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山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』文春新書2005

 
自給自足は罪である。格差社会おおいに結構。女性は慰みものにしてしまえ。時には戦争もやってみようではないか。こんなことを口にすれば、スローライファーはもちろん、リベラリストたちからも大鉄槌をくらい狂人扱いされそうだ。だが、本書は、こんな危ないタブー発言をあえて口にしたくなるほど刺激的な情報に満ちている。文字どおり、タブーとは何かを文化人類学的に解き明かした本だからだ。

 そもそも「タブー」とは、「印をつける」と「はっきりと」を意味するポリネシア語の「タ」と「プー」をあわせた「タプー(tapu)」が語源であって、キャプテン・クックが『航海日誌』に書きとめたことから、ヨーロッパに広まったという。

なぜヒトは自給をしてはいけないのか〜贈与は人類の黄金律

 まず、自給、すなわち、自食(アウトファギア)は罪だったと山内は述べ、様々な社会のタブーを紹介する。例えば、クラストルの『国家に抗する社会』によれば、南米の採集狩猟民グワヤキ族は、自分が捕らえた獲物を自分で消費することが厳禁されており、男たちは他人のために狩りを行い、自分の食べ物は他人から受け取っていたという。部族のライフスタイルは、旧石器時代レベルだったのだが、男は狩猟、女は採集という自然なジェンダーによる分業がなされ、植物性の食料は家族や親族の間で、動物性の食料は社会集団内で平等にわけあっていた。要するに、誰もが他人の労働生産物に依存して暮らしていたわけだ。

 狩猟民でもオーストラリア先住民は、自分が獲ったカンガルーを何マイルも運んでキャンプに帰ると獲物をみなの前に投げ捨てて、ただ分配されるのを無関心で眺めていた。農耕民でもアフリカのベンバ族は、何かの災難である家庭の作物が駄目になれば、村に住む親戚が穀物をくれたり、食事をわけてくれた。だから、仲間よりも多くの食料を持っていたとしても、それは人にあげるためだけのものだったのだ。

 マーシャル・サーリンズは『石器時代の経済学』(1972)で、こうした状態を「最初の豊かさ溢れる社会」と称し、平等な原始共和制に基づく未開社会と不平等な私有制に基づく文明社会と対比させている。

 未開社会では、誰が大物かを知ろうとすれば簡単だった。一番の素寒貧を探せばよいからだった。財を私的に独占したり、蓄積することは悪とみなされ、指導者は人からねだられれば、持っているモノを気前よく与えなければならなかった。せがまれても与えない利己的な酋長はケチ、シミッタレとさげすまれ、時には『みな平等であるべきだ。お前だけが富者であってはならぬ』との理由で殺されることすらあったという。未開社会では、持っているものすべてを気前よく与える『もてなし』が最高の美徳とされていたのだ。山内のこうした指摘は、人類がもともと共産主義から出発したことを教えてくれる。

 それは、ヨーロッパであってもそうだ。そもそも、もてなし「ホスピタリティー(hospitality)」という言葉は、ホスト、ホテル、ホスピタルのように、「相互に歓待する義務を負いし者」という言葉が語源となっている。だが、同じ語源は、奇妙なことに、ホスティル(敵対者)という反対の意味も持つ。これは、いったいどういうわけか。

 山内は、「物惜しみをしない気前のよいもてなしをすることで相手に恩をきせ、その負い目をホステージ(担当)に取ることで、潜在的な敵を友にかえ、友好的な同盟関係を作り出すための手段だった」と説明する。

 この背景には、もてなしの受けっぱなし、御馳走のされっぱなしは、いつまでたっても負債が返せず、相手に一生頭があがらない、という原則がある。だから、イヌイットは「贈物は人を奴隷にする」と表現したし、ドイツ語の「ギフト」にも毒の意味があった。

 つまり、人類は自分で作ったものを自給してはならないというタブーをベースに、他人の肉体労働の生産物である食料を相互に贈与交換することで、何十万年も生き抜いてきたのだ。

近親婚のタブーは、食料自給と配偶者確保のズレが産んだ

 人類にはなぜ、近親婚、インセスト・タブーがあるのだろうか。遺伝子弊害やともに育った異性間では性的欲望を感じない等、様々な理由があげられたが、その起源はずっとわからずにいた。なにしろ、クレオパトラすら二人の弟と結婚していたのだ。この謎を解き明かしたのが、レヴィ=ストロースの古典的名著『親族の基本構造』(1949)だった。

「近親婚の禁止は、規制であるよりも、むしろ、母、姉妹、娘を他人に与えることを強いる規則だ。それはすぐれて贈与の規則なのだ」

 だが、レヴィ=ストロースのこの画期的な見解が発見される以前から、未開人たちはただ黙ってそれを実践していた。

 米国の人類学者マーガレット・ミードは『三つの未開社会の性と気質』(1935)で、ニューギニアのアラペシュ族の男から、こんな回答を引き出している。

「義兄弟が欲しくないのか。もし、他の男の姉妹と結婚すれば、そして、別の男が君の姉妹と結婚すれば、少なくとも二人の義兄弟ができるではないか。もし、自分の姉妹と結婚したら一人の義兄弟ができないし、そうしたら、君は誰と狩りをし、誰と植え付け、誰を訪ねたらいいのだ」

