2002年5月 本文へジャンプ

生き残り物語:ポストソ連のキューバ経済



はじめに

 10年ほど前、ソ連とその社会主義経済圏が終焉したことで、キューバは経済危機に突入した。多くの人々はとうてい生き残れないと見ていた。

 キューバ経済で実に国民所得の4分の1を占めていたソ連からの補助金が消滅したのだ。GNPは1989~93年で35%も落ち込んだ。

 キューバの母親たちは、最も危機が深刻だった1992年や93年には、学校に送る前に子どもたちに1杯の砂糖水を与えたと語る。学生たちは、古タイヤやガムテープで作られた靴を履いていたことを思い出す。 燃料不足で交通も麻痺したから、両親たちは子どもたちを終日通りで遊ばせた。工場は閉鎖され、労働者たちは一時解雇される。

 農民たちはトラクタを馬や雄牛に替え、マイアミでは著名な専門家が1992年に共産主義キューバの来るべき瓦解について「カストロの最後の時」という本を出した。ワシントンでは当局筋が、詳細なインテリジェンス分析を行い、キューバがその燃料を完全に使い果たす時期を推測しようとした。

 だが、キューバは、この危機を乗り切って、1990年代にはつつましいが経済成長を達成し続ける。この論文はキューバの市民、職員、幹部、アナリスト、キューバへの投資家たちとのインタビューに基づき、このサバイバルの物語やキューバが直面し続ける難局の背後にある政策を説明したものだ。

 キューバの政策立案者たちは、市場や資本主義の原理を広く用い、グローバル市場経済の海図なき領域で成長や収入を生み出す戦略を採択することで、その社会主義経済を再構築する以外には選択肢がなかった。最大の外為の稼ぎ手は、砂糖から観光にかわり、海外からの投資で全国に合弁事業が誕生し、新たな資本やノウハウがもたらされる。民間の個人農業が新たに重視され、農民や協同組合は、需要と供給で価格が決まる304もの農民市場で過剰農産物を販売している。社会主義の国営企業も利益をあげねばなららない。小規模な起業が認められ、今では労働力人口の4%がそれで雇用されている。

 キューバにとっての最大の痛手は、社会主義の貿易相手国の損失であったかもしれない。それはキューバの対外貿易4分の3を占めていたのだ。キューバは、国内だけでなく、国際的にも同じく計画経済だったわけだ。社会主義圏諸国は、貿易関係も計画し、その計画に応じてその国内生産を特化していた。

 結果として、キューバの多くの工場は、生産計画、設備、原材料の供給源、そして顧客関係によって運営できていたことが消滅してみて初めてわかる。例えば、外貨での貿易という新たな要件では、キューバは、ハンガリー製のバス用の部品を購入できないのだった。

 1992年、ハバナとサンタ・クララ間の高速道路脇の大規模な柑橘類農園はちょうどその活動を開始したところだったが、その全生産はソ連圏への輸出用だった。キューバはイスラエルの投資家を呼び込み、合弁事業を立ち上げ、経営を規模縮小し、新たな潅漑技術を導入し、今、西ヨーロッパの新たな顧客に利益をあげつつ販売している。

 とはいえ、すべての変化を見ると、今、キューバ経済は全くパッとしない。多くの家庭は、家計に苦闘しているし、中央集権的な管理はいまだに進歩を抑え、あらゆるレベルで起業家のイニシアチブの範囲を制限している。教育水準の高い労働力は失業している。二重の通貨、兌換できないペソと米ドルの流通。何人かには進歩であっても、これは、他の者にとっては格差の象徴だ。とはいえ、もしも、キューバがその経済改革を広げるか、あるいは、将来完全に市場ベースの経済に変わるならば、ポスト・ソビエトの10年で達成された最初のキューバの変化は、こうした将来の政策の基礎として機能することであろう。

I. 送金のドアを開く

キューバのGDP
1990....................-2.9%
1991..................-10.7
1992..................-11.6
1993..................-14.9
1994.....................0.7
1995.....................2.5
1996.....................7.8
1997.....................2.5
1998.....................1.2
1999.....................6.2
2000.....................5.6
2001.....................3.0.

 さて、キューバの回復の大半は、経済の全域に影響する6つの政策結果と考えられる。

1993年、キューバは市民の外貨所有を合法化したが、それが新たに大きな外為源を産むこととなる。海外で暮らす親戚たちからの送金だ。国連ラテンアメリカ経済委員会は、1998年のキューバ経済についての包括的な報告書で、キューバが毎年8億ドルの送金を受けていると評価した。キューバの公式評価では1996年に7億4400万ドルと釘をさしているが、独立したキューバのエコノミストも、2000年の送金計は年間で10億ドルとなっていると評価する。

出典:Inter-American Development Bank
一人当たり送金 1999
ジャマイカ 289
エルサルバドル 255
ドミニカ共和国 203
キューバ 73
ニカラグア 70
コロンビア 15

