受け入れがたいモノがある。

           クラスの女子と比べたら、鳳自身の好みを考えたら、等々悩みは尽きることがない。

           初めから負け戦のつもりでいたのに、卒業式後、教科書とか自宅に持って帰っている

           はずの机の中にメモ用紙みたいな紙がキレイに一回折られて置かれてある。

           『卒業式後、屋上で待っています。 鳳 長太郎』

           今まで自宅に持って帰らなかったなんて余程最悪な点数を取ったテストだろう、

           そう思い廊下で待っていた友達を先に帰らせ、恐る恐る掌でそれを手繰り寄せたが、

           開いた途端、鳩が豆鉄砲を喰らったような酷い顔をしてその字を見ていた。

           何故、彼が今日来ているのだろう。

           確か、今日は日曜でしかも、在校生代表でもない一年は自宅学習のはずだ。

           遠い昔の自分を遡って考えてみても理由は思い当たらない。

           だが、何度か見たことのある鳳の直筆に間違いない。

           いくら成長したかは解らないが根が優しい子だ、きっと、最後の挨拶に来たのだろう。

           痛む心を抱いて指定された屋上の扉を開けた。

           重い鉄が錆びた音が耳に煩く響き、その先には青空の下に一人の少年が立っていた。


           『……先輩のことが好きですっ!』


           彩りを覚えた頬はまだコントロールが利かないのか、少しオーバー過ぎるほど透ける

           ような肌を朱に変えていた。

           しかし、…そんなことを言わないで欲しかった。

           ここで自分も好き、と言えたら、どんなに楽だろう。

           だが、現実は本能よりも理性を選んだ。

           彼はまだ中学一年生だ、年上である自分に抱いている憧れを好意を間違えている。

           先輩らしく丁重に断らなくては…。

           しかし、唇から零れたのは理性よりも単純な本能だった。


           『…私、子供には興味ないの』


           自分の言ったことに驚いたが、もう、遅い。

           目の前にいた少年は外見が成長しても心までは年相応のままなのか、泣きながら

           足早に去ってしまった。

           恐らく、鳳にしては初めての告白で最初の失恋なのだろう。

           見た目も根も良い子だ、今までに告白された経験がないとは言い切れない。

           だが、自分はそんな彼を振った。

           他でもない、あの少年のために…。


           「あ」


           気がつけば、一筋頬を伝い年期の入った給水塔の上に落ちた。

           あれから二年の月日が二人の間に流れたが、まだ彼のことを想い続けている自分に

           呆れて言葉も出てこない。

           どちらかと言えば、体育会系で物事を深く考える前に行動するタイプである

           自分にこんな乙女チックな面があったなんて知っただけでも涙が出てくる。

           今年の卒業式と背合わせにしてやって来た入学式、鳳は新入生として出席した。

           それはたまたま当日風邪を拗らせて欠席していた彼女だが、桜の花びらが穏やかに

           舞い散る正門を潜った新学期、校内を流れる噂で知った。

           背が高いカッコ良い一年生が今年も入ってきた、とミーハーな女子生徒は今年も

           騒いでいたのを端から聞いていたが、はその輪には加わらなかった。

           評価に尾鰭が付いていなければきっと、恋人がいるに決まっている。

           その時点で自分が出て行ったとしても、記憶の端にあるのかも怪しい。

           ならば、自分で自分を傷つけるより本人に会うのは止そう。

           それは彼も同じみたいで、あれから一ヶ月以上経過したと言うのに教室を訪ねて

           来ることも廊下ですれ違うことすらない。

           避けられている、肌でそう解って会うことよりも惨めさを感じた。


           「……先輩」


           手の甲で涙を乱暴に拭い、まだ水気を孕んだままのコンクリートの上に軽く飛び移ると、

           どこか聞き覚えのある低い声が彼女を呼んだ。

           先程まで自分しかいなかった屋上には、どこか面影のある少年が一人立っていた。

           初夏の風に揺られて気持ち良さそうに靡いている銀髪が懐かしい気持ちにさせ、

           酸欠の金魚みたいにだらしなく口を開けてしまう。

           一方、彼の方は穏やかな風を蹴ってお構いなしにこちらへと近づいてくる。

           だけど、その一歩ずつは何かを確かめるような恐れるような弱々しいもので、一見、

           この少年が知らず知らずの内に醸し出している性格だと誤解しそうになる。


           「お久しぶりです」


           「ちょ、長……太郎っ君?」


