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山内 昶『経済人類学への招待』(1994)ちくま親書


 毎日が日曜日。余計なモノを作らずに毎日を遊んで暮らす未開人社会は、男女平等、子どもや老人を大切にし、自律した一人ひとりの個人が自発的にゆるやかなネットワークを結んで作るコミューンでもあった。

毎日が日曜日、それが豊かさ

 GNPで測定されるのは、市場と政府支出を通じてもたらされる財とサービスだけだ。公害、病気、災害などマイナス要因が増えても、それが市場を通過する限りは、GNPは増えていく。つまり、GNPは豊かさの指標ではない。では、何が豊かさの価値の指標になるのだろうか。19世紀のはじめ、さほど有名ではないイギリスの経済学者、C・ディクルはこんなことを言っている。

「国民は12時間ではなく、6時間働くとき本当に豊かなのだ。富とは、自由に処分できる時間であって、それ以外の何物でもない」

 マルクスもこう述べている。

「社会が小麦や家畜などの生産に必要とする時間が少なくなればなるほど、より多くの時間が、それ以外の物質的並びに精神的生産のために獲得される。時間のエコノミー、すべての経済は結局はそこに帰結する」
 アメリカの経済学者、ジョージエスク・レーゲンも、次のような幸福の指標を作りだした。

暮らしの喜び=消費の享受+閑暇の享受−労働の苦痛


 つまり、遊んでモノを消費できれば、それが豊かだということになる。

 木の実や草の根を探し求めてジャングルやサバンナをさまよう。一日の大半が食べ物探しに費やされ、ようやく生きていけるだけの粗末な食べ物を口にできる。夜にはへとへとに疲れ切り、動物のように地面に転がって寝るだけ。絶対的な貧困。それが、長い間信じられ、今も信じられている未開社会に対するイメージだろう。事実、ザイールにある未開部族、ムトゥフ族のある草ぶき小屋には、枯れ草のベットや水を入れるヒョウタンなど家財道具はたった35しかなかった。

人は貧しかったのか

 だが、1960年代に入ると、貧しい未開人という偏見的を根本からくつがえす事実が次々と明らかにされていく。構造人類学者レヴィ・ストロースが指摘するように、農業をまったく知らないか、あるいは知っていても農業にはあえて目を向けず、狩猟や採取だけに依存して暮らしを営んでいる人々が、生きるためにはほとんど働かないですんでいるという事実が発見されてきたのだ。

 例えば、1960年に米国=オーストラリア科学調査団が行なったオーストラリアのアボリジニについてのレポートである。そこでは、狩猟、採取、食事の支度、道具の手入れ等をすべて入れても、食べ物を得るのに必要な時間は3〜5時間だった。しかも、食べ物を得るための活動は、日中全部が費やされることはなく、散発的、断続的で、おまけに必要なだけ採れたら、そこで活動を止めてしまうのだった。

 ボツワナのカラハリ沙漠の狩猟・採取生活を営むサン族でも、成年男子の平均労働時間は約6時間で、しかも週に二日ほどしか働いていなかった。週労働時間で換算すると、わずか1時間半から2時間だった。タンザニアのエアシ湖畔にすむハザ族も、食料獲得には平均日2時間以下しか費やしていないし、南アメリカのヴェネズエラのヤノマミ族も一日1時間40分。道具づくりや準備を入れても、3時間以下。生活の四分の三はハンモックに横たわって暮らしていた。生涯のほとんどが日曜日だったのだ。

 人力だけで焼き畑を行い、小家畜を飼育したり、採取・狩猟も行なっているような初歩的な農耕民の場合はどうだろうか。

 一番短いのは、ニューギニア耕地のツェンバカ・マリン族で一日1時間16分。パプアのカポーク族の男性の農作業時間は一日平均2時間20分、女性は1時間40分にすぎない。ニューブリテン島でタロイモを栽培するマエンゲ族は、男性は山焼きや柵作り、植付けや除草、収穫は女性が行なっていたが、それでも平均4時間だった。キャッサバを栽培するザイールのボイェラ族もせいぜい3〜4時間。アマゾンのクイクル族については、人類学者R・カーニーロはこう述べている。