 米国の人類学者、ウォッシュバーンとランカスターは、『狩猟の進化』で面白いコンピューター計算結果を出している。狩猟採集バンドの女性の出産率、男女の成長の不均衡等、様々な変数を入れ、結婚適齢期の男女をほぼ一定割合で確保するには、最低何人必要かをシミュレーションしてみたのだ。

 答えは500人。

 これは、ちょうど現実の部族の「方言」の平均人口規模に等しかった。

 だが、狩猟採集民のバンドの平均人数は25人ほどだ。となると、集団内部で結婚相手を見つけることがとても難しい。つまり、生活集団であるバンドは、こと食料に関しては自己完結できていたが、性に関しては欠陥があった。となると、どうしても、他のバンドから結婚相手を求めざるを得ない。それには他集団から女性を贈与されることが必要だが、交換するには自団からも女性を出さなければならない。これが、自集団の近親結婚が禁止された理由だった。

 むろん、こうした贈与交換理論は、「女性をモノか商品のように扱っている」とフェミニストたちから攻撃されたし、今もそうだろう。だが、山口はこう答えている。
「それは誤解というもので、統計的な頻度の差でしかない。インドネシアのテトゥム族、ベトナムのジャライ族のように女性が男性を交換する社会もあったのだ」

タブーを壊すお祭りは快感を呼ぶ

 タブーは「○○をしてはならない」という一種の道徳律なのだが、裏を返せば、これは「○○という良いことをせよ」という倫理規範となる。つまり、人類は食と性のタブーを軸に、自家消費を禁じて、他家消費を強制した社会を作り、平常時に混乱が起こればけたたましくタブーを鳴り響かせた。

 無秩序(カオス)を秩序(コスモス)へと転換すると同時に、誕生したコスモスを維持するのに欠かせない贈与交換原理を支えてきたものこそがタブーだったのだ。だが、秩序だった社会はいつしか息が詰まる。社会の活力は枯渇し、制度が劣化し、沈滞化し、社会秩序(コスモス)を維持できない。なればこそ、人類は定期的・臨時的に、時空の亀裂でこのタブーを解除してみせるという素晴らしい発明をしてのけた。

 日本の「ケ」とは日常生活のことだが、これは同時にケガレでもあり、古代人はこれを「ケが枯れる」といった。ケとは中国思想の「気」の呉音だ。そこで、枯渇してきた「ケ」を復活させ、気力を呼び戻すためには、マンネリ化した日常をどこかで切断し、鬱積したエントロピーを発散しなければならない。これが「ハレ」だった。そこでは、禁じられた食と性のタブーも、二極対立図式もすべて壊され、コスモスはカオスへとひっくり返るのだった。

 古代ギリシャの儀式的祭り「オルギア」とは酒を飲む今流に言えば、一種の乱交パーティーなのだが、これは、ディオニュソス(バッカス)祭に由来する。

 山内は数多くの社会に見られるこうした社会的解放の事例を次々とあげるが、どれもすさまじい。例えば、古代ローマのサトゥルヌス祭では、自由民と奴隷との地位が逆転し、奴隷は主人をあざけり罵り、同じ食卓に着くことが許され、主人が逆に奴隷に仕えもした。より古い形態の祭りでは、奴隷が贋王となって王座に座り、王の愛妾を意のままにし、王にかわって反道徳的・反社会的な命令を次々と下しては、酒池肉林のドンちゃん騒ぎを連日連夜催した。ただし、祭りが終わると贋王は十字架にかけられて殺されたという。

 インドのホーリー祭でも、野原の中の篝火の周りで老いも若きも踊り狂い、誰かれかまわず見境もなく交合した。富と権力やカーストは破戒され、日々は奴隷に近い扱いを受けていた女たちが隊伍を組んで農場主やブラフマン(祭祀階級)を攻撃し、この日ばかりは天地の秩序がひっくり返ったという。

 もちろん、これはヨーロッパにもある。「メィ・デー」も近世までは豊作を祈る春の祭りだったし、カーニバル(謝肉祭)は、キリスト教で変形を受けたものの、もとはサトゥルヌス祭だった。中世末では、まだ当時のオルギアの面影を残していた。

 ロシアの文学者バフチーンは「カーニバルでは一切が平等とみなされた。人間は新しい純粋な人間関係で生まれ変わる。疎外は消滅した」と述べている。人々を隔てる格差も階級社会も破壊され、人間は原初の、ありのままの共同体の存在に帰ることができた。抑圧されていた民衆も、何もかもが渾然一体となった、のどかで平和な、ディオニソスやサトゥルヌスの黄金時代に戻った気分になることができた。

