1989年、ソ連圏との貿易関係の崩壊に促され、キューバは、史上初めて慣行的な近代農業から大規模な有機農業への国家的な転換へと歩み出している。
ビジャ・クララ(Villa Clara)州の泥道のゆきどまりにある国営農場の場長は、完璧なテクノクラートのように思える。農場長は、農場の土地管理に牛を使うにあたって、いかに苦闘したかを私に語ってくれた。キューバの農村から、石油やトラクター部品、タイヤが4年前に事実上消え失せて以来、結局のところ、そうするしか彼には選択肢がなかったのだ。
農場長は今では渋々ながらも牛にメリットがあることを認めている。
「以前は、雨期にあわせて二回作付がやれただけでした。それでもトラクターが泥にはまり込んでしまうので、毎年一月以上は土地を耕せませんでした。ですが、牛にはその問題がないのです。雨がふった翌日にも耕せるし、必要があれば、たとえ雨の最中でも耕せるんです」。
農場長は結果として二毛作ではなく三毛作ができると語った。一シーズンでの収量は低くても、年収量としては高いのだ。
もちろん、牛への転換は容易なことではなかった。牛耕は、キューバでは何百年も以前にさかのぼることであり、農場労働者や農学者の誰一人として、牛での農業をいまだにやったことがなかったのだ。
「どのようにして牛を引っ張り、耕すのか。それを教えてもらうため、近隣の村の老農をコンサルタントとして雇わなければなりませんでした。そして、こうした年寄りの連中が農業のことをどんなによく知っていたのかは全く驚きものでした」。そう農場長は語る。
1989年に旧社会主義圏との貿易が崩壊し、米国の経済封鎖が継続したことで、キューバの農民たちは、依存していた輸入機材や農業化学資材をごくわずかしか、得られなくなってしまった。例えば、少し前まで平均で年間800万トンあった砂糖生産は、ここ2年というもの半分まで急落している。これは機械的な問題というより作付面積そのものが減り、面積カバジェリア(約13ヘクタール)あたりの平均収量が約726トン(64,000arrobas・1arroba=11.34㎏)から567トンに落ち込んでいるためだ。
この国営農場は、生産した砂糖の大半をハバナ南部にあるエクトル・モリナ(Hector Molina)精糖工場に提供しているのだが、ここ2年、そうした大きな収量の落ち込みを経験したのだった。だが、同じく精糖工場に砂糖を出荷している多くの小規模農民たちは、そうではなかった。そして、1993年後半までは、可耕地の80%が国営農場で、11%が農業協同組合、9%が独立した小規模農家の手にあった。しかも、有機農法を用いている独立した農民たちの中には、収量を1134~1700トンに向上させている者もいた。さらに、サトウキビ・食用作物・牧草地という伝統的な輪作を実践している別の農民も、有機農業ではないものの、1993年に約964トンの収量をあげ、かつ、地元市場に最も多く食用作物を供給していたのである。1989年にはキューバは食用作物の3倍以上の土地、あるいは牧草地以外の農地の約53%でサトウキビを作付けていた。
こうしたことを成し遂げた農民たちは、800万トンの砂糖生産がノルマであった時代には目立たちはしなかった。だが、最近ではキューバ全体にそうした農法を普及しようと考えている農業専門家たちの関心を呼んでいる。こうした小規模農家は、もはや手に入れられない投入資材を大量に使わなくても、国営部門がいま直面している危機をうまく切り抜けられているからだ。
キューバの農村では、物事が猛スピードで変化しているため、いま起きていることが確実だとしても、それが将来もそうだとは限らない。1960年代以来、キューバ農政を特徴づけてきたのは、砂糖生産、国営農場、そして、慣行的な近代農業による化学資材や石油を使う集約的な技術への狂信的な嗜好だった。だが、1989年から輸入が崩壊して以来、キューバ政府は食用作物の生産を最優先しなければならなくなり、生産を意欲を高めるため、国営農場を労働者たちにゆだねたのであった。そして、慣行的な近代農業から大規模な有機農業、準有機農業への史上初の国家的な転換へも歩み出したのだ(注1)。