 カリブ海諸国では家族からの送金が、国の外為収入の重要な要素となっているが、そのキューバも総額がいくらであれ、明らかにこの経済クラブに加わったこととなる。親戚たちが海外からキューバを訪ねれば、その額は不明だがなんらかの送金が持ち込まれる。また、多くのキューバ系米国人も、キューバ全国に78もの事務所があるウェスタン・ユニオン(Western Union)を通して、送金してくる。また、カナダの企業、Tran$Cardは、個人預金口座を作っている。海外のドナーは、そこに貯金でき、キューバ人が自動現金引出し機から引き落とせるのだ。


 平均給料が10ドルほどしかない経済の中では、送金は何百万人ものキューバ人たちの生活水準をあげる。例えば、年配のある婦人は、毎月の年金が80ペソしかないから、スペインに住む息子か米国にいる娘の夫から送金を受け取るときだけ、農民市場で買い物ができる。この送金の恩恵は平等に分配はされない。送金するゆとりのある親類が海外いるキューバ人にだけ届くからだ。

 送金は、さらに広く経済に影響する。小規模な起業家、農民市場、そして、そこに農産物を提供する農民や協同組合にとって重要な収入のフローとなるからだ。また、機材、食材、衣服等の様々な家庭用品をドルで販売する国営ドル店舗も支えている。そして、こうしたドル店舗での収益が国営企業のローンや投資を支えているのだ。

キューバの購買力
 その社会主義経済のために、キューバには、珍しいほどの収入や購買力の格差が生じている。新たな経済部門で稼げる高賃金といまだに改革がなされていない部門での低賃金により引き起こされた現象だ。

2001年の平均月給は249ペソ、10ドルほどだったが、キューバ政府の調査では、62%の家庭が、送金、国営企業や合弁事業でのボーナス、あるいは私的な起業活動を通じてその収入の一部をドルで取得していると見ている。

 1994年には1ドル=120ペソまでペソの価値が下落したが、1996年以降は比較的安定し、1ドル=20ペソで取り引きされている。だが、9.11テロ以降の観光の不振や2001年11月のハリケーン・ミシェルの経済打撃で、外為収入が落ち込んで、再び1ドル=26ペソまで価値が落ちている。

 キューバ人たちは全員が、米、ジャガイモ、料理油、子ども用の牛乳等の基本食材を毎月配給され、それには補助金が上乗せされている。だが、この配給は毎月の食材の一部をカバーするだけだ。追加分は、農民市場でペソで買うか、多くの家庭必需品をドルで販売する国営店で買わなければならない。だから、ドルが必要となってくる。

 キューバ人たちの購買力を推定するため、仮に、農民市場(豚肉片、米、黒豆1ポンド、トマト 2ポンド、ライム3個、ニンニクの1つ)でペソ、家庭用品(石鹸、1キロの洗剤、輸入歯磨チューブ)をドル買う簡単な買い物を考えてみよう。この購買には194ペソかかる。そして、これを買い入れるのにどれほどの労働が必要なのかを様々な職業別で見るとこうなる。

194ペソを稼ぐのに必要な労働時間

  • 幼稚園の教師 1.55月
  • 年金退職者1.55月
  • キューバの平均給与 15日
  • 医師 8日
  • 平均的な起業家 5日
  • 合弁企業のニッケル鉱夫 5日
  • 農民市場の業者 3日
  • 民間のタイヤ修理屋 2日
  • バラデロ・ホテルのエンターテイナー 2日
  • ハバナの個人タクシー 1.5日
  • 月に100ドルの送金のある家族 1.5日
  • ハバナの民宿の経営者 6時間

 ハバナの農民市場の2002年4月の価格で計算。ドル:26ペソ。過去3年の給与水準の記録により試算。1998年の152人の起業家の著者による調査に基づく平均起業家の稼ぎ。それらは、職業的な平均を表わさない。著者により記録された市場バスケット価格


II対外投資の奨励


カナダの投資を用いた大豆加工施設。輸入する代わりに自前の油やその他の大豆製品を製造できる

 キューバに対する対外投資は比較的小さい。キューバの法的規制環境や米国の経済制裁他の要素から、カリブ海域の経済の中では、ほとんどのキューバの地域は、投資の競争力がない。

 外国からの投資によるキューバの省庁や国営企業との合弁事業は、1991年の解禁時の50と比べ現在、404となっている。うち半分は、基幹産業、観光業、建設部門に集中し、かつ、半分がスペイン(97)、カナダ(75)、イタリア(55)の3カ国のものだ。2000年のその総売上高は17億ドルで、うち7億5800万ドルが輸出だった。

