全てが終わった後、もう一度言わせてくれますか



      夏が終わろうとしていた。

      駅前に新しいレンタルビデオ屋が出来たとか明日は台風の影響で雨になるとか

      そんなどうで
も良い話でクラスメートが騒いでいた。


      「日吉、お前も行かねぇ?」


      「……止めておく」


      二年生の教室の一つからそんな声が上がったが、掛けられた方は間を開けて

      拒んだ。

      帰りのHRが終わると、待ちくたびれた生徒達が気だるそうに学生鞄を片手に

      担いで教室を
後にする。

      それまで静止していた全ての生徒がいた教室からは思い思いの表情を浮かべて

      階段を下り、
昇降口で上履きからローファーに履き替える。

      今日は教員会議のある日で部活や委員会と言った活動は禁止され、掃除当番

      と日直だけがそ
の後も校内に残ることが許可されているが、あくまでその用事

      が済めば他の生徒同様追い
払われる。

      HRが終了し、学生鞄を左脇に抱えて昇降口を出る彼の目には何の変わりもない

      毎日が広がっ
ていた。

      校内のあちらこちらに植林された木々からは煩く蝉が鳴き、まだ夏なんだと

      主張をしていた
りアスファルトの上に剥製が横たわっていたりする。

      その葉をよく見れば色を黄色く染めてあり、気の早いものはさらにその先を

      枯らしてある。

      季節は秋を酷にも告げている。

      他にも校内には植物好きな用務員が植えた藤棚や見事な瓢箪や糸瓜と言った

      ものもあったり
するが、勿論日吉には全く興味がないことだった。

      ローファーの踵をジリッと鳴らし、どこから沸いて出てきたのか解らない

      たくさんの生徒
達の間を独り裂くように歩く。



      くだらない。



      彼の心はあの頃から抜け出せないでいた。

      あれから何度、後悔したことだろう。

      どんなに考えて、練習しても満足することができない。

      黄色いボールを誰もいないコートに打ち返す度、思い出してしまう。


      「危ないっ!」


      「っ!」


      抜け出せない迷路の中にいると、急に女性が短く声を上げそれに驚いて

      目を見開く。

      彼女の跨った水色の自転車が制服のシャツを軽く触ったことを見ると、何が

      起きたかなんて
そう、悩む必要なんてなかった。


      「だ、大丈夫っ!?」


      その場で自転車から下り、中学二年にして172pを誇る日吉を見上げた。

      華奢な体に長く伸びる黒い髪には少しパーマが掛かっていて、風が吹いたら

      飛んでいってし
まいそうだ。

      自分を見つめる茶の瞳なんか大きくて、じっと覗いていたらバカ面をした

      自身が見えそうで
妙な焦りを感じる。


      「え…えぇ。ちょっと驚いただけでどこも怪我はありません」



      何、やっているんだろう。



      一瞬でもぼぉっとしていたのが情けない。


      「本当?良かったぁ」


      黒いポロシャツに黒いデザイン柄のロングスカートの女性はその返事を聞いて

      心の底から
安堵したのか、息を吐くと気持ちを切り替えるように笑ってみる。

      そのシックなデザインをコーディネートした割にはなかなか人懐っこそうだ。

      彼女はこれから行くところがあるから気を付けて帰ってね、と最後まで

      彼のことを気に掛
けて校舎の方へと向って自転車を走らせる。

      誰かの父兄か、と日吉はあっけに取られてその後ろ姿を見えなくなるまで

      見送り、何事もな
かったように歩き始める。

      それが、あの人との最初の出会いだった。





      いつもと何も変わらない毎日の朝が始まった。

      支度を済ませ、時計が知らせる前に玄関を後にする。

      数十分歩いた先にある学校に通い、今では義務になった朝練を当たり前に始め

      その何時間
後に鳴り響くチャイムの前に解散し授業を受ける。

      そんな何も変わらない日常が日吉にとっては、世界に等しかった。

      ……なのに、早朝の誰もいない校庭の空気を吸いながら部室のドアを開け

      ウェアに着替え
自主トレを何分もしない内に監督が現れ衝撃を走らせた。


      「今日の朝会は教育実習生の発表がある。通常の終了時よりも一時間早く

       終わり、遅刻をし
ないよう……以上だ」


      周囲の部員達がざわめく。

      毎年、氷帝ではこの時期彼らを迎え入れる。

      今回はどんな実習生が来るのか、それは生徒中ではちょっとしたイベントに

      近かった。

      その雑踏の中にいた彼を残しては…


      「監督!良いんですか、練習の時間をそんなに割いても」


      「何だ、日吉。異論があるのか。そんなにレギュラー落ちをしたいのなら

       聞いてやらなくも
ないが」


      彼の声に敏感に反応した榊はその強い眼差しを向けたと思えば、温度差

      が全く感じられない
事務的な言葉を口にした。

      これでも音楽教諭なのだから信じ難い事実である。

      日吉にとってはようやく勝ち取ったレギュラーだ、そう安々奪われたくない。


      「……いえ」


      テニスや実家の古武術より大切なものなんて今の彼には持ち合わしていない。


      「…そうか……ならば、以上だ」


      それは、彼も理解していた。

      ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、あぁは返事はしたがやはり、納得なんて

      できない。

      監督が去ってから言われた時刻に他の部員達に交じり、着替え始めても

      部室を後にしてもそ
の矛先のないイライラは納まることはなかった。

      大体、何故生徒達がこうも騒ぐのか解らない。

      高々、三、四歳くらい年上の大学生が実習に来て自分たちはその鼠にされる。

      クラスメートの誰かが際どい質問をしようものなら、慌てるかボロが出るか

      のどちらかだろう。

      面白くない。

      教室で朝会を待っている間、誰とも喋らなかった。

      興味のない日吉にとっては今日のことをすっかり頭の角から追いやっていた

      が、クラスメー
トはこの日が待ち遠しかったようで口を開けばどんな実習生か

      とかワクワクするねとか年頃の子供らしい会話だった。


      全く面白くない。


      相槌を求められれば生返事をし、ちらりと横目で時計の針を確認する。

      朝会まで15分前、彼はため息を吐くと座っていた自席から立ち上がり、

      教室を後にした。

      付き合ってはいられない。

      日吉の教室は階段の傍にあり、夏や冬と言った季節は最も冷暖房の消費量

      が多い。


      「っ!あんたは」


      階段を一歩二歩と下りた頃で、視界に見慣れた女性の姿が飛び込んできた。


      「えっ…あ」


      向こうも覚えていたのか振り返るなり口元を両手で覆い、瞬きを

      繰り返している。

      今日は昨日見たカジュアルな格好ではなく、黒のスーツを着こなし、最近の

      流行なのかジャ
ケットをボタンではなくリボンで結んである。

      何故、昨日会った父兄がここにいるのかなんて考えなかった。

      だって、彼女は…


      「山吹大学教育学部から来ましたと申します。担当は歴史です。短い間です

       が、どうぞ宜しくお願いします」





      夕方、天気予報通り、朝から降り続いていた雨は豪雨と化した。

      季節の変わり目と言うこともあるが、大型台風の影響もあり最近はこんな

      天気ばかりだ。

      ドームが付いている訳でもないテニス部は勿論、今日の天候を考えると全ての

      部活や委員
会というあらゆる活動を停止された学園はまるで、雨の中に

      取り残された砦のようだ。

      生徒達を失った学園にはまだ教職員が残っているのか、職員室等至る箇所に

      電気が点灯して
いる。

      彼は運悪くこの日は日直で、しかも、片割れが風邪で休んでいるため一人で

      やらなくちゃい
けないためこの砦に今もなお囚われていた。

      クラスメートは薄情で帰りのHRが終わると雨足が酷くなる前に帰り、掃除当番

      も担任のお
許しで今日を免れてしまい、結局は自席で日誌を書いている

      日吉だけ取り残された。

      一応、彼にも温かい教育者の眼差しは向けられたが、それを受け取ろうとは

      しなかった。

      要するに、この現状は日吉自身が作り出していると言っても過言でもない。

      日誌を『今日の感想』と書かれてある項目まで書いた所で、右手で頬杖を

      付いて窓の外
を見た。

      風が強いのか、家庭用とは違って少々頑丈に出来た窓ガラスが枠ごと揺れ、

      ギシギシと
時折彼を邪魔する。

      あれから一週間も経ってない。

      その日の二時間目は歴史だが、いくら何でもそう仕組まれたようなことがある

      訳がない、と
変に意地を張って机の中から教科書を取り出した。

      二学年を担当している煙草臭い中年男性が一人で教室に入った時、ほら見ろと

      心の中の小
さい自分に向かって言った。



      バカだ、何をやっているんだろう。



      今年の教育実習生は全員で三名、一人は彼と同じく音楽を担当しているが

      その性格は
陽気で軽い感じの彼女と同じ癖のある髪をしている。

      もう一人は、眼鏡を掛けた女性で、こちらもかなり性格に癖のあるようで

      見た目的に冷徹
そうな彼女は数学を担当するそうだ。

      この三人が一、二、三年生と言う全ての学年に配当されるかもしれないし、

      偏るかもしれ
ない。

      その点を踏まえてもが今、この教室にやってくる確率は低いのに、何故か

      二時間目が早く来
れば良いと思ったのだろう、と不思議で仕方がなかった。

      号令を済ませて席に着き、彼が開けっ放しのままのドアから廊下の方を

      見て紹介します、と
言った時は我が耳を疑った。

      そんな偶然がある訳はない、と否定し続けたが朝礼台で挨拶する前に階段の

      踊り場で見た
彼女が恥ずかしそうに教室に入ってきても心の中では否定した。

      あの榊が音楽教師というのも信じ難いが、こちらの方が数段上だ。

      初日はあまりの緊張の所為か行動がぎこちなかったが、それも二、三日も

      経てばどこへやらの笑顔はその場を和ませ、自分の得た知識を惜しげもなく

      教える姿勢は教職員のみならず
生徒達も高く評価している。

      毎年の実習生とは訳が違うと言っても、まだ一年しか体験してないのだから

      この刺激は当
たり前だと言えば当たり前だった。

      次第にクラスメート達もそれに気づき始めたのか、次第にに懐き出している。



      (先生…)



