理由はいらない
一月も半ばを迎えた氷帝学園中等部では寒さにも負けず、慌しかった。
今は期末試験の対策とかだが、それも終わってしまえばあっという間に
バレンタインが来たり短い春休みが来たり……卒業式が来てしまうから……。
時は既に日入り果てた18時、この頃には月と一緒に冬の星座が見られる。
まだまだ冷え切った空気は周囲を凍えさせ、吐く息さえも白く濁らせてしまう。
それもそのはずで、今夜には今年初の雪が舞う。
…それはきっと、彼の心を少しでも慰めてくれるだろう。
一人の少年はテニスバックを肩に掛けながらどこかへ向かって歩いていた。
駅前の煩いネオンを背景に14と言う年齢としては大きい185cm体がより
長く伸びる影を無視しながら足をどんどん人がいない方へと向ける。
自宅とは全く違う道のりは、安堵感というよりも深いモノを思い知らされる。
スニーカーの靴の裏が砂利を踏んだのを合図に鳳は立ち止まった。
「宍戸さん…っ」
着いた場所は、立ち入り禁止の瓦礫の山。
元は何かの建造物が建っていたようだが、今では何が時を刻んでいたかなんて
解らないほど無残に破壊された跡だ。
足元に大きなセメントの塊がごろついているのを気にせず、中に入る彼はまるで
誰かを探しているように見えるだろう。
だが、それは本当のことで、鳳は心の中にいる人物を求めていた。
ここは彼にとって思い出深い場所だ。
あの先輩といた・・・最後の記憶の場所。
廃墟の中で穴の開いた塀の前に立つ。
それはちょうどテニスボールが通り抜けるサイズで、屈めば向こうの景色が見える。
そう、穴の先には確かに宍戸がいた。
去年の関東大会緒戦、青学に敗れた。
それが原因でと言うわけではないが、レギュラー陣個々に強さへの執着が増して
いった。
ここは彼と練習した場所。
だから、黄色いボールが突き抜けた先には宍戸がいた。
…しかし、今はもう、その姿は鳳の胸の中にしかいない。
それはこの世から消えてしまった絶滅動物と似たものがあり、それ以上なものが
あった。
「宍戸さん」
もう一度、彼の名を呼ぶ。
だけれど、その声は当人に届くはずなく、凍てついた空気の中に帰って消えていく。
そんな事が空しく14の少年に日々を過ごさせている。
「っ…」
どこか遠くから匂う煙が鼻に衝き、目元を熱くさせた。
去年の八月の終わりごろ、急に部長の跡部から関東大会で代表に選ばれた七校の
テニス部が主導して、大規模な合同学園祭が開催されることを知らされた。
それは当時、全国を推薦枠で手に入れた彼らにとっては時間と退屈と緊迫の
隣り合わせだった。
『先輩、鳳くんの事が好きなんですね』
それでも、終わり良ければなんて他の誰もが思っているようだが、鳳だけは違った。
各校、校内から学園祭の運営委員が選ばれ、テニス部の良きアドバイザーと
して共に行動する。
言い換えれば、学園祭限定のマネージャーだった。
氷帝に与えられた運営委員は二年生の女子。
無邪気でかなり天然の入っている娘だった。
だから、あの人が心奪われたのかもしれない。
『なっ!?お、おい!そういう誤解を招くような言い方は…』
『あ……ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃないんです。ただ、男の人の友情って
いいなぁって単純に思っただけで……』
ちょうど、ステージにやってきた彼は二人の姿を見つけて駆け寄ろうとすると、
その言葉が耳に付いて思わず物陰に隠れた。
何で、自分がこんな事をしなくてはならないんだろう?
単純に出て行けば良いじゃないか、と思った。
だが、心臓はばくばくと鼓動を速くさせ耳は周りの雑音をかき消したかのように
澄ませてしまう。
それは、誰よりもあの人が好きだから。
『は、はは……いやまぁ確かに長太郎は大事な後輩だぜ』
「大事な後輩」…。
解っていた、そんなこと。
彼がそんな目で自分を見ていたことぐらい最初から解っているはずだった。
しかし、いつからだろうか、それだけでは納まりきれなくなっていた想いがある。
あの人が卒業してしまったら、一体自分はどうなってしまうのだろうか?
