いつもの放課後。


      それは、私達にとって2人でいられるかすかな一瞬だった。


      君は、私の腕に寄り添い、心底嬉しそうな顔をする。

      私もそれに応えるように、彼女の頭を優しく撫でた。

      誰が見ているか分からないのに、君はいつだって私に擦り寄ってくる。

      甘えられている。頼りにされている。そんなのは、分かりきっていた。

      なぜかと言えば、私は、教師だからだ。


      理性


      …一体、いつまで俺の理性が持つのだろうか?

 


      彼女の名は、

      私のクラスの生徒だ。

      だが、それ以上に彼女のことを思っている自分がいる。
 

      もう、限界に近かった。

      しかし、彼女が寄せる『教師の氷室零一』の気持ちを裏切る訳に

      いかない。

      仮にも、私の大切な教え子であるのだから…


      『氷室先生』


      そう、私は教師だ。


      だから、こんな考えを持ってはいけない。
 

      『氷室先生…』


      分かっている。


      私は、彼女を愛し始めているのだと…。

      『先生。私、……氷室先生のことが』


      止めてくれっ!

 

      そんなことを言われた日には理性が保てなくなるだろう。

      しかし、それは現実となってしまった。


 


      昼休み。

      私はいつも息抜きに非常階段で本を読んでいた。

      ここだと風が心地良い。

      遠くで学生達の歓声が聞こえてくる。

      彼らの笑顔を守るために教師というものがあるのだと、私は常々思う。


      「…氷室先生」

      急に後ろから声をかけられ、私は一目散で振り返った。


      そこには、数学の教科書を持った彼女がいた。


      どことなく、頬を染めておずおずとしている。

      「。どうした?今は昼休みだぞ」


      私は危うく、抱きしめようとした想いを押し殺した。

      「今日やった所を教えて欲しいんですが、良いですか?」
  


      何を期待していたのか、私の中に安堵とともに落胆が起こった。


      気分治しにため息を一つ吐くと、ページを開いた。
 


      その時だった。


      何か、温かいものが私の右頬に触れた。

      「?」

      私が固まっていると、彼女が赤面しながら笑っていた。

      「先生……私、先生のことが好きです!」

      あまりのことに私は即答できず、そのままの状態を保っていた。


      目の前には遂に言っちゃったというような顔をしている少女。


      その瞳はどことなく、潤んでいるように見えた。


 

      …もう……限界だ。


      次の瞬間、彼女の両手首を片手で掴んだ。


      自分の手が大きいのか、の手首が細いのか勢い良く自分の胸へと

      引き寄せた。

      「きゃっ!……先生?」

      彼女はそんな行動をとった私のことを信じられない様子でじっと

      こちらを見ている。

      私はもう、理性なんて保てない。

      「……ったく…君は、大人をからかうとどうなるか知っているのか?」

      「かっ、からかってなんかいません!私は先生のことが……っ」


      真実を言いかけた彼女の唇を自分のもので塞いだ。
 

      最初は、瞳を大きく見開いていたが、私に見つめられるうちに

      目を伏せ、体を預けてくる。

      片手で握っていた両手首から力が抜けてきて、空いている右手を

      彼女の腰にまわす。

      左手から両手首を解放し、それを彼女の背中にまわして支える。

      私に身を預けてくるたびに、口付けを深くして行く。

      「んっ…ふ…」


      彼女が漏らした呼吸にドキドキしながら、耐え切れない理性を抑えて

      唇を離した。

      瞳を開けてもまだ夢見心地な色を浮かばせている。

      「…愛している」

      「先生……っ」


      今まで私の胸に預けていた両手を背中にまわす愛しい君。

      「私も、氷室先生のことを愛しています!」

      彼女の顎を掴み、上を向かせた。

      今度は唇を吸うような短いキスをする。

      遠くで予鈴が鳴ったことにも気づかずに…。


 


      あの禁断の果実を食してしまった私達は学校帰りを共にするのが

      日課になっていた。


      「んっ」

      そして、彼女を自宅前で降ろす際に、口付けをするのが当たり前に

      なっていた。
 

      しかし、毎回交わしているはずのの唇は、日を追うごとに私を

      虜にする。

      今も、夢中で彼女が有無を決める前に奪う自分がいた。

      もはや、『教師の氷室零一』いない。

      彼女の目に映るのは理性など無い野獣だ。

      それでも、人前では教師を演じている。

      どちらにもなりきれない私を、は愛していると言ってくれた。

      「もうすぐ、卒業だな」


      私がそう呟くと、隣の助手席で座っていたが俯いた。
 

      「……そうですね。卒業しちゃうと、先生に毎日会えなくなりますね…」

      最後の一言を呟く声が何故か儚げに聞こえた。

      脇見運転はいけないことになっているが、余りにもそれが今にも

      消え入りそうで私はちらっと視線を彼女に走らせた。

      「っ…」


      (!?)


      その先に映ったのは、小さな肩を震わす少女の姿だった。

      私は運転席に視界を戻すと、彼女の家を走り抜ける。

      彼女の声を押し殺して泣くのが、目に見えるように伝わってきた。

      私の理性など既にない。

      ならば、彼女を浚うまでだ。

      しばらくすると、愛車を止め、隣で俯くの肩を掴んだ。

      「えっ…先っ、生?」

      「先生ではない」

      「えっ」

      目の前の私を不安そうに見てくる。

      「もうすぐすれば、君は、私の生徒ではなくなる。と言うことは、君が

       私のことを『先生』と呼ぶ義務などなくなる。しかも、私達は……

       その…恋人同士だ。だから、私のことを『先生』と呼ぶな」


      では何て呼べばいいのですかと、訊こうとした唇を塞いだ。

      それが不意打ちだったのかの唇は、私の舌の侵入を許し、右手で

      頬を押さえる。

      「ふぁ…」


      それまで私に成すがままにされていたは、次第に身を委ねて来て舌を

      甘く絡めてくる。

      私はそれだけで、どうにかなってしまいそうだ。

      新しい季節が巡ってくる頃、本当はあの教会でするはずだった言葉を

      唇から離した瞬間に彼女に言う。

      「……結婚してくれないか?」

      「せっ!?」

      「『零一』だ」


      先程、私が言い放ったことを覚えていたのか彼女が口を右手で覆い隠す。

      私は深くため息をついてそう教えた。

      「でも……」


      何故だか、とても困っているようで顔にしわを寄せた。

      頬を次第に赤みを増し、こちらをじっと見てくる。

      「不満か?」

      「いえ、そうではなくて…その…恥ずかしくて」

      「何も恥ずかしがることはないだろう」


      私は自分のシートベルトを外す。

      一瞬ビクっとが体を震わせたが、私はお構いなしに彼女のシートベルトを

      外して抱き寄せた。

      「えっ!?」

      「。先程の答えは?」

      私はそう彼女の耳に甘く囁く。


      「…はい」

      彼女はそれに酔ったように呟き、瞳をとろんと夢見心地にさせる。

      私はそんな彼女をいじめたくて首筋にキスを落とした。


      「あっ!…れい……いちさんっ」

      「よろしい。それでは、これは君に褒美だ」


      私はに口付けた。

      彼女の自宅へ向かうためお互いのシートベルトを締め、愛車を走らせる。

      白い頬が赤く染まっていたのは単なる夕焼けのせいではなかった。


 



      ―――…終わり…―――


 

 


      #後書き#

      こちらは樹様にお送り致しました。

      うわぁ…随分と何様な先生を書いてしまったなぁと編集中に反省(汗)

      『理性』をお楽しみ頂けたでしょうか?

      ご感想、心より待っております。