あの人がいないのなら…来させれば良い。

      もう一度なんて言ってやらない。

      誓うより願うよりアンタのことを想っているから……



      ずっと、一緒



      10月に入って二週目になってからますます拍車を掛けたように

      寒くなってきた。

      今月に入って、六月に脱ぎ捨てた冬服にもう一度袖を通してもなかなか

      違和
感を覚えない。

      この分で行くと、来月の今頃には白い息が冷え切った空気に

      溶けることだろう。

      でも、その前にこの10月を乗り切らなくてはならない。

      青学中等部では何百物植林されてある桜の木々が葉の色を染めるのに

      忙しく道端には無くしても 鮮やかな枯れ葉が時折吹く風に弄ばれている。

      それを図書室で見ている大石は先月行われた全国大会が終了すると、

      翌日には次期部長及び副部長を決め、それさえも終わってしまうと

      三年は引退し受験生へと色を変えた。

      それはまるで、今までが長い夢を彷徨っていたいたのかと思わせるくらい

      に呆気なく、逆にこれが 現実だと思い知らされる。

      時刻はもうすぐ六時を長身が指す頃だ。

      図書室特有の長い机に広げたノートや教科書を現役の時はいつも持ち

      歩いていたテニスバックではなく、入学から数週間しか使用したことの

      ない未だ新品の学生鞄の中に片づける。

      もう、男子テニス部が活動終了になるだろう、彼は引退しても

      尚、この時間
に合わせて帰宅をしている。

      家族には塾や予備校に通っている訳ではないから自宅で勉強をすることを

      勧められているが、本人は その気は全くない。

      男だし、元とは言え運動部に入っていた自分が襲われる訳はないと

      高を潜っているからでもあるが、 実はもう一つ理由がある。

      それは、最近になって出来た年下の恋人を待つため、受験も兼ね

      てこの場で
待っているのだ。

      その間、何時間も同じことを繰り返しているだけなのに今日は

      どうしようか、と思考に耽るだけで勉強も頑張ろうと思えてしまう

      のだからかなり重傷だ。

      席を立ち、イスを元に戻す頃、誰かが図書室に入ってくる。

      実年齢にしては穏やかな性格の持ち主である大石はいつも知らない
      フリ・・をして
それを待っている。


      「ん?誰だい……っ」


      学生鞄の取っ手を軽く掴むと誰かに肩を叩かれて振り返ると、右頬を

      何かが
押した。


      「……待ちましたよね」


      軽く押す指先が仄かに温かくて不器用な言葉さえも愛しく思わせる。



      十月も過ぎ、三年生は受験の一色に染まりそれまで活動していた部を

      引退して
いった。

      それは青学中等部にも言え、校内に無数に植林されてある桜の木々は、

      はらり はらりと確実に 落ち葉で道を彩らせている。

      その道に部を引退した三年生達は、帰宅部の生徒に交じり家路に

      着いていたが、その中にいた少年が正門まで数十歩と言う所で踵を返して

      昇降口まで急いで戻る

      独特の前髪を秋風に揺らしながらせっかく靴ひもを結び直した

      スポーツ シューズを脱ぎ、まだ熱が残る上履きと入れ違いに靴箱の

      中に放り込む。

      自分としたことが情けない。

      図書室で勉強しているのに夢中で、肝心の借りた本を返却する

      のを 忘れていたなんて 本末転倒も良い所だ。

      本と言ってもこの間の古文の授業で使った古語辞典だが、ここ

