夏休みも既に中間を過ぎた頃、都心から少し離れたテニススクールで他の
生徒達より一人だけ妙に燃えている少年がいた。
「淳ぃ…そろそろ休もうだーね」
彼に近づく少年はそういって、向こう側のコートから歩いてくる。
その姿は、猫背で両肩で息をしていた。
「あっ、うん。ごめん五分休憩しよ」
「げっ!たった五分だーね!?」
「だって、仕方ないじゃない。青学は観月のデータを試合中に崩していくん
だよ。なら、それを上回る技術を手に入れるしかないじゃないか」
「そ、それはそうだけど……で…でも、ちょっとは休もーだーね」
柳沢は『青学』と聞いただけで顔色を変え、コートを走り去る。
残された木更津も息を荒上げ、近くのベンチに腰をかけた。
今まで以上にハードにしたメニューで、体中から吹き出る汗をタオルで
拭い、都大会での準々決勝戦を思い出す。
あの時は彼を信じきって、あそこまで行ける事が出来た。
勿論、観月のことを信用していないわけではない。
だが、予期せぬ事故により棄権を余儀無くするしかなかった。
しかし、試合後半から押されたのは明らかな事実で、もし、あのまま続け
ていたら勝てたという保証はない。
彼のデータは完璧だが、青学はそれを上回る力があることを試合の中で感じた。
もっと、強くならねばと思う自分がそう駆り立てる。
彼は全国から聖ルドルフ学院に集められた精鋭部隊の一人だった。
観月ほどではないが、少しながらのプライドは持っている。
結局、都大会では惨敗してしまったが…。
勝たねば自分達が集められた意味は消え去ってしまう。
学校のためなのではなく、自分自身のために。
「先輩」
そう呟くと、ルドルフ指定のポロシャツの中からアンティークのロケット
ペンダントを取り出した。
それを開けると、中には木更津と同い年くらいの女性がこちらを向いて笑って
いた。
彼女は彼が元いた六角中学校でテニス部のマネージャーをしていた。
木更津より一つ年上で、今は市内の高校に通っている。
とても明るくて……憧れの人である。
彼が旅立つ日には、も集まって盛大な送別会が開かれたが、告白する事は
出来なかった。
やっとの事で言えたのは、「先輩の写真を撮っても良いですか?」である。
「「勝たなくちゃ意味がない」…か」
あの時の彼の言葉を思い出す。
勿論、常にそう言う思いはあった。
胸に閉まっている彼女への想いがそれを強くしていく。
この道を望んだのは、彼の意思だった。
しかし、に想いを伝えられずに、この道を選んで良かったのか、と今も
悩んでいた。
「あのっ、すいません」
いきなり背後から声を掛けられ、急いでペンダントをポロシャツの中に
しまいこんで振り返る。
そこには、真っ白なテニススコート姿の少女が立っていた。
それを見た瞬間、木更津は瞳を大きく開かずにはいられなかった。
あまりのことでこれが現実なのかと疑いたくなり、ポロシャツの中のペン
ダントを強く握り締めた。
掌には、その形と軽い痛みを感じる。
確かに感じたものが、彼を現実に引き戻す。
彼女はその行動に瞬きを繰り返し、おろおろと落ち着きがない素振りを
していた。
「あっ…………先輩ですか?」
上気した顔で、やっとのことで言葉を口にする。
「久しぶりね。あれからまだ一年しか経ってないけど」
「本当ですね。俺、思わず声がでなくて、本当にすみません。こっちには
どうして?」
心の声が交差する中、必死で言葉を飲み込んだ。
「あっ、今、こっちの友達の家でお世話になっているの。今日はその子の
付き添いでここに来たの」
口にしてしまうと自分の想いが軽くなってしまいそうで、いつも空振りに
終わってしまう。
今まで何度、へのダイヤルを押そうとしたか数えきれないほどだった。
その度に、キツイ練習で流したものとは明らかに違う汗が滲んで来た。
木更津の応答を聞いた彼女は一瞬、瞳を伏せると何かを笑みの中に隠した。
「あっあの、先輩、ちょっと俺と打ちませんか?俺と同じく地方から集められた
ルドルフの一人と来ているんですが、時間になっても来なくて」
向こうの友人からがマネージャーとしてではなく、一人の選手としてテニ
ス部に入ったことを聞いていた。
「喜んで!あっ…でも、私、テニス始めたんだけど、まだ一度もやってい
ないの」
「えっ?どうしてですか」
首をかしげて尋ねる。
「そ、そのぉ……まだ、球拾いなの」
「あっ、そうなんですか。大丈夫ですよ。俺が教えますから」
「本当!?良かったぁ!!」
彼女の不安げな顔から微笑みが戻ってきて、何だかこっちも笑いたくなっ
てしまう。
本当に不思議な人だ、と思わずに入られなかった。
「やめなよ。ねーちゃん」
すると、再び背後から声を掛けられ、今度は二人で振り返ってみる。
そこには今風の若者と言おうか、肩まで髪を伸ばしている少年がタバコを
吹かせていた。
「何やってんだ!コートでは禁煙だぞ!!」
「うっせーんだよ!男には興味ねぇ。なぁ、俺と一緒にやろうぜ。テニス
だけじゃなく、いろんなことを教えてやるぜ」
彼女の肩を抱こうする彼から素早く引き寄せ、自分の腕の中に納める。
「淳君っ!?」
「俺の彼女に何か用か?」
それを聞いたは目を丸くし、男性はけたけたと笑った。
「何が可笑しい?」
「何が可笑しいって、お前が?やめろやめろ。俺、知ってんだぜ。お前、
