沈黙の恋人
私は生てはいけませんか?
度重なる暴力。
幼い少女と二頭の獣。
部屋中に漂うのは、アルコールと降ってきた雪を集めたかのような白い悪魔。
彼らは、彼女が物心のつくまで待っていようとはしなかった。
遥か昔に見たものは幻だったのか、獣の鋭い目には憎しみしか映っていない。
少女の透き通るような肌には無数の火傷や痣が生々しく残っていた。
室内はいつだってカーテンで締め切られて彼女は、この名前の知らない
彼らの暴力と暴言を小さな体で懸命に受け止めている。
気絶するまで殴られる日もあれば、許しを乞うことをしてみても獣たちが
疲労に満たない限り止むことはなかった。
これが、自分の世界。
何故、自分は彼らにこうも恨まれ、意識を失うまで痛めつけられるのか
なんて考えない。
それが、当たり前なんだと思っていたから…。
だが…
寝顔はいつか見た面影を残していた。
だから、そんな二人に、彼女も笑いかけた。
「言いたいことがあればはっきり言えば良いだろうっ!」
夏もそろそろ猛暑が続く本番にさしかかろうとしたある日の夕暮れ。
青春台駅周辺を歩いていた人々が何事かと一瞬で耳を掠めた声の主の方を
振り返る。
やっと、昼間の熱気が治まり各々家路に着こうと歩みだした矢先だったのか、
片手に荷物をぶら下げた人々がの目についた。
彼らは自分と言うより声を荒げた相方の少年を襖越しに覗き見するような
視線を送っている。
もっともこのことを知っているのは受身の彼女だけで、本人はみじんも
気がついてないようだった。
「ちょっ、桃君」
「うるせぇ!!俺ら恋人だろ?なのに、今夜の予定の話しをしても
何とも思わないのかよ?」
何人もの観客がいればそれなりに人寄せをするようで、長身な少年が
第一声を発した時より増殖している。
さすがに、も恥ずかしさを感じたのかそれとも彼が口にした言葉が
痛かったのか俯いたままで動こうとはしなかった。
「そんなことない……よ」
そう、この少女の答えはいつだってこうである。
言葉に詰まるような何かを決めきれないような曖昧なリズムを口にする
のが彼女のスタイルだった。
長身な彼の桃城武は、自分の気持ちをはっきり言う方で彼女とは
まさに正反対である。
彼女には、何かを伝えたくてもその言葉が見つからなかった。
いや、正確に言ってしまえば、伝えることを心のどこかで諦めているの
かもしれない。
「…今夜の八時に神社の鳥居で待ち合わせな」
そんなの姿を見て深いため息を一つ吐いた桃城は、そう言うと彼女の
頭を優しく撫でた。
その瞬時に女性特有の良い香りが鼻に衝いて鼓動が速くなる。
彼だって彼女と遊びでで恋人を遣っているわけではない。
だが、ほんの少しだけで良いから自分に心を許して欲しいだけだった。
しかし、はいつまで経っても怯えたような面持ちで何かを怖れている、
そんな気が付き合いだした当初からある。
それさえなければ、もっとお互いが解り合えるはずだと信じていた。
この自分より遥かに小さい少女は、列記とした青春学園高等部の二年生である。
そんな彼女と知り合ったのは、ちょうど去年の今頃だった。
彼の家の近くでは毎年、神社の夏祭りが催される。
少年は今年も親に貰ったばかりの小遣いを握り締めて様々な屋台を駆け
巡っていた。
「ごめん…私、のど渇いちゃった。何か、ジュース買って来るね」
ちょうど、桃城がたこ焼きの出来上がりを待っている頃だった。
後ろの方から今にも途切れそうでいて明るく装っているような声がしたかと
思い、振り返ると、自分と同じくらいの身長の少女が連れらしい男女に
手を振って駆け出してしまう。
「…悪い」
後に残された男性はそう呟いたかと思えば、もう一人の彼女の掌を
ぎゅっと握り締めた。
「はい。特大たこ焼きお待ちっ!」
活気のある祭りとつり合う威勢の良い中年女性の声など上の空で聞いていた。
普段、仲間内に鈍感と言われている彼だが、今のはいくらなんでも察する
ことができた。
あの部活の先輩達のように長身の男性は彼女のことを想っている。
