2004年11月

思想の戦いと社会主義の改善

アベル・プリエト大臣

 一見すると、大臣ではなさそうに思える。トレードマークの長髪と無頓着な振る舞い。その役人らしくない若々しいスタイルがアベル・プリエト(Abel Prieto)をキューバで最も変わったリーダーのひとりにしている。だが、54歳のアベル・プリエトには現在占める重要な地位につながるキャリアとバックグラウンドがある。スペイン語と文学の文学士で、文化大臣に任命されるまでは、小説を書き、文学教師として働き、レトラス・クバナス(Letras Cubanas)出版所の所長で、キュあるーバ全国作家・芸術家組合の代表でもあった。

 最近スペインのカディス(Cadiz)で開催された「キューバの文化と自由」というイベントで、私たちは、大臣とキューバの文化政策を論じる機会があった。会議の最後に大臣はTiempo de Cubaとの対談の誘いに応じてくれたのだ。

キューバの文化モデルを統治し、支える原則はどのようなものですか

プリエト まず、キューバの文化モデルには大がかりな民主化という原則があります。つまり、どんな差別もなく全人民に達しています。この目的を達するため、今、どこで出現するかもしれない才能を見出すため、山村、農村、都市をとわず全国各地に約50の芸術校を設けています。もし、一人の少年に音楽や芸術の才能があるとしたら、どこで暮らしていようと、芸術を学ぶ機会があるのです。

 次の原則は、伝統的な表現やより洗練された表現を含め、あらゆる芸術表現を受けとめられるだけの教養ある聴衆を作り出すことです。私たちにとって、真に芸術に感謝し、理解する能力を大がかりに生み出すという思想はとても重要です。そして、例えば、古典的なバレエや実験的な劇場、概念的な絵画という少数派による表現が、次第に専門的な聴衆を比較的大規模に形成したという例があります。

 三番目の要素は、質への要求は、そうした大がかりな参加に伴われるべきだということです。ろくでもない作品は勧められるべきものではありませんし、大衆消費向けの疑似文化も奨励すべきではありません。それは人民をそこなうようなものでしょう。この点で、教育や文化を広げる新たなコミュニケーションやテレビ、ビデオ、コンピュータなどの情報技術を最近私たちが用いていることを指摘したいと思います。

 最後の別の基本原則は普遍性や盲目的な愛国心やプロビンシアリズムという誤りを奨励せずに、私たちの国の文化を守ることです。私たちの文化政策には、キューバ文化の伝統を守ることと、大衆のいわゆる高度な文化の双方があります。ですが、同時に、キューバの文化の豊かさを広げるうえでとても不利な状態におかれています。

どういう外国文化がキューバでは知られていますか

プリエト とてもバラエティがあります。このイベントに参加した講師を例にとれば、私たちは、アンドレス・ソレル(Andres Sorel)、アルフォンソ・サストレ(Alfonso Sastre)、そして最近は、ベレン・ゴペグィ(Belen Gopegui)の本を出版しました。多くのラテンアメリカ文学も普及しています。そして、奇妙なことにアメリカ文学でも多くの仕事をやっています。私たちにとって、反帝国主義者であることは、反米主義であることを意味しないからです。私たちは、偉大な米国のクリエーターがいわゆる娯楽産業の犠牲者となっていることもわかっていますし、誠実な米国人たちとの結びつきを確立しようと試みています。ブッシュが、キューバを旅するライセンスを奪うまでは、多くの米国の作家や映画制作者が私たちの映画祭やブック・フェアにいつもやって来ていました。つまり、米国との文化交流はいつも米国の政権側から制限されているわけで、決して私たちが制限しているわけではなかったことを明らかにしたいと思います。それどころか、手をかえ品をかえ、私たちは最も良い米国文化との対話を広げてきました。

文化的については、キューバはどう位置づけていますか

プリエト 他の場所では市場がゲームのルールを決めていますが、キューバでは、私たちは、それを私たちの文化を国際的に支えるうえで使うだけだと言えるでしょう。私たちは、市場は真の文化や芸術の大きな敵だと考えます。事実、どんな批判的なセンスのある芸術表現が現れても、過去10年、市場はいつもそれを無力化してきました。それが、販売促進手段として市場を用いても、それとは妥協しない理由です。私たちの文化政策は、人民が自国の偉大な作家やミュージシャンを知らなくても、マイケル・ジャクソンの私生活には精通しているといった他国のように市場によっては決定されません。

米国の経済封鎖は文化にどう影響していますか。国の文化発展にどんな影響をもたらしていますか

プリエト 実に大きな影響があります。私たちの芸術校で使われる楽器やビジュアルアートの資材から始まり、米国で原材料を買う方がはるかに安いことを心に留めておいてください。ですが、経済封鎖のためにそれができないのです。例えば、音楽では、どれほどの資金が私たちのミュージシャンの版権で失われているのかわからないほどです。歴史的に、キューバ音楽は米国で巨大な伝統市場をつくりましたが、もし、私たちの国のレコード会社やミュージシャンが米国市場にアクセスできればどれほどの額になるか計算すらできないでしょう。また、芸術でも、米国の大きなギャラリーやオークションでどれほどの値段か計算できません。損失は金銭だけでなく宣伝もあります。

