渡さない
校内に植林されている木々からは小鳥達がさえずり合って、時を越える
ハーモニーを奏でていた。
誰もいない教室で一人の少年がそれを耳にしながら、ある一点を見下ろしている。
十二月に入ったばかりで朝はいつも霜が降り、いつも低気圧で寝床から起き
上がったとしても、30分くらいしないと本当に起きない彼がこの時間に来ること
はなかった。
しかし、ここ最近になりはじめてからそれが当たり前だというのように、
自分の席に腰を下ろして何かを見下ろすのが日課となっている。
勿論、クラスメートである丹羽大輔を観察するのは疎かにしていない。
だが、それ以上に今、彼が目にしている人物が気になっていた。
彼がいる教室から見下ろす形になる中庭の花壇の方には、一人の少女がいた。
彼女は何のためらいも無く、土に両の掌を置き、そこに生えている雑草を
抜いている。
確かに、この学園には、園芸部は存在するが、この少女は当たり前のように
所属していなかった。
手の至る所は土だらけなのに、毎朝登校してきては、あぁして花の手入れを
自ら進んでし続けている。
少年がそのことを知ったのは、彼女が転校してきた何日か後のことだった。
ある日、彼、日渡怜は彼女、と一緒に、入ってきた噂を耳にすることになる。
彼女と仲良くなろうとすると、必ず不幸に遭う…
初日から全く、変わらない少女の態度からもそれが容易に窺えた。
転校生にはお決まりの交流を図ろうとしたが、はそれから逃れるように
独りを選んだ。
普段、冷たそうな顔をしているが、話しかけてれば満面の笑みを浮かべて出迎え
るのが周囲に不思議な影響を与え、密かに好感度がある。
彼もまた、その属性に位置する人物の一人だが、日渡の場合微笑むことなど
ほとんどなかった。
だからだろうか、大輔を調べるついでに彼女のこともデータでわかる資料は
調べたつもりだ。
後は実際にリサーチをするだけで、こうして毎朝誰もいない時間に教室へ
やってきては見下ろしていた。
眼鏡の中の冷ややかな瞳は、昨夜調べたばかりのデータを思い出していた。
それは、この噂に何か深く関連しているのではないか、と愛用のノートパソコン
の画面を見ながら唇を強く結んだ。
再び気づいた頃には、教室内にクラスメート達がいつもの朝を作り上げ、
制服の袖をまくっていた少女も席についていた。
日渡の斜め後ろにいる彼女は、何も無かったかのように机に突っ伏していた。
手を洗ったのか、爪の間にも土の一部も見当たらない。
先程は結っていた長い黒髪を今は伸ばしているため、がどんな顔をしているのか
解らなかった。
だが、それは生きることを諦めたかのように動かなかった。
少女がこの学園に転校してきたのは、ある夏休み明けの何日か後だった。
『です。どうぞ宜しくお願いします』
パチパチパチパチ…
言葉少なげに挨拶を済ませた彼女が微かに笑ったのが、クラスの男子達のハート
を射抜いたらしい。
『ねぇねぇ!!さんっ……』
その後、当然のように質問攻めに遭うが、寂しそうに微笑んだのを今も
良く覚えている。
『私に優しくしてくれるのは嬉しいけど、……私に関わらない方が良いよ』
その時は何故かと聞き返したが、すぐに理由が校内中に知れ渡った。
以前、彼女と仲良しだった友人等が相次いで不慮の事故に巻き込まれていたのだ。
それでも偶然だと信じて疑わなかったある男子生徒が何ヶ月か前に、下校
途中の階段から突き落とされ三ヶ月の怪我を負った。
そのことは光陰矢の如く、校内中に知れ渡り、今では必要最低限の距離で
彼女に触れなくなった。
最も、それで怖気づく生徒はこのクラスにいなかった。
「さん、おはよ」
原田梨紗が彼女の席に近付き、柔らかく微笑んだ。
