竄―Zan―


      「ごめんなさい…」

      五月も既に下旬に差し掛かっていた聖ルドルフ学院の教会では二人の男女しかいない。

      女性の方はこの学園の教職員なのか白いスーツ姿で、目の前の少年を見ないで唇を動かした。

      少年の方は癖の入った髪が特徴で彼女の答えに納得がいかないのか睨みつけ、両の掌を力強く

      握り締めている。

      「どうしてですか?先生も僕のことが好きだと仰って下さったじゃないですか!それな

       のに、こなことってあっていいんですかっ?!」

       そういった彼の瞳には一歩も譲れないと言う想いが映っていた。

       だが、それを十分に理解をしている彼女は、瞳を背けたままである。






      五月に入った聖ルドルフ学院では、教育実習が始まる季節でもある。

      生徒達はこの日を心待ちにしており、ほとんど地方から集められてきた精鋭部隊で

      組織されているテニス部の部員達も例外ではない。

      歴史のある他学校とは違って、割かし新しい分類に入るこの学園は、周囲にそう思わ

      せないためか、この部のように優秀な人材を探し、積極的にスカウトをしていた。

      「観月さん、おはようございます。今日来る人ってどんな人でしょうね」

      同じく寮生活を共にしている不二裕太は一年先輩である少年に挨拶をすると、その

      隣を歩いた。

      彼は、元々こちらに住んでいるのだが、ちょっとした家庭の問題があり、こうして一緒

      に暮らしている。

      「どうでしょうかね。僕はあまり興味はありませんが、皆さんは楽しみにしている

       ようですね」

      彼はそう言って、自分は全く気にしていないという素振りをとる。

      常に、気を引き締めなければいけない。

      それが、この観月はじめと言う少年の美学だった。

      だが、彼とて、ただの中学生である。

      教育実習に全く興味がないわけではなかった。

      今回はどんな人が来るのかわくわくして、昨夜はいつもより念入りに制服にアイロンを

      掛けていた。

      そのおかげで、今朝は機嫌が良いともっぱら寮生達の噂である。

      しかし、プライドの高い彼にはその有無を直接訊ける勇気はなく、それで観月に最も

      信頼を寄せているこの少年に白羽の矢が立ったのだ。

      「俺もどうでも良いんですが、やっぱり、楽しい先生が良いです。解らないところが

       あったら、丁寧に教えてくれるような」

      「んふっ、裕太君はまだまだ子供ですね。僕は、とても知的な未来の教師が来ることを

       祈ってますよ」

      なかなかの知能犯であるのか彼が自分を尊敬している少年に甘いのかは解らないが、

      どうやら寮生達が知りたがっていることを切り出させたようだ。

      彼は軽く息を吐くと、二言三言を言って先に学校へと駆け出した。

      多分、この少年が何故機嫌が良いのか理由が解ったら、校舎のどこかで寮生達に伝える

      ことになっているのだろう。

      このことに関してまったく興味のない観月は、通学路沿いに植林されている桜の木々を

      眺めながら今日来るはずの未来に期待をしていた。

      既に可憐な花を散らしたそれは気が早く、幼い赤い実がある。

      観月の遠く離れた故郷では、これより何倍のものが実っている頃だろう。

      立夏を過ぎた日差しは強く、緑萌える時期としては木陰に佇んで涼風に吹かれるのが

      とても似合う季節になった。

      彼の癖のある髪が風に吹かれるたび気持ちの良さそうに泳いでいるようだ。

      観月 は軽く空を見上げる。

      天上には、いくつかの白い雲と青空がいた。

      今日は五月晴れといった言葉が良く似合う天気で、寮母的な同じ精鋭部隊でこっちに

      来た柳沢が朝から洗濯物が良く乾くと喜んでいたことを思い出して少し口元を緩める。

      「……どうしよう……困ったなぁ」

      すると、自分の前方で誰かの声がしたのを耳にしてその笑みを崩し、遥か階下の地上に

      視線を戻すことにした。

      プライドの高い観月としては、このような場面など誰にも見られたくはない。

      だが、次に、目にしたものは只今それどころではないと言うようであった。

      転んだのか地べたに座り込んだ体制で、一人の黒いスーツ姿の女性が顔に困惑の色を

      浮かべている。

      その瞳には、今にも涙が溢れてきそうだった。

