1997年4月

キューバの再生可能エネルギー

■はじめに

 学校の子どもたちが、ソーラー・パネルの影の中で遊んでいる。僻村の学校にソーラーが電気をつけているのだ。数十㎞道を下ると、ティーンエイジのカップルが小さな水力発電所の隣に座って、充電やばらつきを安定させる微妙な制御音に耳を傾けている。農村全域では、大型の砂糖工場が、国の送電網に送電している。ハバナでは、父親が自転車道をペダルをこいで、空っぽのガソリンスタンドの脇を通り過ぎていく。子どもはハンドルバーの上に乗り、妻は後ろだ。二人とも、食料や雑貨の大きな袋を抱えている。これは、深刻なエネルギー危機に創造的な方法で苦闘している国のイメージだ。

 1980年代末のソ連崩壊と社会主義圏の解体が、キューバとの貿易条件を終わらすことになった。その貿易条件のもとでは、キューバは砂糖と石油やその他の輸入資材を有利なレートで貿易でき、その合意がキューバが経済を急速に発展させる助けとなっていたのだった。

 米国は、フロリダ海岸からわずかに離れた、社会主義革命に終わりをもたらす手段をいまだに探し求めており、この転換期をフィデル・カストロに率いられた政権に経済圧力を加える良い機会だとみた。米国は、1992年、そして1996年と再度キューバへの経済封鎖を強め、そのことが、資源や最新技術を手に入れることを難しく、かつ、金が高くかかるようにさせてしまった。

 このことが経済危機の引き金となった。キューバ人たちは、それを遠回しに「スペシャル・ピリオド」と呼ぶのだが、それが以前には豊かだった経済に大きな緊張をもたらした。エネルギーやその他の資材価格はロケットのように高騰し、国内生産は急落した。石油、石鹸、食料から、ペースメーカーのような医療機器、基礎的な医薬品にいたるまで、商品は希になり、高額となった。キューバの一人あたりの年間エネルギー消費量は、約4バレルの石油にまで落ち込んだ。それは、スペシャル・ピリオド以前の半分だ。これに対し、米国人は一人あたり年間で59バレルの石油に匹敵するエネルギーを消費している。

 1996年6月、作家を含めて約20名の北アメリカのエネルギー保全やオルターナティブエネルギー源の専門家たちが、キューバへと旅した。キューバの人々が、いかにしてこのエネルギーの危機的状況に対応しているのかを学ぶためだ。ツアーの焦点は「クーバ・ソラール」により開催された一週間にわたる国際的な太陽エネルギー・ワークショップにあった。クーバ・ソラールとは、キューバのトップ水準の多くの科学者や技術者、プランナーからなる独立機関で、オルターナティブ・エネルギー源を開発、導入するために働いている団体である。

 サンティアゴ・デ・クーバにあるキューバの研究所への技術的なセッションと訪問に加え、会議ではいかにしてキューバの人々が国内の辺鄙な地域にオルターナティブ・エネルギーを導入しているのかを直接目にする機会が得られた。

 研究と開発。そして、効率性の向上や多様な国内再生可能な資源の技術デモンストレーション。発電や調理ガス用のサトウキビバイオマス、水力発電用の小河川、太陽光発電と風力発電のための風や莫大な量の日光、そしてエネルギー需要を引き下げる生物気候的な建築。キューバが、それに大きな努力を注ぎ、エネルギーを自給しようと懸命に働いていることが、我々にはわかった。

■バイオマスの転換、砂糖による自給

 キューバが砂糖輸出に依存していることが、経済やエネルギー問題のうえで、中心的な役割を演じている。キューバのソーラーエネルギー集団の多くは、砂糖が潜在的にキューバ回復中心となると見なしている。長年、キューバのエネルギー需要の大半は輸入石油が満たしてきた。そして、砂糖が主力輸出作物だが、石油を得る外貨をもたらしてきた。旧ソ連との合意の下では、キューバは1tの砂糖で4tの石油という、安定して有利な供給を受けてきたのだ。この点に関して言えば、スペシャル・ピリオド以前のキューバは、多くのそれ以外の砂糖生産国とは異なる状況に置かれていた。砂糖の国際自由市場は、砂糖は全市場の一部として見られ、ほとんどの砂糖は、典型的には旧植民地体制下でジャマイカがイギリスに売るというように市場価格よりも契約でもっと上で売られていた。だが、合意がなくなったことで、キューバは砂糖輸出と石油輸入との両面で国際市場価格にさらされる。1989年のソ連との優先的な貿易合意が崩壊して以来、キューバは1tの砂糖でわずか約1tのロシア石油を受け取ることとなった。