知り合ってからずっと念頭にあった不安が宍戸に対する頼りすぎの原因だった事は、
本人は知らない。
『ですよね』
『……変な勘繰りはするなよな』
『あ、はい』
九月四日の夜、二日間の合同学園祭が終わりを迎えたのを見計らってかのように
宍戸は彼女と付き合いだした。
きっと、それが当たり前なことで自分が想っていることが邪心なんだろうと
気持ちの整理を付けているつもりだが、目は、耳は、心は割り切ってはくれない。
最初、レギュラー陣皆は彼女の事を警戒していたが、一緒に仕事していく内に
慣れてきて信頼を寄せるようになった。
それは鳳とて同じことだった。
だからこそ、こんなにも辛い。
彼もあの少女のことを仲間だと思っているし、大切な存在だと認識している。
だからこそ、嫌いになりきれない。
あの無邪気な笑顔を徹底的に恨めたらどんなに楽だろう。
だが、それが出来ないからこうして苦しい気持ちを抱えたままでいなくては
いけない。
もうすぐ、三年生は卒業してしまう。
そうすれば、幾分か気持ちが納まるだろう。
……いや、彼女がいる。
あの少女がいる限り、彼のことを好きだった自分を忘れる事などできるわけがない。
ならば、どうしようか?
いっそのこと、転校してしまおうか?
しかし、氷帝ほど音楽設備が整っている学校などあるわけもない。
それに、宍戸と約束したことを放棄できるほど彼は無責任な男ではない。
彼女には『いい人』扱いをされ、あの人には『大事な後輩』扱いをされてしまった。
自分は二人が言うほど、良い奴ではない。
好きな人に触れたいって思うし……、誰にも渡したくないって思う。
だけど、そんな子どもっぽい嫉妬は今夜降る雪と一緒に溶かしてしまおう。
こんな想いを抱えたままでは、彼が自分に託した期待を叶えられそうにないから。
「これで終わりにします。宍戸さん」
せめて、「大事な後輩」のまま彼の願いを叶えたいから。
鳳は意を決したかのように胸元を飾る銀のクロスペンダントを外す。
これは大分前から願掛けにしていたお守りだ。
だが、今までのように何かに頼ってはこの出口のないラビリンスから抜け出す事は
難しい。
だから…
ギリッ!
それを掌にしたかと思えば、何の躊躇もなく地面に落としスニーカーの踵で割った。
「さよなら…俺の思い出。そして、ありがとう」
頬を涙が伝う。
こんな八つ当たりのようなことはしたくなかった。
心の中で何度も謝っては涙が幾筋も流れる。
天気予報では明日、晴れる。
青空のように笑えるように今はただ泣いてしまいたい。
「おい」
「っ!跡部さん!?」
人の気配も感じないまま背後からいきなり誰かから呼ばれた。
その衝撃と一緒に聞いた声色に振り返るとそこには200人もいるテニス部の部長を
務める彼が立っていた。
「何故、ここに」
「はっ、俺様が知らねぇ事はない。お前がここで宍戸と練習していた事くらい
調査積みだ」
「……」
「だから、鳳がそのザマな訳も知っている」
「帰って下さい!俺のことなんか構わないで下さい!」
最悪だ。
跡部にこんな顔を見られてしまった。
涙でぼろぼろになってしまったポーカーフェイスなんてただの雨の日に捨てられた
ゴミと大して変わらない。
「そうもいかねぇ。車を待たしてある。乗れ」
容赦もなく掴まれた腕は、そう簡単には抜けなく、それだけに悲しくなってきた。
心の葛藤も空しく、いかにも高級そうな車の後部座席に乗せられる。
窓の外には何を訴えているのか雪が深々と積もっていた。
彼はそのまま彼の邸宅に連れて行かれた。
車に引き込まれたのと同様に腕を掴まれたままエレベーターの中に入る。
「へっ」
もう、自分は逃げたりはしないのにと、思っていた時の不意打ちに掴まれた腕が
ぎゅっと強い力で引っ張られそのまま何かにぶつかった。
「んっ!」
唇に柔らかいものが当たっている。
それが跡部からの口づけだと解ったのは、そう時間は掛からなかった。
「何するんですっ……ぁ…んっ」
軽いキスから解放され、赤い顔で文句を口にする。
しかし、彼はそれを許さず今度は深いキスを贈った。
無防備な口内にあっさりと侵入した舌は上顎をくすぐるように舐めたかと思えば、
空気が欲しくて彷徨っている鳳自身に絡み、拒めば唇を唇で挟んで刺激を与える。
「やめっ…」
エレベーターと言う密室の中、シャツのボタンは片手で外され、耳をさも美味しそう
に口に含まれた。
「あっ」