「あっ…おは……よ……ぅ」
それに対してぎこちなく返す少女は、引きつるように笑っている。
「ごめん!今日の数Uの宿題、見せてくれる?私、あったの忘れてて…」
彼女がそう言って、顔の前で手を合わせていると、背後から近付いた人物が力無く
首を左右に振った。
「梨紗は、「忘れてた」じゃなくて「しなかった」でしょうが。昨夜なんて
いつもの占い、聞いていたくせに」
「梨紅っ!!」
背中まで伸ばした彼女とは違い、その少女は髪を短く揃えており梨紗と同じ顔を
している。
彼女は少女を軽く睨んだ後、に向き直りゴメンネと呟いた。
「いつも、梨紗が無理言って
…」
「だっ、だって、梨紅が見せてくれないからさんに頼むんじゃない!!!」
「だ〜か〜ら〜、自分でやんなきゃ意味がないっているでしょうが。今日は
問答無用で先生に絞ってもらわないと」
「え〜ん、さん、助けてぇ」
そう言って泣き真似をした彼女が小柄な少女の背後に隠れる。
その瞳は今も腕を胸で組んでいる人物を見ていた。
こう言う仕草を男子達が可愛いと騒ぐのだろうが、日渡だけはその意味が
解らずにいる。
何故、こう言う人物に優しくする者がいるのか不思議で使用が無かった。
しかし、もその一人である。
暫く、このクラスで有名な双子の姉妹が、自分を囲んでにらみ合っているのを見て
くすりと笑い出した。
「「えっ…」」
二人の声が合わさるのとクラス中のあらゆる音が教室から消え去ったのは同じで、
ただ彼女の笑う声が妙に響く。
彼もそれを垣間見るように何人かの生徒の間を縫って少女の横顔を見つめる。
しかし、それは一瞬で消え失せ、ほのかに頬を赤く染めた。
「ごっ、ごめんなさい。えっと……私もちょっと解らないところがあって……
そのぉ……合ってるか解らないけど…」
言葉が続かない内に机の中を探り、数学Uのノートを梨紗の方へ差し出した。
その顔は真っ赤で瞳は強く閉じられている。
差し出された方は姉妹で顔を見合わせ、遠慮勝ちにそれを受け取った。
「本当に良いの?梨紗なんかに貸して…」
「むぅ、何かとは何よ!でも、本当に良いの?数Uは一時間目だしHRが終われば
クラスを受け持っていない先生は廊下で待機しているし」
「だっ…大丈夫だよ。自分の考えたことだから大体は覚えているから」
「えっ!?これ、覚えてるの」
「当然でしょうが。さんはあんたと違って予習復習をちゃんとやっているのよ。
感心する暇があったらさっさと写して返しなさいよ」
「んもぉ!解ってる。じゃあ、借りるね?本当にありがとう」
そう言って嵐が去った後のように教室に活気が戻ってくる頃、担任が予鈴と共に
教壇に立った。
同時に日直が号令を掛ければ彼女は元通りの悲しそうな顔をしていることに気づいた。
先程まで晴れていた空がいつの間にか曇りだし、何故だか、何かが起こりそうな気が
してならなかった。
担任が出席をとっているのを耳にしながら窓の外を見つめる。
その顔は厳しく、瞳の中のもう一人の自分も同じ気持ちだった。
放課後になれば、一気に気温が低下し、今時期が冬なんだと言うことを再確認させる。
今朝のように制服のまま地べたに座り込み、既に枯れ果てた植物を引き抜くを
繰り返していた。
グラウンドには各々の部活動がいて時々、その方から歓声が聞こえてくる。
だが、その誰もこの少女には関わろうとはしなかった。
サッカー部がボールを花壇附近に誤って違う方向に転がしてしまい、取りに急いでも
彼女の存在を無視して来た方向に勢い良く駆けて行く。
新入生らしい坊主頭の野球部員がグラウンドを走り回っていても少女の存在に気付けば、
疲れきった足に鞭を打って速度を上げた。
彼女自身はそれに慣れたのかそれを見ようとはせず、山盛りになった雑草を持って