そして、された側も…。
「おばちゃん、ありがとっ!」
少年はたこ焼きの入った半透明なビニール袋を引っつかむと、今、解き
放たれた弾丸のように駆け出した。
歩きにくい砂利道や一度迷い込んでしまったら神隠しに近い人ごみなんて
関係ない。
ただ、姿を消したあの少女の面影を脳裏に描いたまま夢中で走っていた。
自分が何故名前も知らない少女を血眼になって探しているのか考えよう
とはしない。
ただ、気がつけば、あんなに待ちに待っていた特大たこ焼きが入った
ビニール袋を惜しげもなく振り回していた。
「はぁっ、はぁっ……はぁっ」
ようやく、見つけ出したのは神社の裏手にある小さなため池のそばだった。
昼間はちょっとした野鳥が水面を縦横無尽に泳いでいるのだがさすがに、
今は虫の音が耳を支配する。
そこからさほど遠くない向こう側からはちらほらと自動車や街の明かりが
子守唄のように優しく揺らいでいた。
「…っ」
ようやく見つけた少女は、やはりきれいな浴衣を気にせず、地べたに
座り込んで泣いていた。
彼女は連れの彼のことが好きだったのだろう。
だが、もう一人の女性を想っていることを知っている少女は、ああして
自ら身を引くことを選んだ。
きっと、ここにくれば虫の声で誰にも聞かれないとでも思ったのだろう。
しかし、桃城はその小さい背中が余計小さく小刻みに振るえるのを見ていた。
声を掛けたくても少女がこの場を選んだ理由を考えるとどうしても
そうすることができない。
拳を握り締めると、不意に感じたものの正体が何なのかようやく理解する
ことができた。
「…おい。これ、やるよ」
「えっ?」
彼が勇気を振り絞って出した声に返って来たのは、先程よりボリュームを
上げた鵺の声だったのかもしれない。
魂を抜かれたかのような彼の指は、自分を見上げる彼女の瞳を拭うと、
もう片方の手を差し出した。
そこには、見事なまで疲れ切った特大たこ焼きがまるで、自分の不運さを
語りだしているかのようである。
「俺、桃城武。青春学園中等部一年なんだ」
「私もっ……同じ…」
「あっ?お前も青学?」
「そ、そうだけど……私はっ」
「お前、何組?」
「私は、高等部よ」
「へっ?」
「だから、私は、青春学園高等部の一年生よ」
その驚きの真実を口にした少女の顔を無言で見つめ返したのは、
言うまでもない。
あれから二人は自然と付き合いだすようになり、最近では彼女が中等部まで
来ては、校門で桃城が部活を終えるのを健気にも待つようになった。
だが、一つだけあの夜から変わらないものがある。
それは、こうして操り人形のように他人の言うことを聞いてしまう所だった。
確かに、健気な姿がとても彼女らしくて少年自身好意を持ってしまうが、
交際を初めてもその行為は一つも色を変えることはなかったのだ。
まるで、他人に嫌われることを恐れている子供のように…。
真夏と言え、夜は涼しくて陰暦の上では今時期が秋だと言われたのも
何だか解るような気がした。
今宵のメインイベントには、やはりカップルが多く、浴衣姿が良く目立つ。
祖母に手伝ってもらって着た青い浴衣には、赤い花がまるで花火のように
咲き乱れてある。
それは、彼の好む色だからこそ選んだものだった。
去年着ていたものは捨ててはいないが、今も大切にタンスの中にある。
それは、あの少年と初めて出会った時の大切な浴衣だから…。
普段は多くを語らないだって彼のことを大事に想っている。
だからこそ、自分はこうでなければいけないと、桃城の求める答えに
躊躇いなくYesを選択する。
だが、それは彼女自身の長年からコンプレックスでもあった。
「っ!」
鳥居に軽く背もたれをする頃には、愛しい彼が自分の名を叫んでくれた
ことにドキドキしながらその声の方向に振り返る。
黄昏時の過ちを忘れてしまったかのように額に汗を溜めた桃城は頬を
赤く火照らせていた。
「桃城君…」
だが、彼女の戒めの鎖はそう簡単に呪縛から解き放たれることが出来る
ほど大人ではなかった。
…私は、生てはいけませんか?