「クイクル族の男たちは、1日畑で2時間、漁業で1時間半働いているにすぎない。起きている残りの10〜12時間は、ダンス、レスリング、レクリェーションをしたり、のらくら暮らしで過ごしている。農業に精を出せばもっと余剰農産物が生産できるはずなのに、こうした兆候はないのである」

 比較的詳しく調査された狩猟・採集民の6部族、農耕民の7部族の平均をまとめると以下のようになる。


未開人の労働時間  狩猟・採取民  農耕民  総平均
男 性 3時間13分  3時間38分  3時間26分
女 性  4時間09分  4時間12分  4時間11分
平 均  3時間41分  3時間55分  3時間48分


 未開人たちは、労働時間をなるべく少なくし、必要なだけ手に入れたら、あとは生産を打ちきって、お互いに訪ねあっておしゃべりをしたり、昔話や神話を子どもに聞かせたり、昼寝を楽しんだり、ダンスや歌で夜をあかしていた。つまり、多くの社会主義者が未来の理想として掲げてきた半日労働や半週労働が、未開社会では実現していたのだ。

子どもや女性や老人に優しい社会

 未開社会は、子どもや老人に優しかった。例えば、サツマイモを主食として豚を飼育しているカポーク族では、子どもは7歳ごろになると、父親について畑にいって農業を習い始めた。12歳ごろになると垣根の作り方や二次林の切り出し方を教わる。溝を掘ったり、一次林を伐採する作業は青年になるまで行われなかった。だが、子どもたちが働いているといっても、それは一種の教育で、畑に行くか行かないかは自分で決めることで決して強制はされなかった。ストリート・チルドレンはいなかったわけで、子どもたちは20歳すぎまでは生産労働からは免除されていた。

 知恵や経験を多く持った老人も尊敬されていた。生活に不可欠な多くの知識を古老たちは持ち、それを代々伝えてきたからである。だから、老人たちも労働からは免除されていた。たしかに多くの狩猟・採集社会では、身体が弱って移動についていけなくなった老人たちは自分でその場に居残ることを宣言する。家族やバンドはそれを自然のことと受け止め、何日か分の食料を残して立ち去っていく。残された老人は、自分の意志で草むらや木陰に入り静かに死をむかえる。天命のままに従容として自然死を選び取ること。その潔さには尊厳性があった。現代医療が植物人間をつくりだすまで、人間はこうして生き、かつ、死んでいったのだった。

 また、多くの未開社会では、男女ともに仕事をわかちあい、妻が夫に経済的に従属することはなかった。むしろ、狩猟・採取民では暮らしの大半を女性が担い、女性の自主性や自立性が強かった。

 サン族の場合は、女性が週に2〜3日行なう採集活動で得られる植物性食料が、全食料の60〜80%を占め、男性が狩猟で採ってくる獲物の2〜3倍の食料を供給していた。女性が植物性食物を見つけられる確率はほぼ100%だったが、狩猟で獲物を捕獲できる確率は23%にすぎず、時間あたりのエネルギー効率では、採取は狩猟の2.5倍も高かった。

 ハザ族でもアボリジニでもだいたい植物性食料への依存度が重量でもカロリーでも67%ほどを占めていたから、女性が一家の大黒柱であった。

 女性が大黒柱であれば、社会的地域もそれにふさわしく高かった。人類学者のА・バーナードとウッドバーンはこう述べている。

「女性は、どんな生産をするか、収穫をどうするかを自分で決めていた。夫の支配下にはなかたt.離婚しても、子どもは普通は母親のもとにとどまり、その後どっちで暮らすかを自分で決めていた」

 老人や若者は労働を免除され、壮年の男女が仲良く仕事をワークシェアリングする。食料は働けない人にも平等にわかちあわれる。完全雇用は達成され、失業はもとより存在しない。生産、分配、消費のプロセスは民主的に決定され、自主的に管理される自律と協同社会。。。。

 未開人の社会ではバンドは流動的で堅固な社会組織を構成していなかったし、メンバーもしょっちゅう入れ替わり、家族や親族のネットワークもゆるやかなものだった。現代的に言うならば、自律した諸個人の自発的な連携によるコミューンであったと言えるだろう。