 その結果は危険な悪循環だった。石油輸入が不十分となり、収穫機械やその他の農業生産機械へのディーゼルが不十分で、化学肥料や農薬を生み出すための貯蔵が欠乏することを意味した。不足は砂糖収穫を妨げ、産出を減じる。売る砂糖が減ることは、より少ない外貨しか得られず、少しの石油しか買えず、スパイラルに下っていくことを意味した。

 キューバの石油輸入量が1989年の1300万トンから1992年の600万トンに落ち込み、鍵となる砂糖収穫量も1992年に半減したことで、結果は絶望的となった(1)。石油輸入の低下は、広範な電力不足も引き起こした。発電は主に火力発電に依存していたが、1990年の140億Kwhが1994年にはたった100億Kwhとなったのだ(2)

 キューバの農学者たちは、オルターナティブな農法を採用、発展させることで、壊れたプログラム、化学肥料と燃料不足(同じく、経済封鎖で農薬入手も困難である)に対応している。それはトラクターの使用を抑えた最小耕起、肥料需要を減らす堆肥、そして農薬依存を減らす有機的な害虫管理などだ。

 石油不足を埋め合わせ、エネルギー自給するためのキューバの計画の鍵となるのが精糖工場である。キューバ内にある156の精糖工場は、何十年もの間、バガスとして知られるサトウキビの茎をボイラーの燃料用に燃やし、コジェネレーションによって、工場を稼動する電力を提供してきた。だが、コジェネレーション・システムとサトウキビの加工装置はデザインされてはこなかった。効率的なエネルギー供給と消費が設計されていなかったのだ。現在、、精糖工場はサトウキビ1tあたり、平均20Kwhの電気を発電しているが、それは18気圧で稼動する蒸気タービンよりも効率が悪いのだ。

 1980年代に建てられた新しい工場の転換率は、サトウキビ1tあたり、約40Kwhで、送電に十分に貢献している(3)。工業諸国での典型的な転換率は、60~80Kwhである。今日多くの国々で製造されているが、例えば、ハワイでは、より効率的なコジェネレーション技術を用いることで、送電力はすでに100Kwhにも達している。世界各地で商業的に試験中の先進的なバイオマス燃料のコジェネレーション・システムは、サトウキビ1tあたり500~600Kwhを産み出すかもしれない。現在のハワイの工場電気生産水準に到達するため、年間を通じた処理をするためバガスをたくわえ、既存の商業技術を利用することで、キューバは精糖コジェネレーションシステムから、経済的に効率よく、その電力のほとんどを供給できるであろう(4)

 砂糖省は、2000年までに製糖工場にもうひとつの100メガワットのコジェネレーション機器を導入することで、キューバをエネルギー自給に向け動かしたいと思っている。もし10億ドルにのぼる投資が確保できれば、今後15年で、全体として400メガワットのコジェネレーションのポテンシャルが送電に加えられるでことであろう(5)

 まず、出力の向上は、砂糖産業の効率性を改善することで達成されるだろう。もっと多くの電力が送電線に送れるようにし、コジェネレーションの効率性を改善し、まだ完全に利用されていないバガス供給力を整備することによってだ(6)。その結果は、現在、キューバの発電は98%以上が火力発電所でされているが、この発力に10%を加えることになるだろう(2)

 この封鎖された島国では財源が不足しているので、シエンフェーゴスにある原子力発電所の完成という提言を、投資の効率性から比較してみよう。ソ連が設計し、資金を負担していた原子力発電所の建設は数年前から停止している。投資家たちは完成させるための財源を求めているが、10~15億ドルが必要と評価される。同様に砂糖のグレードアップ計画とどちらがよいのだろうか?。二対の417MWの反応炉の50%の効率因子を考えると、核プラントからのエネルギー出力は、強化されたバガス発電所からのものとほぼ同じだ。建設コストも比較されるであろう。原発プロジェクトの比較に対して、現在の楽観的な評価の下でも。バガス発電所は、その場所にある資源を燃料として利用するので、運営コストは廉価である。原発は、高額な核燃料の輸入という新たな依存をもたらすし、危険性や金のかさむ放射性廃棄物の処理問題を産み出すだろう。加えて、時代遅れのバガスプラントを将来的にグレードアップするコストは、確実に放射線づけの原発を解体するよりも安いのだ。