      「どうしたんですか?」

      彼は小走り気味に駆け寄ると、彼女を覗き込むように顔を近づける。

      今にも溢れ出しそうな瞳が一瞬、大きく震えたかと思うと、こちらを見るなり頬を

      火照らせた。

      近くで見ると、少女は観月と対して年の離れていないような幼い顔立ちをしている。

      涙の記憶がまだ残る瞳の端には、うっすらと雫を湿られていた。

      彼もその仕草に合わせてなのか胸が妙に動悸を速くする。

      血流が勢い良く体内を駆け巡り、ヒートアイランド現象を起こしていた。

      掌はうっすらと汗を滲ませ、頬だけではなく顔中を火照らせている。

      気が付いた時には、この女性のことで妙に胸を高鳴らせていた。

      冷静で尚且つ、プライドの高い観月としては考えられない行為である。

      だが、理屈よりも現実を見れば、それは解りきった理由だった。

      「あのっ…ヒールが壊れちゃって」

      掠れた声さえも耳に心地良い。

      咳を一つすると、彼女の足に視線を下ろした。

      そこには、キレイに二つに分かれた黒いフォーマルシューズらしき物とヒールといって

      も妙に大きくはない積み木のようなものがある。

      「これはいけません!変に履き続けていては足を痛めてしまいます。あの、もし、

       良かったら、こちらを履いて下さい」

      そう言っていつもの彼らしくない慌てた動作で、自らの履き慣れたルドルフ指定の革靴

      を脱いで今も地べたに座り続けている彼女の前に、丁寧に揃えて差し出した。

      だが、当の本人は瞳を数回瞬かせる。

      多分、こんな風に自分を他人が助けるとは予想もしていなかったのだろう。

      しかし、それは、この少年も同じであった。

      まさか、通い慣れた道端に一目惚れをしてしまう女性がいることを誰が予想するであろうか。

      一通り考え終えたのか、彼女は薄い絹で覆った足で、塵で汚れたアスファルトの上に立った。

      「そんなのダメだよ!気持ちは嬉しいけれど、君が困るでしょうが」

      先程の今にも泣き出しそうな顔をしていた彼女がいきなり何を言うかと思ったが、そんな

      正当なことを発した。

      つり上がっている細い眉は、まるで、意思の強さを物語っているようだ。

      だが、普段他校のデータを録ってその対策を練る彼にはこの行動はお見通しだった。

      しかも、兄弟に姉がいるため、それなりに女性に免疫を持っている。

      少年は大丈夫ですと唇の端を緩め、学生鞄と一緒に肩に担いでいたスポーツバックの

      ファスナーを開けて何かを取り出し地面へ行儀良く下ろした。

      それは、毎度念入りに扱っているのかよれよれになっているのに、真っ白な光沢を

      失わないスポーツシューズである。

      「僕はここから少し行った聖ルドルフ学院のテニス部に所属しているので、いつもシューズを

       持ち歩いているんです。それに今日のところは、あなたには失礼でしょうが、それを

       履いていて下さい。今の時間では店は開いていませんしね」

      「でも…」

      観月がまだ、何か心配なのか彼女の表情は晴れない。

      首を傾げながら俯くように道に転がっている靴を見た。

      彼のように大分履き慣れているのか辺りにはシワや汚れが目立っている。

      スポーツシューズの時と同じく何かを思いついたのか、バックの中を手探りでごそごそ

      とさせると、今度はビニール袋を取り出しその中にそれを大事なものを取り扱うように

      閉まった。

      「えっ」

      「はい。あなたの大事な靴なんですよね?それならこんな所に捨てておく訳にはいきま

       せんね」

      彼女に手渡すと、漆黒の闇はまるで、礼を述べているように見える。

      だが、それは、一瞬が見せた幻ではないかと思ったが、観月はそっと微笑を浮かべた。

      自分が使っているものの寿命を延ばすように使い切ることをモットーにしている少年の

      瞳には、笑い返した靴の姿が映っていたのかもしれない。

      しかし、現実にそれを寄せているのは、誰でもない名の知れぬ想い人だった。

      「僕は聖ルドルフ学院三年の観月はじめと言います」

      「私は、明媛大学の四年って言うの。今日から君の学校で教育実習をすることになって

       いるのよ。宜しくね」

      それが、彼女との出会いだった。


 

