1998年3月

緑のゲリラ
 

 絶望的なまでの都市の食料不足に直面する中、キューバの人々は、有機農業で自給するよう励まされている。

「そう、こうした根っこの先の部分を私らは食べるんですよ」。ホルヘ(Jorge Antunis)氏は、ユッカ(キャッサバ)を地面からグイと引き抜き、自分の仕事の成果を見せた。

 今、私たちは、ホルヘ『農場』の真ん中に立っている。そこは、セントロ・アバナの革命広場から、たった数分のところにあり、以前は遊休地だった。ホルヘ氏は、根の一部をこすって、それから刀で、細長い植物の茎から、ふくらんだ塊茎を切り刻んだ。ホルヘ氏は誇りをもってこう話す。「6年前にはね、ここには何ひとつ作付られていませんでしたよ」。

 私たちは、真昼の日差しを避けて、バナナの葉の下に立っている。通りの向こう側には三棟の大きな建物があるが、それが、この街中で菜園暮らしを送っているホルヘ氏や他の6世帯のアパートなのだ。農地は10aほどはあり、集約的に耕作されている。ユッカやバナナに加え、トマト、サトウキビ、食料バナナ、マメ、マランガ(根塊作物)、柑橘類、レタスがあり、食用バナナ片隅には小さなみつばちの巣さえある。

 ホルヘ氏は説明する。「最初の頃は石ころが多く、土地も痩せていてね、一番はじめにやんなければならなかったことは、新しく有機物や厩肥を入れて土づくりをし直すことだったんです」。

 ホルヘ氏や近所の人たちは、ハバナの都市農業局から支援を得た。それは、都市住民が自ら食料を自給することを奨励するため1991年1月から始まったプログラムの一部だ。

 こうした人民菜園に加え、政府はオルガノポニコと呼ばれる、より大きな有機菜園システムへの感動的な道も開いた。オルガノポニコは国が運営することもあり、キューバ国防軍が、その多くを受け持っている。特定の職場と結びついて、従業員に直接、野菜を提供するため使われる場合もある。そして、自己財源のスモール・ビジネスとして運営されていることもある。オルガノポニコは個人菜園よりも大きめだし、とても慎重に運営されている。

 今朝、私を案内してくれているのは、都市農業局の普及員、マヌエル・ゴンサルベス(Manuel Gonsalvez)氏だ。マヌエル氏は38歳。とてもエネルギッシュで、歯ブラシのような口ひげをし、野球帽をかぶっている。氏の主な仕事は、化学製品を使わずに、どのようにして菜園を運営するかを人々に見せることだ。ホルヘ氏は、マヌエル氏に、コショウ、トマトとキュウリが害虫にむさぼり食われていると不満をもらす。マヌエル氏は耳を傾け、そして、何がやれるかを説明する。

「ここはスペインオルガノ、あっちはマリーゴールド、食用作物のまわりに植物を混ぜて植えることで、自然を効果的に使おうよ。そうすれば、バランスが取れて、益虫と害虫との生物的な闘いは終わるだろう」。

 ホルヘ氏は、うなずくものの、完全には信じていない。都市庭園で働いている大多数の人々によっては、有機農業はまったく新たな概念なのだ。だが、化学合成農薬や化学肥料の値段が高く、不足していることもあって、彼らはそれを学ぼうとしている。

(オックスフォードのNew Internationalistからの記事)
  Green guerrillas,1998.

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