2002年11~12月 本文へジャンプ


キューバの農業改革


キューバの教育


 どんな社会であれ教育は、いかにそれが民主化管理され、すべての人民に教育資源が普及しているかテストとなる。国家が、若者全員に、同じ古典的な幅広く深いカリキュラムを供給すべきか。そして、同じ年齢に。それとも、そこは選択科目であるべきか。専門科目であるべきか。そして、そうならばその年齢はいくつか。学術的な成功は自分自身の目的のために達成されるべきなのか。それとも、それは高賃金で報いられるべきなのか。こうした質問に対応し始めることができる立場にあるのは、ただ一国キューバだけだ。キューバでは、学校教育や教育を取り巻く問題で引き続いた公開討論がなされた。コミュニティのこの幅広い参加が、目標達成する決定を進めている。

 最近、キューバ人たちは、全人民が大学水準の教育を目指して進むことを決め、資料を出版し、これを提供する支援するためテレビ番組もデザインした。2001年に、視聴覚機器やコンピューター教育をより有効活用することを決めたのだ。国内の全教室、うち80,000以上にテレビ・セットが供給された。電気のない2,000以上の農村部の学校も参加できるようソーラーパネルが供給された。ほぼ45,000台のコンピューターが学校に届けられ、12,000人の若者たちが、IT技術を教えられるよう訓練を受けた。2002年、キューバは、小学校では20人の生徒に1人の教師という目標を立てている。教員、親、生徒やその他のコミュニティのメンバーが学校のニーズを建造するために動員された。まさに20か月で、746校が拡張され、4,453室の新たな教室が作られ、33の新たな学校が建てられたのだ。中学校での問題を注意深く評価して、10人までの生徒を、あるいは科目を10人程の別々の教師が教えることは、この年齢集団を教育するには効果的でやる気を出すやり方ではないとキューバ人たちは結論を下したのだ。そのため、彼らは、一人ひとりの生徒を適切に個別に注意する学際的なアプローチに乗り出している。「勇敢なものたち」として知られる30,000人以上の新たな中学校教師が、次の5カ年で養成されるだろう。そのほとんどは、高等学校を卒業してから直接にだが、ベテランのクラスの教師たちと一緒に働きつつ、自分たちのさらに進んだ勉強を学びつづけるだろう。

 キューバでは、コミュニティ全体に教育を認め支援する感覚がある。このことから、40年に及ぶ不法な米国封鎖で締め付けられた国の資源は、社会の全構成員の文化水準を高めることに使われているのだ。2002年にはキューバのGDPの11%以上が教育に費やされることだろう。これが、「進んだOECD」のトップ26の先進諸国で起きていることとどれほど異なることか。ここでは、教育への支出はこの約半分の水準なのだ。ここでは、教育はますます二極化している。特権を得たごく少数だけが、支配階級を保つ仕事やステータスを獲るために、贅沢なやり方で、幅広く深い勉強という長い伝統を続けている。大多数の労働者たちは、召使として、退屈で卑屈な人生を送るための「準備」として、狭く、職業的で、限られたカリキュラムをますます試されているのだ。

 キューバの教育の発展について、最近、カストロはこう語っている。

 革命により創りだされた巨大な人的資本なくば、我々は、キューバが今日、実施している偉大な教育革命を夢見ることすらできなかっただろう。今日、我々は、平等、十分なる公正、自尊心とモラル、そして全人民の社会的ニーズに応じた教育制度をさらに追求している。キューバ人たちが構築することを決めた社会の中でだ。かような目標は、資本主義社会では及ばない範囲だろう。かかる社会の中では、ヒューマニズムや連帯で求められる要素は存在しない。そして、彼らの教育と文化は、その技術や富がいかほど巨大であろうとも、キューバよりもはるかに後塵を期することだろう。

 この間、グローバルな図式は悲惨なものだ。2002年9月、ユネスコ委員会は、1億1300万人の子どもたちが学校教育を受けておらず(うち60%が少女)、将来には1億6000万人の子どもたちが学業を完遂することなく学校を退学することになると発表した。リポートは、世界の貧しい国々を中心に8億7700万人の文盲の成人がいることも指摘している。

 子どもたちがどのように学習し、教育や学校が何を意味し、それらをどのように組織しなければならないかについては多くの興味深い疑問がある。だが、ひとつ確かなことがある。資本主義、新自由主義、帝国主義はその回答を提示できないということだ。社会主義を求めて悪戦苦闘する社会だけが、こうした疑問に答える途上にある。


 Cuba's educational revolution continues! The newsletter of Rock around the Blockade, November/December 2002.