 1993年以来の総投資は比較的少量とはいえ、約40億ドルとなっている。比較のために一例をあげれば、1990年代に米国の2企業がメキシコのテレコミュニケーションに投資した額は、それだけで20億ドルである。とはいえ、30年にもわたって投資が干上がっていたことから、これは大きな影響をもたらしている。ホテル、リゾート、レストラン、小売店、空港、そして、観光業の付属サービスは、実際にはゼロから築きあげられたものだ。2000年の観光客数は約170万人だったが、これは1980年代のピーク時の6倍だ。

キューバの電話システムはイタリアとメキシコの投資で近代化されている

 対外投資は鉱山やエネルギー生産性もあげる。インフラを近代化することでテレコミュニケーションを向上させ、顧客への良いサービスも提供されている。こうした投資は、キューバの労働者や管理者にも大きな影響をもたらす。国際ビジネスの習慣、ホテルでの顧客サービス、採掘法や安全。なんであれ、キューバ人たちは外国のパートナーからトレーニングを受ける。また、多くの者がペソでの基本給に加えてドルでのボーナスをもらっているから、国で働く者よりも賃金がいい。技術上では、合弁事業の労働者の雇用主である、職業斡旋所によって、合弁事業にはかなりの労働税がかけられているのだが、にもかかわらず、これがあるのだ。

 ここに、キューバの労働者とのインタビューから得た事例がある。カナダとキューバの合弁事業で運営されるモアのニッケル・プラントの管理人は、460ペソの月給に加え、平均70ドルのボーナスを稼いでいる。これを月249ペソの平均給料と比べて欲しい。バラデロのホテルの掃除婦は、267ペソの給料に加え、4ドルのボーナスと、さらに、全従業員に分配されるプールされたチップのシェア分として10ドルを取得している。近くの「スーパー・クラブ・リゾート」は、月に40ドルものボーナスを支払っている。電話企業ETECSAでは、収益のシェアから、オペレータには200ペソの月給に10ドルが加わり、彼女たちの稼ぎは倍以上となっている。

 外国投資は重要な技術や知識ももたらす。その一例がキューバの会社とカナダのシェリット・パワー社の合弁事業エネルガスだ。シェリット社は2001年12月の時点でプロジェクトに1億6100万ドルを投資しており、エネルガスは、ハバナ東部のバラデロとボカ・デ・ハルコ油田の天然ガスを用いて、193メガワットの発電能力を持っている。以前にはキューバの石油抽出の副産物である天然ガスは燃やされ、エネルギー源や化学原料源を浪費して、硫黄のひどい大気汚染を引き起こしていた。だが、今では天然ガスはキューバの電力の7%を発電し、バラデロのビーチ・リゾート地域に全電力を供給し、あまった電気は国の送電線にまわしているのだ。天然ガスの処理によって硫黄(年間3,500トン以上)他の化学物質は、精製されて工業用に販売されている。

 合弁事業に加え、キューバは外国資本、市場、ノウハウを引き付ける「共同生産協定」も用いている。合弁事業で必要な時間のかかる承認審査方式が避けられ、ヘルムズ-バートン法による米国の制裁に外国企業が晒されることもなく、より簡単で、よりフレキシブルな協定なのだ。例えば、軽産業省は、125企業のうち50は外国のパートナーと共同生産協定を結んでいる。こうした協定では、たいがいキューバ側の企業が従業員やインフラを供給し、外国のパートナーは原材料、技術、トレーニングを提供する。合弁事業のような利益分配はないものの、その代わりとして、パートナーは、目標市場や価格に同意し、次に、輸出品かキューバの中で販売された製品からの収益をわかちあう。

III農業を蘇らせるのにインセンティブを使用


ハバナの農民市場

 1990年前半の経済危機で、キューバはやむなく3つの重要な農業政策変更を行った。第一は、協同組合や個々の農業者に国有地の約3分の2を再配付した。第二に、規模、組織形態、所有権にかかわらず、農場や協同組合に生産を高めるための物的インセンティブを与えた。今では、いったん契約量を国におさめれば、自由市場で余剰産物を販売することが認められているのだ。第三は、1994年10月に農民市場が開かれたことだ。国の流通制度を補完し、余剰生産物を消費者にもたらす新たな法的な流通経路を設けるためだ。

 全国では304、ハバナだけで49の農民市場が運営されているが、その産物の4分の3は個人農業者からもたらされている。

 こうした市場の値段は、ペソだけしか稼げないキューバ人たちにとっては高い。1ポンドの豚肉だけで医師の月収の6%、退職者の年金の約15%にも及ぶのだ。にもかかわらず、農民市場には多くの客層がいるし、競争力もある。公式統計からは、家庭出費の10%が農民市場で費やされていることがわかる。

販売用の野菜を生産しているサンタ・クララ郊外にある都市菜園

  中低所得者にも産物がゆきわたるよう、政府は月に一度、市内での協同組合による消費者への直売を認めている。また、住宅地にプラシタスと称される小さい産物スタンドも立ち上げている。そこでは、国営農場や協同組合が廉価な生産物を販売している。