キューバの農民たち。そして、物理的にも人的資源の面でもしっかりとした科学的なインフラが、海外からの農業投入資材の代替に土着技術を活用するため動員されていく。キューバ産のバイオ農薬やバイオ肥料は、最先端のバイオテクノロジーの産物なのだが、それが、伝統的な農民の実践やエコロジカルな病害虫管理、大規模なミミズ養殖、廃棄物の堆肥化、その他の環境的に見て合理的な実践へと結び付けられている。
もちろん、こうした取り組みは、キューバが史上最悪の食料危機に陥る歯止めにはなっていない。ここ三年間の蛋白質やカロリーの平均摂取量は、30%以上低下しているとの評価もある。数値的に見れば、キューバ人たちの栄養状態は、ハイチやボリビア人よりもかろうじてよいだけなのだ。農業改革のおかげもあって、食料生産は向上しているように思えるが、それはまだ輸入低下を補償するほど十分ではないのである(注2)。
1959年のキューバ革命以来、1980年代末に社会主義圏との貿易が崩壊するまで、キューバの経済発展は、急速な近代化と高度の社会的平等性と福祉によって特徴づけられていた。論証できるように、キューバ人たちはラテンアメリカで最高の生活水準を持っていた。だが、キューバは決して真の自立した発展を遂げたわけではなかった。石油、機材や化学肥料、農薬といった農業投入資材、そして国民の基礎的な食料までも社会主義圏の貿易パートナーに依存していたからだ。1989年以前には国民の消費カロリーの57%が輸入されていたとの評価もある。キューバの農業は、典型的なラテンアメリカのミニフンディア(minifundia)や小規模農場よりも、むしろ、カリフォルニアのインペリアル・バレーに多くの点で類似しており、大規模な資本集約型のモノカルチャーを基礎に置いてきたのだ。
米国やその他国々で、工業的な農業によって、農業化学資材やトラクターが人力に取ってかわり、農村からの人口流出誘因となったようにキューバもそうであった。そして、工業的な生産モデルは、キューバも含め、どこにおいても、土壌侵食、農薬への耐性によるコストの上昇、収量の停滞や低下といった劣化の兆候を示してきた。キューバでは化学肥料と農薬の90%以上、そして、地元でのそうした調合資材のほとんどが海外から輸入されていた。
社会主義圏との貿易が崩壊すると、農薬と化学肥料の輸入量は約80%、農業用の石油も半分まで落ち込む。そして、食料輸入も半分以上落ち込んだ。カリフォルニアのように近代化、工業化されていた農業は、突然に二重の挑戦に直面したのだった。すなわち、半分以下の投入資材で、実質上食料生産を倍増すること。かつ、不十分な外貨をさらに減らさないように、輸出作物の生産を維持することである。
だが、ある面で、キューバはこの挑戦に向き合うユニークな準備がされていた。人口比率ではラテンアメリカの2%しかいないのに、科学者では11%もおり、投入資材を提供できないことへの代替として「知識集約型」の技術イノベーションを、政府は十分に発達した研究基盤に要請することが出来たのだ。
そのうえ、幸いなことに、キューバの研究者たちの間では、早くも1982年からオルターナティブな農業運動が起きていた。以前は活用されることもなく放置されてきた将来性のある研究成果の多くがすみやかに、かつ、広範な実施のために利用されたのだった(注3)。
キューバのほとんどの農地は、以前からの農薬や化学肥料の多投によって、かなり地力が低下し、有機物も減少するというダメージを受けている。だが、健康な土に戻すため、いまキューバ人たちは、輪作の一部に緑肥作物を取り入れたり、都市の生ゴミやその他の廃棄生産物を用いて堆肥を作り、また堆肥づくりにミミズを活用し、高品質の堆肥を工業的な規模で生産している。マメ科の緑肥も土壌に窒素を供給するためのカバー・クロップとして植えつけられた。1992年には172のミミズ堆肥センターによって93,000トンのミミズ堆肥が生産された(注4)。
有機廃棄物のリサイクルも政策上重視され、ありとあらゆる廃棄物が、家畜飼料やエネルギー、肥料へと転換されている。こうした有機副産物は、サトウキビ加工、牛と羊の牧場、家禽類と養豚農場、食料とコーヒー加工場、穀物残さ、都市ゴミから集められている。液体廃棄物も農地灌漑に活用され、サトウキビの茎は合板、紙、精糖工場の蒸気釜の燃料へとリサイクルされている。
