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中沢新一「愛と経済のロゴス」―カイエ・ソバージュ3 講談社選書メチエ(2003)


 経済を突き動かしているのは欲望だ。だが、愛もまた欲望に根ざしている。となれば、愛と経済は深いところでつながっている。双子の兄弟ともいえる。だが、いまの経済学はこの経済の持つ本質のごく表面的な部分しか理解できていない。

 グローバル経済が全世界を覆いつくし、何から何までもが、経済の影響下にある現代で、かつてないほど豊かなはずなのに、なぜ、幸福感も豊かさも感じられないのか。それは、資本主義という商品経済だけが発達し、「交換」「贈与」「純粋贈与」のバランスが崩れているからだ。閉塞状況を打開するには、このバランスを変えるしかない。グローバル資本主義の彼方に出現すべき人類の社会形態は何なのかを模索する。


贈与がなくなれば「宇宙の力の流動が止まる」

 商品経済を支えているのは交換原理だ。近代資本主義は、この交換原理を全世界にゆき渡らせることで、人間関係を合理化させようとしてきた。だが、中沢は、それとはまったく違う原理で働く贈与の世界があるとする。

 中沢が、例としてあげるのは、バレンタインデーのチョコレートだ。たしかに、チョコレートでは、値札は外され、「商品」としての痕跡が消される。すべてが数値化される世界で、たしかに言われてみれば奇妙な行為ではないか。

 贈り物にはそれ以外にも奇妙な特性がある。例えば、交換ならば、商品の代価はなるたけ時間をおかずに交換しなければならない。すぐに支払わなければ泥棒になってしまうだろう。だが、贈与の場合は違う。長く時間をあけてからお礼をした方が、友情や信頼関係が持続している証としてむしろ礼儀正しいものとして感じられるのだ。

 つまり、交換はマネーによって価値を決めることで可能となるが、贈与の方は、贈るモノの価値を極力排除することからスタートする。めったに行けない外国の贈り物、母親が身につけていた指輪等、他のモノとは比較できないモノこそ最高のジャンルの贈り物となるわけだ。

 では、この贈与にはいったいどのような意味があるのだろうか。


 オーストラリアの原住民や米国先住民を通じて、フランスの社会学者、マルセル・モースが『贈与論』(1925)で明らかにしたのは、贈り物がなされたらば、それを返すことが義務であり、そうした贈与とお礼がグルグルと循環することで社会がまとめられているという世界観だった。モースは、サン・シモン的なアソシエーション社会主義の信奉者でもあったのだが、モースからすれば、モノが人間の間を動き回るという点では同じであっても、交換と贈与が目指す目的は正反対で、贈与は、モノを媒介として人と人とをつなげることを目指していることになる。

 贈与には、社会に流れを作り出し、社会の停滞を防ぐ力がある。だから、贈与がなくなれば、「宇宙の力の流動が止まる」と贈与社会の人々は考えていた。

 モースは、贈与へのお礼が義務となっていることから、贈与の循環が実現される。ならば、社会を動かすには、贈与原理ひとつでこと足りるだろう、と考えた。

 だが、中沢は、このモースの理解は十分ではないと批判する。モースの考える贈与では、贈り物には必ず返礼があるわけで、これでは、原理的に贈与と交換とが区別できなくなってしまうからだ。そして、この贈与の極限には、一切の見返りを持たない贈与、贈られたことの記憶も見返りも求めない、神の領域に属する「純粋贈与」がさらに別にあると考える。

 中沢が事例としてあげるのは、北米西海岸の先住民が行っていた習慣「ポトラッチ」だ。19世紀後半には白人社会の影響でこのポトラッチは形骸してしまうのだが、人類学者フランツ・ボアズが調査した時期では、まだ当時の盛大なポトラッチを覚えている老人たちがいた。このボアズの報告で印象的なシーンは、破壊することによってむしろ贈り物の価値が高まるという奇妙な現象だ。

 たとえば、亡き首長のために、新しい首長は貴重品を海に投げ込む。ここでは、気前のよさが首長の威信を高め、それが部族全体の霊力の活性化につながることを意味していたのだ。

