1995年春


■有機農業

 キューバは、過去5年間、深刻な経済問題に直面してきた。その苦悩の多くは、かつてキューバがソ連圏から受けていた気前の良い貿易条件と海外援助が中断したことによる。同じく、1961年に遡る米国から押し付けられた経済封鎖が1992年に強化されたことにもよる。

 依存してきた燃料、化学肥料、農薬、動力運搬車、その他の物資を得られることができず、キューバの人々は、潜在的なカタストロフィーに直面した。そして、その対応が、食料と開発政策研究機関のピーター・ロゼット氏の言葉によれば「いまだに世界が知ったこともない、慣行農業から有機・準有機農業への最大の転換」なのである。

 1989年水準から比較すると、利用できる化学農薬が80%、農業用の石油が50%も低下したにもかかわらず、私が10月に訪問した時にインタビューしたキューバの農民たちは「実際に、作物の収量と品質とを低コストで向上させ、かつ、健康や環境面への影響を少なくしている」と答えている。病害虫防除用にありとあらゆる糸状菌、線虫、蛾、蟻が確保された。そして、こうした生物農薬のほとんどは、この貧しくとも高度に教育を受けた社会の科学者たちにより、農村の産業として開発されているのだ。

 アルナルド・コロ(Arnaldo Coro)氏は、キューバの指導的科学者だが、殺虫剤と除草剤の輸入の大半を政府が止めたと知ったとき、キューバの昆虫科学者たちが大宴会をしたことを回顧する。

「最終的には、私どもが発見したことが取り入れられたのでした」

 アルナルド氏はこう強調した。

 私は、ピナル・デル・リオ州にあるミミズ堆肥生産センターを訪ねてみたが、そこでは1994年に、10万トン以上のミミズ堆肥を生産していた。大きなマンゴーの木の影で、厩肥と混ぜたミミズを育てるために、何十というコンクリート製の桶が使われていた。3ケ月の準備で施用できるようになるし、化学肥料とは違って作物に不健康な残留物を残さないし、窒素含有量も高い。

 それに加え、キューバは、砂糖やタバコの輸出をベースとしたモノカルチャー・モデルから離れ、食料用の作物を栽培するようになっている。とりわけ、国内で急成長している醤油産業を支えるため大豆を生産するようになっている。食料生産が最優先されるようになったことで、今では、ハバナだけで3万以上、国全体では100万以上ものコミュニティ菜園がある。

これは、すでに終わった東側圏からの輸入食料を埋め合わせるには十分ではなく、深刻な食料不足はいくらかは残っている。だが、ビタミン不足があるにもかかわらず、有機野菜の消費を増やし、肉の消費量を減らしたおかげで、多くのキューバ人はいまでは健康になっている。

 農場の労働者たちも、殺虫剤や除草剤の散布を減らしたことで、劇的に健康が改善されたと伝えた。

■グリーンなエネルギー

 燃料不足は、再生エネルギー資源への転換も進めている。原発の建設は中吊りとなり、風車、ソーラー・パネル、バイオマス発電がどこでも芽生えている。国内にある精糖工場の70%は、現在は、サトウキビ廃棄物で稼働し、太陽熱オーブンやその他の適正技術が、農村ではいまやあたり前のものとなっている。

 自転車革命もキューバを席巻している。何百万人ものキューバ人たちが、いま、自分の力で旅をしている。「大量の非動力的な乗物の導入を通じて、その交通システムを動力化から切り離しているキューバの経過は、交通史上、先例がない」そう世界銀行は報告している。

 何百マイルもの交通車線、通路、道路がいまでは自転車用に準備されている。ハバナは自転車に最も優しい都市といえる。自転車用にはっきり書かれたラインを通って、私はペダルをこいだ。そして、比較的数少ない自動車の運転手もまったく礼儀正しかった。市内の車の数は、ちょうど4年前の3分の2に減り、自転車の数は40倍になっている。全国では5つの自転車工場が完成したが、ハバナだけで100万台の自転車が、中国から輸入されているのだ。

