2005年7月5日 本文へジャンプ


キューバの農業改革



 2005年6月27日。キューバの教育機関を9日間訪ねるために米国の5人の教育者がハバナに到着し、一生に一度の旅を始めた。

 われわれは、キューバの文化、音楽、そして、友愛に浸った。滞在中、われわれは、高校、障害児学校、プレ学校、高齢者センターを訪ね、地元の革命防衛委員会でも歓待を受けた。サルサの踊り方、キューバ葉巻の吸い方、ラムの飲み方を学んだ。だが、何よりも、最前線で国際理解を心がけ、最善の教育を子どもたちに提供しているわれわれのような教師と出会ったのだ。

チェ・ゲバラ校

 われわれ米国からの教員グループは、サンタ・クララで、チェ・ゲバラ校で、スタッフやプレ・サービスの教師たちと朝をすごす特権を得た。この学校複合体は、1975年からあるが、歳月とともに変化し、今はプレ大学(高校)と大学レベルの4,000人以上の生徒たちを教育している。

 議論で興味深かったのは、高校教育の機会や選択肢、学生教育への教員たちのかかわり、キューバの学校で用いられている教育戦略、そして、教員養成プログラムのしくみだった。

 高校の学習指導要領は、高校教育が専門的な米国以外の多くの国の一般モデルにそうものだ。高校生が、高校で何をやるかは、中学校での成績、生徒の関心、そして、国のニーズによる。こうした要素に基づいて、生徒たちは、教育、芸術、スポーツ、科学、ソーシャル・ワーク等を専門にする高校段階で卒業するかもしれないし、特定の職業(trades)を学ぶため、技術高校(polytechnic high schools)や仕事学校と呼ばれる学校に進む者もいる。キューバでは、社会人の学生用のプログラムと同じく、学校を退学しなければならない生徒向けに高校同等プログラム(high school equivalency programs)と称されるものも提供されている。

 義務教育はたった9年しかないが、キューバ政府は、学生たちが学び続けることを強力に奨励している。教材も含め全校が大学まで無料だ、という大きな要素は別にしても、どの生徒たちもコミュニティのメンバーから知られているというキューバのコミュニティの構造が、退学する生徒も含めて、生徒全員を絶えず見守ることにつながっているし、彼らにチャンスを与えている。

 チェ・ゲバラ校の事例のように、いくつかの学校では、高校生が理事会に入っている。学生たちの寮もあり、11日毎に家族のもとに帰る。

 小学校であれ中学校レベルであれ、キューバの学校教育の衝撃的な要素は、生徒たちの教育や生活面に教員が深く関与している水準だ。私たちが訪れた高校では、30人の学生グループのガイドとして、一人の教員がサービスをしており、彼は教師としてだけではなく、アドバイザーとしての役割も果たし、全活動に参加していた。父兄のグループとも一緒に働き、学生の家庭さえ訪ねていた。教員と学生たちとの間には家族のような強い感情があり、それが、生徒が受ける教育の質に大きく影響しているのだ。

 学生同士の関係と同じく、生徒と教師との深い関係がどれほど違いを産み出すか。それに注意し、われわれはキューバの学校で用いられている実際の教授法にも関心を持っていた。キューバの制度では、知識は3レベルで機能する。再生産、実践、そして、創造性だ。ほとんどのレッスンやトピックは、基本的な情報をマスターすることから始まり、次には生徒が知識を使うことを助け、それを創造的に実践へと移す。学校の原則は、思想の発展や問題解決型の技術を見いだし、学生たちが協力して働くことを強調していた。

 学校のスタッフに加え、われわれの議論には、トレーニング中の数人の教師も参加した。学級あたりの生徒数を小学校では20人、中学校では15人にまで少なくするよう政府が働いているため、今、キューバでは新任教員の需要が大きいのだ。教育力を規模的に高めるため、多くの大学生たちが、加速プログラム(accelerated programs)を通じて、教師のメンターと一緒に働いている。この野心的なプログラムで最も印象的なことは、プレ・サービスの教師が、多くの時間を生徒たちと共に働けるよう、プログラムの2年目から教室に来ていることだ。これは、米国での教師養成プログラムにもためになることだろう。