聖ルドルフだろ?青学に無様に負けた、さ。そんな野郎より俺の方が
断然上手いから教えてやるって言ってんだよっ!」
そう言うと、強引に彼女の肩を掴んで引き寄せようとする。
「いやっ!」
だが、彼もそれには応じず、抱きしめる腕に力を込めた。
「やめろっ!嫌がっているだろ」
「ちっ…へーへー、せいぜい練習して負けるんだな」
彼はそう吐き捨て、来た時と同じように蟹股で去って行った。
その後ろ姿がコート内から消えるのを見計らって、深く息を着いた。
「……ねぇ、ちょっと腕の力緩めてくれるかな?…苦しい」
その声に俯くと、片目を瞑ってこちらを見ていると視線が合う。
「すいません!先輩を守るためとはいえ、あ、あの……とにかく
すいません!!」
自分がやったことを一気に思い出し、跳ねるように体を離し、何回も頭を
垂れた。
「えっ?そ、そんなに謝らないでよ……」
彼女が何かを言って口を覆う。
その顔はたちまち、赤一色に染まり出す。
そこには恥じらいと迷いが浮かんでいた。
驚いて飛び退いた距離を再び踏みしめて、の元へと歩み寄る。
彼女もそれと同時に意を決して顔を上げた。
「わわ…私、淳君のことが……好きだから……だから、抱きしめてくれた
時、嬉しかった」
あまりの事で思わず声が出てこなかった。
その瞳に映る自分の姿は目を丸くし、顔を引きつらせていた。
「先輩…」
体中が火照り出すのを感じる。
きっと、の方から見れば、赤面しているのだろう。
体中の血管が一瞬、逆流しているのが見えたような気がした。
目の前で余りの恥かしさに瞳を潤ませているのか、彼女と視線が合う。
ずっと待ち望んでいた瞬間、深呼吸をしてからゆっくりと開く。
「…俺も、精鋭部隊に選ばれる前から先輩のことが好きでした」
恥かしさと嬉しさが甘く絡み合って、を力強く抱きしめる。
背中には小さな掌が回された。
それは夢か幻か何かと間違えそうになればなるほど、これが現実なんだと
引き戻してくれる。
二人の鼓動が次第に重なり合い、ぎこちなさも既に、温もりへと変わっていた。
視線が甘く絡まり、自然に彼女が瞳を閉じる。
それは彼も同じでを引き寄せながらその端正な顔を落としていった。
唇が触れ合うと、彼女が微かに震える。
それを感じて、敢えて長くその場所に在籍した。
自分の想いは偽りでないことを言葉で伝えられそうにないから。
唇を離すとが泣いている事に気がついた。
「先輩っ!?どうしたんですか!……やっぱり、さっきのは…」
顔中にしわを寄せて先程のことを思い出す。
あの時の震えは、本当は自分を拒んでいたのだろう。
そんな考えが念頭にあった。
しかし、彼女は急いで首を左右に振った。
「違うの!淳君のことが好きなのは本当なの!!本当に嬉しかったから
……つい」
それを正当化するように、爪先立ちになって唇を押し当てた。
強く閉じられた瞳の端には雫が光っている。
片手での体を支えると、もう片方の手でそれを拭った。
「先輩」
「「」って呼んで。その呼び方だと他の人に呼ばれているようで……いや」
唇を離してからしばらく抱き合う。
いつもは、老若男女問わず賑わっているテニスコートに今は二人しかいな
かった。
おそらく、柳沢は更衣室のベンチに疲労もピークに達して寝そべっている
ことだろう。
普段なら彼に愚痴の一つも言いたいところだが、今日だけはこの機会を
与えてくれたことに心から感謝した。
「……さん」
「むぅ。「さん」は余計」
彼に向かって唇を突き出す。
その顔に笑いながら頬を染めた。
彼女の話だと、ここへ来たのは木更津に会うためだったらしい。
その友人が、どうやって調べたのか不明だが、この場所を教えてくれたのだ。
「彼女、東京で一人暮らしをしているから私はこっちにいる間、近所の
雑貨店でアルバト
をしてスクール代を稼いでいたの」
そう白状すると、真っ赤な舌を出した。
そんなにまでして自分に会いたかったのかと思うと、胸が愛しさで締め
付けられる。
彼女の顎を優しく掴めば、その顔は最初とは違い、満面に微笑を浮かべていた。
「…ずっとだけを見ていた」
「嬉しい。……私も、ずっとあなただけを見ていたよ」
二人の唇が静かに重なり合う。
夏の日差しがこれでもか、と照りつけるが、彼らを引き離すことはできない。
それは時間を駆け巡った想いが結ばれた刹那。
もし、『北風と太陽』の旅人が愛する者と一緒だったら、もしかしたら
物語が変わっていたかもしれない。
再び瞳を開いた瞬時、今までとはどこか違う世界が二人を包んでいた。
それは陽炎にも思えるが、確かな感触がする。
日差しに照りつけられながら、それとは明らかに違う赤みが彼を彩らせる。
「…俺と付き合ってくれ」
「はい、喜んで」
―――…終わり…―――
#後書き#
書き終わって、今までのものに比べてかなり純な作品になったなぁと我
ながら感心しました。
今までが今までなので。(滝汗)
裏作ばかり書いていたような気がする八月も、もう終わりですね。
早いような怠けていたような…。(爆)
このような所まで呼んで下さった方、また、このようなサイトにご訪問
して下さりありがとうございます。
更新していくのは決して速くはないですが、どうぞよろしくお願いします。
ご感想がありましたら掲示板かメールにどうぞ。
ご感想だけでなくお話しに来て下さる方も、お待ちしております。(笑)