月の涙


      青い月が光る。

      それが恐ろしく青白く見えるのは、この町で一人の男が殺されたからかもし


      なかった。

      彼の名は、雁屋貴明(46)某テーマパークを営んでいる。

      しかし、某政治家を友人に持つ雁屋は、経営の問題で彼をゆすり始めていた。

      それを快く思わなかった彼は、ある組織とコンタクトを取ったのが事件の
始まり

      である。

      その組織から送られてきた人物により、彼は殺害された。

      いや、暗殺されたといった方が良いのかもしれない。

 

 



      「こちら、コードネーム月の涙。ミッションクリアしました。これから帰還します」

      そういう人物は夜の闇に紛れながら足早に走っていた。

      時刻は十一時を回っている。

      人影は駅前を過ぎればなく、民家から出てくる人物もいないだろう。

      しかも、一般の子供なら起きている時間ではないので飛び出してくる訳が

      な
かった。

      通信を切ったその人物は、明かりのついた道を避け誰も近づかないような暗闇で

      視界が遮られた場所を選んで目的地を目指す。

      今夜の仕事も難なく遣って退けた。

      空で蒼く吠えている月は、まるで、地球上で起こっている全ての悲しみを
背負っている

      かのように思える。

      (まるで、私みたいだな……。…今夜の月は)

      そう、視界を地上に戻すと、背の高い少年が歩いているのに気がついた。

      (やばい、っ!気づかれる!!)

      こういう闇に紛れる仕事に所属している者は、一般の人間が気づかない場 所で、

      生存している。

      もし、気づかれてしまえば、例え予定外でも消さなくてはならなかった。

      他の暗殺者ならこれにも何も感じず、殺めてしまう所だが、この人物はそれ


      特に拒んでいる。

      そうしてしまうことで、自らの存在が危うくなるということも一理あるが、
仕事以外に

      暗殺したくはなかった。

      「誰ですかっ!?」

      しかし、その願いと裏腹に少年は背後に近寄る気配に振り返ってしまった。

      「っ!?」

      仕方なく、大きくジャンプして彼の上を通る。

      カツンっ。


      着地時に、靴の音が閑静な住宅街に響いた。

      「えっ……」

      勢い良く振り返った少年は、その先に目を見開かずにはいられない。

      庭木や石垣で良くわからなかいが、その人物は銀色の瞳を持つ自分と同い
年くらいの

      女の子だった。

      「何でっ」

      声を出し掛かると、一目散で少女は走り去った。

      (見られた!……仕方がない、あの人に相談してみるか)

      「あっ!ちょっと、君っ!?」

      特徴のある前髪を揺らしていた少年は、最初は着いてきたのに、段々その動きも遅く

      なり次に気づいた時には彼女しかいなかった。

      それを見て、何事も無かったかのようにいつものペースで誰もいない夜道
を走る。

 

 



      「篠宮さん。篠宮さんっ!!」

      少女が普通の民家の中に勢い良く入ると、そう叫んだ。

      「何だ?今夜のミッションはクリアしたか?」

      彼女の声に奥から車椅子に乗った中年男性が出てくる。

      彼は、通常の父親みたいに顔中のしわを寄せて笑った。

      しかし、少女は笑わない。

      ただ、話しがあると言って、奥の部屋の壁についているスイッチを触った。

      その途端、下の階に在ったエレベーターが音を立てて上ってくる。


      「どうしたんだ?そんな顔をして。…まさか」

      「……見られた」

      扉が開くと、その中に入り下の階へと向かった。

      その声が聞こえたか聞こえないくらい小さいものだったので、男性の耳に届いたか

      気になったが、彼は目を丸くしてこちらを見つめてくる。

      「見られたって、……アイツをヤったとこか?」

      「違う!仕事はちゃんとやった。だけど、その後、顔を見られたの!私と同 い年くらいの

       男の子に」

      次にエレベーターのドアが開くと、スパイ映画などで観た機械が置かれていた。

      彼女達は中央にある椅子に座ると、それが赤や緑などのランプが点く。


      「通信機のメモリーに記録したか?」

      「はい……」

      カメラ付きの通信機を大きな画面にコードで繋ぎ、目の前に先ほど見た 少年の姿が

      映し出された。

      「…コイツか」

      「……」

      彼が手元にあるキーボードでカシャカシャとブラインドタッチする。

      画面上に再び目を映すと、『大石秀一郎』と浮かび上がってきた。

      「『大石秀一郎。十五歳。青春学園中等部に通う中学三年生』か。暗殺者にとって顔を

       見られることは最大のミスだ。明日、コイツの学校に転校して親しく
なって来い。

       ……見計らった所で殺せ」

 