           我ながら思う言葉が声にならなくて変にどもってしまい、自分に苛ついてきた。

           だが、気持ちが高ぶるほど次に何を言って良いのか解らず、後一歩踏み出せば

           至近距離に入る所で強がるフリをして彼に背を向けた。

           本人に気がつかれないように深呼吸をし、軽く息を吐く感じに声の調子を確かめてから

           頭に思いついた言葉をまだぎこちない唇は紡ぐ。


           「みっ……見違えちゃった。どうしたの、試験一週間前だって言うのにこんな所に来て」


           「…それは、先輩だって一緒じゃないですか」


           「煩い……知っているでしょ。私が屋上でテスト勉強すること」


           自分で言って何故、鳳がここにいるのか解りしばらく声が出なかった。

           中学三年の時、彼女が誰にも気づかれないように階段を上ってきた屋上には既に、

           ヴァイオリンを弾く一人の少年が来ていた。

           いつも年頃の男子生徒と同じく、がさつな声を張り上げて気合いを入れグランドを走り

           回っている姿とは当然違い、正確なリズムを刻む旋律はまるで歌っているように美しい。

           彼が演奏に夢中になっている間に帰ろうとした所でその旋律がぷっつりと止み、

           お互い妙に意識してしまい顔を合わせた途端に深々と頭を垂れてしまった。

           それがきっかけでが卒業するまで奇妙な勉強会が始めた。

           鳳にとってはセピア色の思い出だろうが、こっちは悔しいほど鮮明に覚えている。


           「あれから俺はテニスだけに集中してきました。……けど、先輩のことが

            ずっと忘れられなかった」


           短い悲鳴のような叫びも二人の他誰もいない屋上では響きもせず、ただ空に還るだけで

           意味もなかった。

           背後からまるで、壊れ物でも扱うような弱々しい力で抱きしめられる。

           品定めしている訳ではないが、彼くらいの年頃の男子としては逞しい腕だ、あの頃の

           面影は微塵も感じさせない。


           「一度フラレているくせに、って思われても仕方ありません……けど、俺はもう一度

            あなたに逢って言いたかったことがあるんです」


           「……何を?」


           息が詰まりそうな状態でようやく絞り出した言葉はそんな惚けたもので、自分が

           狡く思えてまた頬に熱を灯す。

           これでは誘導尋問だ、この体勢で次に鳳が何を言うかなんて答えを聞かなくても解って

           いるがその後どうすれば良いのか戸惑い、つい話の腰を折るような真似をしてしまった。

           しかし、彼はそんな意地っ張りな彼女の性格など把握しているのか熱に浮かされ

           ているだけなのか、妙な間を開けず新たな言葉を声に託す。


           「あの時、先輩にフラレて正直悔しかったけど……今の俺じゃあなたに相応しく

            ないって思い直して高等部に入学するまで自分を磨こうと努力してきました」


           声が文末を離したと同時に水音が耳に入り、鳳に促されるよりも先に後ろに振り

           返った先に待っていたモノから目が離せられなかった。


           「…先輩……俺、あの頃よりも大人の男になれましたか?」


           彼は水溜まりを気にせず跪き、彼女が瞳を反らせないように両肩を掴んでじっと見る。

           受け身の側としては、こんな体勢は酷すぎて何だか拷問を受けている気分だ。

           知っているくせに、と言いかけた意地っ張りな蕾に魔法が掛けられたのは同時だった。


           「……好き」


           一度離れた鳳の顔を引き寄せ、キスを強請る。

           昔話の真相をが語る頃には空の流した涙も乾くことだろう…。

           青空の下、また笑った君に逢いたいから……









           
―――…
終わり…―――









           #後書き#

           「青空の下でまた君と逢いたい」は、どうだったでしょうか?

           こちらは私の友人である「Nostalgic Sepia」の管理人様の蒼依様の「鳳Dream小説」と

           言うリクエストを頂いたので作成致しました。

           リクエスト作は久しぶりですし、それ以前に初めてキャラなので毎度ながら、迷いながら

           作業しました。

           簡単な構成図を元に書いたのですが、見直してみて柊沢としては珍しく甘酸っぱい

           爽やかなモノを書いたなぁと我ながら感心してしまいました。

           自画自賛ではなく、前作達が混沌としたものでしたしこのサイト自体鬱蒼として

           いますので、勉強をさせて頂きました蒼依様に感謝しております。

           それでは、長くなってしまいましたが、ご覧下さり誠にありがとうございました。