立ち上がる。
「俺が手伝おうか?」
「えっ!?」
背筋をびくっと震わせた背後に、聞きなれた声の主がゆっくりと近付いた。
「その量じゃ、一人で運ぶのは無理だ」
「日渡君っ!?」
物陰に隠れてずっと見ていた彼は無表情での手から雑草の山を奪った。
「だっ、ダメだよ!制服が汚れちゃうよ!!」
「君だって、汚しているじゃないか」
「私は良いの!それに、これは私の唯一の楽しみだから別に急がなくったって
大丈夫だから」
語尾に近付くと、悲しそうに笑った少女の瞳と目が合った。
午前中から曇り出した所為か校内にはほとんど生徒が残っていない。
だが、運動部はいつもより一時間早く終了する事で活動する事になっていた。
この気象は予報でも読み取れなかったなどと、どこかで生徒が話していたのを
聞いた覚えがある。
それを聞いた途端、彼女は誰にも気付かれないように机の下で両手を強く
握っていた。
二人で焼却炉に山盛りの雑草を運び終えると、手を洗いしばらくの間沈黙が重く
圧し掛かる。
どちらからでも無く、教室に向かい帰り支度を済ませようと足を動かした。
「何故、一人でいるんだ?」
階段を上ろうとするの体がまた震えた。
「何故、君は一人なんだ?」
彼女の肩を掴もうとすると、それから逃げるように勢い良く駆け上った。
「っ!」
彼が珍しく叫ぶ声が階段中に冷たく木霊した。
だが、少女は振り返ることなく、登り続けている。
「くそっ!」
唇を強く結び四階建ての螺旋階段を駆け上った。
既に、三階に指し掛かるか掛からないかの場所で息を乱している彼女の肩を
何者かが掴む。
「っ!?」
勢い良く振り返ると、そこには疲労を微塵も感じさせない端整な顔をした
日渡がいる。
普段、ダークを追い駆けている彼にとって普段授業でしか運動をしない人間を
捕らえるのはたやすいことだった。
「何故、逃げるんだ!?」
「私から離れて!でないと、あなたまで…」
体を揺らされ、遂に、口を滑らせてしまったと両手で覆ったとしても
それは遅かった。
彼女の瞳には水辺の歪のように揺らめく影があった。
体を硬直させた日渡に出来るだけの微笑を浮かべる。
だが、それは他人が見れば、助けを訴えるものにしか見えなかった。
「私は……独りで…良いの」
口を動かせば、同時に重くなった涙を頬に伝わせる。
それは固く閉ざしたもう一人のと言う少女だった。
廊下の方へ走り去ろうとする彼女を今度は、手首を掴んで阻止する。
「……放して」
「駄目だ…」
もう一度、泣き顔の少女を見た瞬間、彼は強く抱き寄せていた。
彼女は一瞬、何が起こったのかわからず体を預けている。
華奢なそれは少年の腕の中に納まり、次第に状況が読み込めたのか甘いメロディーが
奏でられていた。
「どうして…」
ようやく発した声がどこか震えていた。
少年は何も言わず、彼女の手を掴み、それを自らの胸に導く。
「あっ」
短く呟いた声が耳をくすぐった。
彼のそこは激しく脈を打っている。
それを確信に変えるために見上げると、珍しく頬を赤く染めた笑顔があった。
「日渡、君……」
「好きだ…が好きだ。だから……君を救いたい」
抱きしめる腕に力を込める。
こんな感情が自分から生まれ出てくるとは思ってもみなかった。
今もこんなにドキドキしている自身に驚いている。
ただ、見ているだけで良かった。
なのに、今はこうして感じていなければ彼女が消えそうだと不安が襲って来る。
「私は…」
「君の気持ちを…聞かせてくれないか?」
「……渡さない」
「っ!?」
そう聞こえるか聞こえないかの声で呟いたかと思えば、次の瞬間、彼の腹部に
激しい痛みが走った。
長身の体を畳み込むように倒し、少女を地上から見上げる。