 



      翌朝。

      校庭のまわりに植林されてある桜がはらはらと花びらを散らす。

      その様を横目で見ながら、チャイムと共に教室に入ってきた二十代後半の
男性教師がHRを

      進めていた。

      昨夜、友人の宿題に付き合わされていた彼は、あの時刻にやっと解放され
家路を急いだ。

      すると、後方から物凄い勢いで走ってくる音がして振り返ったが、それは自分の頭上を

      飛び越え、月明かりが照らす道に降り立った。

      銀色の瞳をした少女。

      彼女の姿が脳裏に焼きつき、昨夜は一睡もできなかった。

      おかげで、今朝は寝不足である。

      しかも、朝練時に、手塚に弛んでいるといわれ二十周を命じられた。

      まるで、少女の瞳に魂が吸い取られたようにやる気が起きない。

      同学年の河村には心配されるし、乾には危うく『乾汁』を飲まされるところ
だった。

      「今日のHRはここまでだ。では、みんなに新しい友達を紹介する。さっ、 入って来い」

      「……はい」

      ワンテンポ遅れて可愛らしい少女の声が廊下から小さく響いた。

      ガラガラガラ……。

      教室の扉を開けて入ってきた者にクラス中がざわめく。

      この時期には珍しい転校生だなと思うだけで、大石はガラス越しの景色から
離れようと

      しなかった。

      黒板に聞き慣れたチョークの音が走る。

      恐らく、担任が名前を書いているようだった。

      「これで、良しっと。それじゃあ、自己紹介して」

      「はい。……明媛女学館中等学校から転校してきましたです。どうぞ 宜しくお願いします」


      「ねぇ、明媛女学館ってあのお嬢校の?」


      「ひぇ、跳んだ所から転校生が来たもんだよな」


      「それじゃあ、一般市民には興味がないんじゃない?」


      「やっぱ、うちの女子共とは格が違うな。ちょー、好み」

      「さんだっけ?マジで狙ってみる?」


      そんな声が拍手とともに聞こえてくる。

      彼はどんな人物が自分のクラスにやって来たのかと、窓から顔を移す。

      「っ!?……君は」

      「何だ、大石?お前の知り合いか?ちょうどいい、あいつの隣に座りなさい」

      いきなり立ち上がった彼に、担任は一瞬ぎょっとした顔がその隣に空いた席を見つけると、

      彼女にそう言った。

      「…はい」

      まるでロボットのように大石を見ながらゆっくりと歩く。

      その様子をクラスメートたちは視線で追った。

      彼の隣までに来ると、止まり、いきなり唇の端を緩める。

      「えっ……?」

      「宜しくね」

      その笑顔に周りから歓声が聞こえてくるが、大石の目には彼女しか見えな かった。

      人間違いではない。

      彼女の瞳は、昨夜の煌々と光っていた月のように銀色だった。

      「どうしたの?」

      先程からじっと見つめられている彼女は首をかしげている。

      「あっ、いや…。君の瞳が銀色なのにびっくりして……。その、ごめん…」

      「あぁ、これね。気にしないで、明媛女学館の時も良く珍しがられたの。私、日本人とロシア人

       のハーフなのよ。仲良くしてね、大石君」

      「あっ…うん。こちらこそ!」

      昨夜とは違った印象に少々面食らったが、彼もつられて微笑み返した。

      見間違えるはずはない。

      彼女は何も知らないという風だが、瞳にはあの時のような輝きを宿していた横目で盗み見て

      いる内に鼓動が激しくなる。


      (何だ?この気持ち…何だか、胸が熱い…)



 


      それから、何日も経たない内に彼女は男子テニス部に負けないぐらい青学 中のアイドルに

      なっていた。

      「ねぇ!昨日、四組の松浦君から告白されたって本当っ!?」

      最初はを妬んでいた女子達も彼女の明るい性格に惹かれていったのか、今 では自分から

      駆け寄ってくる。

      「うん。でも、断っちゃった」

      「何でよっ!?もったいない。いーじゃない、付き合えば。それで、気に入 らなければ

       別れれば良いんだから」

      彼女は困った顔をして笑うと、頬を染める。

      「私、……好きな人がいるから」

      「えっ!?誰よ、誰」

      「えへへ……内緒」

      そして、大石は次第にこの気持ちが恋なのだと気づいた。

      彼女の言ったことが胸に引っかかる。

      自分の心を燃やすのが彼女ならば、は一体誰なのだろうか。

      それに、不安になったり淡い期待をしたりしながら時間は流れた。


 

 


      練習帰りのある五月の放課後。

      制服に着替えて部室を出ると、ちょうど彼女が昇降口から出てくる所が見える。

      …どきっ!