 そもそも、ラテン語のフェスタは、「光り輝く、ありのままの、裸形の」を意味する「フェス」という言葉に由来する。タブーの原則が支配する「ケ」の日が長く続けば続くほど、欲望の自由な放出というハレの日は、まぶしく楽しく喜ばしい魂のホーリー・デーとなったのだ。

人間がヒトを食べてきたわけ

  山内は、未開社会においては、さらに強力なオルギアの原型が残されていた、として、カリバニズムの例もあげている。

 例えば、ハワイのマカヒニ祭では、海水で禊をした後に、貴族と庶民の間の差別もなくなり、陸と海の境界である渚において、相手かまわず無差別乱交がなされた。

 王の葬祭の際にはさらに過激な秩序解体が行われ、略奪、暴行、強姦はあたりまえ。身につけたものを剥ぎ取り、こん棒で殴りあい、髪の毛をむしり、死体の肉を切り刻む。そして、フィージ島ではカニバリズムも盛大に行われた。

 人のカリバリズムのルーツも古い。北京原人にも食人の痕跡が残るし、米国の人類学者サンディが紀元前18世紀の古代バビロニアから1960年代末までの社会を調査したところ、その34%に食人の風習が見られたという。

 風習としてのカリバリズムは、部族内食人と部族外食人とにわけられる。例えば、1957年に初めて白人と接触したニューギニアのビミン・クスクスミンは、親族の遺体を食べていたのだが、それには以下のようなルールがあった。

食べ方のルール 死者が男性の場合  死者が女性の場合
男性の親族 系族内の生命の生殖力を再循環させるため骨髄を食べる 妊娠時に与えられた多産力を再吸収するため骨髄を食べる 
 女性の親族  その精液の生殖力を再循環させるために下腹部の脂肪を食べる 女性自身の繁殖力を継続化させるために下腹部の脂肪を食べる


 一方、部族外の食人では、最も有名なのはアステカで、アステカでは「人間狩り」のための外征がなされたが、敵の戦士のなかでも最も勇敢なものを捕虜として連れ帰った。だが、捕えられた捕虜は虐待されるどころか、御馳走や女性が与えられ、捕えたものとの間には義理の親子関係が結ばれた。

 そして、祭りが来れば、ピラミッドの最上段の祭壇に寝かされた捕虜の心臓を神官が黒曜石のナイフでえぐりだし、太陽神にささげた後に遺体を階段から転げ落とした。下で待ち受けている人々は、その肉を切って家庭に持ち帰り、コショウとトマトで味付けしたシチュー、チルモレにして食べた。

 1487年に首都テノチティトランのピラミッドでなされた儀式では、実に1万4000人が供養され、首都の広場では10〜13万人の生贄の頭蓋骨が棚に並べられていたという。

 この部族外のカニバリズムは、集団間の生命エキスの交換を目指したものだ。つまり、敵の捕虜の遺体の中には、以前に食べられた同胞の霊が宿っており、その祖霊を敵から解放すると同時に、その霊力を自分の中に同化するという意味があったのだ。

 カリバニズムの風習は、フィージーやアステカだけでなく、インカ、トゥピナンバ、クワキウトル、イロクォイ族やオセアニアのマオリ族にもあったほか、ヨーロッパでもブリトン人、イエルネ(アイルランド)人、ガリア(フランス)人、ゲルマニア(ドイツ)人にはちゃんと食人の風習があったのだ。

 さて、古代社会では、自愛(アウトフィリア)も異性との生殖を拒否し、他人との関係を絶つことから、社会的に罪だった。それを象徴するのが、ギリシアのナルキッソスの神話だ。若さと美しさを兼ね備えていた彼は、妖精エコーの恋情をすげなく拒絶する。これを見たし、復讐の神ネメシスは、ナルキッソスを自分以外を愛せないようにしてしまう。水面に映る自分の面影に陶酔したナルキッソスは、やせ細って死に、その後には水仙の花が咲いていた。
北欧神話で登場する自分の尾を口から飲み込んでいる巨大なヘビ、ウロボロスも世界が創造される以前のカオスを象徴している。

 つまり、近親婚のタブーも、相互に女性を気前よく交換し合い、疎遠な適性集団を親密な友好集団に変えて、社会的紐帯を作り出す巧妙な文化装置だった。食人も戦争をいう否定的な互酬制を媒介に、敵対集団が自集団の祖霊の宿る他集団の成員を交換しあい、祭りの時に食べるためのルールだった。贈与の互酬原理こそが、社会関係を作り出すための人類の黄金律だったのだ。

 この山内の所説は、なぜ、今もキューバで贈与交換を行うものが、「革命家」として尊敬され、老人や子どもたちに農産物を寄付しないものが、反革命家として蔑まれてしまうのか。ホスピタルの語源よろしく、海外に無料で援助をすることで、例えば、潜在的に敵対国であったパキスタンを味方に引き入れてしまったのか。その政治戦略の奥深さを教えてくれる。 
 

    (2008年9月18日)