      最近の 受験勉強ですっかり返却するのを忘れてしまい、今日が

      その最終期限だった
のを思い出したのだ。

      昇降口から階段を駆け上がり、四階の廊下を走る頃には息も絶え絶えに

      なり 図書室の開け放たれたドアに滑り込むと持久走のように床に

      しゃがみ込んでし
まった。
      「……体力落ちましたね。大石 副部長」


      「はぁ、はぁ、はぁ……え?」


      急に呼ばれた声に聞き覚えがある。

      彼は息を整えてからその場でカウンターを見上げると、男子テニス部に

      所属していた頃の後輩だった越前が頬杖を付いてこちらを
直視していた。

      その瞳は初めて会った日と同じく色褪せてはいない。


      「越前……そりゃ、俺だって受験生だし体力だって落ちるさ」


      大石は強がってそうは言ってみたが、心の中では面目ないと

      苦笑していた。

      彼自身、男子テニス部にいた頃よりも大分体力が落ちてきたことを

      感じ
ている。

      まるで、浦島太郎にでもなった気持ちになるのはきっと自分だけ

      ではないはずだ。

      大石と一緒に汗を流していた仲間は勿論、同じ部活から引退した三学年は

      きっ と皆、こんな思いをしている のかもしれない。


      「…全く、世話の掛かる先輩っすね」


      彼は口元に笑みを含むと、立ち上がってカウンターから手を伸ばした


       自分よりも小さな掌…これで、青学を全国に導いたのだと思うと

      なかなか
感慨深い。


      「何してるんすか?自分で立ちますか」


      「あ、あぁ、悪い。ありがとう」


      彼は椛のような掌に見とれていると、そんな感情のない意地の悪い言葉が


      その 腕を引っ込めようとしたので 思わずぎゅっと掴んでしまった。

      ……全く、生意気なルーキーだ。

      一目見た途端、彼を恋に落としてしまったのだから。

      その瞳にはあどけなさが残っていても、輝くものは自分たち以上

      のものを秘
めている。

      初めは手の掛かる生意気な一年と思っていただけなのに、これも性格上の

      
所為か放っておけなかった。

      それは、誰かを越前が似ていたからなのかもしれないし、

      違うかもしれない。

      思わず強く握ってしまったことにお互い、刹那に囚われていたが

      それはほんの 数分のことでか細い腕で体重55sの大石を引っ張ると、

      彼は事務的に言った。


      「……返却っすか」


      「あ、ああ……これなんだが、頼む」


      先程までの刹那にいるままの彼を素っ気ない態度で手続きを済まし、


      全然 感情の籠もっていない礼を棒読みすると直ぐ隣にあるカートに

      古語辞典を他
に何冊かある中に差し込んだ。

      こんな無愛想な所は何ヶ月も経っていない現役の時と同じで、他の生徒

      だった ら不快に思うだろうが大石にとっては懐かしさと一緒に

      微笑ましさが甦る。


      「コラ、何だその仏頂面は。そんなんじゃ、俺じゃなかったら退くぞ?」


      「……大きなお世話っす」


      「ははっ、ところで今日は当番か?最近頑張っているのか、テニス。

       受験が
終わったらまた…」


      「どうだって良いんです」


      「えっ」


      また自分と試合をして欲しい、という言葉をまるで遮るように彼は立ち


      上がり まだ余裕がある二段のカートを押して最初に手に取った小説の

      ラベルを見なが
ら奥へと歩いて行く。