総合的な養豚は、いかに複雑にこのリサイクルが始められているかを示す良事例だ。プロセスは、職場の食堂、レストラン、学校から食品残渣を集めることから始まる。こうした残渣が、餌の補完物として豚に与えられるのである。農民たちが、良質の蛋白資源である屠殺場の廃棄物を混ぜる場合もある。次に、豚の糞尿やミミズ堆肥やバイオガス発電に使うためリサイクルされ、さらに餌の補強剤として与えられてもいる。最終目標は、リサイクルされない廃棄物をゼロにまで持っていくことだ。
キューバにはサツマイモのユニークな害虫防除システムもある。捕食性の蟻が、バナナの茎で育てられ、イモができはじめると、そのほ場へと導入される。蟻はサツマイモの周囲の土の中に巣を作り、アリモドキゾウムシの被害からイモを保護するのだ。同様の手法はバナナプランテーションでも用いられている。キューバには1994年現在、全国各地に14の蟻の生産センターがあり、それ以外にも、様々な作物害虫を捕食したり、寄生する天敵昆虫を大量生産しているセンターがある(注5)。
米国やそれ以外のとこでの経験からは、有機農業に転換しても以前の生産水準に到達するまでには、3~7年がかかることが明らかになっている(注6)。失われた地力が回復し、害虫の自然のコントロールが再構築されるには時間がかかるからだ。だが、キューバには3年も7年も待つゆとりはなかったし、その人民は、短期間に養われなければならなかった。こうした緊急的な危機に対応するため、キューバの科学者や政策立案者たちは、新たな有機農業の実践を発展させるため、それに洗練されたバイオテクノロジーを持ち込んだのである。
米国では「バイオテクノロジー」と「有機農業」が同じ意味で耳にされることはない。バイオテクノロジーはいずれも遺伝子組替え農産物が環境に放たれる意味で考えがちである。それはエコロジーや健康上のリスクを抱えており、有機農業の目標とは調和しない。だが、キューバがやっていることは違う。地元産で、自然生態系に役立つ微生物種を集めている。これらは、ある種の害虫に有効で、それ以外の生命体には無毒な病菌から、大気中の窒素を作物に使えるようにする形に変える微生物にまで及んでいる。
こうした微生物が、アグロエコシステムで有機農薬やバイオ肥料として使えるよう大量生産されている(注7)。こうした産物の中には米国でも商業的に利用されているものもあるが、キューバは、こうした多様なバイオ資材を幅広く用いている点で、もっと進んでいる。農業協同組合内に置かれた222ヶ所の家内工業的なバイオテクノロジーセンターが、地域需要のためにこうしたバイテク産物を産み出している。そして、こうした産物は典型的には、農業協同組合で生まれ育ち、大学水準のトレーニングを受けた20代の若者たちによって作られているのだ。
バイオテクノロジーは数百万ドルもかかるインフラ設備や専門的な科学者に依存する必要がない。このことを示すことで、キューバは開発途上国に対してバイオテクノロジーの神話を解き放っている。しかも、農家の息子や娘たちが、僻地においてもバイオテクノロジー産物を生産・利用できているのだ。輸出用の大規模農業に用いるために、こうした生物農薬の産業的な生産もまもなく始まる。
米国と同じく、キューバも農業労働力が不足しているから、省力型のバイオテクノロジー手法は、とりわけキューバに適している。キューバ人口の80%は都市地域に居住しており、農村地域にはわずかに20%が暮らしているにすぎない。だが、中国やそれ以外の諸国では、オルターナティブな農業の普及とともに、この割合は逆転しつつある。そして、キューバ政府も都市住民が農村部への移住を選択できるように、農村に魅力的な高級住宅や娯楽センターを建てるといったあらゆる取り組みを行っている(注8)。
キューバは、効果的な有機農業にとって不可欠な小規模な管理単位を創設すべく、その生産を抜本的に再編成もしている。この再編成は、国営部門の民営化と協働組合化に集中している(注9)。従来のシステムの下では、ただ一人の技術者でも、全域に機械的に適用される化学肥料配合や農薬散布のマニュアルによって、数千ヘクタールを管理することができた。だが、有機農業ではそうはゆかない。誰が農場を管理するにしても、それぞれ個別の土壌の生態的な違いに精通していなければならない。例えば、農民は、どこに有機物を加える必要があるのか、どこが害虫の隠れ場で侵入路なのかを知らなければならないのだ。