 チェ・ゲバラ校のスタッフや教師たちは、信じられないほど手厚く、時間を割いてくれ、アイデアをわかちあうため異国の教員とのつながりを築くことに誰もが関心を持っていた。われわれ誰もが、同じ理由から教えている。家族の伝統、教育への個人的な望み、コミュニティや国のためにサービスしたい、特定の内容への関心を持つなどだ。キューバの教師と同じテーブルについて、われわれは、犠牲を求められても生徒と一緒に働くための情熱をわかちあった。

特殊学校 キャロライン・ヘイ


 キューバでは、どの障害児も、教育とヘルスケアの専門家から無料でサービスを受けている。教育やヘルスケアの専門家は、子どもの家族と密接に働いており、共に子ども教育プログラムを開発して実施している。もし、子どもが4歳以下なら、サービスは子どもの家で家族に提供される。5~14歳の子どもへのサービスは、特殊学校を通して提供され、9年の義務教育以上に進む子どもには学校が続いていく。

 特殊学校は、特別なニーズを持つ学生だけを教える学校で、約240の特殊学校がキューバにはある。各校には、管理者、教育者、心理学者、スピーチ・言語病学者、作業療法士、心理学療法士、医師、看護婦を含めたサービスの提供者が配備されている。生徒数とそのニーズに応じて、人数は異なる。

 ハバナにあるひとつの学校、アベル・サンタ・マリア校には、150人の生徒、64人の教員、36人のサービス労働者がいる。教師一人あたりの生徒比が15人未満であることになる。国は、全教室で、教師一人に15~20人の生徒という目標をめざして努力しているのだ。

 特殊学校は、キューバにあるどの学校と同じ区、学生たちがその可能性(例えば、点字タイプライタ、点字本、そして、テープの本)を学べるように、利用可能などんな学用品、学生服、必要な教科書、追加のツールや資材を生徒たちに提供している。だが、残念なことに、キューバの学校で使えるツールや資材は米国の経済封鎖によって制限されている。米国との貿易を禁ずる米国の政策によって、キューバは米国企業が製造したどんな商品も購入することを許されない。

 学用品に加え、全校では給食が提供され、学校の近くに住んでいない生徒のためには、毎日の通学用に寮もある。寮で暮らす生徒たちは、ふだんは学校で暮らし、週末に家に戻るのだ。家族はなるたけ学校を訪れ、ボランティアをすることが奨励されている。

 特殊学校のクラスは自己充足している。学習障害、視力障害、自閉症(autism)、認知障(cognitive disabilities)、そして、感情や行動に異状のある生徒たち向けのクラスがある。生徒たちは、読書、数学、芸術、体育、日々の生活スキルを含め、幅広い科目を受講し、その能に応じて、クラス内でグループになる。各科目の内容は、生徒一人ひとりのニーズ、強さ、関心と好みによって個別化されている。ある生徒は日々の生活クラスでシャツのボタンを掛ける程度の基本的な技能を学ぶが、別の生徒は、料理全体を作る方法を学ぶかもしれない。

 特殊学校に通う生徒たちは、職業学校や大学で学ぶよう選ばれるかもしれない。いずれもキューバの無料の教育制度の一部だ。高等教育に参加する選択は、グレードとクラス分け試験で決められる。もし、生徒が職業プログラムに登録するなら、そのクラスは9年を終えた後に始まる。もし、生徒が、大学進学の計画を立てているなら、まずはプレ大学(高校)を終えなければならない。