      それを合図に顔中蒸気して声をかけるかどうするかと悩んだが、段々遠 ざかって行く

      見て口が動いた。

      「さんっ!!」

      「はいっ!?」

      彼女はそれに驚いたようで、妙に両肩を持ち上げている。

      彼はその様子が余りにも可愛らしく思え、笑いながら駆け寄った。

      「ごめん、ごめん。そんなに驚くとは思わなくて…、良かったら 一緒に帰らない?」

      通常ならこんなに喋ることができないのに、何故だかこんな言葉が自然に 出てくる。

      「うんっ!一緒に帰ろう」

      いつものように笑った彼女は、大石の隣を歩き始めた。

      地平線に沈む夕日で全てのものが金色に染まる。

      二人が歩く道も、校舎も彼女の瞳も…。

      「さん……」

      何故だか、彼女の名を呼んでしまったことに立ち止まった。

      彼女もそれに気づいたのか二歩手前で立ち止まり、こちらに振り返った。

      その頬には夕焼けで染まったものではない赤みがある。

      「何?」

      片手で胸を抑えるの瞳が一瞬、揺らいだように見えた。


      (何をするつもりなんだ……俺は)


      胸の音色が鼓膜に痛いほど響いてくる。

      肩に担いでいた荷物と一緒に学生鞄を地面に置いた。

      「俺……君のことが好きだ」

      「っ!?」

      ついに言ってしまったと、心の中で叫ぶ。

      彼女の瞳の中に居る自分が、顔中を赤くしていることに気づき、顔を背けた。

      「私…」

      「ごめんっ!」

      「えっ…」

      大石の背を不安そうに、見つめるを抱きしめてしまいそうになるのを必死 で堪える。

      「俺の勝手で、さんを困らせちゃったね。さっきの聞かなかったことにして くれるかな?」

      振り向いた彼は引きつるように笑っていた。

      彼女はそれを見ると、手にしていた学生鞄を投げて大石の胸に飛び込む。

      「えっ!?ちょ、ちょっと、さん」

      「私も……あなたが…好き」

      「さんっ!?」

      「だから、迷惑なんかじゃないよ。それより……嬉しかったの。そう言ってく れて…」

      顔を上げて笑う彼女の瞳からは涙が溢れていた。

      「あれ?どうして、泣いているんだろ?私、本当に嬉しいんだよ」

      瞳から溢れるそれはまるで、月の雫のように綺麗である。

      彼がそれを指で拭うと、彼女の頬がぴくりと動いた。

      「それ……ウソじゃないよね?」

      「うん…大好きだよ?」

      彼女の背中に腕を回し、力強く抱きしめる。

      「ありがとう…」

      「大石君、苦しいよ。…力抜いて…」

      その言葉を最後に彼女の唇を軽く吸う。

      すると、鼓動がワンステップ違う音色を奏でるのを聞いた気がした。

      この奪った唇が禁断の果実のように感じられる。

      それでも、彼女と一緒であればそれも喜んで受けたいと思った。

      「ごめん…」

      しばらくして唇を放す。

      「どうして、謝るの?」

      再び開いた瞳には笑みが浮かんでいた。

      「大好きっ!」

      そう言って、再び自分よりも長身な大石に抱きつく。


 

 


      それから、二人は自然に付き合いだしていた。

      周りはいろいろと噂を立てているが、そんなことはどうでも良い。

      キスも何度も交わし、もっとのことを知りたくなって欲求を抑えるのに、
精一杯だった。

      「…んっ」

      いつもの帰り道。

      お互いの気持ちを確かめるように、唇を奪い合う。

      彼の首に回された腕に力が入った。

      それもいつものことで、軽く流す……はずだった。

      「んんっ……っ…」

      大石に委ね始めた唇の中に侵入し、舌で彼女のものを探す。

      すると、すぐに見つけ甘く絡め出し、まわした腕に力を込めた。

      もっと、深く進めてみたい。

      しかし、そんなことをすればは自分のことを嫌いになってしまうのではな
いだろうか。

      そう思った彼に彼女自身がぎこちなく絡まってくるのを感じた。

      目を開けると、もそれにつられて大石を見つめる。

      その瞳には何も浮かんではなく、ただ彼を求めていた。


      (もう、……限界だ)