先程、口内を侵した舌でなぞられると、荒い呼吸が漏れそうになって唇を強く握る。
端から流れ出る銀の糸が何とも艶かしくもっと欲したくさせる。
「あっ…跡部さん」
耳の愛撫に気を取られていると、肌蹴たシャツの中に熱い掌が肌に触れた瞬間、
反射的に空を仰いだ。
「んっ…ああっ……やめっ」
エレベーターの行き先は最上階の彼自身の部屋。
以前、レギュラー陣で彼の自宅で合宿に来た時、見せてもらったことがある。
大きな敷地が眼下に広がると同時に周辺の街並みも広がる。
この邸宅からすれば、それは小さな箱庭のように錯覚してしまう。
だが、跡部邸を取り巻く住宅地はあくまでも人々が営んでおり、その一つ一つが
支えあって生きている。
あの時見た景色は、今は凍えていることだろう。
それを毎年見る彼は一体どう思っているのだろう。
そして、どうして自分なんかを抱いているのだろうか。
「あっ」
壁に押し付けられたまま胸元の小さな飾りを攻められる。
「あ、跡部…さん…っ」
背後で手首を赤いネクタイで拘束されているため、抵抗など身を捩るくらい
しかできない。
しかし、それも出来ないくらい何かが押し寄せては彼の自由を奪っていった。
「跡部さん…っ…あ」
指の腹でクリクリと動かされる度に頭の中の芯がぼやけてくる。
それと同時に下半身の痛みに片目を閉じながら抑制を促すが、一度素直になった体が
理性を聞いてくれるわけがない。
「んっ」
臍の窪みを舌で突付きながらベルトをするすると外される感覚が何とも愛おしい。
ズボンのジッパーを歯で下ろされれば、自己主張を述べたいとでも言う篤い志が
下着を膨らませる。
「ふぁ…っ」
涙で瞳を潤ませている鳳に気づかないふりをして下着の上からそれを舌先で
往復する。
その動きが妙に官能的で、腰が限界に近い事を教える。
「ああっ」
下着は彼の唾液と迸る白い志でぐっしょり濡れている。
当初はやめて欲かったのに、今ではもう、来るべき限界を今か今かと待っている。
「んんっ……ん……っ」
既に身に着けている意味をなくした下着を足元から抜き取った瞬間、それは
起こった。
「あっ…アア!」
腰からずり下ろされたものとは違って天を目指すそれは一気に白い液を噴射させた。
チィー……ン。
彼が荒い息を吐きながら床にしゃがみ込むのと同時にエレベーターが終着駅に着く。
開かれたドアの向こうにはこの邸宅に似合いすぎの豪華なベッドが待ち構えている。
「立て、鳳。続きをする」
乱れた姿の彼とは違って跡部は開かれたままのエレベーターの中で脱ぎ始める。
「な…なぜ、俺を抱いたんですか?」
「お前は好きでもない奴のモノを銜えたりするのか」
「ちがっ!……え?」
彼は何を言ったのか、そんな簡単な序章に気づけないほど馬鹿ではない。
心臓はまだ早鐘の速度を保ったまま次章に進もうとしている。
「目が合った。そいつが突然笑わなくなった。それだけじゃ好きになる理由には
ならねぇか?アーン」
頬が次第に熱を帯び始めている。
氷帝に入ってからと言うものあの人だけを見ていた。
だから、他の存在には気づきもしなかった。
けれど、跡部の存在に憧れを持っていなかったわけではない。
「けど、俺は宍戸さんをずっと見ていたんですよ。なのにっ……急にだなんて……
無理です」
「無理なんかじゃねぇよ。言っただろ、好きになるのに理由はねぇ事をさっき
教えてやったよな」
「うっ」
「来いよ。今日は体で理解するまで寝かせないぜ」
互いに全裸になり、差し伸べられた手に手を乗せると抱かれた時と同じく
引き寄せられる。
だが、今度は優しいキスをされる。
彼は半分観念したような安心したような表情を浮かべて瞳を閉じると、エレベーター
もまたそのドアを閉めた。
―――・・・終わり・・・―――
♯後書き♯
初跡部×鳳裏BL小説「理由はいらない」はいかがだったでしょうか?
こちらも『学園祭の王子様』sideのお話です。
宍戸君にあの話題を持ちかけた時の反応が面白かったので仕上げてみました。
自分で書いていながら初出演なのに何でこんなに暗くさせるよと突っ込んでいます。
それと、今作を仕上げるのに時間が手間取ってしまったことを深くお詫びします。
こちらは今までDream小説だけで読みにくかったと言う読者の方からの声から
急遽作りました。
だから、鳳君無理させてごめんね。
と、言うことなので次号もどうぞご期待下さい。