      教育実習生とは言っても中身はまだ彼らとは何も変わらぬ学生である。

      それに自身の性格も助けてか、一日で学園中の人気を集めていた。

      国語を選考している彼女は教室の後ろでメモを取ったり教壇に立ったりして少しずつ

      色を変え始めている。

      だが、観月の姿を見つけると、最初に見せた微笑を浮かべてくれた。

      彼もそれに答えるように頬を火照らせて答える。

      しかし、もし、この言葉のない交流を誰かが見ると、それなりに問題になってしまうの

      ではないかと心配して2,3分もしない内に背を向けてしまうのがいつもだった。

      まだまだ教師の卵だが、異性の生徒と何か関係がありそうだと密告されてしまえ
ば、その芽

      を酷にも摘み取ってしまうことに繋がる。

      
あの日、感じた想いは一瞬の憧れではない。

      
だが、それを伝える術など考えつかなかった。

    
  まして、学び舎である学校ではご法度である。

      
胸の中で何度も好きだと繰り返す。

      
一目惚れを信じるなどばかばかしいだろうか。

      
だが、彼は至って真面目だ。

     
 気が付けばのことで頭が一杯だった。

      
だが、二人の間には制限時間がある。

      一分一秒を刻む時計を感じる度、今よりもっとあの女性に好意を抱き、別れの
切なさを

      悲しんで胸が痛んだ。

      
そして、別れは一人の少年の葛藤もむなしくあっという間に過ぎ去ってしまった。

      彼らが初めて出会った頃のようにグラウンドの壇上に乗って挨拶をする彼女を
見る観月

      の瞳は何の迷いもなかった。

      
もう、教師と生徒ではない。

     
 その瞬間を狙って彼女に想いを告げるつもりでいた。

      この学園から去るからなのか教会に入っていく の姿を見つけた彼はその後を
追って新しい

      木造の扉を開ける。

     
 この場所なら誰にも見られず彼女に想いを告げることが出来る。

       扉は、その造りとは打って変わって重い音を立てた。

      まるで、開け放つ人物に未来へ進むことは罪であると教えているようだ。

      しかし、この少年にはその覚悟もあった。

      さえ居れば、その罪を喜びに変えることもできる。

      だが、運命の扉を開けて飛び込んできたのは、涙だった。

      あの時は、未然に済んだはずの雫が振り返ったの頬を濡らしている。

      「ど、どうして、ここに観月君がいるの!?」

      だが、その言葉に答える代わりに少年にしてはきれいな指で彼女の涙を拭った。

      「あっ!これはね!!この学園に来るの最後だなぁって思ったら何だか哀しくなっちゃって」

      「良いんですよ。僕のことは気にせず、泣きたい時は泣いて下さい。良かったら、僕の

       胸を貸しますから」

      彼はの腕を掴むと、自身の傍に抱き寄せる。

      今までどれだけこうしたかったのか。

      それを思うたび甘く高鳴らずにはいられなかった。

      「僕はずっとあなたが好きでした。あの日、初めて出会った頃から…」

      「観月君っ?!」

      体を強張らせているのが解る。

      少年の腕の中で収納されてしまったの瞳は見開き、自身よりも背の高い彼しか映せなく

      なっていた。

      様々な色で彩られたステンドグラスからは午後の光が柔らかく差し込んでいる。

      やっと、彼女に伝えることが出来た。

      まだ青春真っ盛りな少年がそっと胸を撫で下ろしていると、背中に違和感を覚える。

      だが、それは嫌なものではなく、むしろ望んでいた感触がする。

      「私もあの頃からあなたのことが好きでした」

      自分のものより柔らかいそれと同時に彼女が体を密着させてくる。

      「じゃあ……」

      喜びと不安が消え去った観月の声は自然と語尾を上げてしまう。

      だが、は頭を左右に振ると、彼の胸を押し、自らもその温もりから逃げるように後退


      をした。

      「ごめんなさい…」

      「どうしてですか?先生も僕のことが好きだと仰って下さったじゃないですか!それなのに、

       こなことってあっていいんですかっ?!」

      だが、少年がどんなに声を荒げても、俯いたままの女性は顔を上げない。

      体を小刻みに震えさせ、自分の腕で自身を抱きしめている。

      その仕草が痛々しくてこちらも思わず唇を閉じてしまう。

      プライドの高さ故なのか何かを感じたら二言三言では気が治まらなかった。

      しかし、目の前の女性を見ると、そんなことはできなかった。

      「さん…」

      初めて先生ではなく彼女の名を呼んでみる。

      「好き」の気持ちを伝えたかった。

      自分は安易にを求めているわけではない。

      「僕はあなたを愛しいと思っています。ですから、僕を拒む理由を教えて頂けませんか?」

      「観月君を拒んでいるんじゃないよ!悪いのは私の方だよ……怖がっているから」

      「何を怖がっているのですか?」

      「それは…」

      少年の素直な問いにまたもや、口篭ってしまう。