笑いかけようとして幼い頃、目にしたものが脳裏を突き出てしまいそうで
イヤだった。
しかし、動かないはずの歯車が軋み始めているのは、事実である。
ここまで走ってきたのか膝に両の掌を置いては背中で何度も呼吸を
繰り返した。
そんな桃城に好意を抱くのだが、にはそれを伝える術を知らない。
上手く心の中で言葉が見つからない。
しかも、それを省略させたような微笑さえ自分にはできない。
そういう時は、いつだって黙っていた。
心のままに、想ったままに動けば、何かが変わったかもしれない。
実際、彼と知り合うまで恋焦がれていたクラスメートには、初めは
特別な異性は自分だけだと知っていた。
だが、少女はその術を持っていないから結局は、同じクラスメートの
女子に先を越されてしまった。
自分には幸せになる資格なんてない。
それが、あの頃からの信念だった。
今から十年前、とあるアパートでほとんど彼女は監禁されていた。
両親から受けた虐待は、今も根深く心身ともに現存されている。
だが、逃げることはしなかった。
彼らを苦しめているのは自分であり、これが自分の世界だと思っていたからだ。
言いがかりのようなことを言われてもそれは正論でありむしろ、それを
否定したがっているのが間違っているのだと幼いながらそう受け止めていた。
室内に充満するのは、アルコールと両親がどこからか手に入れた麻薬の匂い。
彼らは一時の夢を見ながら狂ったように笑っていた。
そんな光景をずっと部屋の隅で見ていたは、あれは本心からのものだろうか
と笑うことに抵抗を感じていた。
助けを乞うことができない僅か七歳の少女にはただ見ているしかなかった。
しかし、ある日の買い物帰りに事件は起きた。
帰宅の挨拶を口にしても室内はしんと静まり返っていた。
だが、彼女は、寝ているのかもしれないと思いドアをそっと開けて台所まで
足音を忍ばせることに夢中だった。
物心付いた頃から強要されたのは、虐待だけではなく何もしない自分達の
お守りを娘に見させることもあった。
だからこうして、他人に見られても良いように季節を問わず長袖と長ズボンと
言った格好をさせられていた。
室内に上がると、聞こえるべき寝息もその本人達もどこにもいない。
あの人たちが外出するなど一ヶ月に一度あるかないかである。
しかも、先週夫婦揃ってどこかに出かけたばかりだった。
不意に天井を見上げると、二匹の樹上生物が視界を覆ったことを今でも
はっきりと覚えている。
切れ掛かっていた電球の傍に並んだそれはまるで、いつもと変わった
安らかな微笑みを湛えている。
あんなに部屋中にこもっていたアルコールも麻薬の匂いもすべて
消え去っている。
僅か七歳の子供に死なんて解るはずもない。
ただ、彼女は、天上の死者たちにそっと笑いかけた。
それから父親の祖父母に引き取られたのだが、心を見せることはなかった。
自分はいらない存在。
それなのに、良くしてくれる彼らが怖かった。
優しさは今の内で何かの拍子で裏返ってしまうことを恐れていた。
だから、相手の言うことを以前以上に聞くことを選択した。
それが否でも少女自身が初めて下した最優先事項だった。
「…」
「桃…城君っ」
去年の今頃、最初に出会った神社の裏手にある小さなため池に連れて
来た彼は彼女の名を呼ぶと何百年も生きているであろう大木に押し当てる。
あの頃のように虫の音が耳を支配する場所に誰もいなかった。
「…「武」って呼べよ。何か変な気分になるだろ」
彼はそう言うと、彼女の唇に初めて自分のもので触れた。
「……っ」
その瞬時に電流が走ったかのように痺れて思わず声を漏らしてしまった。
鼓動は高いBeatを奏でている。
唇を感じるたびにお互いを意識するから余計そうなのかもしれなかった。
「っ……お前が欲しい…」
「桃城君っ?!」
「だから、「武」で良いって言っただろ。まぁ、今から言わせて遣るけどよ」
いきなりそんなことを言われてもこちら側としては大変なことである。
それは、名ばかりの恋人ではないのだからこうして特別の関係になることを
予想はしていた。
だが、彼女には見て欲しくないものがあることを忘れてはいけない。
しかし、否定など自分にはできるだろうか。
まして、相手は大好きな少年である。
そんなことが許されてもいいのだろうか。
「あっ!?」
そうこうしているうちにの首筋に赤い印を刻む。
「っ…あ…」
「お前は俺のだって証拠。それじゃ…」
「ちょっと待ってっ!」
「えっ?」
彼女が思わず言った言葉を耳にしたことに彼の瞳は見開かれていた。
自身も口を両の掌で押さえてしまう。
何たって生まれて初めての精一杯の否定だ。
少女の瞳が涙で潤んできた。
「?」
桃城は自分が彼女を泣かせてしまったのかと思い、動揺の色を顔中に
浮かべている。
「……違うの。これはあなたの所為じゃないの。私の…所為だから」
首を横に振るが、涙は一向に止まる兆しが見えない。
もし、彼に話したら理解してくれるでしょうか?
