続・年齢と身長の間で


      『…好きです。……先生が、ずっと好きでした』



      職員室の窓から男子テニス部のコートを見ている人物がいた。

      今日は、青春学園中等部の卒業式前日。

      先程までちらほらといた教職員達は皆、家路へと姿を消していった。

      残されたはこうしてあの頃、彼が自分に言ってくれた言葉を思い出して
いた。






      あれから、三年。

      お互いの想いを告げてから、二人は限られた逢瀬を重ねていた。

      何せ、は外見からしたらまだ高校生だが、実際は教師の身である。

      自らが想いを馳せても、それが出来ない場合が多い。

      仕事の都合で二人の時間を割かれてしまうことが大幅を占めている。

      それでも手塚はいつも優しく接してくれた。

      しかし、不安に駆られれば、彼との間に年齢と身長を感じることがある。

      彼女と手塚は十歳も年齢が離れている。

      彼の身長は180近くあり、身長がほぼ中学時代に止まった自身
は150ちょっと

      しかない。

      と言うことは、いつも話し掛ける時に彼がこちらを見下ろす感じになる。

      そんな時、どうして自分はちび何だろうと心が痛んだ。

      彼にはもっと、身長がある娘の方が似合うのではないだろうか。

      十歳も離れた自分が手塚の傍にいて良いのだろうか。

      この三年間、その悩みが尽きることは無かった。






      「…。あんた、まだ、そんなこと考えていたの?手塚君はあんたのこと
好き

       だっていってくれたんでしょ?あんたが彼のことを信じなくてどうすんのよ」


      この前、大学時代の親友である日暮祥子が行きつけのバーでこんなこと


      言っていた。

      彼女は卒業と同時に親元を離れて独立し、今では一番下の妹と寮で
暮らしている。

      性格はさばさばとしていて、二人でいると姉妹と間違われたことが
何度かあった。

      彼女は視線を落とし、カウンターのテーブルにうつ伏せになる。

      彼とのことも考えていたが、飲み過ぎたとも思っていた。

      本来、は下戸である。

      酒を一口でも口にすれば、すぐに酔いがまわってしまう。

      なのに、こうして不安を抱えると祥子とよくさかづきを交わしていた。


      「だって、……私は…十歳も離れているんだよぉ…。それに、……身長だって

       チビだしさぁ。こんな私なんて彼に 合わないよねぇ……ヒック!」


      …泥酔だ。

      頭が上手く働かず、心中の自身はやれやれと呆れていた。

      その内に、涙が溢れて落ちていくのを火照った頬が悟った。


      「それに…仕事が忙しくてなかなか会えないし、……もう、私…やだよぉ……

       こんなの」


      「そんなのあたしが知ったことじゃないよ。あんたが持続したいか終了
した

       いかなんて二人きりでやりな。でも、 がそんなことで何時まで経ってもグチ

       グチ言ってたら手塚君だって嫌な気持ちするんじゃないの?そんなに自分のことを

       信じてくれないんだってさ」


      「……信じてないわけじゃないもん。私が前に聞いた時は、「そんなの
関係ない」って

       言ってくれたのよ。私、それを聞いた時嬉しかった。でもね、……こうして

       会えない時や二人きりの時不安になるの。本当にこのままで良いのかって。いつか

       は終わりが来るんじゃないかと思うと、怖くて……」


      カウンターに涙の雫が落ちた。

      彼女は肩を震わして泣き出してしまったし、祥子はやれやれと首を
横に振る。

      「祥子は良いよね。……いつも彼と一緒で」


      右手の小指を耳の中に入れていた祥子はうんにゃ、と耳から小指を取
り出し、

      爪に着いているゴミを息で軽く飛ばした。

      「あいつさぁ、うちの寮の管理人兼家政夫だからよぉ。一緒になれる時 は夜、

       ガキどもが寝静まったころなんだよ。もちろん、あたしは子供って嫌いだから

       それそーとーのことはしてるけどな」


      「……」


      意味ありげにニッ、と笑う祥子の顔が直視できなかった。

      彼女は売れっ子の漫画家で『日高翔』というペンネームで活躍している。

      大学時代も良く遅刻してきては平気な顔をして講義中に原稿作業をやっ
ていた

      ことがあった。

      今では売れっ子だが、あの頃はまだ駆け出しで、も良く手伝わされた。
 
      あの時ほど、手先が器用で良かったと感謝したことは無かった。

      教師になろうと思ったのもその時だった。

      祥子に面倒見が良いから教師になれ、と冗談で言われた時、中学教諭
の免許を

      勢いで取ってしまったのが事の始まりだった。


      「そんなことより……はどうしたいんだ?」


      その言葉が最後には眠ってしまった。

      慣れない酒を飲むものではない。

      次に目を覚ました時には何度か上がった祥子の部屋にいた。
 
      相変わらず、彼女の部屋はどこに足を踏んでいいのか分からない書類
やゴミの

      山がある。
 
      売れっ子というものも困りものである。

      でも、例の彼のおかげだろうか、少し整理が行き届いている。


      「私の役目はもう終わったわね」


      そう呟くと、頭が割れたような痛みがを襲う。

      完全なる二日酔いである。

      卒業から何年か経って、祥子が漫画家になった頃、暇な時よくアシスタント

      として呼ばれた時があった。

      その頃は、いかにもこの部屋で一人暮らしをしていると言うような
荒れようだった。

      あちらこちらに散らばった書類とビールの空き缶。

      締め切りが迫ればマネージャーの目を盗んで息抜きをしに、あのバーに
身を隠し

      ているそうだ。


      「起きたか?」


      誰かがドアを開けたかと思うと、祥子がお盆にお粥を乗せてこちらを
見ていた。


      「ん。ありがとう。私、あの場で寝てたんだね」


      「あぁ、あの後大変だったんだぜ。まぁ、うちの管理人が怪力の持ち
主で助かった

       けどな」


      そういうと、の膝にお盆を乗せた。

      祥子はと違って酒に強い。

      ちなみに、例の彼も強く毎晩付き合わされているらしい。

      彼女はふと、哀れだなぁと同情をした。

      朝の早い人間は、こんな人物に関わりたくないものだ。


      「あぁ、例の彼が運んでくれたんだ?後でお礼を言わないとね」


      「あー、いいのいいの。あいつ、良い気になるだけだから」


      「そんなこと言って、自分以外の誰かに良い顔されるのが嫌なだけじゃないの?