      再び二人の間に沈黙が訪れようとしたが、彼がそれを許さなかった。

      彼女の腕を引っ張ったかと思うと、今度は彼女の頬を片手で覆い軽く口づける。

      その柔らかい感触に同時に震えたが、そこから離れようとはしなかった。

      「んっ」

      互いの熱に浮かされたように彼女の頬に置いた掌を顎に移動させ、口内を開かせる。

      一瞬、彼の侵入に驚いたが、もうそれは遅かった。

      少年は一気に大人の男性に変わり、舌を起用に絡みつけてくる。

      逃れようとしても体の自由は利かず、むしろ本能に従っているのか観月の背に腕を痛いほど

      強く回していた。

      この女性とて彼と離れたくはなかった。

      だが、自分より一回り近い少年に溺れているなどと考えるのが怖かった。

      しかし、体は正直で、甘い刺激を受け止めようとしている。

      「さんっ、素敵です」

      「いやぁ、そんなこと……あぁ」

      唇を名残惜しげに離されると、首筋をきつく吸われる。

      器用に片手でリズミカルに外されたブラウスのボタンはだらしなく肌蹴て清潔そうな白い

      ブラジャーがはみ出ている。

      透けるように色白な肌は次第に熱を感じ、ピンク色に火照り、それがまた観月の欲情を

      駆った。

      二つの膨らみを下着の上から掌で覆うと、彼女がビクッと震える。

      「怖いですか?」

      「うん……だけど、初めてだからっ……優しくして?」

      「ふふっ、解りました」

      少年達は互いに身に着けていたものを丁寧に床の上に畳むと、どちらからともなく生まれた

      ままの姿で唇を求め合った。

      この教会には聖ルドルフ学院の関係者なら誰でも入ることが出来るのだが、学業行事以外で

      使用する以外出入りをすることはない。

      それに学生カードでオートロックのやり方を知っている彼であるため、その点は抜かり

      なかった。

      少年が彼女のちょうど良い大きさの丘を掴むと同時に甘い鳴き声が聞こえてくる。

      むしろ、神前で愛し合っているのだから余計に感じているのかもしれない。

      だが、場所を選べるほど彼らの理性を誰が抑えることができただろうか。

      二人は既に禁断の果実をアダムとイブのように食べてしまった。

      この気持ちを止められるほど大人でも子供でもない。

      「っ、んん…あっ」

      急激に変化した頂を確かめるように舌先で突つく。

      すると、それが新たな刺激を求めてさらに、鋭くなる。

      彼女を立たせたまま胸への愛撫を続けていたため、限界に近づいているのか膝をがくがく

      させている。

      「さん……僕に捕まって下さい」

       彼女が自分の首にしっかり捕まったことを確認してから両の腕で足を抱え込み昂った

      情熱をすっかり湿りきった秘部に沈める。

      進入した途端、締め付ける肉壁に彼自身は彼女への愛しさを募らせていた。

      遥かかなたには自身がいる。

      「あ、んっ…あぁ」

      「さん……さんっ……」

      「あぁ、ぁ……すきっ」

      二人の距離がなくなる。

      でも、それは元々なかったものなのだろう。

      年頃の男女になってしまったお互いは逆にそれを意識しすぎていた。

      甘い吐息を直に肌に感じて汗が滲み出ている。

      瞳には初めて感じる痛みに堪える涙が浮かんでおり、それが返って艶かしい。

      「うっ?!……さん……もう…」

      腰を沈めるように彼女の中へ侵入した自身もそろそろ限界が感じ取れ、こちらも初めての

      激痛に顔を歪めた。

       「一緒に、イキましょう」

       観月は、彼女の奥へと想いを遂げた。


 

      「んっ…」

      「気が付かれましたか?」

      妙に体が重たい気がして目覚めると、制服をラフに胸元を肌蹴させた少年が頬を染めてこちらを

      見ている。

      少年は掃除用具のモップを手にしている。

      目覚めたばかりの瞳にはステンドグラスから来る日の光が眩しい。

      と言うことは、今、自分がいる場所は教会であることが判明した。

      彼はバケツの取っ手を掴むと、片付けておきますねと言い、の額にキスを落とす。

      すると、彼女はその瞬間に先程までのことを思い出して体中を赤く火照らした。

      今更ながら何という場所で愛し合ってしまったのだろうと後悔しても、それは後の祭であった。

      「僕もあなたを愛していますよ」

      先程の言葉が脳裏に浮かんでくる。

      彼女は木製の長いすに寝かされながら微笑むと、そっと呟く。

      「私も……はじめ君、お誕生日おめでとう」

 

 

 


      ―――…終わり…―――

 

 

 


      ♯後書き♯

      
皆様、こんにちは。

      
真田君の『咆哮』の次に裏を書いてしまった柊沢歌穂です。

      「
竄―Zan―」はお楽しみ頂けたでしょうか?

      私は観月君を取り扱った作品は初めてでしたので、彼が乱れる姿がなかなか


      想像 できずら かったです。(汗)