 エネルギー自給に向けたキューバ研究で砂糖が潜在的に果たすのは、サトウキビ廃棄物を電気に転換するだけでは終わるものではない。砂糖産業は、年間に300万トンもの固体、サトウキビ汁を絞って漉した後のミネラルと蝋の残さ「カチャザ(cachaza)」を産み出す。キューバの砂糖研究者たちは、食用燃料のためカチャザをのメタンガスに転換させるバイオガス醗酵機を開発中だ。サンチアゴ州にあるドス・リオス(Dos Rios)製糖工場で、労働者のカフェテリア用に燃料を供給するため1996年に建てられたバイオガスプラントを我々は訪れた。

 ドス・リオスのプラントは、40立法メートルの醗酵機の中で、日量23立方メートルのメタンガスを生み出すのに、週あたり1~2トンのカチャザを必要とする。工場のカフェテリアは300~400人をまかなうが、これは、その全需要を満たすより十分に多い。プラントは成功しており、その稼動の4ケ月をそれ自身でまかなっている。地区の他の産業食堂のために10の同様のバイオガスプラントが、建設中である(7)

 キューバはエネルギー源としてコーヒーカスやもみ殻といったその他のバイオマスも用いている。1995年には国は約25万tの米と55,000tのコーヒーを生産した。コーヒーのbranの約70%は、おもに、オーブンで燃やされ、副生産物はコーヒー産業そのもので使われている。キューバは、発電に利用できる残さのエネルギー転換のポテンシャルを調査中である(6)

■水力電気・山岳地域での水力発電建設

 思い浮かぶ中で、水力発電がバイオマスに次ぐ。キューバには大河川はほとんどないが、小河川は多くあり、それは小規模発電にとても適している。キューバの水力発電のポテンシャルは650MW、年間1300GWhの発電力があると評価されている。

 キューバは1917年に1.7 MWの電線網をつないで水力の利用を発電で使用をしはじめたが、今日までキューバはわずかポテンシャルのたった55MW、年間発電量80GWhを開発しただけだった。能力がいくぶん低いのは河川の季節的な変動と、特定時期に水が潅漑用に必要なためなのである。

 この総ポテンシャルの半分以上が、キューバ東部にある360MWのトワ(Toa-Duaba)プロジェクトを通じて実現化されている。トワ川からは年間600GWhが発電できると評価されているが、トワ川の上流の小河川がさらに120MWの容量と年間300GWhの発電を加える。このプロジェクトは、国家エネルギー計画の中では優先が配慮されているが、他のすべての計画エネルギープロジェクトと同様に、財源不足でその実現は遅れている(8,9)

 キューバの山岳地域の集落のいくつかでは、すでに小規模水力発電が電力を提供している。キューバの小規模水力発電のポテンシャルは25MWと評価され、400地区以上で広まっている。こうした小規模水力地区のうち、約200がすでに開発され、3万人に電力を供給している。いまだに電気がないのはキューバ人口のうち4%、16万世帯だけである(10)

 我々は、サンチアゴ・デ・クーバ郊外のラ・ブルハ(La Bruja)にあるピークで30KWの小規模水力発電所を訪れた。システムは村の56世帯に電力を供給しており、コミュニティ全体ではわずか10KWを使っているだけである(11)。季節的な河川流量の変動と4km隣接した町への容量を保存するため、各戸は100Wまでに制限されている。変圧器の財源が確保された時には、残した電力が近くの村へと送電されるであろう。我々が訪れた小規模水力発電所のどちらも水流は、時計の周りで働いているオペレーターの手によって操作されていた。財源が自動操作のはばみとなっているのである。