 キューバでは、食料の供給を増やし、生野菜消費を増やして、その食生活を改善するため、都市農業も行われている。2,611もの小規模な国営企業、その有機栽培からオルガノポニコと称されるものが、1995年以来、萌芽しているのだ。狭い空地に押し込まれているものもあるが、ハバナ郊外や他の都市では大規模なものも見受けられる。それらは、有機物で地力を付けた揚床で、ホウレンソウ他の野菜から果実とハーブまであらゆるものを栽培している。各オルガノポニコではたいがい20人か、それ以下の労働者が働いている。また、これら企業は、国から借りたその立ち上げ資金を返済しなければならない。だが、それでも、多くの企業が労働者にボーナスを支払えるだけの利益をあげている。ハバナでは、250ペソの月収を得る労働者が、ここ1カ月で630ペソのボーナスを受け取っている。

 こうした政策は成功しているが、キューバのデータからは、1992~93年以降は食事内容が改善されているとはいえ、いくつかの栄養では推奨水準をいまだに下回っていることが示される。FAOは「適度に低い栄養不良」とキューバを位置づけている。

IV 砂糖にかわる観光業


ビジャ・クララ州のサトウキビ畑

 何世紀にもわたって砂糖はキューバ経済の大黒柱だった。社会主義になってからも最初の30年間は、砂糖はソ連の石油と優先価格で交換されてきた。だが、ここ10年は人工的に利益があがるようにしてきたソ連との有利な貿易はない。そして、世界的に供給過剰で価格を低下する中、キューバの製糖業は、衰退する米国の織物業や鉄鋼業等と似たものとなってきている。

「手で刈り取るサトウキビには未来はない」

 フィデル・カストロ国家評議会議長は言う。グローバルな競争は、ほとんど克服できないほどの挑戦だ。とはいえ、伝統的な雇用形態、製糖業は就業人口の15%、47万8000人を雇用している。だから、製糖業は政治的な問題となり、速やかな経済合理化が達成できなくしている。

 たとえ、米国との貿易が再開さえ、製糖業は救われないであろう。キューバのアナリストが指摘するように、キューバは1959年には320万トンの砂糖を米国に輸出していた。そして、今、米国は全世界から200万トン未満を輸入している。

 農村にある広告版は、キューバの経済や文化における砂糖の価値を持てはやす。だが、現実的には製糖業は減退を強いられ、非効率な精糖工場の半分は閉鎖している。

 政府は、低迷する砂糖生産に対して、特徴的な戦略、効率性を高めるすべを模索し、サトウキビからの生産物を多角化させようと試みている。ヨーロッパへの有機砂糖の輸出、高品質の産業用アルコール、製紙用の原材料、家畜飼料、工事用の合板、そして、サトウキビの搾りかすを燃焼させることによる発電などだ。

 砂糖省の職員は、収益の10%はすでに派生物の販売によると語っている。 これは健全な改革だ。だが、キューバのアナリストはこうも言う。

「ですが、経済の重心軸としての位置を砂糖に復活させることとまぜこぜにしてはなりません」

 2001年のキューバの砂糖の収量350万トンは1990年の44%だった。この低収量は製糖業の慢性的な問題だ。砂糖生産の90%以上は、国内でも最も非効率な農業協同組合によって行われている。それは、1990年代前半の大規模な国営農場を解体したなれの果てだ。この部門の多くは利子率の高利率での短期的融資で操業されているから、それが、さらに生産コストを高める。

スペイン植民地時代の総督が住んでいたPalacio de los Capitanes Generales

 さて、困難な製糖業をマネジメントしなければならない政策立案者たちは、グローバル経済において、もっと優位な部門を戦略的に重視している。観光だ。

 訪問者を魅了するため、キューバは3種類の目的地を発展させてきている。ビーチ・リゾート、植民地時代の建築物、そして、最近ではエコツーリズムだ。ホテルの収量力は1990年代から今の3万7000部屋まで3倍となっているし、当局は、外国投資との31の合弁事業で、ハバナのホテル開発には11億ドルが注がれたと語る。さらに、50軒のホテルが外国企業との管理契約下で経営されている。観光客数は、1990年の34万人から2001年の約180万人にまで増えた。

 観光はそれ以外の経済にも広い影響している。キューバの外為収益の半分以上を生み出し、最高の外為稼ぎ手となっている。観光地で約30万人の仕事を支え、労働者たちはドルを稼げるから、誰もが切望する仕事となっている。おまけに、観光業に供給する、多くの小規模な起業家、とりわけ、個人レストランの経営者、アーティスト、タクシー運転手、住宅の部屋を貸す人たちも観光で支えられている。アバナ・ビエハ、ハバナのスペイン植民地時代の建築区域の由緒ある建物や記念碑、公営住宅の大規模な修復に資金を供給しているのも観光からの収益だ。