そんな心の声に戸惑いながらもせっかく祖母が手伝ってくれた浴衣の
帯を解きにかかる。
「おっ、おい!」
また、一段と声色を高めた少年の声を振り切り何の惜しげもなく帯と
一緒に浴衣も地に音を立てて落とした。
「っ!!」
下着だけになった彼女の体のあちらこちらには何箇所も傷跡が残っている。
それは火傷だったり痣だったり、しまいには何かで深く刺したような
ものまでもあった。
桃城は無言でそれに見入るばかりで何かを口にしようとはしない。
やはり、傷だらけ異性などに興味が失せたのだろうか。
そう思うと、再びこみ上げてくるものがあった。
だが、何とか言葉にしないとこれからずっと後悔していくようでイヤだった。
「…私っ…ね、七歳まで両親に虐待されていて……体中にある傷はその時の
モノ…なんだ。だがら、肌を見せることでっ……武君に嫌われるのが
イヤだった。…だけど、こんな傷だらけの女ってイヤだよね?」
「そんなことねぇよ……ってか、話してくれて嬉しかったぜ」
「えっ?」
今度は彼女が言葉を失う番だった。
目の前の彼はしてやったりと言った風に鼻を擦って笑っている。
「だって、今まで俺にこんな大事なこととか何一つ話してくれなかったじゃん?
だから、今すげぇ嬉しい」
「た、武君っ?!」
喜びのあまりなのか少女を思い切り抱きしめた。
そうすることで何かを消してしまいたかったのかもしれない。
「…なぁ、……抱いても良いか?」
ドキドキしている桃城には、もう浴衣越しに感じていたものよりも薄い布に
覆われていることを感じて理性を保つのが困難だった。
「……うん」
彼女は今にも消え入りそうな声で返事をすると、桃城の背中に腕を回した。
「あっ」
二人は互いの身に着けていたものをすべて取り去り、再び生命感溢れる
大木に
を押し当てると、胸の頂きに吸いついた。
大きく沿った姿勢のまま彼女を抱き寄せ、舌で弄びながら甘く歯先を立てる。
「あっ…っ」
「はぁ……あっ…あ」
「愛してるぜっ、」
初めてとは思えない色っぽさに少年自身も強く主張しだして思わず顔が
歪んでしまった。
だが、少女は生まれて初めての快感に、一々彼の表情の移り変わりを
確かめるほど余裕はない。
頬は火照り瞳からはどちらの物かわからない涙が溢れていた。
唇は既に大人の女性の鳴き声で桃城を一人の男にしている。
「私もっ!」
既に鋭く主張する頂きを立ち去ると、艶かしく愛を叫ぶ唇を覆い、
手探りで秘部を探した。
「ぅ……んっ」
舌を絡めても最初の頃よりか慣れてきたのか受け入れると、自ら動き出す。
その行為に嬉しく思いながらやっとたどり着けた秘部に指を二本刺しこみ、
各自を放し飼いさせるかのように自在に動かした。
時に、少女中を堪能するようにゆっくりとしたものや荒々しくを求める
ような指使いをさせる。
「あああっ…武っ」
「やっと、名前で呼んでくれたなっ」
「もう……ダメっ…イっちゃ!」
それだけでもイってしまいそうなのかは首を横に振った調子を何度も繰り返す。
ここで一回限界に達してもらってからもう一度と言うやり方も考えては
いたが、そんな余裕はこの14歳の少年にはなかった。
愛液で塗れた指を一舐めすると、彼女のか細い脚を開かせ、その中心に
昂った自身を宛がった。
「痛っ」
「っ、好きだ…大好きだっ」
彼女の腰を掴みながら自身を最奥へと突き立てる。
二人が繋ぎ合っている場所からは、白濁の液体が流れ少女の脚を汚していく。
瞬時に自身を引き抜き、思いの丈を淫らな朱に染まった女の身体に白い
欲望で飾り付け終焉の幕を閉じた。
これ以上この場にいたら自我が保たれる保障はなかった。
に辛い想いをこれ以上させたくない。
これが今の桃城に出来る唯一の優しさだった。
「……んっ」
「あっ、起きた?」
彼が目を覚ました時には、既に浴衣を着ていた。
少女の首筋にある生々しい傷口を見先程までのことを思い出し、顔中朱に染める
「…あのね……後、もう一つ言えなかったことがあるんだけど…ね」
「あ?何だよ」
「今日、武の誕生日じゃない?……だけど、プレゼントが決まらなくて」
「何だ、そんなことか。俺は全然気にしちゃいないけど、がそんなに気に
するんだったら俺の頼み聞いてくれるか?」
「う、うん。私に出来ることなら」
「あぁ…、お前にしか出来ないよ。これからもずっと俺の傍で笑っていて
くれること。な?簡単だろ」
―――…終わり…―――
♯後書き♯
皆様、こんにちは。
昼にupしようとして黄昏時に作業を終了した柊沢です。(土下座)
しかも、『沈黙の恋人』自体を書き上げたのは、何と午後の一時である
三時です。
この不肖柊沢の作品を待ちに待ったと言う方は大変長らくお待たせいた
しました。
この『沈黙の恋人』が読んで下さった皆様への午後の甘い一時に感じられ
ましたら光栄です。
それでは、『沈黙の恋人』をお読み下さいまして誠にありがとうございました。