 中沢によれば、「贈与」という概念は、後期石器時代に誕生し、新石器時代に大規模な組織化を経て巨大な社会原理となった。だが、人類はさらにそこに純粋贈与の概念を発展させる。

 新石器時代には、農業が行われ「ヴィーナス」が盛んに登場するが、これは、無限の富と命を算出する力を持つと信じられ、古代ローマで使われていた豊穣の女神、豊穣の角、「コルヌコピア」の概念の原型になったと指摘する。


モノから人格をぬぐい落とすことで商品が生まれた

 要するに、資本主義経済が発達する以前の社会は、交換ではなく、贈与の原理によって組織化されていた。どんなモノにも人格の一部が付着していたから、人格をモノから分離して、単なるモノにするには大変な苦労がいった。

 その第一のステップは市場だ。市場は聖地の近くに作られたがこれも意味がある。神や仏が支配する空間に持ち込まれたものは、元の所有者の人格と結合が切り離され、人間社会を超えた神仏の所有物になると考えられたからだ。もちろん、この市場も近代社会が誕生するよりもはるか以前からあった。だが、社会をまとめる機能はあくまでも贈与原理であり、それと並存する特別な形態にすぎなかった。

 第二ステップは、この市場から神を追放することだった。例えば、日本では戦国時代の「楽市楽座」が市場を寺社の管理から解放するためになされている。とはいえ、市場が誕生しても、贈与の原理は、モノに共通尺度をつけることを嫌ってきた。例えば、アメリカ先住民や東北アジアの神話では、貪欲さは人間の根源的な悪とされている。だが、例外がある。

 北欧の神話のように、世界には富の循環が停止してしまったことを題材とするおびただしい数の物語がある。地下や水中に人知れず黄金が眠っており、それを妖精が守っているという埋蔵された宝物の伝説だ。中沢は、これこそが貨幣出現の象徴だ、と解釈する。貨幣の本来の機能は、流通を円滑に進めることにある。しかし、貴金属の貨幣には、貨幣そのものに富があるとされたのだ。その後、中沢は北欧の聖杯伝説やクエーカー教徒の集会等の豊富な事例をあげて貨幣が資本主義へとつながっていくプロセスを描いていく。

 しかも、興味深いのは、ここで誕生した権力とマネー、国家とがいずれも深く結びついていることだ。国家を持たない社会、縄文のような新石器時代では、権力の源泉は自然にあって、社会の内部にはなかった。だから、リーダーである首長にも強制力が与えられていなかった。だが、王や国家が出現すると富は社会に内部化されるのだ。


 非国家的社会・贈与的社会  国家的社会・貨幣的社会
権力の源泉 社会の外部 社会の内部
富の源泉 



農業がマネー経済抵抗の最後の砦となった理由

 こうして、資本主義の道が切り開かれる。この資本主義化の最後の砦となったのが、農業だったと中沢は述べ、重農主義(フィジオクラシー)と重商主義(マーカンテリズム)を例にあげる。

 重商主義とは、交換過程で富が増殖すると考える発想だ。だから、フランスでは、宰相コルベールは、この重商主義に基づき、国家レベルでのマネー獲得戦に乗り出した。だから、本来農業国でありながら、国土も農村も荒廃してしまったという。これは、今のグローバル経済を想起させるような話ではないか。

 だが、よく考えてみれば、簡単なことだ。たとえ、高額でモノが売れたとしても、その一方で、それを買って損をしている人がいるわけで、差し引きすればゼロである。社会全体の富は増えていない。いくら貨幣が増えても実際の富は少しも増えていない。

 だから、交換によって富が増えることは不可能だ。

 こう重商主義に異議を唱えてみせたのは、ルイ15世の侍医であったフランソワ・ケネーだった。だが、もし、マネーで富が増殖しないとすれば、いったいどうすれば富は増えるのか。