先程の衝撃は他の誰でもない彼女の膝だった。
あの状態で外部の人間から受けるわけはない。
まして、今は二人きりだった。
腹部の痛みを堪えながらの顔を覗き込む。
だが、そこには少年が愛した少女はいなかった。
眉は吊り上げ、不気味に笑う人物がいた。
「だっ…れだっ!お前は……」
かすれた声が痛々しい。
掛けられた本人は何が可笑しいのか声を上げて笑った。
その素振りも常の彼女の物ではなく、雄雄しいものである。
腰に手を当て、片方で腹部を押さえていた。
一通り笑い終えれば、穴が開くほど日渡を酷く睨みつける。
「褒めてやるよ。俺を見たのはお前だけだからな。俺の名は水深。の双子の弟だ。
だが、お前に俺の姉さんはやんねぇ…永遠に俺のモノだ!」
そう言うのが早かったか、体を固く身構え再び日渡を目掛けて突進して来た。
(くそっ、動こうとしても……体が言うことを利かない……)
唇を強く噛み締める。
霞み始めた目にはこちらに声を上げて駆け寄る彼女そっくりで、ではない存在。
水深と名乗るこの人物は彼女の弟と言っていた。
だが、それが何故少女の体に宿っているのだろう。
『怜さん!危ないっ!!』
自分に振り上げられた手を見上げたその時、彼の中のもう一人が叫んだ。
その瞬間、眩い光に包まれたかと思えば、校舎よりも高く空を羽ばたいていた。
『クラッド!?』
「危なかったですね。これ以上、お体を痛めつけるのはお止め下さい。私のモノでも
あるのですから」
日渡より冷たく笑うその人物は、遥か下にいるを目標に白い羽一枚をかざす。
『やめろっ!彼女を傷つけるな!!』
「ふふっ……何を言うんですか。あなたを傷つけたのですよ?」
『それはには関係ない。だから、彼女を傷つけないでくれ!!』
「そんなことを言って私から逃れることはできませんよ。私はダークのように
出来損ないではありませんから」
『出来るさっ、こうすれば!』
「何をっ!?……ぐはっ!!」
そう言うと、何のためらいもなく思い切り自らの鳩尾を殴った。
それは彼自身とも繋がっているため、腹部を押さえたまま体を固まらせたかと
思えばいきなり下降し、その姿は日渡怜のものへと化した。
『こ…んな……ことをして…良いと思っているのですか』
体内に響く声を聞いた気がしたが、それは既に理解しているはずだ。
(を……愛しているから)
薄れる意識の中でそんな言葉を聞いた気がした。
それは日渡の本心だったのかもしれない。
一方、地上ではこちらに向かって勢い良く堕ちてくる彼を身構えて待っている
少女の姿があった。
『やめてっ!』
「何だよ…あいつにホレたの?は俺だけの姉さんだと思ったのに……っ!」
『私は水深といられて嬉しかった。私の所為で……でも、こうして一緒にいられて
嬉しかったのはホント。でも、みんなを酷い目に合わせたりして
……嫌だった。
もう、私は大丈夫だから……だから、水深もこれ以上私のためにその手を
汚したりしないでっ』
「姉さん…。ごめんっ、今まで寂しい思いをさせて……だけど、俺っ、のこと
守りかったんだ。……
それだけは信じて」
『うん、解ってる。私の方こそごめんね……ごめんね水深っ』
『バイバイ……姉さん』
その言葉を最後に聞いたと思った瞬間、辺りは光に包まれ彼女は強く瞼を閉じた。
心中でひたすら弟に謝罪を述べて…
辺りから光の気配が感じられなくなり、恐る恐る瞳を開ける。
体内にはもう、誰もいない。
天空から落下していた日渡がどうなったのか知りたいが、万が一のことを考えたら
そんなことは恐ろしくてできない。
しかし、もう、水深はいないのである。
明日へと進むことに恐れてはいけない。
「日、渡……くん。日渡君、どこ?」