      「んっ!……ふっ…」

      ブロック塀に彼女を押し付け、激しく動かすことに専念する。

      彼女自身もその動きに身を任せ、呼吸もどんどん荒くなっていった。

      お互いの唇を放す頃には銀色の糸が二人の間を結んでいる。

      人影のない道をわざわざ選んで帰っている二人の他は誰もいなかった。

      荒くなった呼吸が住宅街に響いていないか少し気になる。

      「はぁ、はぁ……大石君」

      まだ、唇の端で繋がっている彼を呼んだ。

      彼女の顔は何だかとても悲しそうに見える。

      「あっ、ごめんっ!俺、また、こんな勝手なことを…」

      「良いの!私も何だか、あなたに求められている気がして……とっても嬉しかった」

      そう言う、はいつものように笑っていた。

      大石はほっと胸を撫で下ろすと、彼女を抱きしめる。

      「良かった。それで、何だい?」

      「…ん……私の家に来ない?」

      「えっ?」

      彼女の言葉に耳を疑った。

      「…あっ、その……変な意味じゃなくて……家のお父さんが連れて来いって うるさいの」

      「そっ…そうだよな?あははは。俺、何、勘違いしてんだろうな。良いよ。 ちょうど、明日から

       夏休みだしお邪魔させてもらうよ」

      「うん。…解った。それじゃあ、明日、楽しみにしているね」

      彼に背を向けて歩き出したの胸に何かが過ぎる。


      (仕方がないじゃない。……あの人は私を見てしまった。仲間に引き入れたって第二第三者が

       いても可笑しくない。だから、消すしかないのよ。わかって
いるでしょ?)


      そう、言っても心の中はもやもやしたままで胸が痛んだ。

      「ただいま…」

      「あぁ、お帰り。上手く、家に呼び寄せただろうな?」

      玄関を開けると、居間の方から中年男性が出てくる。

      「うん……明日、来るって」

      「はははは。良く、やったぞ。準備はお前が学校に行っている間に用意できた し、明日が

       楽しみだな」

      「う…うん……」

      着替えてくるねと、言って二階にある自室に行くと涙が溢れてきた。


      (……何で?何で、こんなことになったの?)

      ベッドに倒れ込むと、必死で声を殺す。

      彼女にはそれがどうしてなのか解っている。

      それは、大石秀一郎という少年を愛し始めているからだった。

      暗殺者でも、はまだ少女である。

      彼女は小さい頃に捨てられ、あの男性篠宮直喜と暮らし始め暗殺者として
育てられた。

      彼も元々はプロだったが昔、怪我をして引退したがのように捨てられた子

      供たちの指導をしているのだ。

      これまで何人もの人間を殺めてきた。

      彼はそんな過去を持っている自分のことを好きだという。

      でも、それは青学にいるではないだろうか。

      本当のことを知ってしまえば、大石はこの手からすり抜けてしまう可能性があった。

      (怖い。……何でだろう?今までどんなことをしてもこんな感覚は無かったのに…。今はただ、

       明日になって欲しくない)

      泣き疲れて眠りに付いてしまったのか、気がついた頃には彼と初めて会った夜のように

      蒼い月が昇っている。

      (何を私に求めているの?明日になれば彼は殺さなければならない。そんなの私にはできないっ!

       好きになってしまった人をやるなんてヤダっ…でも、篠宮さんに反逆なんてできない。今まで育て

       てきてもらった。
なら、私は大石君を命に掛けても守るしかない!!!)