 キューバの特殊教育のシステムは、注目に値する。ベテランの教育者やサービス提供者から、ニーズ、強さ、目標により個別の学術的、そして生活技術が生徒たちに教えられている。可能な最善の教育を学生たちに提供することが、キューバ政府の優先事項であることは明らかだ。どの市民も無料で質の高い教育を受ける平等の機会を作り出すため、強い連帯感を持ち、ともに働いているのだ。

革命防衛委員会 アンドレア・スプレンジェロメヤー


 1950年代後半にキューバ革命等が高揚した時代を生きていない私たちは、バチスタがキューバを去ってカストロが権力を掌握した後、どんな変化がキューバに起きたのかを知る術がない。私たちは、「革命」のことを「何か」をもたらしたただ一度きりの活動で、もはや「過ぎ去ったもの」とみなしている。だが、キューバ人たちにとってはそうではないのだ。

 キューバ人たちにとっては、革命はまだ生きている実体だ。一人ひとりのキューバ人たちに対して、全キューバのより良き利益のための犠牲をカストロが勧め続けているからだ。

 公的なコミュニケーション、とりわけ、掲示板は、革命の英雄を想起させ、革命の真の理想をとどめるよう、キューバ人たちに求めている。そして、想起されるものは、いたる所でまだ果たされていない仕事だ。

 こうした目標を推進し、担保するまずなによりの乗り物は、革命防衛委員会(CDR)だ。国は、各地方の防衛委員会の権威下にあり、それは街角毎に広がっている。防衛委員会は、暴動を関しする責務を負うが、コミュニティにサービスをするための貴重な社会的なアウトレットなのだ。地元の役員は、地元住民が集まる社会的、政治上なイベントを計画する。

 われわれは名誉なことに、地元の防衛委員会は、音楽とダンスがセットになって役員を紹介するパーティーを計画してもらえた。われわれは、踊るように頼まれ、地方のバンドが演奏し、コスチュームを着た地元の子どもたちが練習を重ねた伝統的なダンスを披露した。多くの笑い。そして、暑さ。われわれは新鮮な果物を楽しんだ。

 この防衛委員会は、その地元の学校でなしとげた仕事をとても誇りにしていた。どこにでもあるホセ・マルティのメモリアルが、前の芝生にあり、学校と校庭はよくマニキュアをされていた。町民たちは、自分たちが子どもの教育にどう献身しているかを話したがっていた。この献身ぶりは、キューバのどこでも明らかで、このコミュニティが地元の学校を誇りにしていることも明らかだった。私たちが訪ねたどの学校とも同じく、この学校も学用品はまばらで、建物は小規模な修理を重ねて耐えていた。だが、コミュニティの態度は、どんな物的資源不足以上のものだ。子どもたちへの教育への献身、まさに、国家の子どもたちの教育への献身が、すべての学生のニーズを満たすための構造化された教育環境になっている。

 人々、とりわけ、子どもたちは、防衛委員会のイベントを訪れたわれわれの頂点だった。われわれは花と握手で歓迎され、誰もが歓待してくれた。ここを去るときには、われわれは、良い友人を置き去りにする気すらした。別れを告げるときには、目に涙すら浮かんだ。

 キューバ中で、われわれは友人として歓迎され、アメリカ人としての憎しみは一切示されなかった。それどころか、キューバ人たちは、「アメリカ人」を見ることにぞくぞくし、いつも歓迎されていると感じさせてくれたのだ。

 防衛委員会等の組織が随時、日々献身するよう人々に頼んでいることは、貧しい国では意味あることのように思える。その目標は、人々を「歩調に合わせること」なのではなく、目標はお互いに祝福しあい、支えあう友人として、お互いを知ることを担保することにある。これは、人々がより孤立し、社会的な支援に依存しあっている農村地域(われわれが訪問した場所等)では特に重要だ。そこでは、コミュニティのフィーリングがとても明らかだったのだ。


 globalexchange,Educators' Delegation June 27, 2005- July 5, 2005.