■太陽光発電: 人々に医療をもたらす

 キューバは強い日差しに恵まれている。年間を通じて日・平方メートルあたり5Kwhを超え、それはアリゾナ南部に匹敵する。そこで、キューバは、電力供給を受けていない国民に電気を供給するため、農村部で野心的な太陽光発電プログラムに乗り出した。プログラムは、キューバ政府、NGO、スイス・スペイン・オーストラリア・ドイツ・イタリアからの援助を受けている。

 優先してこの恩恵を受けているのは、医師の診療所、農村家庭、小集落だ。50以上のコミュニティ診療所と295戸が、太陽光発電で電化されている(12)

 農村家庭の典型的な太陽光発電システムは、20Wの蛍光灯5ケとラジオとテレビ用の40Wの太陽発電パネル二つと150Aのバッテリーを用いている。コストは1000ドル若しくは、ピークワットあたり12.5ドルだ。米国で導入されている平均的なシステムの価格は、ピークワットあたり18~20ドルである(10,12)

 そのヘルスケアプログラムの一部として、キューバは全僻村に医師と看護婦が住み込む診療所を配備している。それは、コミュニティでの教育や予防医療に重要な役割を演じ、そのこともあり、キューバの健康統計指標はカリブ諸島とラテンアメリカで最高のものとなっている。患者あたりの医師の割合は米国のそれの二倍で、乳幼児死亡率は多くの米国の都市よりもはるかに低い。

 キューバ全体のこうした診療所のうち700は、送電されていないコミュニティにあり、300の診療所には全く電気がない。こうした診療所に電気を提供することが最優先されている。1996年の半ばまでに50以上が太陽電池で電化されており、キューバの人々は翌年にその数を倍増する計画を立てている。基本的なクリニックのシステムは、医療器具、14の20Wの蛍光灯、ラジオ、テレビ用に40Wの太陽光発電パネル四つと250Aのバッテリーを用いている。いま、灯油で動くワクチン冷蔵庫を12Vの冷蔵庫に取り替えるために、倍の容量を持つシステムを導入している(10,12)

 インド政府からの支援で、キューバはラ・マグダレナ(La Magdalena、人口 574人)という小さな町を太陽光発電のモジュールで完全に電化した。どの家にも70Wの太陽光発電システムがあり、コンパクトな蛍光灯、ラジオ、テレビがついている。各住宅は、部屋あたり日18時間の照明が割り当てられている。例えば、6つ部屋があれば照明は3時間になる。太陽光発電は、街灯もつけ、各村の表通りに沿って二つのコンパクトな11Wの蛍光灯がそってある。3KWの一つの太陽光発電は、コミュニティ全体に日量1135立方メートルの良質な水を提供する揚水ポンプも動かしている。コミュニティセンターには、エアコンを動かすインバーターがあり、医師の診療所には、太陽光発電で動くワクチン用の冷蔵庫と大きな8ヶのパネルシステムが設置されている(13)

 サンティアゴ・デ・クーバのソーラー・エネルギー研究所(CIES)は、太陽光発電の導入を注意深く吟味している。というのは、導入は大きくは成功しているものの、ある種の機材には、暑くて湿潤なキューバの気候にとって、熱帯条件用にデザインされていないいくつかの装置が困難なことが証明されているからだ。熱帯の気候条件のもとで、ソーラー装置の成績と寿命を最適化するために、エネルギー研究所は、キューバで発展している太陽光発電産業と連携して、パネル、蓄電装置、インバーターの研究を行っている。その充電コントローラーの多くと、インバーターのいくつかを製造することに加えて、キューバは輸入したセルからモデュールを組み立てているが、いずれ自分でセルを製造することを望んでいる。

■風力 伸びゆく力

 キューバでは風力の利用も広まっている。機械式の水ポンプ用として6500を越す風車が現在稼動しており(さらに2500が導入されたが修理中)、1KW以下の発電用の小風車も数多くある。1990年以前は、年間に2000の風力揚水を生産するポテンシャルを持つキューバの工場が5つあったが、資金と物資の不足によって、1996年には二工場だけが稼動し、250のシステムを生産するだけだった。

 1960年代に国営送電が広まり始める前には、数百の風力バッテリーが動きその多くは東部地区の北海岸の僻村にあった。だが、ディーゼル発電機と廉価な燃料が利用できることとあわせて、電線が拡大し、発電や揚水のための風力利用は減じた。