      窓の外にはそれを望んでいるように蒼い月がこちらに向かって笑った様に思えた。


 

 


      「こんにちは!」

      大石は午前中に彼女の家にやって来てインターフォンを鳴らす。

      彼はその上にある表札に前から気づいていた。

      彼女の苗字は「」なのに、それは「篠宮」とだけ書いてある。

      でも、これまで彼女にそれを訊いたことなど一切しなかった。

      きっと、複雑な事情があるのだろう。

      でも、自分が好きになったのはであってそれではない。

      「はぁ〜い!」

      中から愛しい彼女の声が響いてきた。

      玄関から飛び出てきたは大石の前まで来るときつく抱きついてくる。

      少女の癖のない長い髪からはシャンプーの良い匂いが鼻に衝いた。

      「いらっしゃいっ!」

      「あはは、お邪魔するよ」

      彼女が余りにも可愛らしくて顎を軽く掴み、キスを落とす。

      「んっ」

      唇を離すと一瞬だけが、とても悲しそうな顔をしたのが気になった。

      でも、それはほんの一瞬で、笑顔の中に隠れてしまう。

      「さぁ!上がって、上がってっ!!」

      「あっ、あぁ」

      彼女に手を引かれ、篠宮家に入った。

      玄関の中に入ると、品の良い中年の男性が車椅子に乗っている。

      「やぁ、いらっしゃい。君が大石君か。話しはいつもから聞いているよ。お茶でも淹れるから

       リビングで待っててくれるかな?」

      「あっ、お構いなく!」

      手前の部屋に消える篠宮にそう言った。

      彼も彼女に手を引かれながら入ると、ソファーが二つにテーブルがその間
に置かれている。

      大石が腰を下ろすと、その隣に座り自分の家だと言うのに落ち着きなくキョ
ロキョロしていた。

      「どうしたんだ?」

      「えっ!?何のこと…」

      その行動に訊ねてみるとやはり、笑顔でかわされる。

      それを繰り返していると、彼がお盆の上に紅茶とケーキを運んできた。

      「どうぞ。紅茶には少し凝っててね。牛乳と一緒に鍋で沸かしたんだよ。良 い香りがするだろ?」

      「はい。とても温かくて何処か懐かしい匂いがします」

      ティーカップを受け取ると、上ってくる湯気に目を伏せた。

      「このケーキも食べて。私が、今朝早起きして作ったの」

      隣で嬉しそうに笑う彼女を篠宮が見つめる。

      「おやおや。、親の目の前でいちゃつくものではないよ。娘が嫁いでいく ような気分になるからね」

      「だって…」

      「おっ、おじさん!?」

      彼の言葉にドキドキしていると、その容姿と相対して豪快に笑った。

      「はっはっはっは!君は面白い子だね。ちょっと、娘を借りて良いかな?後 片付けを手伝って

       欲しいんだが」

      「あぁ、お構いなく。僕は一人でも大丈夫ですから」

      「じゃあ、ちょっと待っててね」

      そういうと、台所に姿を消しリビングから見えないことを確認する。

      「どうした。何故、殺さないんだ?」

      「もう、誰も殺したくないんです」

      「馬鹿を言うなっ!お前の手はもう血まみれなんだよ。それで、何人殺してきた?もう、

       数なんて覚えてねぇだろ!?物心がついた頃からヤッテきた
もんな。それとも本気で

       あの坊主にホレちまったか?」

      「……」

      彼女に顔を近づけると、視線をそれから背ける。

      「やはり、お前は女だったか。もう、良い。私が直々に殺してやろう」

      「止めてっ!大石君に手を出さないで!!」

      篠宮の両手首を取るがそれは容易く外され、冷蔵庫の方に強く突き飛ばされた。

      「きゃっ!」

      「くどいっ!」

      「どうしたんですか!?すごい音が聞こえましたが……っ!?」

      それを聞いてリビングから駆けつけた彼が、顔を出す。

      「逃げてっ!早く、ここから逃げて!!でないと、彼に殺されてしまうわ」

      「もう、遅い!死ねっ!!小僧」

      灰色のジャケットから短銃を取り出し、引き金を引く。

      「大石君っ!」

      「っ!」

      ……ズドォォォォォン!!!

      彼は強く瞼をつぶりその場で倒れこんだ。

      「っ…!……あれっ?何ともない」



      ガチャ…!


