浅羽通明 昭和30年代主義〜もう成長しない日本 幻冬社(2008)
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映画、『三丁目の夕日』は2005年11月に封切られたが、動員284万人に及ぶ驚くべき人気をあげた。大分県豊後高田市も昭和ブームを活かし、年に20万人が訪れる新観光地として成功をおさめている。飲料水でもダイドーが復刻堂を出し、懐かしの映画やアニメ、漫画もリメイクされている。なぜ、今30年代ブームなのだろうか。
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ひとつの理由は、時代の変化が激しいとき、人々は現状に不安を覚えるからだろう。実際、社会学者、F・デーヴィスも『ノスタルジアの社会学』でそうしたことを述べている。だが、それだけでは説明がつかないものが、今の昭和30年代ブームにはある。当時、まだ産まれてもしていなかった若者すらも、ブームを楽しみ「懐かしい」と口にしているからだ。昭和30年代はなぜ、これほどまでに魅力的なのだろうか。
| 高度成長とは旧体制を破壊する国をあげた一大革命だった |
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『三丁目の夕日』が人気を呼ぶ背景には、今の日本に失われてしまった「夢と元気」、「心と人情」があったとするのが、ありきたりの見解だ。だが、浅羽はこの主張を疑問視する。なぜなら、当時のリアルな『三丁目』は、監視協同体そのものだったからだ。当時の日本は、農村のみならず、都会も半分は田舎に毛が生えたような地縁血縁の仲間社会で、機能的共同体であると同時に、しがらみに満ちた排他的な共同体でもあった。
焼け跡の昭和20年代で官民ともに目指したのは「昭和8年は良かった。昭和8年を復興しよう」というスローガンだった。なぜなら、昭和8年こそは、昭和初期の不況が、高橋是清財相のケインズ政策によって克服され、日華事変も2.26事件も起きず、戦前の平和と豊かさがピークに達した時だったからだ。だから、戦後の目標は、とりあえず、昭和8年の経済水準に戻ることにおかれた。そして、昭和30年代とは、復興した戦前にすぎず、そこにあったのは、戦前のファシズムを生んだ土壌となったのと同じ、個人を認めないコミュニティだった。
だが、ここで、革命が起こる。浅羽は、エコノミスト香西泰の『高度成長の時代』が「高度成長を革命として捉えている点に着目する。そう、日本にも革命があったのだ。革命のイデオロギーとは、「近代化」であり、その原点は、敗戦と占領によってまざまざと見せ付けられた米国の生活水準との巨大な格差だった。
「企業=革命家」とその動員に付き従う人民たち。人民は、長時間労働、高貯蓄、旺盛な消費財消費で、この高度成長という革命を支え参加していく。夢は自由になることだった。旧秩序、すなわち、因習としたムラ社会、アンシャン・レジームを破壊する革命は、豊富な家電製品に囲まれた都会のサラリーマンの近代的生活、進学率の上昇と高学歴、核家族と郊外のマイホームと、次々と勝利し、人々の夢を実現していく。
広井良典千葉大教授は「すべての問題を経済成長が解決してくれるという時代が50年前後にわたって続いた」は述べ、佐伯啓思京大教授は「経済成長という強迫観念」、上田紀行東工大准教授は「経済成長教」とこれを表現している。
メーカー・商社(60年代)、銀行・保険・証券(70年代)、マスコミ(80年代)と、一流大学の学生たちの人気職種の変遷からは、第一次・二次産業というモノづくりの現場から、少しずつ遠ざかっていった日本の産業構造の変化が見事に反映されている、と浅羽は見る。 『三丁目の夕日』では、魅力的だったはずのホワイト・カラーも、いつしかネクタイとスーツに縛られた定時出社と残業で抑圧された大組織の部品となってしまう。だが、問題は、革命が達成され、革命の目的が解消しても、なおも革命の狂信とエネルギーが人々を捉え、革命が自己目的化してしまったことだった。そして、この自己目的化した成長主義と数字信仰の暴走は、会社集団主義という最後のムラ共同体すらも破壊する。成果至上主義がそれだ。戦後の個性教育が産んだ究極の思想的メッセージは『世界にひとつだけの花』や『13歳のハローワーク』だろう。それは、自己実現の幻想に踊らされ、夢を追うフリーターやニートを作り出す。