キューバでは、この生産単位規模の縮小が生産の動機づけの課題と一致している。数年前から、政策立案者たちは、国営農場の労働組織が、農業労働者と土地との関係性を遠ざけていることを深刻に意識するようになっていた。数千ヘクタールにも及ぶ大規模農場では、労働力をチーム編成していたが、ある場所の土づくりを行い、別の場所に移って作付し、また別のところの草を取り、最終的に、また別の場所の収穫をするというように、同一人物が作付と収穫とを同じ畑で行うことはほとんどなかったのだ。そのため、悪いことをやった結果に直面したり、その逆に、自分たちの労働成果を楽しめるといった体験をした者もいなかったのだ。
農民と大地との間のより密接な関係を再構築する。この努力に向けて、そして、生産性と金銭的なインセンティブとを結びつけるため、キューバの人々は、数年前から「Vinculando
el hombre con la tierra」、あるいは「人と大地との結び付け」と称されるプログラムの実験をはじめている。このシステムのもと、与えられた土地で全生産の直接責任を持つ小規模な労働者のチームが産み出され、報酬が直接生産性と結びつけられた。この新システムは多くの国営農場で試みられ、直ちに生産性の大きな向上につながったのだ。この人々と土地との結び付けは、キューバ政府が国営農場の存在を終わらせ、労働者が所有する新形式の企業や協同組合、協同生産組合(UBPC)へと転換するとの法令を発布した1993年の9月に頂点に達した。サトウキビ・プランテーションを含め、以前は全農地の80%が国有地であったのだが、いまでは労働者たちの手中へと本質的には民営化されている。
UBPCによって、労働者たちが結成する農業協同組合が国営農地を低貸借料で永続使用できるようになっている。所有権は国のもとにあり、UBPCは主要作物の生産割当も満たさなければならないが、農業協同組合は、自分たちの生産物を所有している。そして、おそらく最も重要なことは、割当量を越えて生産した分を、新たに再開された農民市場で自由に販売できることであろう(注10)。仕事量の割り当てや土地にどんな作物を作付するか、そして投入資材の購入にどれだけの資金を支払うかを決めるのは管理者だが、それは組合員たちによって選ばれている。
UBPCへの再編成のペースは、最初の年の暮らしの内容によって大きく異なっていた。だが今唯一の違いが見つけられるのは、年をとった管理人がいまは労働者たちに雇われていること。真の協同組合のやり方との違い。ある場合は、労働者たちが農場を仲間たちと働く小さな土地に分割していること。最終的に、どのような構造へとUBPCが展開していくのかについてはまだわからない。
今の危機が始まる以前からもキューバは食料自給に向けた動きを試みてきた。国家食料プログラムは、1980年代半ばに始まったのだが、その下で食用穀物の作付けや家畜飼育用に、未耕作のサトウキビ畑が求められていた。労働者やその家族の食用需要を満たすことが各農場の目標とされ、正確な数値を手に入れることは困難だが、結果的には、マメ、食用バナナ、根菜類の生産が増えたのである。
もちろん、規模縮小と有機農業への転換は、論争や後退をともなっている。キューバ国内では、農業省、大学、研究所から、農業者や生産者団体に至るまで、農業部門を横断するダイナミックな論争が進行中だ。「現在起きていることは、転換のプロセスとして見るべきではなく、むしろ危機の間の一時的なしのぎなのだ」と論じる者もいる。この観点からすれば、ひとたび貿易状況が変れば、農業化学資材が再び用いられるべきだとの考えになる。一方、これに反対する視点は、キューバ有機農業協会やその他が主張しているのだが、「以前のモデルは、あまりに輸入に依存しすぎており、持続可能的であるには環境にダメージを与えすぎている」との考えを抱いている。こうした人々は、現在の変革は久しく待望されていたものであり、真に合理的な生産システムを発展させるうえでは、さらなる変革が必要だと論じるのである。