       お姉さん、独占欲強いわね」


      「うるさい。あれは、あたしの所有物だから良いんだ」


      口調はがさつだが、顔は動じていないとでも言うように微笑んでいる。






      「…国光君」


      三年前の卒業アルバムを開く。

      手塚は中等部から高等部に上がり、好きなテニスを続けている。

      卒業後の進路は、大学に行く事が年内に決まったと去年のクリスマスに
聞いた。


      「会いたいなぁ……」

      アルバムの中で、凛々しい姿で写っている手塚に語りかけるように言った。

      窓の外は彼女の心の内など知らず、暖かい陽射しが降り注いでいる。

      花壇には春の花々が、明日旅立つ三年生達のためにか一斉に咲き乱れて
いた。

      遠くからは小鳥達の声が聞こえてくる。

      まるで、青学だけが、時に取り残されているようだ。

      次第に、の目にはうっすらと涙が浮かび、気づいたときには頬を伝っていた。


      「あれっ?……どうしてだろ…何で……泣いてるの?」


      手の甲で拭いてみるが、それが止まることはなくアルバムの中に雨を
降らせる。

      手塚の顔を久しぶりに見たせいだろうか。

      不意に込み上げてきた感情が、の瞳からあふれ出てきた。


      「……会いたいよ。くすっ、変ね。私、あなたより十も離れているって
言うのに

        全然、国光君より子供だね。元からだけど、知らない間にあなたの色に染められ

        たみたい。すごいね。これも、あなたの力なのかしら?」


      写真の手塚に泣き笑いを浮かべると、誰かが背後に立っているのに気がつき慌てて

      アルバムを閉じた。

      「何でしょうか?……えっ!?」


      涙を拭い、振り返ったの瞳が大きく見開いた。

      その人物は急いでこちらに来たのだろう、体中から汗がぽたぽたと流
れ落ちて息が

      荒かった。


      「国光君!?こんなに汗でびっしょりになってどうしたの!!」


      会えた嬉しさより手塚の姿に動揺を隠せない。


      「あっ、待ってて。確か、用務員室にタオルがあったはずだから」


      「待てっ!」


      鼓動を抑えながら席を立つと、手塚は職員室から出て行こうとする
腕を掴んだ。


      「え…?」


      それに勢いで振り返ろうかと思えば、掴まれた手首を力強く引っ張ら
れ、彼の胸

      に収められる。

      最初は何も分からず、瞬きを繰り返すが、次第に理解してくると、何
だかドキドキ

      してくる。


      「……」


      もう一度、手塚に名前を呼ばれ、はっと我に返る。

      彼の瞳は、最初に想いを告げられた夜のように自分をじっと見つめて
いた。

      彼女は、それに吸い込まれそうになり、何も言うことが出来なかった。

      鼓動が、その一つずつを刻むかのように、甘いメロディーを奏でている。

      手塚はの背中まで伸びた髪を軽く触ると、握ったり開いたりして弄んで
いる。

      それは汗ばんだ掌に吸い付き、水分を吸収して放れようとはしなかった。

      まるで、の気持ちのようだった。

      本当はこのままでいたい。

      離れているなんて嫌だ。
 
      しばらくすると、手塚の呼吸は整い、体中の汗も引っ込み濡れた制服がひんやりと

      火照った互いの体を醒まさせる。

      背中に回された彼の腕にぐっと力が込められる。

      それと、同時に落ち着いた声が聞こえてきた。

      「お前はどうしてそんなに不安がるんだ?は、俺が信じられないのか?それとも

       俺が、不服か?」


      「えぇ!?そ…そんなんじゃないよ。誰に聞いたの?」


      いきなりの質問攻めで頭がなかなか着いていくことが出来ない。


      「そんなことはどうでもいい。俺が年下だって気にしないと思っている
のか?

       俺の知らないことを話しているたび、自分は何故遅く生まれてきたのだろうと