 とはいえ、観光業も難題直面している。キューバは比較的安価な団体旅行客を魅了することでは成功した。そこで、もっとお金を落としてくれる旅行者数を伸ばすため、キューバを完全な目的地にするべく、ゴルフコース、博物館、マリーナ、レストラン他の施設に投資している。また、輸入物資を国産品でまかなうよう働いてもいる。1990年代前半では、果実、家具、建設資材を含め観光業はほとんどすべての物資を輸入したから、純収益は限られていた。だが、今では、生鮮食品、飲料、家具、タオル、石鹸、多くのその他の原材料が国内産業から観光部門に提供されている。政府職員は、観光企業が購買する製品の67%は国内産だ、と語っている。

 世界中のどの観光地もそうだが、キューバもいまだに9.11テロの影響を受けている。とはいえ、長期的には、観光における競争力でかなり有利な立場にあると言っても危険はなかろう。観光業が成長するにつれ、それは、それ以外の経済にもさらに雇用や成長を生み出すことだろう。


V国営企業の徹底見直し


 経済危機では、30年間のソ連型の国家計画の間に構築されてきた国営企業制度を改善することも強いられた。企業が提供する商品セットの量の要件に応じて原材料の投入が中央集権的に計画配分される「物産計画」を収益性が必要な「財政計画」に政府は置きかえる。国営企業への補助金は徐々に削減され、国営企業に融資するために新たな金融機関が、設立される。国の官僚機構は1990年代前半に50から31省庁まで削減され、残った省庁も2/3ほど規模縮小された。

 350の企業が自前で輸出入することが許可され、対外貿易も分権化される。奨励給与方式が導入され、給料ボーナスによって労働者の生産性に報いるために外貨収入を得る企業で始まる。現在、従業員の73%がそうした奨励給与制の下におかれている。

 さらに、キューバは「perfeccionamiento empresarial」と称される国営企業の野心的な正式な改革にも着手していく。これは、1998年から始まったが、1980年代にスタートした軍の企業の徹底見直しに基づいてなされている。

 この過程の下では、国営企業は、理論上、補助金を完全に失い、内外の市場にサービスすることで繁栄することとなる。完全で正確な財務会計が企業にあると認められて、その過程は始まる。次には厳格な自己評価だ。新たなビジネスとしての企業を達成するため、労働者とマネージャは、各部門の経営改善や給与支払簿の資料を集めて調べる。最終承認が認められれば、マネージャにはある裁量権を与られる。省庁や他の政府機関の関与なしに、労働者を雇ったり、首にできるのだ。そして、より成果を上げた者に報いるため、奨励給与の支払い計画を立てることが必要とされるのだ。

 キューバにある3,000の国営企業のうち、244は2001年6月時点でこの過程を完了し、1,530は自己評価やリエンジニアリングの段階にある。国営企業の改革はゆっくりと進行している。というのも、自己点検や計画が極めて徹底的、かつ、詳細だからであり、もし、非効率な企業の社長が、一気に収益性をあげることを求められ、労働者を一時解雇することを許可されたならば、結果として簡単に生じるであろう失業には、キューバ経済が耐えられないからだ。

 この改革を終えた一企業に、1945年にハバナ州のエル・コトロに設立されたゴム生産会社、ゴマ・コンラド・ピーニャ社がある。スニーカー、自動車ホース部材のホース、ガスケット(マフラーパイプやエンジン本体の接合部などに挟み込み、隙間を塞ぐパーツ)、自動車・トラック・自転車用のタイヤを生産している会社だ。ラザロ・ゴンサレス社長は、「以前は管理者権限が非常に制限され、実際にはすべての問題が、より高いレベルで解決された」と語る。高レベルとは基礎産業省のことだ。

「本当に、上から指示を行うことで、自分で支払えませんでしたし、一緒に働くものの人事権もありませんでした。計画もお客さんとは無関係だったのです。もし、目標を凌ぐことができれば、彼らは私を祝ってくれましたし、目標以下ならば批判されました」

 だが、いずれの場合も、会社、または、そのマネージャと従業員の収益にはどんな金銭的な影響もなかったのだ。この企業は改革以降も前とほぼ同人数の約1,700人の従業員を雇っている。だが、ゴンサレス社長は、収益が劇的に増えたと語る。平均して生産は83%も増え、売り上げは60%あがり、税金を払った後の利益は300%あがり、労働生産性が95%アップした。企業は、その給料支払名簿支出で25%、純利益の35%を税金で支払うが、2000年の税を引いた後の利益は1999年時の3倍の213万ドルだったのだ。

 こうした収益で、企業は平均基本月給を390ペソへと74%あげることができた。会社にはドル歳入もあるため、ドルのボーナス払いも可能だ。国のドル店舗や砂糖省等の外貨の稼ぎ手に販売しているからだ。その月生産により、もし、5%のボーナスが支払われれば、300ペソの給料を得ている労働者が390ペソの同等の15ドルを受け取れるように、労働者たちは5~10%のドルでのボーナスを取得する。そして、自動払い機のカードを持って、振込で給料を受取るとるのだ。