自由な市場社会、自己決定や自己責任。小泉・竹中が進めた構造改革が、中高年の自殺者を増やしていることは事実だ。だが、これほどの痛みをもってして、企業をリストラし、不良債権を処理し、規制を緩和し、既得権益や癒着を廃止し、無駄に浪費されていた資金を有望な投資に向け、新規事業を起こしやすい環境を整えたとしても、はたして消費者に新たな需要が産まれるのだろうか。不況の真の原因は、もはや買いたいモノそのものがなくなったからではあるまいか。そう浅羽は分析し、保守思想家、佐伯啓思が『成長経済の終焉』(ダイヤモンド社,2003)で、「可処分所得が増えたにも関わらず、消費が伸びず、景気が後退すると個人消費は減少する」という発言を引用する。
他にも浅羽は二つほど、妙に説得力のあるデータをあげている。
ひとつは、2004年に朝日新聞が掲載したアンケート結果だ。これによれば、「福祉がほどほどでも税金が安い社会」と「税気が高くても福祉が充実した未来」に対しては4:6、「新しいものを次々と買い換える未来」と「ひとつのものを修理して長く使う未来」に対しては1:9、「どちらかといえば変化する未来」と「どちらかといえば変化が少ない落ち着いた未来」に対しては2:8だったという。
また、2007年4月に若者を対象に日本青少年研究所が行ったとしたアンケート結果では、「偉くなりたい、起業したい、大組織で力を発揮したい」と答えた若者が、米国、中国、韓国では30%もいたのに、日本は7%しかおらず、「のんびり暮らしたい、平穏で退屈がいい」といった項目が最高だったという。
最近の若者は立身出世を望んではいないし、消費者の欲望は無限ではなかったのだ。かなり多くの日本人が、収入が減っても仕方がない。貧乏になってもいい。経済成長が止まってもかまわないし、右上がりの好景気はもうこりごりだと思っている。そのかわり、つねに勉強をしたり、消費者としての新たな商品への欲望を急きたてられることもなく、安心で平穏無事な居場所が保障される世の中、多少貧乏であっても静かな時間が流れる生活を待望しているというわけだ。
さて、ムラは、近代以前に身分制度が社会を秩序づけ、土地と職業に人間を縛り付けてきた時代に成立した。欧米にはじまった近代化は、こうした呪縛から個人を解放することだった。だが、それは反面、個人が自力で天職なり、「わたし」を探さなければならないことを強制されることも意味した。いくつになっても勉強を怠らず、新たな状況に立ち向かい、自己を成長させていく。好奇心旺盛で、常に前向きに流行や時代に取り残されないようポジティブに挑戦していく人間。だが、誰もがそんな人間になれるわけではない。
この浅羽の主張はまったく納得がいく。となれば、自己責任を伴う個人を確立するか、伝統的規範の復興かという二つの選択肢のうち、後者を選びたくなる者がでてきても不思議ではない。そして、浅羽は、若者たちがいったんは個人主義の波に洗われたものの、いま、ムラ社会の復興への道を歩み始めたのでないか、寄り合いも季節ごとの祭りもあったムラ社会が、この平成の日本で若者たちによって復活しつつあるのではないか、と分析する。
例えば、斎藤環氏は『社会的ひきこもり』(PHP新書,1998)で、若者が「ひきこもり系」と「つながり系・地元でまったり、ジモティ」に二極化しているとする。ジモティとは、地元仲間とか地元で遊ぶという意味の若者言葉だ。
前者のひきこもり系は、狭い人間関係すらもシャットダウンしているが、新聞や本等の活字、ネットなどのメディアで世界に開かれている。特定の情報に詳しい「おたく」となることで、ネット上で認められたりする点で、いまだにバブリーな上昇志向や自己実現の夢を引きづっている。
一方、自己実現の夢を諦めたつながり系は、ムラ社会そのものだ。仲間のトラブルに「オール」と呼ばれる朝まで語りつくす集まりは昔のムラの寄り合いそのものだという。地元の成人式がにぎわうのも、地元つながり、学校つながりで一同に会しやすいからだ。「空気を読め」と「キャラ」も今の若者の流行り言葉だ。そして、空気の読めない人間は「K.Y」と略称されているという。これこそ、山本七平が『空気の研究』で指摘した日本のムラ社会そのものではないか。だが、それだけに、つながっていた仲間から離れざるを得なくなると若者は、たちどころに不安となり、自分を承認してくれる何かをすがろうと自分探しに陥り、カルト宗教の格好の餌食になるという。
だが、今の若者を弱いと切り捨てることはできまい。高度成長時代に会社というムラ社会からはじき出された人々が、すがったのも創価学会をはじめとする新宗教と労働組合だったからだ。昭和30年代の労働組合は、多くの若者が夢をたくしあえる仲間がいる共同体だった。
これは、今の時代と重なる。例えば、ワーキングプアを呼ばれる若者たちは、新しい労働運動を模索し、中高年の労働組合型運動とも連帯している。ミーイズム、三無主義をへて、ようやく若者たちは労働問題で団結をはじめたのだ。
閉塞感と希望の喪失は、出世、昇給、希望のチャンス、すなわち、未来の可能性がなくなったためだ。となれば、経済成長以外で、多数から歓迎される公共的目標、働き方、生き方、老い方のイメージが提示されれば、突破口が開け、新たな希望がともるはずだ。