 それは、大地、すなわち、農業だ。

 ケネーによれば富を生み出せるのは自然の大地だけだ。大地に対し人間が労働という働きかけを行うことで、豊かな恵みを大地が喜んで贈与してくれる。

 ケネーが指摘したポイントは二つある。一つは、ケインズと同じく、貨幣が停滞の罠に陥ってしまうことを知っていたことだ。これには、ケネーが医師であって、当時、ハーベイによって血液循環理論が発見されたことが関係している。血液が体内を巡るように、有機体としての社会や経済でも循環が起こっているに違いないと考えたのだ。

 二つ目は贈与を重視したことだ。人間は大地に対して労働を注ぐ。だが、この場合に重要なのは、贈与において相手を思いやる繊細な心が何よりも大切なのと同じく、農民たちが細心の心づかいを大地に対して払うことだ。これによってのみ、大地は喜び、真の価値が発生する。つまり、ここでは、労働が大地に対する一種の贈与となっている。

 ふつう近代経済学は、このケネーの重農主義からスタートすると言われている。だが、意外なことに、ケネーそのものは、交換よりも贈与を重視していたのだ。

 農民たちの詳細な技術を受け入れた大地が、それに答えて愛の贈与を行う。農業こそが、贈与原理の最後の砦だった。このように、農業には贈与論、さらには、芸術的・宗教的な表現を生み出す力が潜んでいる。その象徴が宮沢賢治だろう。だから、理想的な農業においては、農民と大地の間には愛の関係があるわけだし、職人の労働と出来たモノとの間にも愛の関係がある。なればこそ、トルストイも農業を賞賛し、様々な民芸品運動も職人的な手仕事世界にあこがれたのだった。ここにあるのは贈与の原理だ。

 だが、社会主義国の集団化された大規模農業では、人間は大地から切り離されてしまうし、近代的な工場にも作られるモノとの愛がない。

 中沢は、自然農法や有機農業、里山保全活動、ニューエイジ、NGOボランティアに共通するのは、3万年の時空を超えて、失われた贈与理論を復活させようとする試みではないか、と指摘する。これには、まったく賛同できる。

マルクスは原始共同体主義者

 ところが、この農業の大地との切り離しの発端となった社会主義の祖、マルクス自身は「金の持つ否定的な力を打ち破れるのは愛の力だけだ」と語っていたという。中沢は、マルクスが、近代社会がマネー経済によって人間同士の間に愛の応答というコミュニケーションが成り立つことが困難となったことを原理的につかみ出したほとんど最初の人物だったと高く評価し、ヴェ・イ・ザスーリチというロシアの女性革命家が1881年2月にマルクスに問いかけた手紙を紹介している。

「ロシアではミールと呼ばれる村の共同体は古代的な不合理をはらんだ共同体であって、ロシアが正しい未来に向かって前進していくにはどうしても没落しなければならない。そうマルクスが教えている、と皆、言うのです。それは本当ですか。あなたもミールが没落し、解体され、その廃墟の上に立つのでなければ、資本主義の矛盾を超えた新しいオルターナティブが実現できないと考えているのですか」

 これに対し、マルクスは三度も下書きを書いたうえでこう返事を書いている。
「ロシアの共同体は資本主義制度が危機にあることをまのあたりにしている。その危機は、資本主義制度の消滅によってのみ、近代社会が共同体所有の「原古的な型」へと復帰することによってのみ、終結であろう。近代社会が志向する「新たな制度」は、「原古的社会のより高次の形態での復活となろう。それゆえ、この「原古的」という言葉をあまり恐ろしがる必要はないのである」

 なんと、マルクスは原始共同体主義の目線を持っていたのだ。この手紙は、マルクスの手紙のなかで最も重要なものとして知られている。『資本論』の分析の射程が「西欧諸国に限定されている」と述べているからだ。晩年のマルクスは、西欧文化圏の特殊性を自覚していた。パリ・コミューンがわずか72日間で終わったが、ロシアの「原コミューン」は何百年も存続してきた。その知恵は未来社会にも生かせるはずだ。
そう考えたマルクスは、ロシアの共同体を研究していた。その歴史観はけっして「単線的な進歩史観」ではなかったのである。


                  (2008年9月19日)