      意味深な言葉を呟かれた方はしばらくの間何を言われたのか理解する時間

      に戸惑い、結局小さな後ろ姿に駆け寄ったのは、その小説を元合った

      棚に差し込む頃だった。


      「どうだって良いってどういうことだよ?越前、あんなに才能が

       ある
じゃないか!」


      「静かにしてくれませんか。ここ、一応図書室なんですけど」


      「話しを反らすなよっ!」


      いつも温厚な性格をした大石にしては珍しく、彼の両肩を掴み、

      そのまま棚
に押しつけた。

      放課後の図書室には彼ら二人しかいない。

      急に押しつけられた方はいてぇ、と片目を瞑りぼやくように文句を

      言うが彼 にはそんな言葉は どうだって良かった。

      現役の頃は「青学の母」と呼ばれていたほどだが、今はその荷が

      肩から下りた ため本来の大石秀一郎が 表れてきたようだ。


      「仕事の邪魔ですから、さっさと帰ってくれないっすか」


      今度は見上げたその大きな瞳には何も輝いてはおらず、ただ自分が背に

      してい
る本棚しか映っていない。

      翌日の昼休み、今日は見事な土砂降りだった。

      しかし、それは朝からではなく、授業が四時間目の家庭科に差し掛かった

      頃、彼が窓の外を見ると雨は綺麗な線を描いて地に墜ちる墜ちる墜ちる

      を繰り返している。

      今朝の天気予報によれば、今日は一日中雨だと言うことになっている。

      こうなれば、活動日の有無に関係なく授業終了後に部員達は帰宅

      する時もある。

      だが、大石がいた男子テニス部ではそんな甘い考えはそれがどうしたと

      言う
言葉で切り捨てられてしまう。

      こんな日は、自主トレかミーティングにメニューが変更になるだけで

      臨時など 極稀なことが今日の青学男子テニス部があるおかげなの

      かもしれない。

      授業をBGMにして聞いている素振りをして窓の外を盗み見る。

      先日、越前が囁くような声で言った言葉がにわかに信じ難い。

      しかし、彼が現役時冗談をよく言う性格ではないことぐらい知っていた。

      では、何故あんなことを言ったのだろう。

      大石の気持ちは朝から同じで、昼休みを今か今かと待っている。

      昼食を摂ったとしても三十分以上はある、越前が教室からどこかへ

      行かない 内に確保して問い詰め なければならない。

      それは元副部長だからとか元青学の母だからとかの肩書き保持者

      だったからで
はない。

      全ての決着は、昼休み……暇さえあればどこかで寝ているか自主トレを

      してい るかのどちらかである 越前のことだ。

      こんな天気では昼食後、教室で机に突っ伏しているだろう。

      予鈴が鳴り響き、教師の指示で日直が号令を掛けるのと同時に席を立ち、

      頭 を垂らすと購買部に向かう 生徒達と一緒に教室を飛び出した。

      いつもならば、授業終了後にノートと一緒に教科書を丁寧に揃えて

      机の中に 置くが、今日は珍しく 放り込んできた。

      今頃、悲惨な状況かもしれないと頭の角で考えるが、彼はそれよりも

      一年二 組の教室に急ぐことの方 が先決だ。

      大石が一年の階に躍り出た頃、ちょうど見慣れた小柄な背中がこっちに

      向
けられている。

      彼は購買部に向かうように見えたが、校内に二カ所設置されてある

      もう一つの 階段を下りず、そのまま 図書館の引き戸を開けて中に入った。

      こんな時間に委員の仕事だろうか?