ここで、浅羽はかなりラジカルな主張をして見せる。『三町目の夕日』がひとつのユートピアであるならば、経済成長前夜の都市や自然景観をユートピアとして戻ることが可能なのではないかと提唱する。例えば、大阪大学の小野義康教授の「赤字国債を残すといっても後世に良い遺産を残すならば、それはツケとは言えまい」との発言『景気と経済政策』(岩波新書,1998)と高橋伸彰教授の『優しい経済学』(ちくま新書,2003)での「大きな政府のしたでは負担率が上昇するが、それによって障害にわたる生活の安心が保障されるならば、負担率の上昇を容認する国民も少なくないはずだ」との例を引く。
社会主義思想がユートピアを未来に託すようになったのは、19世紀以降のことであって、古代や中世では、エデンの園や堯瞬の世のように過去がユートピアとして設定され、それ以降は堕落した未来とするのが、定番だったのだから、未来が過去のユートピアであっても言い。これは、まさに懐かしい未来と言えるだろう。
だが、今でも日本でもGGPは、『三丁目の夕日』の時代の40〜50倍もあるのだ。フリーター、ニート、プレカリアート等は、若者たちの自己責任ではなく政府の責任だ。だが、それを批判したところで、勤勉・忍耐・地道へのソフト・ランディングは避けられまい、と浅羽は主張する。これは、ピーク・オイルの動きを見れば、かなりリアリティのある話だ。
実は、昭和30年代が充実していたのは、不幸が隣に見えたことにもある。呉智英は昭和30年代について「豊かさが国民の間に広がりながらも、それが頽廃とならない程度に貧しさが精神を引き締めていた時代だった」と指摘する。
つまり、ジモティ系のコミュニティにも何かの使命、役割、倫理規範が必要ではないか。そこで、浅羽が可能性として例を引くのが、岸和田のだんじり祭りだ。もともとは地区ごとに引き回しが決まっている「所縁型組織」であったのだが、十歳ごとの年齢割で世代ごとに役割を設け、一歳ごとの小組織にまとめ、そこで、それぞれの自由度を尊重する制度を採用したという。すると、強い仲間意識に支えられた主体的参加が実現した。細分化された地元組織は「地元つながり」と一致し、学年ごとは「学校つながり」と一致する。やることが与えられれば、協働するすべを覚えていかざるをえない。
実は、浅羽は例に出していないのだが、この小組織による役割を与え、一人ひとりの自発性にまかせたイベントで活性化している例には、長野県の星野リゾートもある。そして、星野リゾートが行っているのも、接客業によるイベントなのだ。
さて、個人であれ社会であれ、そして、国家的規模であっても、人間は「祭り」を必要としてきた。ジョルジュ・バタイユは『呪われた部分』で、ロジェ・カイヨワは『戦争論』で、人間は生産した過剰な富を非日常的な「浪費」=「蕩尽」によって解消してきたとする。古代や中世では「戦争」もこの「祝祭」の一種なのだった、とバタイユらは説く。古代エジプトのピラミッドやチベットのポタラ宮殿等、生産になんら役立たない宗教的建築物が築かれたのも、非日常的な浪費だ。貧しいチベットに聳え立つポタラ宮殿等、意図的に創出された「格差」の最たるものではないか。とすると、閉塞した定常化社会でも何か必要なのだ。
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最後に浅羽は、もうひとつのSF的ユートピアを提唱する。筒井康隆が書いた映画立国「美藝公」だ。この筒井が想像した仮想日本の国家目的は、映画、より抽象的に言えばよりよき芸術を生み出すことにある。そこでの日本は、貧しい中進国だが、餓死者が出るほどの開発途上国ではない。みながそれぞれの役割をまっとうする階級社会。そこには、夢を諦める美徳、幸福をむさぼらない品性、分際と節度を守る禁欲がある。
つまり、経済成長を目標としない日本のもうひとつの可能性としては、筒井が描いたように芸術と文化を至上目的とした国家があるのだ。これは、ジョン・ラスキンの文化経済学を想起させ、極めて示唆に富む。そして、ここまでこの本を読んでふと気がついた。
経済成長を至上目標とせず、社会福祉と教育と医療に最も力を入れ、そして、何よりも音楽とダンスと映画に興じている国のことを。カーニバルで踊り明かし一切を蕩尽する国のことを。そして、筒井の「美藝公」が炭鉱で事故があれば首相自ら真っ先に現場に駆けつけるのと同じく、最も演説がうまく大衆をわかせることができる最大の「役者」が半世紀にわたって独裁をしてきたのだ。
(2008年9月17日)
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