 だが、1980年代後半から、ソーラー・エネルギー研究所やその他の研究組織は、とくに農業や牧畜での特別な需要を満たすため、小規模な風力タービンと風車の開発をはじめた。1991年に、国家エネルギー委員会は、メキシコのパートナーからの援助を受け、風力発電グループの結成を後援する。風力のアセスメント、風力発電、風による揚水の3分野に重点を置き、後に予備的な風力プログラムを確立した。最近までは、キューバの風力資源は、大規模な風車のタービンや風の農場を支えるには十分でないと考えられてきたが、メキシコからの支援で、ソーラー・エネルギー研究所の研究者は、3年以上前から17地区でモニタリングをはじめた。北部海岸の中部と東部でソーラー・エネルギー研究所は、150KW級の大型風力タービンを動かせる場所を決定している(14)

 スペインのNGOとヨーロッパの団体からの財源援助で、キューバは北海岸にあるシエゴ・デ・アビラ(Ciego de Avila)州で1997年に、風力農場と送電線を結んだ一つの1MWの展示場を建設を始める計画をたてた。ドイツのパートナーシップが、観光ホテル用に風力とディーゼルを組み合わせたシステムをまた提案している。ホテルは充填の優先、太陽温熱、室内照明とエアコン用のセンサーを含めた他のエネルギー特徴を備えることだろう(15)

■生物気候的建築とエコツーリズム・環境のためのデザイン

 我々は、多くのキューバの建築家とも出会った。彼らは、生物気候的な建築デザインの原則と地域資材の使用を通じて、新プロジェクトのエネルギー需要やその他の環境負荷をラジカルに削減させることを試みていた。エネルギー集約型の機械的な冷房システムへの依存を避けるため、プロジェクトは、自然の換気を利用することから、エネルギー集約型のコンクリートの使用量を減らし、ワラぶき建設を取り入れることにまで及んでいる。こうした建築家たちは、エネルギー効率と環境にやさしいデザインと建設のために、研究とチャンスを求めることに忙しいが、建設業者や政府の役人に、適正な建築デザインがエネルギー需要を解決する助力となりうることを納得させるという挑戦に取り組んでいた。彼らは、再生可能エネルギーが建物の全エネルギー需要を準備できるように、適切に建物の負荷を減じることを望んでいる。

 彼らが学んでいるそれ以外の技術は、排水リサイクル、地域的な天然資源の利用、非リサイクル物質の最小限化、雨水の貯留、そして、動植物の生命に活力を与えながら、土壌侵食と圧密を最小化するための目標の創設を含んでいる(16)

 外貨獲得に必死になっていることもあり、キューバは、多くのラテン諸国と同じく、大規模な観光産業を開発している。年間100万を越えるカナダ人、ヨーロッパ人、南アメリカ人の訪問客をまかなうためである。「エコツーリズム」が強調されているにもかかわらず、結果としてホテルは、しばしば脆弱な場所を劣化させ、自然生息地の破壊や変化、外来種の持ち込み、そして、水・大気汚染と騒音を引き起こしている。

 キューバの生物気候建築家は、エコツーリズムのビジョンを創造しようと試みている。それは、より持続的であり、ホテルは自然と調和して建てられ、環境への影響を最小にするのである。そうした事例の最初のものはピナール・デル・リオ州にあり、エアコンではなく自然の換気を使うように設計され、太陽熱ヒーティングを備えている。

 政府は、現在、キューバ中央部の北海岸にあるサバナ群島(Archipielago de Sabana)開発の環境ガイドラインを打ちたてている。このガイドラインには、生物多様性の保護、ツーリズムゾーンの設置、環境問題へのコントロールやケア・システムの創設が含まれる。生物気候の建築家は、こうした広い環境ガイドラインの中に、建築ガイドラインを含めるために働いている。それ以外では、すべての観光開発用に生物気候建築の勧告ガイドラインを盛り込むよう働いている。彼らは、いつか、こうしたガイドラインが、単なる勧告だけではなく、規則や基準となることを望んでいる。