 もし、この国営企業の改革がキューバ経済全体で成功するば、それは古くなった国家計画モデルの終わりの合図となろう。それは達成することは容易ではないが、その多くの面は、キューバの労働者や管理者が40年もなじんできた社会主義の概念とは合致しない。それは、経済当局が現在推進しているひとつの組織的な変化だが、潜在的にその含意がほど遠いことから、その価値は見るに値する。

VI小規模な起業を認可


 1991年に初めてハバナを訪れたならば、それ以外のラテンアメリカの諸都市の街風景と違って商業のにぎわいが欠けていることにショックを受けたであろう。花売り業者さえ目に入らず、商業は密室内で行われているかのようだった。当時のキューバでは、企業精神はごくわずかしか受け入れられず、仕立屋や美容師他の職業で働いていたのは1万~1万5千人でしかなく、国が雇用主そのものだった。

 だが、状況は変わる。工場閉鎖や一時解雇で経済的な大打撃を受ける中、新たな雇用先や新たなサービスを供給するため、1993年9月に150以上の職業で自家営業を法律で認めたのだ。直ちに新たな起業セクターが誕生し、1996年1月にはピークに達し、20万9606人の起業家が認可されるまで至った。

 キューバ人たちは、小規模ビジネスを始めるには、労働省の地元事務所から免許を取得し、税務署にも登録しなければならない。現在、認可された起業家として自営業に従事しているのは、約15万3000人、就業人口の4%だ。だが、この数値は、ある場合には無許可のフルタイム、あるいは、パートタイムの仕事と評価されている。

 この部門が直面するのは、大きな規制だ。街頭での飲食スタンドや家族レストラン等、食料業を除いて、アシスタントや従業員は許可されない。家族レストランも12席に限定され、牛肉や魚介類は出さない。個人タクシーも観光ホテルや空港に乗客を送迎に行くことが禁じられている。

 大卒もその専門分野で働かないかもしれない。例えば、教師も家庭教師として働かないかもしれない。物資は闇市で購入されないかもしれない。国は、安値で供給源を全く提供しない。起業家にその供給源となる国営店からの領収書を見せろと求めることで、こうしたすべての制限を実施するのは、検査官だ。1996年のピークからの起業家の数の27%の減少には、いくつかの原因がある。

 1996年には、国以外で働くものに対する個人所得税が、1960年代前半以来初めて再設される。税は、月毎に課税され、累進税率で年末に決算される。そして、毎月の前払い金は払戻しできない。累進税率は、3,000ペソ未満の年収の5%から始まり、6万ペソ以上の歳入では最高50%となる。

 この所得税で、多くの起業家はライセンスをあきらめることとなった。ライセンスなしで働き続けている者もいたが、他の者はそれ以外の雇用を求めた。また、ある者はセントロ・アバナの二人のタイヤ修理のように仲間内で不正をしている。彼らはひとつのライセンスをわかちあい、もし、法律どおりに操業すれば支払わなければならない税金の半分しか払っていないのだ。

 また、起業家同士、そして、国との競争から、操業を止めた起業家たちもいる。ハバナのベダド地区では、あまりに多くの者が近隣で働いていたため、ある女性は私設レストランを閉じたし、他のレストランは国との競争のため休業した。1993年以来、国営レストランやホテルのレストランは数と質を劇的に増やしている。任意の、そして、時には厳しい罰金を伴う規制強化もそれ以外の閉鎖を引き起こしている。規則強化が最も大きく、タクシー、レストラン他は、国営企業と競争で負けていくように見える。例えば、アバナ・ビエハでは、ポピュラーな野外での職人市場が、工芸、絵、記念品を販売する近くの国営店と競合しないよう操業が週あたり4日間に制限されている。 2002年には、個人自動車で人を乗せる許可は、8,600で凍結するとの新たな規則が発行された。

 それでも、法の枠内で働いて贅沢な生活をする起業家を見つけ出すのは簡単だ。ハバナのある退職した夫婦は、家の部屋を一泊40ドルで貸している。一部屋当たり月に250ドルの税金を支払っているが、それでも堅実な顧客がいて、月に約1,500ドルを懐に入れている。ビジャ・クララ州では、タイヤ修理工が1月に約2,000ペソを稼いでいる。ハバナでは、1月に450ペソを稼いでいた個人タクシードライバーが、今や国の工事企業の次長として月に100~150ドルを稼いでいる。私は、1998年に152人の起業家について調査し、税金と事業活動経費を差し引いた後、平均所得で743ペソになることを見出した。国の平均給料の約3倍だ。