      残ったのは、素直になれない日吉だけになった。

      日誌の上に置いたシャープペンを再び取ると項目に適当な授業の感想を書き、

      鞄を抱え独
りだけ残っていた教室を後にした。

      何をやっているのだろう、今日を見計らっていたと言うのに考えは纏まる

      どころかバラバラ
にパーツが表れるだけで答えらしいものは見つからない。

      日誌を職員室にいる担任に届け、昇降口から激しい雨音と一緒に何かが

      耳を掠めた。

      それの正体を考える前に階段を駆け下り上履きをきゅっきゅっ、と音を鳴らし

      ながら昇降
口から外を見る。

      誰かなんて考えるまでもない、下駄箱に靴を乱暴に放り込んですっかり

      冷え切ったロー
ファーの中に足を突っ込む。


      「先生っ」


      「えっ?」


      大体の音ならこの雨で掻き消されるが、彼の耳にはごまかしは利かない。

      昇降口を出て三段ある階段を飛び下り、豪雨に濡れてびしょびしょになった

      女性の両肩
を掴む。

      その表情もやはり濡れてはいたが、雨の所為だけには出来ない雫が彼女の瞳

      から零れた。

      まさか、生徒が校内に残っているとは思ってなかったのだろう、涙はその一滴

      が頬を流れた
だけで止んだ。

      だが、もう一方は相変わらず泣き出したままで、てるてる坊主を軒下に吊し

      たとしても効
果は望めないだろう。

      一端、昇降口に戻り簀の子に座らせると、に常備しているスポーツタオルを

      手渡す。

      自分は少し濡れただけだが、彼女は着ているものから何までずぶ濡れだった。

      あの場所にいつからいたのか、なんて言葉は恥ずかしさの中に溶けて口に

      することはでき
ない。

      一応、日吉だって年頃の少年だ、年上とは言え女性には変わりないと二人きり

      になって何
も感じない訳ではない。

      嵐の中何をやっていたとか、握りしめていた白い携帯電話がどうしたとか、

      聞きたくても
何から順に言葉にすれば彼女が傷つかずに済むのか解らなくて

      少しの間黙っていた。


      「ねぇ……どうして黙ってるの?」


      その内、沈黙に耐えきれなくなったのか、の方から口を開いた。

      首にスポーツタオルを巻いたまま、小柄の体を余計縮めるように両足を抱く。

      その弱々しい姿は、数日間見てきた彼女とはどれも似つかない。

      ただ、この階には二人しか残ってないだろう。

      いつか現国の時間に見せられた昔の映画のように雨音だけがやけに響いて

      聞こえた。


      「どうしてあそこで泣いていたのか聞かないの?」


      「……」


      「そう…だよね。生徒にあんな所見られるなんて教師失格だよね」


      「教師じゃないだろう!あんたはまだ実習生だ!だから、俺の前で泣いても

       強がらなくて
も良いんだ」


      勢い余ってそう言ってしまった後、悪い、と呟いた。

      何をムキになっているのだろう、ただに自分たちの関係を割り切られた

      のが
気に入らなかった。


      「ううん、君の言う通り。まだなってもいないのに先生面なんてしちゃって



      彼女は両足を抱いたまま顔を上げ、可笑しくもないのにケタケタと

      笑っている。

      その行為が余計に彼を本心へと煽る。


      「何言ってんだよ!俺は先生が好きだから俺の前で泣いても強がらなくても

       良いって
言っているんだ」


      「えっ?」