      ちょっとしたスパイ心に火が点いた訳ではないが、慎重に引き戸に

      手を掛け 中にいる誰かに気づかれない よう薄くドアを開いた。


      「っ……」


      だが、そんな緊迫とした状況とは裏腹に囁きのような小声が漏れる。

      それに聞き覚えがあるようなないような曖昧なままその隙間から図書室に

       潜入を果たし、音を立てないように閉めると、照明を点けない薄暗がり

      の
室内で何かが小さく動いていた。

      それが、今更何かなどとは考えない。


      「越前…おい、起きろ」


      先日、腰を下ろしていたカウンターに突っ伏した少年は両腕を枕にし、

      無防
備な寝顔を横に向けている。

      薄くても照明を点けてない暗がりの中で見るそれは微笑ましい気持ちに

      なる 一方で、どうにかしてやりたい 気持ちにさせる。


      「越前……」


      「……」


      ため息を吐くように、独り言を言うようにぽつりとその名を呼んで


      みるが、 勿論反応は寝息の中に 吸い込まれてしまう。

      規則正しいそれが漏れる度にドキドキして15歳の少年を魅了する

      彼はま
だ、13歳にもなってはいない。

      その彼がこうも自分を動け無くさせるなんて誰も想像できないだろう。

      可愛らしい唇に吸い寄せられるように触れるだけのキスをする。


      「んっ……」


      「……ごめん」


      心の中で一言謝ってからしたが、やはり根が生真面目な大石には


      その余韻に 浸って留まることなんてできず、微かな温もりを感じると

      自ら離し今度は口
に出して謝った。

      こんなことをするつもりではなかった、と唇を両手で覆う。

      時刻はもうすぐ昼休みを告げることだろう、この場に長居してはいけない

       と彼の舞い戻ってきた理性 がフォローする。

      来た時と同様に音を立てずに踵を返すと、今度は制服の袖を誰かに

      捕まれてい る感触が一、二歩進めた 体に伝わってくる。

      その正体が幽霊だとかお化けだとかそんな非科学的なことは考えない。


      「悪い…起こしたか?」


      「……知ってたくせに」


      ぎゅっと捕まれた裾がさらに力を加えられシワになる。

      頭の隅で母親に今晩問い詰められるかもしれないと思い、

      息を吐いた。


      「何で、キスしたんすか?」


      「……解っているんだろ、俺の気持ち」


      「でも、ちゃんと口に出してくれなくちゃ解んないっすよ」


      背中越しの会話が続き、彼はようやく図書室の入って直ぐ横の


      壁に設置されてあ るスイッチを四つある内 の一番上の物を押した。

      数秒後、カウンターと二人だけを照らし越前の裾を握りしめる掌を

      開かせ、
再び彼に向き直った。

      越前は平然とした顔を装っているつもりだろうが、その頬には隠しきれ

      ない
赤を染め上げている。


      「例え、お前がテニスを辞めたとしても俺は越前が好きだ」


      その頬を優しく撫でると彼は吹き出し、背伸びをして耳打ちをしてくる。

      甘い結末と生意気な想いを呟くその声に胸を熱くする彼もまた、

      吹き出した。



      駅前のファーストフード店はちょっとしたデートをするには最適だ。

      オーダーを済ませ、二階に上り窓際の向かい席に陣取る恋人が気づいて

      小さな
掌を振った。

      あれから数日後、越前は二日も休んでしまった男子テニス部に戻り、

      今では
元の「青学の柱」に戻っている。

      ことの真相は大石への会いたさだった。

      全国大会が終わり、次期部長及び副部長を決めた数日間でコート上から

      消えた 彼にどうしてもこの 行き場のない想いを伝えたかったそうだ。

      だが、プライドの高い彼にはのこのこ3年2組まで行って大石に

      会いに行くこ
とはできない。

      ならば、どうするかなんて簡単で部活をサボって心配させ、逆にこっちに

      呼
び寄せれば良いのだ。

      まんまとその作戦に捕まってしまった自分に、そこまでして自分に

      会いたがっ た越前につい、笑い を堪えられなかった。


      「…大石先輩、ごちそうさまです」


      トレーをテーブルに載せると、早速ハンバーガーに被りつき、美味しそう

      に
口の中をもぐもぐと動かす。

      その動作がとても愛らしくてついつい、いつも驕ってしまう。

      飲み物を口にしようと手を伸ばすが、トレーの中には一つしかないことに

      気
づき視線で尋ねてくる。


      「越前はこっち」


      そう言って、隣の席に置いた学生鞄の中から牛乳のブリックを取り出し、

      
彼の前に出す。


      「背も俺に追いつけよ。牛乳とかカルシウムを意識して摂取しないまま

       だと、キスは俺の受験が終わるまでお預けだ」


      「……望む所っすよ」








    
  ―――…終わり…―――









      #後書き#

      今回も『Streke a vein』をご愛読して下さり誠にありがとうございます。

      今作は、大石×越前BL小説な訳ですが、お楽しみ頂けましたでしょうか?

      何だか終わりの方で成長後は越前×大石になりそうな勢いです…。