 ホセ・ルイス・ロドリゲス経済大臣は「彼らは、国よりもいくつかの活動ではよくやれています。が、我々は小企業を通じては発展を達成できません」と語る。大臣は、彼らの政策が起業家精神を鼓舞するわけでも、水をさすわけでもない言う。こうした部門を広げるためにこうした規制を減らすとの議論はあり、それらは、雇用や世帯所得を伸ばすだろうが、どんな政策変更も地平線にないことは明らかだ。

キューバのニューエコノミーと今後の挑戦

 キューバ経済はどのように変わっていくのだろうか。まず、政策課題として、キューバは、社会主義をやめようとはしていない。中国、ベトナム、あるいは他の社会主義の改善モデルに応じて、その制度を改革するとは口にしていない。国が経済生産で支配的に誘導する役割を保有している。とはいえ、国は非常に違った文脈でのその役割を行っている。「プランの遂行」は、まだ労働者と幹部社員への合言葉であるかもしれないが、今のプランは、輸出や利益を目的としている。その変化のひとつを見せるのが、1人の男性、ミゲル・フィグェラス氏のキャリアだ。彼は、1980年代に国の計画委員会の副委員長として社会主義計画の組織に勤めていたが、現在は、外国資本を多く用いる産業と管理の専門家を監督を観光省で行っている。氏は、人口統計や市場に関するデータを研究し、さらに数多くのカナダ人やヨーロッパ人がキューバを定期的に訪ねる目的地とする方法を模索している。

 要するに、90年代のキューバの改革には大変な成果があり、この10年の米国による経済封鎖の大変な負荷の下でさえ、その恐るべき危機から経済をひきあげ、不可欠の医療や教育サービスを維持しつつも、成長を回復したのだ。

キューバ経済における白、黒、そして、灰色
 キューバ経済の実態を評価するうえではいらだたしく感じることがある。というのも、法、規則、そして、その下で操業される企業を調べるだけでは、一部分的しか説明できないからだ。法の境界かあるいは法外でしばしばあけすけに日々、起きているかなりの経済活動を観察することも同じく重要だ。

 農民市場では、余剰農産物を自由な値段を付け、盛んに売っている。だが、現在のところ、卸売販売や農場から市場まで産物を輸送する業者を規定する法がないまま、こうした活動はされている。トラック運転手は農民たちから生産物を買い入れ、それを都市や町に運び、市場の業者と出会う。当日に市場で売る生産物を買うために、夜明け前から業者は集まっている。当然のことながら、トラック運転手や/卸売業者は利益をあげる。この活動は非合法なのだが、それを隠そうともしない。キューバでは誰もがそのことを知っているし、それは許容されている。さもなければ、農民市場は徐々に停止してしまうだろう。政府の役人もこの事実を認め、自分たちが懸念するのは、「投機」や消費者物価を過度にあげ、暴利をあげることを避けることにあると語る。

 合弁事業を経営する海外の投資家たちは、キューバの職業斡旋機関を通じてその従業員に給与を支払っている。この政府機関に労働者一人当たり、月450ドルを支払うことになるかもしれない。そのほとんどは、政府が社会プログラムを実施するために政府機関によりストックされる。そう、政府の職員は言う。労働者たちに残るのは、ペソで支払われる約15ドルの給料だけだ。 カナダの企業、シェリット・インターナショナル社は、ニッケル合弁事業の協定で、毎月かなりの額のボーナスをドルで支払えるように交渉している。合弁事業の多くは国営企業なのだが、かなり多くの事業では、全商品がドルで値付けされたショップで家庭必需品を毎月買われなければならない労働者たちに籠を提供しているように思える。だが、多くの合弁事業が、まったく法的根拠がないことに携わっているのだ。月に100ドル、あるいはそれ以上が追加現金払されていることもしばしばだ。国の平均給料が10ドルほどにしかならない経済の中では、労働者やとその家族にとって、これはとてつもない差となっている。

 別の事例は、住宅市場だ。キューバ人たちは、法的に住宅物件を取り引きするだろうが、現金支払いはできない。たとえ、当事者が明らかに価値が違う一軒家を取り引きしてもだ。この政策は、住宅は社会的商品であって、市場販売されるべきではないとの思想に基づいている。だが、実際には、あらゆる種類の住宅に活発な市場があり、様々な価値の一軒家の取引を終えるのには現金が使われている。 通常、2人以上の共犯者がかかわる。 ブローカーは、買い手と売り手の物件交換をアレンジする。そして、各交換には現金払いが付随する。ハバナでは、ブローカー、買い手、売り手が、取引を調整するため、土曜日の朝にパセオ・デル・プラドで集まる。現金払いはあたりまえだが、法を施行したという報告はごく稀でしかない。つまり、こうした違法ではあるが、きまりきって許容されている活動事例は「グレイ・マーケット」活動と呼ばれているのだ。

 さらに、盛んな闇市場においては、あらゆる種類の商品が販売されている。高速道路に沿っては、チーズや野菜が販売され、ハバナの住宅街では法的枠組みの外で戸別に果実や牛肉が売られている。建設資材や燃料等の他の商品も国から盗まれ、個人に販売されている。