有機農業協会はNGOなのだが、それはキューバでは珍しい現象である。協会はオルターナティブモデルの組織化で中心的な役割を演じている。メンバーは、エコロジカル農業の活動家から、大学教授、学生、中級の政府の役人、農民、農場長にまで及んでいる。彼らは、乏しい財源で美徳に基づく教育キャンペーンの実施やオルターナティブモデルの維持と強化の必要性の上で奮闘している。そうした制度化に反対する者たちは、不適切な有機農業技術の証拠として、いわゆるヴォアザン式牧草管理の大規模な実施の最近の失敗を指摘する。ヴォアザン・システムとは、牧草地で化学肥料を使わずに、乳製品生産を維持するために考え出されたもので、成育する牧草が最も必要とする、正確なその時期に、厩肥を供給するというやり方である。このパドックの輪番という基本原則は、畜産学と同じほど古い。たしかにキューバではこのシステムは失敗した。だが、それは供給不足、そして停電に影響されやすい移動式の電気柵が必要で、かつ面積あたりの牛の飼育密度があまりに高すぎたからなのだった。オルターナティブな農業モデルを提唱している人々は、回転式の牧草の原理が間違っていたのではなく、適用されたやり方が失敗したのだと指摘している。
そうした議論はさておき、最近のキューバ農業の変革上、最も顕著なことは、伝統的な価値観と農民たちの知識の再発見であろう。小規模農家がつねに低投入型でアグロエコロジー的に健全な農業を実践してきたことを認識し、伝統農業の知識を回復するため、農業省は国家プログラムを打ち出している。移動式のセミナーやワークショップが国中で行われており、そこでは農民たちが、農業の秘訣を交換しあい、研究者たちや政府の役人とわかちあうために出会えるのだ。
もし、今の危機に希望の兆しがあるとしたら、それは確実に、環境意識や個人責任を伴う社会主義的な新たな価値の統合であろう。ロベルト・ガルシア・トルジロ(Roberto
Garcia Trujillo)氏は、ハバナ農科大学(ISCAH)の副学部長なのだが、有機農業協会の創設者でもある。週末には氏は妻が相続した土地で、自らが推奨する有機農業を小規模ながら実践している。ある日曜の朝、息子と堆肥の山を切り返しながら、ガルシア氏は思いにふけっていた。
「多くの人々は農業を単純で当たり前の活動だと考えています。ですが、それは間違っているのです。農業はすべての偉大な文化の魂です。なぜなら、多くの知識が必要なだけでなく、この知識を日々用いることも必要とするからです。天候、土壌、作物、家畜、自然のサイクルの知識。私たちが口にする食べ物を生産するためになされなければならない決断を行う上で、こうした知識の全てが日々、農民たちによって用いられているのです。食べ物は、工場からやってくると思われがちですが、実際には、それは、食べ物を産み出すために世代から世代へと創造されてきた文化からもたらされるものなのです」。
キューバ農業の転換が永久のものであるかについて語るには、明らかに尚早だし、それが今のキューバの危機の助けになると述べることはなおさらのことだ。にもかかわらず、キューバは、我々のモデルであることがわかるかもしれない。ラテンアメリカであれ、米国、アジア、アフリカ、ヨーロッパであれ、どこであれ、我々は誰しも、近代的な慣行農業の生産低下に直面している。土壌はますます侵食され、重機械で圧密され、過剰潅漑で塩害を受け、化学資材で殺菌され、害虫は農薬に対してより耐性を持つようになり、収量は低下している。同じく、水域や河口が農業化学物質の流失で汚染されている。有機農業やその他のオルターナティブな技術は、研究室で集中的に研究され、実験は世界中でなされているものの、農民たちの導入事例は拡散し孤立している。キューバは、こうしたオルターナティブの最初の大規模なテストを提供している。我々誰しもが、この転換を強いられる前に、この島国家は、我々に何が機能し、何が機構せず、何が問題で、どのような解決策がでてくるのかを目にするただ一つの機会を提供しているのだ。そして、キューバは、洗練されない大規模な工業的農業から、伝統的な英知と近代的なエコロジー科学をもって、より人間的な努力で平等を実現するという方向へと戻る道を切り開いているのである。
(注1) この課題の詳細については、Peter Rosset and Medea Benjamin, The Greening of the
Revolution: Cuba's Experiment with Organic Agriculture (Sydney: Ocean Press