まだ目がぼやけて、はっきりとは見えない。
だが、進むことを恐れては今までと何も変わらない。
一歩一歩自らの足で大地を踏みしめて、彼の姿を求める。
だが、光の影響が強すぎたのか世界がぼやけて見えた。
「日渡君っ!」
「っ!」
もう一度叫ぶと、今度は返答と一緒に強く引き寄せられたのを感じた。
「大丈夫か!?どこも怪我はないか」
「私のことよりそっちは大丈夫なの!?」
「あぁ……君の弟が救ってくれたんだ。「お前が死んだらが悲しむ」ってね」
「水深ったら…」
段々視界が慣れてきた頃、今いる場所が彼の腕の中だと知って、今更ながら
鼓動が鳴り響く。
既に消え失せた彼が心の中で悪戯っぽく笑ったのが見えた。
彼女は顔を俯かせたかったが、何分体が密着してそれもできない。
不意に日渡の顔が耳に近付いたのを感じて両肩に妙な力が入ってしまう。
「……邪魔が入ったが……の気持ちを聞かせてくれるか」
耳に囁かれてますます体中が熱くなる。
少年のシャツの袖をぎゅっと掴み、水深を思い浮かべる。
ここに越してくる前、交通事故で亡くなってしまった双子の弟。
その真相は彼女の中で眠っていた。
「私には、消えない罪があるの」
「・・・・罪?」
覗き込む彼を見上げ、首だけで頷きずっと言えなかった真実を語り始めた。
「!一緒に帰ろうぜ」
「水深、今日は空手じゃなかった?」
「あぁ!!忘れてた。ごめん、また今度な!!!」
「良いから!さっさと行かないと師範に怒られるよ!!」
物心ついてからずっと一緒だったためか、二人は傍から見ても仲が良い
兄弟だった。
だが、ある日。
いつもの帰り道、彼は常の元気がなかった。
訊ねても変に誤魔化されるだけで何も教えようとはしなかった。
だが、その真相は引っ越す日が決まった日に嫌でも理解するしかなかった。
両親の離婚。
まさに、「寝耳に水」な話だった。
偶然、このことを知ってしまった水深はどんな気持ちで押し殺していただろう。
彼は母親とそしては父親と暮らすというのが、引越しの真相だった。
それは既に、二人の通っている学校にも知らされている。
父親とこの家を出る彼女は良いが、この家に残る彼はこれからどんな気持ちで
中学生活を送るのだろうか。
それを思うといてもたっても居られなくなり、夜だというのに家を飛び出した。
どうしてこんなことになったんだろうと、泣きながら走った。
『待てよっ!』
『ついて来ないでっ!!』
その後を水深が追いかけてきた。
空からは予報で言っていた雨が降り始めた。
それはバケツをひっくり返したように勢いがあるもので、体中を一気に濡らす。
視界も滲んで見えてそれが涙のものかの区別もつかなかった。
普段車が通らない道路の信号を見ないで渡っていると、嫌な音が間近に聞こえた。
『っ!?』
それはこれまで何度も聴いた車のクラクション。
TVのどんな番組でも目にしたシーンで、自分ならこんな時動けると言い張って
いたくせに、大事な時に限ってその効力は発揮されずに足が震えた。
「あぶないっ!」
それが聞こえたのと同時だっただろうか、の体は道路を渡りきった隅の方まで
飛ばされ、車の急ブレーキと共に何か鈍い音がした。
『……水深?』
動揺した頭で何が起きたか知りたくてぐしょぐしょに濡れた洋服の袖で瞼を拭った。
ようやく視界に倒れた彼が入ってきた頃には、遠くで救急車のサイレンが聞こえた。
話し終えると涙を頬に伝わせ、彼を見上げる。
両手はそっとだが、しっかりとした強さで日渡の胸を押した。
「あの後、お葬式が済んだ時に水深の声がして……でも、みんなには聞こえなくて
気のせいかなって思ってたら私の中にいることがわかったの。でも、両親の離婚は