 サービスも違法提供されている。多くのキューバ人たちは、家庭教師、修理屋、タクシー運転手として時に働いたとしても、認可を得もしないし、税金を払ってもいない。こうした一時的な起業家たちは数多く、認可されたフルタイムの対応者に数ではまさる。闇市場活動は、キューバではユニークなものではないが、ガチガチの社会主義であるために、それ以外のラテンアメリカ諸国よりも大規模なのだ。国は「グレイ・マーケット」活動には比較的寛容だ。というのも、比較的で良性で、農民市場の場合では、卸売業者が決定的な役割を果たしているからだ。ある場合では、法的枠組みは、つまるところ、「グレイ・マーケット」の民間部門を融通するために変わりさえする。例えば、1993年にそれらを政府が法制度化する前から、キューバの有名な私営の家族レストラン、パラダレスは、法的に定義されない領域でずっと存在してきた。

 それゆえ、その暮らしでどう稼ぐかを決めなければならない市民にとっては、どんな種類の活動が法的であって、どれが違法なのかを調べることも必要だが、どんな活動が法外であっても一般に許されるのかを知ることも必要なのだ。結果として、何百万人ものキューバ人が、日々の仕事で不確実さ受け入れ、法的処罰に直面するかもしれない可能性にさらされている。


 改革は、より優位な領域に向けて、その生産をシフトさせ、より近代的な技術やノウハウとキューバの高い教育を受けた従業員とをつなげている。何十万人もの管理者、労働者、農民、そして、起業家が10年前には存在しなかった仕事で働き、市場の設定によって得難い経験をしている。その収入はそのアウトプットと結びつき、国有部門の平均的な労働者よりはるかに多く稼いでいる。会計、生産性、経費節減、顧客サービスも重要だ。

 とはいえ、キューバの回復は完全ではない。8年間の成長をした後もキューバの約200億ドルのGDPは危機以前の水準に戻っているだけだ。高賃金の新たな雇用が創出されているとはいえ、それらは労働力人口の需要を満たすほど急速には生み出されてはいない。正規の国の給料を得て、ドル収入がなく、家族送金も全くないキューバ人たちの立場は、 半ペソ・半ドルの経済では食料や家庭必需品を獲得するのに明らかに不利だ。

 

 極端な所得格差、そして、高収入を得る機会の格差は、労働市場を歪めている。ひとつの歪みは、専門家が所得を得るために、その職業外、持つ資格水準以下で働いている場所で起きている。キューバでは、レストランを経営している技術者、レンタカーエージェントとして働いている精神科医、タクシーでアルバイトをしている医師を見受けられるのだ。

 収益をあげられるから、こうした決定は家族の稼ぎ手の見解からすれば合理的だ。だが、それらはハイレベルの専門的教育にキューバが投資してきた価値を減らす。ハバナのタクシー運転手の言葉では「私は、私の職業を果たすことを好んではいる。だが、それは、私が好きな仕事を続けられるか、家族が食べられる時が来たら」だ。この元石油技術者はタクシーを運転している。

 二番目の歪みは若者たちに影響している。多くの若者が、正規のペソ給与で働くことを拒み、事実上、労働力人口外で働いている。26歳のマタンサスのある男性は、正規の国の給料で働く仕事よりも、チャンスのある起業家として自営するほうが好きだ、と言う。彼は、時々、自分の家を間借し、闇市場で商品を販売し、新たなビジネスチャンスを探している。

 コペンハーゲンの開発調査センターのクラース・ブルデニウスがキューバのデータに基づいてした分析によれば、キューバの大学入学率は1990~99年にかけ、58%も低下した。これは20~29歳の年齢層に労働力人口に入らない割合が急騰していることに伴っている。いずれも、キューバ人の何人かが、非正規の雇用、観光の仕事、あるいは、経済的に達成するルートとして、高等教育よりも多くの収入が約束されるそれ以外のドル収入源を認識しているサインだ。

 こうしたゆがんだインセンティブを修正し、成長や雇用創出を促進する一助となるさらなる経済改革を、思い描くことはできよう。キューバの学術誌や共産党の文書でさえ、農業、小規模起業家、その他の部門を刺激するための現在の改革の上に構築される政策改革について、長年、議論しているのだ。だが、キューバの経済当局は、彼らの今日のタスクは、新たな投資を奨励し、輸出を振興し、経済を通じて効率を求めることで1990年代前半の経済改革を「統合」し続けることだ語る。現在の経済政策議論に基けば、経済改革の新ラウンドが近いうちに採択されることはまずなさそうに思える。それゆえ、経済政策メーカーの次の世代によってキューバの社会主義のユニークなブランドの挑戦に部分的に満たすのが、非常にありそうに思える。


 Philip Peters, Survival Story:Cuba’s Economy in the Post-Soviet Decade, Lexington Institute, May 2002.