and Global Exchange, 1994)やPeter Rosset and Shea Cunningham, "The
Greening of Cuba: Organic Farming Offers Hope in the Midst of Crisis,"
Food First Action Alert (Spring, 1994)をご覧いただきたい。
(注2) 信頼できる数値は以下の二つの理由から得ることができない。第一は、国家統計の編纂や公開が、経済危機の間には省略されたこと。第二は、公的な数値記録は政府の流通を通じて販売された食料だけで、広まっている闇市場を無視していることである。
(注3) Richard Levins, "The Ecological Transformation of Cuba," Agriculture & Human Values, Vol. 10; No. 3 (1993), pp.3-8
(注4) Paul Gersper, Carmen Rodrigues-Barbosa and Laura Orlando, "Soil Conservation in Cuba: A Key to the New Model for Agriculture," Agriculture & Human Values, Vol. 10, No. 3 (1993), pp. 16-23
(注5) Nicolas Lampkin, Organic Farming (United Kingdom: Farming Press, 1990)
(注6) Beatriz Diaz and Marta R. Munoz, Biotecnologia agricola y medio ambiente
en el periodo especial cubano," paper presented at theXVIII Meeting
of the Latin American Studies Association, Atlanta, Georgia, March 10-12,
1994.
(注7) Jeff Dlott, Ivette Perfecto, Peter Rosset, Larry Burkham, Julio Monterrey,
and John Vandermeer, "Management of Insect Pests andWeeds," Agriculture
& Human Values, Vol. 10, No. 3(1993), pp. 3-9.
(注8) Peter Rosset and Medea Benjamin, Two Steps Back, One Step Forward:
Cuba's National Plicy for Alternative Agriculture(England: International
Institute for Environment and Development, Gatekeeper Series No. 46, 1994)
(注9) 国営農場の UBPCへの転換についての議論は、Carmen Diana Deere, Niurka Perez and Ernel Gonzalez,
"The View from Below: Cuban Agriculture in the Special Period of Peacetime,"
paper presented at the XVIII Meeting of the Latin American Studies Association,
Atlanta, Georgia, March 10-12, 1994をご覧いただきたい。
(注10) キューバは1980年代初期に、こうした市場実験がなされたが、中産階級を産み出すことを配慮して、それらは閉鎖された。Joseph Collins
and Michael Scott, No Free Lunch: Good & Revolution in Cuba Today (San
Francisco Food FirstBooks)をご覧いただきたい。
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