もう、決定されていてここに越して来るのを少し延ばしていたの。そしたら、水深が
自分以外に私の心が向かれるのを異常に嫌い出してあんなことを私の体でやり始めたの。
だから、…私には実の弟を殺した罪があるから…私を好きにならないでっ」
あなたまで汚れるから、と精一杯の笑顔を見せた。
それは儚くて今、捕まえてしまわないと、この世から消えてしまいそうだった。
「っ!?」
彼は意を消して精一杯の強がりを腕の中に納めることで、そんなことは必要ないと
いうことを伝えたかった。
抱き寄せた腕に力を込める。
もう、離さない。
その言葉が頭に浮かんでくるが、口より先に手が出てしまった。
「は汚れてなんかいない!むしろ、俺の方が汚れている。俺の中で今も悪魔が
眠っている。この手でどんなことでもしてきた。だが、俺は一人の大事な存在を
この手で守りたかった。
結局は何も出来なかったが」
「そんなことはないっ!日渡君がいたから私は独りで生きていく決心ができたの。
あなたがいたから、私…」
勢い余って口にしてしまったことを今更ながら気づいて頬を赤らめ、横を向こうと
した顎を彼に掴まれる。
「え?」
「好きだ…」
鼓動が高鳴る。
目の前には、端整な少年の顔が至近距離以上に近付いていた。
「まっ、待って」
「悪いが、もう、待てない…」
そういったのが最後の言葉になり、二人の唇が微かに重なる。
しかし、それは一瞬のことですぐ離れてしまった。
見上げれば、顔中を赤く染めた彼が恥ずかしそうに笑っている。
(…ねぇ…水深……言っても良いよね?…ねぇ)
深呼吸を一つ吐き、少年らしい顔をした日渡を見た。
「私も……あなたが好きです」
「っ!」
彼女の驚く顔と同時に唇を強く噛んだが、もはやそんな誤魔化しが通じるわけがなかった。
くすっと微笑んだ顔はという人間のものである。
「「」と呼んで下さい。……弟の代わりではなく私をそう呼んで下さい」
そう言うと、自らの腕を彼の背中に回した。
華奢そうに見えるそれは意外と言おうか、しっかりしていて男性のものなんだな、と
自然に再確認してしまい、それがまた鼓動を高鳴らせる。
それを可笑しそうに聴いている日渡を軽く睨んだ。
「…すまない。君が愛しかったから……ついっ」
それが告白だったかプロポーズだったのかの区別がつかない内に、再び唇を求められた。
だが、今度は先程のような触れるだけのキスではなく、確実にそれを捕らえるものである。
「んっ…」
呼吸をするたびに息苦しくて思わず、声が漏れてしまう。
瞼に何かが当たって痛い。
何かと思えばそれは簡単に解り、彼女は名残惜しそうにその場所から立ち去ると、
彼の眼鏡を外した。
「っ…何するんだ」
「…だって、当たって痛い」
眼鏡を外した顔は、やはり、はっとするほど端整なもので、こんな自分が彼を奪って
しまって良いものか戸惑ってしまう。
だが、渋々胸ポケットにそれをしまうのを見ると、それは間違いなんだと考えを
すぐに改めた。
「もう……放さない」
「はいっ!」
二人は再び、互いの唇を求め合った。
空からはちらほらと雪が降り始め、遠くの方で聞こえていたはずの運動部たちの
歓声は聞こえなかった。
この小さな贈り物が何故だか、水深が降らせているように感じた。
―――…終わり…―――
#後書き#
久しぶりに小説(?)というものをupしてみました。←お疲れ、自分!
あぁ、また深夜作業してしまった。←ボヤキ
あうぅ…でも、今日中に他の作業に移らないといけないんですよね。(ため息)
これも溜め込み癖が物を言うのか、4作品を仕上げなくてはならないのですよ。
その訳は、いずれ掲示板の方でお伝えしようと思っておりますので、暫くお待ち下さい。
それでは、ご感想お待ちしております。