■森林再生

 多くの国々では、熱帯雨林が破壊されているが、キューバは、多様な自然の樹種の植林を含め、大規模な森林再生計画を通じて、その森林面積を増やす意識的な努力を行っている。森林面積は、1959年の革命以来、3分の1以上も増えている。ピナル・デル・リオ州東部にある山岳地帯は、30年前には、過剰放牧によって不毛の土地となっていたが、この自然植生の再生努力に成功したため、最近ではユネスコによって、国際バイオスフフィアー・リザーブ(biospheric reserve)としての宣言がなされた。

 森林再生の副産物のひとつは、キューバが、いま熱帯植物由来の医薬品のバイオテクノロジーの先導的センターとなっていることだ。ハーブ薬品の利用やいくつかの実証された伝承的医薬品への回帰が劇的に進んでいる。

 キューバのオスマニ・シエンフェーゴス(Osmani Cienfuegos)観光大臣は、世界的にも著名な環境プランナーなのだが、毎年訪れる100万人ものヨーロッパやカナダの観光客用に新たなリゾート開発を優先し、風光明媚で環境的に敏感な地区を保全している。

 こうした環境に向けた強力な舵取りについては、驚くほど議論が少ない。ひとつにはキューバにはそれに反対する力がある団体がないためだが、それが、唯一の選択枝でもあるからのようにも思える。科学アカデミーのエコロジー機関のレネ・カボテ(Rene Capote)氏は言う。

「もし、私どもが天然資源を失ったならば、私どもには何もありません。もし、私どもが自然を保護できなければ、持続可能な経済も成り立ちません。それはまさにコモン・センスなのです」

 こうしたイノベーションの結果、キューバはリオの地球サミットでの持続可能な開発の実践で「Aプラス」の評価を受け取った世界でも二つの国のうちの一国となった。

■地方分権

 人々が集中的なエネルギー資源や農業投入資材にごくわずかしか依存しなくなり、地域資源にもっと依存するようになっていることから、かつての全体主義システムも部分的に民主化されている。国営農場のほとんどが、農民たち自身により運営される協同組合となり、政治的なコントロールは、民主的に選ばれた地区の議員に支えられるようになってきている。

 多くの点で、キューバ政府はいまだに権威主義的ではあるものの、地方分権へと向かうトレンドは、硬直し ヒエラルキー的な国の官僚主義の下で何年も沈滞していた国に、新たな暮らしを持ち込んでいる。

 キューバにおけるエコロジカルなイノベーションのほとんどは、計画されたというより、必要性から生じたものだ。とはいえ、私が話したキューバの人々は、もしたとえ、化石燃料や化学資材の利用率が改善されたとしても、こうした変革の多くは続くと信じていた。

「俺たちは決して後戻りはしない。悪いが、これを止めるにはあまりにも時間がかかっているんだ」

 ある農民は私にそうつげた。そして、多くのキューバの科学者たちも、おそかれ早かれ、すべての国々が、より環境的で持続可能な経済への転換をしなければならないだろうと指摘した。

 旅行機関で働く、ラオウル・ウイテレス(Raoul Guiterrez)氏はこう語る。

「革命と米国の経済封鎖が、米国の開発モデルに従わなければならないことから私たちを自由にしてきたのです。不運なことですが私たちは、もはや機能しなくなったソ連モデルに従うことを止めました。いま、私たちは、初めから私たちがやらなければならなかったことをすることを強いられています。私たちの国の文化に、経済に、そして環境的なニーズに応じたキューバ・モデルを見つけることをです」

Stephen Zunes氏は、シアトルにあるグローバル安全保証研究機関の研究員で、グローバル・イクスチェンジが主催したキューバ、エコツアーに参加した。キューバの転換のさらなる情報は、Peter Rosset氏とMedea Benjamin氏による、フード・ファーストの書籍「The Greening of the Revolution: Cuba's experiment with organic agriculture」をお読み頂きたい。

 

(米国のContext InstituteのHPの記事)
  Stephen Zunes,Will Cuba Green?,1995.

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