      呪文を放っただけでの笑いは止み、代わりにあの瞳で日吉をじっと見た。

      茶の大きな宝石はまるで、出会った頃のようにバカ面をした自分が見えて

      しまいそうだ。

      今度は彼から沈黙を破った。

      心より体が先に動いてしまい、彼女の冷え切った体を抱きしめる。

      当たり前だが、同性と比較にならないくらいに柔らかく、また良い

      匂いがする。


      「好きです…あなたが」


      「…いやっ」


      再び、沈黙が戻った。

      精一杯の気持ちを拒絶された、日吉の耳には何も届かず気が付けば、

      傘も差さずにずぶ濡
れになって雨の中を走っていた。





      あれから何日も経ち、今日の夕暮れには研修期間が終了する。

      嵐の取り残された時間からそれまで以上にのことを避けるようになった。

      それまで部活に執着していたのに、今ではその義務も彼女のことを考えない

      ための対策に
変わっていた。

      もう、諦めよう…それなのに心の中の小さな彼はまだ諦められずにいる。

      今日もあの時と同様に日誌を独り教室に籠もって書いていた。

      嵐に閉じこめられた時と違うことはを忘れようとしていることと日直ではない

      ことだろう。

      今回は日直のクラスメートが委員会の集まりがHR終了後にある、と慌てていた

      のに声を
掛けた。

      クラス中ではあれだけ他人を寄せつけなかった日吉が誰かのために動いたのが

      とても
不思議で、怪談や芸能人のスキャンダルもそっち除けで騒いでいる。

      観察される側はやり難くて迷惑しているのだが、一々文句を言うほど寛大な

      人間ではないた
め言わせたい奴には言わせて置く。

      全ての項目を適当に書くと、教室の引き戸を叩く音が聞こえ、彼は自然と

      顔を上げた。


      「こんにちは、日吉君」


      「先生っ!」


      「しぃ…あの時と違って二人きりじゃないんだから大きい声は控えて下さい。

       それに、も
う、私は先生じゃないよ」


      勢い良く自席を立ち上がると、左手の人差し指を唇の前に立てる。

      窘めるその姿もどこか愛らしい。



      もう……先生…じゃない?



      その言葉がゆっくりと染み込み、すっかり臆病になってしまった彼の恋心を

      優しく撫でた。

      彼女は自席を立ったままの日吉の傍にゆっくりとした足取りで近づくと、

      見上げる。

      その表情はいつもと変わらない笑顔だが、その頬には恥じらいの色に

      染まっている。


      「「イヤ」って言うのはね、「良いよ」っていう意味なんだよ」


      「…そう、なのか?」


      「うん」



      なら……



      全てが終わった後、もう一度言わせてくれますか。


      「好きです…あなたが」


      胸の振動が苦しくて、耳にはその音が煩く響く。

      だけど、その瞳からは逃れられない。


      「…私も……あなたが好き」


      君の瞳から零れるその涙がどうか温かいものでありますように、と

      願って抱きしめた。








      ―――…終わり…―――








      ♯後書き♯

      今作は「センセとあたし」様への参加作品として作成しました。

      私の作品としては初の日吉Dream小説となったのですが、お楽しみ

      頂けましたら光栄です。

      最後になりましたが、主催者の猫山様に感謝と共に今までお疲れ様でした。