 残念ながら、現在、芸術を促進するには、米国は不可欠で決定的なのですが、米国はイブライム・フェレール(Ibrahim Ferrer)やチューチョ・バルデス(Chucho Valdes)といった芸術家の多くに「国家安全保障への危険人物」とし、米国への入国ビザを与えないというひどいことをしたのです。まるで彼らがテロリストであるかのようにです。最後に米国人もまた犠牲者だと言いたいですね。経済封鎖でキューバの文化的なメッセージにアクセスできないからです。

どのような状況下で「思想の戦い」は現れたのですか。その政治上、そして、社会的・文化的に意味することは何なのですか

プリエト そう、思想の戦いは数年前にマイアミで誘拐された少年、エリアン・ゴンサレスの(Elian Gonzalez)の帰国のための戦いの状況下で現れました。キューバのすべてが、この事件に深く突き動かされ、少年の帰国を求める多くの運動に多くの芸術家、メディア、文化の専門家が人民と手を携えて参加しました。それが、包括的な一般的な文化をキューバ人に作り出し、同時に、どこでもその文化を得られるために働くというフィデルの考えが生まれた時でした。

 ホセ・マルティの150周年の記念日で、フィデルは「今の世の中の誠意ある人民にとり、主なタスクは意識を国の内外に植え付けることだ」と語りました。それが、今世界に課されている無知、野蛮と適者生存の理論に直面する中、私たちがもうひとつの別に可能な世界を守ろうと試みている理由です。ごく少数者のためだけに贅沢な消費を約束し、世界人口の4分の3を疎外する資本主義の残酷なバージョン、ネオリベラルモデルとは対照的に、私たちは社会正義と真の民主主義の価値を守ることを提唱しています。私たちは、グローバル化しなければならないのは、爆弾や憎しみではなく、むしろ平和、連帯感、健康、そしてすべてのための教育、文化であると思うのです。

 ですから、私たちの医師が他国に援助にでかけるとき、そのミッションは医療支援し働くわけですが、医師たちは私たちの価値観や連帯感についての思想の運搬人でもあるのです。

 基本的に、それが思想の戦いです。私たちは、多くの若者たちを取りこみ異なる手段で実行しているイデオロギーの働きを思想の戦いと呼んでいます。共産党青年同盟(UJC)の役割は、今日、国の暮らしと大いに関係していますし、思想の戦いは、私たちが最も恵まれないセクターを支援するために形成した何千人ものソーシャルワーカー、国中で準備したアート・インストラクター、そして、文化や教育を広めるための新しい通信技術の利用と密接に結びついています。私たちには、今、二つの教育的なテレビ・チャンネルがあり、キューバの真実をインターネットでもどこにでも発信しています。そのすべてが思想の戦いの一部で、今日、ベネズエラで進行していることやベネズエラとキューバ間で進展している連帯モデルに重点をおいています。

このイベントで議論された問題のひとつは、インテリの役割やキューバ革命から徐々に疎遠となったことでした。多くの場合、あなたは、何が拒絶やさらに非難にすらなった原因だと思いますか

プリエト それはインテリの果たす批判的な役割を破壊するためになされたすべての仕事と大いに関係していると言えるでしょう。もし、詳細に見るなら、今の環境を認知しているインテリのほとんどは反動側の手にあります。多くのお金で、インテリたちはシステムへの非難の姿勢を捨てています。そうしたコードに多くが汚染されたためと考えます。あるものはキューバへの名誉棄損キャンペーンで誠実に悩みましたが、他のものは以前の自分を捨て、それに慣れています。この点で、キューバ革命は彼らの若い時が何であったのか、そして、彼らが何をやめたのかを想起させます。それがキューバの原因が彼らをとても苦しめる理由です。なぜなら、それは、彼らが恥を感じ、最終的にあきらめたと告げる亡霊のようなものだからです。

 とにかく、これは私が以前に市場の役割について申し述べたことと、大きく関連しています。時々私は1960年代に米国の異議を申し立てた歌がどうなってしまったのかと自問します。米国人はボブ・ディランやジョーン・バエズ等の作家による素晴らしい歌で何をしましたか。市場は、そのすべてを破棄し、その芸術的表現の批判的なセンスを無力にしました。同じくことが抗議叫びとしてニューヨークの黒人居住地区で生まれたラップやヒップホップでも起こりました。そして、ラップの真正さ、本来の反逆心は人種差別や多くの社会問題を露見させたのに、すべてが市場によって徐々に破壊されてしまいました。今、彼らは好色やセックスを口にするエミネムのようなライト・ラップを促進しています。ですが、その表現には共用すべきものは何らありません。それは、いかに市場がシステムに害を及ぼせるものを拭い去るかなのです。