      すると、同時に何か重たい金属製のものが落ちた音がした。

      視線を音がした方に向けると、篠宮が短銃を床に落として何かに瞳を見開
いている。

      「っ!嘘だろ!?何で、お前がこんなことをするんだよ。そんなに、コイツに惚れているのかよ?」

      彼がそう叫んでいるのが耳に入った。

      大石が彼女を視線で探すと、目の前で倒れているのを見つける。

      「っ!?」

      「てめーのせいだっ!お前に心底惚れちまったから…お前を庇って…」

      彼の声に反応するように、彼女の瞼がぴくりと動いた。

      ゆっくりと開くその素振りが痛々しい。

      少し開いた隙間から盗み見るように大石を探し、それを確認すると瞳の端
に涙を溜めた。

      「ご…ごめんね。わ、私が…私が悪かったの」

      「何を言っているんだ!?お前は全然悪くないっ!だから、…だから、しっ かりしろっ!!」

      「最初から…あなたが私と出会ったあの夜から……私は大石君を…殺すつもり…だった。

       でも……できなかった。愛、して……ぃるか…ら…」

      「知っていたよ」

      彼の意外な言葉に口を動かさなかったのは、単に傷口のせいではない。

      彼女の腕から大量の血液が流れ出していた。

      「だけど、それでも良かった。俺は、君の瞳に恋していたから…。俺もの事 を愛している」

      「あはっ……ありがとう。私、犯罪者に…なる前に…あなたと会い……たかった…」

      「嘘…だろ?っ」

      彼女は何も言わず、眠っているように見える。

      抱えた腕がわなわなと震え出した。


 

 


      次に彼女が気づいた時には、暗闇の中にいた。


      (私……このまま死んじゃうのかな?これまでの行いが悪かったから地獄に落とされるだろうな。

       でも、その前にもう一度だけ彼に会いたかったな)

      そう思った瞬間に、煌々と光り輝くものが現れ、彼女はその中に吸い込まれる。

      「…っ!……!!っ!!!」


      (誰?私を呼んでいるのは、誰なの?)


      激しい光の中、強く閉じていた瞳を開いた。

 

 

 


      「っ!?」

      白い壁と消毒薬の匂いが鼻に衝く。

      その前に目にしたものは……。


      「……大石……君?」

      目覚めたばかりで体中から力が出なくて彼を抱きしめられなかった。

      どんなに会いたかったか伝えたいのにそれが出来なくて、涙がこめかみに流れる。

      「どうしたんだ?何処か、痛いか?」

      大石はそれを見てどうしようかと慌てた様子を見せた。

      左の掌に温かいものを感じ、そっちに視線を移す。

      そこには、彼がずっと握ってくれていたのだろう両掌が添えてあった。

      それに胸が熱くなり、また、涙が込み上げてくる。

      「大石……君」

      もう一度、彼の名を呼んだ。

      今度は確かめるためではなく、愛しい人を自分に気づかせるために…。

      「何だ?」

      大石が優しく微笑む。

      「…キス、して」

      彼の顔がどんどん近づき、触れるだけの口づけを落とした。

      「……もっと、したかったら早く治るんだよ」

      「うん……」

      ベッドの中で優しく微笑むが、愛しく思え、抱きしめたくなる。

      しかし、力なく瞼を閉じている彼女を見ていると、そんなことはできなかった。

      世界中で一番、愛しているから…。


 

 


      †おまけ†

      初秋の頃。

      青学に再び二人の影があった。


      「篠宮さん、どうしているかな?」

      昼休みに二人で屋上に出ると、遥か遠くの空で飛んでいる飛行機を見て彼女が呟く。

      彼は、を緊急病院に送ると、子供達を連れて何処かに姿を消した。

      「大丈夫だよ。篠宮さんは何処かで元気にしているよ」

      その後、彼女は大石家にもらわれ、今では若夫婦のように一緒にいる事が多い。

      不安そうなの肩をそっと抱いた。


      「私……少年院に行きます」


      彼女は、最初、そう言って出て行こうとした。

      でも、それは今までの生活があったからそうなったのであって、ふつうの
家庭で暮らせば

      そんな事は絶対しなくなる。

      そう、彼や家族に説得され思い留まった。

      「…。……渡したいものが、あるんだ」

      「何?」

      向き直る二人の間に一つの指輪があった。

      それは、ファンシーショップで売っているような小さな石が埋められている

      シンプルなデザインだったが、彼女の左手を取ると、その薬指にぴったり納めた。

      「まだ、本物とはいかないけど……俺と結婚してくれないか?」

      「えっ!?」

      「もちろん、今とは言わない。けど、……いつか、俺が世界にデビューした時、

       傍にいて欲しいんだ」

      そう言う、大石の頬が赤く染まっていた。

      まるで、最初に告白した時のようである。

      「はい。あなたについて行きます…」


 

 


      ―――・・・終わり・・・―――


 

 


      #後書き#

      こちらは私には勿体無いお友達のRise様にお送りしました。

      やっと、終わりました。

      読んで下さったお心優しい読者の方々ありがとうございました。

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