総人口の半分しか働かず、仕事は遊びだった

 子どもも老人も遊ばせ、血気盛んな青年たちの一部もさまざまな文化的理由から労働を免除されていたから、総人口に占める経済人口は驚くほど低かった。

 サン族の場合は、食料生産に従事していたのは男性では23.6%、女性では30.2%と53.8%でしかなかった。グロ族でも就労者は、男性では26.5%、女性では29.7%と56.2%でしかなかった。サンタクルーズ諸島に近いティコピア島民でも、人口のせいぜい半分しか働いていなかった。

 しかも、就労人口が毎日精を出して働いてたわけではない。一日おきだったり、交代で働いていたから実稼働労働は40%以下でしかなかった。農業は趣味の園芸に近かったし、狩猟もスポーツだった。採集もキノコ狩りや山菜取りのようなピクニックであり、漁業も魚釣りだった。

 もともと未開人の人々には働いていても、働いているという意識がなかった。オーストラリアのイール・イロント族では「労働」と「遊び」が、メキシコのタラフマレ族では「働く」と「踊る」が同じ言葉で表現されていた。つまり、人類は近代文明が生み出すまで、労働という抽象的な概念を持っていなかったのだ。

 未開社会では、労働は暮らしと渾然一体となっていたし、個人の生命活動、人格的活動そのもので、しかもプライベートな私的な活動が、そのまま社会的な活動にもなっていた。

 シカを獲ったり、メロンを集めたり、イモを植える仕事は、労働ではなく、社会的なネットワークの中で、自分が占めている地位や役割に応じて行われる、ボランティアなパブリック・サーヴィスにほかならなかった。

 だが、遊んでいるのか働いているのかわからないといって、彼らの菜園は見事で美しく管理されていた。それは、菜園が自分の人格の表現だったからだ。ニューギニアのオロカイヴァ族は、少女は結婚する前に相手の少年の菜園を見に行った。マライタ島のアレアレでは、逆に少女の菜園が観察された。それは、菜園から相手の性格を読み取れると信じられていたからである。


人間はもともとナマケモノだった

 実のところ、働くことが価値を持つようになったのは、ごく近代にすぎない。歴史学者P・アリエスが言うように、古い社会では、労働は一日のうち今日ほど多くの時間を占めておらず、重要視されることはなかった。労働は価値がなく、遊びや娯楽の方が高く評価されていた。

 フランス語では労働はトラヴァーユと言われるが、その語源は、拷問や責め道具を意味するラテン語のトリパルムであった。つまり、キリスト教徒にとっては、労働とは、アダムの原罪によって呪われた人類が生涯服役しなければならない強制労働、拷問刑罰だった。

 15〜16世紀のイギリスでは土地囲い込みによって、大量の農民が生活手段を奪われ、都市に移住して乞食か浮浪者になった。身体が健康で働けるのに働こうとしないものは、むち打ちの刑に処されたり、耳たぶを切られたり、頭や背中に焼き印を捺されたり、様々な刑罰を科せられた。そして、累犯が三度を越すと国家への反逆罪として処刑された。だが、エリザベス朝のある記録では毎年300〜400人の浮浪者が絞首台に並んでいた。フランスでもルイ16世の時代には16〜60歳で壮健なのに働こうとしない浮浪者は、すべてガリー船に送られる決まりになっていたが、いつまで経ってもルンペンの姿は都会からは消えなかった。要するに、人間はもともとナマケモノであり、経済的にや経済外的に強制されない限り、死ぬほど必死で働くことはなかったのだ。

 今の先進国の持つ生産力は未開社会から比べれば、格段に高い。生産性が100倍にアップすれば、労働時間はそれだけ減っても良いはずである。だが、先進五カ国(日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ)の製造業の年間労働時間は平均で1861時間である(1990年)。未開人たちの1000時間に比べると、倍近く働いていたことになる。

 そして、大量生産されるモノは人間の基本的なニーズからすると80%がムダな商品だと主張する人もいる。社会学者のJ・ボードリヤールは、今日作られている製品の大部分は、偽物か余計な飾り物だと述べている(続く)。

(2004年6月5日、2008年9月23日修正)