■結論

 米国の経済封鎖によってもたらされた深刻な困難と幅広い経済危機。時代遅れのコンピューター、初歩的な電話システム、洗練された研究機器から鉛筆に至るまですべての不足。にもかかわらず、キューバは、そのエネルギー需要を見たすべく、再生エネルギーを持ち込むために、大量の教育と研究上の努力を動員している。そして、再生エネルギーの自給という将来に向け、印象的な技術進歩をなしとげている。この危機は、キューバに、エネルギーの生産と使用の方法を変える動機づけを与えている。それは、1970年代のオイルショックで総体的な経済が後退した米国が忘れていたことなのだ。

 高校でのエネルギー教育をかわきりに、キューバは新たな世代が、持続可能で、環境的に健全なエネルギー現を理解し、導入するために、訓練を行っている。キューバでの適用とあわせ、再生可能エネルギー技術で世界で最高の研究について学ぼうとしている。キューバの国民を養い健康を保つために、食料や医薬品を買うという日々の需要に応じつつ、エネルギー変換を達成するための長期的な投資財源を見つけること。移行に対して現在の障害となっているのは、技術ではなくて、経済なのである。

 米国のグループ、グローバル・エクスチェンジは、筆者のキューバへの訪問を組織化したが、キューバのエネルギー専門家が、再生エネルギーとエネルギー保存と生物気候的な建築上で彼らの仕事を続けるための支援となる努力を動員している。それは、国全体でのエネルギー研究者たちのネットワークのために、コンピュータとモデムを集めるという正式な要請をキューバの工業エネルギー研究所から受けた。コンピュータ、モデム、プリンター、再生可能エネルギー技術(例えば太陽電池パネル、風力タービン等)、建築資材、そして、こうした品々を購入するための資金が集められている。どのような寄付であれ、寄付をされる方は、グローバル・エクスチェンジに連絡をされたい。

■引用

(1) 特に明記しない限り、ここに含まれるデータは、キューバで配布された未発表の科学的な書類からのものである。

(2) アメリカエネルギー情報局、市場とエンドユーズ事務所

(3) 1996年月の「ソーラー96」会議で、キューバ・ソーラーのEmir Madruga副所長による口頭での指摘

(4) Eric D.Larson, Princeton University, "The Potential for Sugarcane-Based Electric Power in Cuba".Unpublished paper, 1994.Larson notes that an advanced cogeneration technology, the biomass integrated-gasifier/gas turbine combined cycle, promises tonearly double the electricity export potential of sugar before the turn of the century.

(5) 1996年6月、Central Dos Rios精糖工場近くのサトウキビ研究センターでのJaime Santiagoセンター長との筆者のインタビュー

(6) 1997年1月のクーバ・ソラールのEliseo Galivan報道副部長とのインタビュー。氏はキューバエネルギー省の官僚でもある。

(7) 1996年6月のCentral Dos Riosのバイオガス発電所の食堂長との筆者のインタビュー

(8) 1996年、クーバ・ソラールの未出版論文、Luis Berriz and Emir Madruga「キューバと再生エネルギー」

(9) Comision Nacional de Energia, "Programa de Desarollo de las Fuentes Nacionales de Energia," Habana, Cuba, June, 1993.

(10) R.Ramos, et al, "La Energia Fotovoltaica: Una Opcion a la Electrificacion Rural en Cuba," in Energia Regenerativa y Desarrollo.Habana, August, 1995, pp.23-27.

(11)1996年6月21日、ロサンジェルスタイムス、 Juanita Darling「Global Power Plays Help to Light Up Villages in Cuba」

(12) 1996年の未出版論文、J.A.Alabart, M.Rodriguez, R.Ramos, I.Batista, Yoel Moreira, Soe del C.Marquez, Centro de Investigaciones de Energia Solar,Santiago de Cuba.「Las Energias alternas: Una Opcion para El Desarrollo del Programa de Electrificacion Rural en Cuba」

(13)1996年6月に筆者が La Magdelenaに滞在したときのインタビュー

(14)1995年夏、クーバ・ソラール「Resumen Comparativo de Resultados de las Mediciones Entre las Mejores Estaciones en 1994 y 1995」

(15)1995年、クーバ・ソラールの情報マニュアル「クーバ・ソラール、キューバの風力プログラム」

(16) Gisela Diaz Quintero、1996年のサンティアゴ・デ・クーバでのキューバ・ソーラーの会議で提示された未出版の論文「Turismo Ecologico」

(Tom Lent's Information Centerの記事)
  Laurie Stone,Cuba's renewable energy development,1997.

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