       いつも劣等感があった。でも、いつもの笑顔を見ているから、俺は、勇気が持てる」

      「国光君」


      その言葉だけで胸が一杯になり、彼の胸に顔を埋めた。


      「どうだ?……こんな俺でも、不安か?」


      頭の上から視線が向けられた。

      段々速まってくる鼓動が二人の間に伝わっていく。

      手塚のその甘い音色も二重奏となってハーモニーを奏でて行った。


      「ごめんなさい。私ってば、国光君に心配ばかりかけて」


      再び上げた顔には涙が頬を伝っていた。

      しばらくそれを見ていると、不意に手塚の指がそれを優しく拭う。


      「俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない」


      「えっ?」


      その言葉に体をびくっとさせると、今まで涙を拭っていた指がの顎
に固定された。


      「…愛している。


      「くっ、国光君!?」


      頬を赤らめると、彼の整った顔が近くまで来る。

      その瞳には、嘘偽りといった類は微塵も映ってはいなかった。


      「お前の気持ちが聞きたい」


      そうの耳元で囁く、手塚は体を紅潮させた彼女の額に軽く口づけた。

      鼓動はさらに高まり、息が苦しい。


      「私も……あなたのことを愛している」


      「……」


      長い時間をかけた二人の想いが一つになるよう、深く唇を重ねる。

      彼女は彼のそれに篤いものを感じて、体中の力を抜いた。

      このまま時が止まれば良いと、手塚に感情を寄せた時を思い出していた。
 
      あの頃、至近距離にいた彼は、今は自分の傍にいる。

      それが誰かに拠ったものだとしても、この気持ちを忘れないでいよう。

      あなたを愛しているこの気持ちは…。


      「、……俺と結婚してくれ」


      唇を放すと手塚はそう言った。


      「法律によっては何も問題はない。だが、俺は大学に進学するし、アス
リートとし

       ても活躍する。まだ、経済的に支えとはならないが、それ
でも俺についてきて

       くれるか?」


      「国光君……嬉しい。私もそうなれたら良いなって思っていたの」

      治まったはずの涙が溢れてくる。

      これからはこの人と生きていく。

      愛しい人と……。






      それから、二人は何度か会ったお互いの両親に挨拶しに行き、手塚が
大学に入学

      する前に婚礼の儀式を挙げた。

 
      「先生っ!」

      「こらっ、教師を名前で呼ぶんじゃないの。手塚先生と呼びなさいって言ったでしょ」


      そう言って、振り上げた左手の薬指には結婚指輪がはめられている。

      あれから、早いもので夫を始めて異性と感じた修学旅行の時期がやって
きた。

      結婚するに当たっての両家族から出された“彼が社会に出てから子供
を作る”という

      条件だった
が、既にそれを破っていた。

      夫がアスリートとして世界に旅立つ日、第一子を授かった。
 
      それは今、の体の中ですくすくと育っている。

      妊娠がわかった時、彼の泊まっているホテルに国際電話を掛けると、と
ても喜んでくれた。

      また、彼女もあの季節を愛する人の子供と迎えられるのが、とても嬉しい。

      そして、この子供が大きくなったら、夫のような立派なアスリートに なって欲しい。

      そう、強く思った。









      
―――…終わり…―――









      #後書き#

      こちらもsuga様にお送り致しました。
        
      わーい!遂に書いてしまいました。

      続き物v終わり方が砂吐き物。

      全然裏物じゃないのに、『妊娠』。   

      ……あははははは(ただ笑うしかないです)!!

      え〜っと、ご感想お待ちしております。(逃っ!?)