観光の始まりで消費のメンタリティが徐々にキューバの人々、とりわけ、若者たちに浸透することを恐れませんか。革命の価値観や理想が市場や資本主義社会に置き換えられるのは、危険なのではありませんか

プリエト 厳しい挑戦に直面しなければならないとは思います。私たちが生きるグローバル化された世界では、大きな中国の城壁、この場合はキューバのたとえですが、に取り囲まれたユートピアの島を考えることは不可能です。それは、馬鹿げているし、不可能です。私たちキューバ人は試験管の中やある種の無菌病院で暮らしているわけではありません。私たちは、この世界にいるわけで、いつも汚染が漏れてくるという事実を意識していなければなりません。ですから、早めの文化的習慣を創造するか、あるいは人民が自ら考えるよう教えることであれ、私たちがやらなければならないことは、その汚染に直面できるよう人民に準備をさせることなのです。

 マルティが「自由になるには教育されることが唯一の道である」と語ったことは、今、ますます力を持っています。自分が住む世界についてのたくさんの知識を持ち自己が形成され、自己が深く文化に根づくときにのみ人間は自由なのです。このことの解決策は禁止でなされなければならないとは思いません。それは私たちの文化・教育政策のやり方ではありません。それは、1960年代にフィデルによって、とてもよくまとめられています。

「われわれは人民には告げない。信じてもらいたい。われわれは人民に、書を読めと告げる」

 それが私たちの文化政策の核心が見出され、形式主義や原理主義とはならないところです。それが、文化に基づき革命を受け入れる人民を形成しているところです。それが、衛星等で受信できる映画のすべてを上映している理由です。信じてください。いくつかは本当に質が悪く有害なのですが、私たちはそれらをとにかく放映しているのです。私たちにとって、私たちがマスカルチャー製品を禁じていると、キューバ人が感じないことが、とても重要だからです。私たちの目的は、自分のために自分が見るものや見ないものを自分自身で決めるよう内的人民に準備しようということなのです。一方、教育の質での鍵はマスメディアの働きだと思っています。幸いなことに、キューバには民報がないので、マスメディアに読書の促進や文化プランの推奨を期待できます。これが他国でできないものです。

キューバとスペインとの文化関係はいまどうなのでしょうか。我が国でおきた政変後に、それが向上する見込みはありますか

プリエト ホセ・マリア・アズナル(Jose Maria Aznar)政権が、文化分野のみならず、すべての分野でキューバとの関係を破損するために手を尽くしたことは明白です。ですが、当局の範囲を超え、両民族間にはいつも文化的な関係があり、それはいかなる政権によっても妨げられないこともまた真実です。大臣のカルメン・カルボ(Carmen Calvo)とは、彼女がアンダルシアのアドバイザーであった時から、良い関係があり、私は、彼女が、私たちと協力する傾向があったと思います。私たちについては、まったく障害はありません。そのうえ、私たちはキューバにおける世界文化の存在、とりわけスペインの存在を多様化させたいと思っています。私たちは文化関係を決して政治化したりはしません。それどころか、私たちはステージや映画ホール、劇場でヨーロッパや普遍文化の存在がいつもあるよう苦心をしています。

 どのような場合であれ、私たちは、今後数年でどんなステップが取られることになるのか研究しなければなりません。両国の文化関係で変化が見られるのはまだ時期尚早だと思いますし、この件について予測するのはまだ冒険だと思います。

未来についてはどう見ていますか。キューバ革命の生き残りと進歩で、文化がどれほど重要と考えていますか

プリエト フィデルはキューバの抵抗の中心に文化を据えました。キューバ文化は、いま、牽引的な役割を果たしており、いまだかってなかったほどの社会的名声を持っています。私は、この文化ブームは、大多数の人民の物質的な課題を解決し、消費プロパガンダに対する予防接種と手を携えなければならないと考えます。

 現在のところ、私たちはより人間的な社会主義を達成しようと試みていますが、それは、私たちが消費主義のスタンダードを採用することは意味しません。私たちは、米国映画で見られるように2台の車、プール、別荘を各キューバ家族に、という未来を設計できません。ですが、私たちは彼らの暮らしの状態を担保すると同時に、精神的、文化的な件では人民の人生が豊かになるようにしなければなりません。

 それは自己啓発、自己実現の手段として計画的な文化に関するもので、暮らしの質と関係があります。この点で、私たちは文化が消費主義に対する解毒剤になるだろうと確信しています。何度もモノが買えるときだけ、人はこの世で完全に開発され幸福であると感じられるという考え方が繰り返されています。だから、私は、それが私たちの目標であるべきだと思うのです。

(キューバナウからの記事)


  Alejandro Massia / Julio Otero,An interview with Abel Prieto, Minister of Culture of Cuba, Cuba reminds many intellectuals of what they have ceased to be, Tiempo de Cuba, November 2004.

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