2005年10月 本文へジャンプ


キューバの農業改革



 ロック・アラウンド・ザ・ブロッケードの10回目記念で、ブリガーダは2005年8月にハバナとグアンタナモで2週間を過ごしたが、キューバとの連帯経験は我々を活気づけるものだった。2003年に我々以前にキューバを訪れたブリガーダは、政治情勢の変貌、あらゆるレベルで再び革命への熱意や意識に満たされ、社会主義社会の構築に活発に従事している人々、とりわけ若者の意識変化を感じると報告していた。

 思想の戦いは実を結んでいる。これはグアンタナモやハバナのどの共産主義者とも議論した主なテーマだった。思想の戦いは2000年に立ち上げられたが、マイアミの親類に元にいるエリアン・ゴンサレス少年をキューバの彼の父のもとに帰国させる要求へのキューバの大衆の盛り上がりから生まれた。それは、革命のために全キューバ人を矯正するあらゆる前衛の文化的、政治的、教育的、社会的イデオロギーの戦いだ。

 1991年のソ連の崩壊で、米国の経済封鎖のさらなる強化とあいまって、キューバはスペシャル・ピリオドとして知られる破滅的な経済危機に陥った。小さな孤立した開発途上の社会主義の島、キューバは世界市場の厳しい現実に突然さらされ、生きのびるために資本主義への多くの譲歩を強いられた。資本主義企業との合弁事業による観光業の奨励、ドルの合法化、小規模私企業を発展させる認可もなされた。だが、キューバ共産党は、こうしたステップが社会主義にとっては後退で、格差の広がりや個人の裕福が集団意識を妨げ、必然的に物質主義、利己主義、個人主義、疎外を増やすという社会的な結果を持つことを認識していた。思想の戦いは、こうしたトレンドと戦う。

 グアンタナモのキューバ共産党青年同盟(UJC)のリーダー、エバリスト・シエラ氏はこう説明する。

 「1990年代に私たちはドルを解禁せざるをえませんでしたが、海外投資や観光には悪影響がありました。売春やその他の弊害が現れ、私たちは解決策を模索していました。若者たちを再教育するために働かなければならなかったのです」

 キューバ人たちは、イデオロギーの戦いが、具体的な場所でまずなされなければならないことをわかっている。2000年、彼らは、問題がどれほど大きいのか把握することに着手し、6,000人の学生たちと一緒に、ボランティアで、とりわけ、深刻なスペシャル・ピリオドで最も影響を受けた貧しい過密地区の約6万世帯を尋ねた。その、結果、全体的な多くのプログラムが設定された。なかでも最も重要なのが、最も苦しみ、社会から遊離した人々とともに働き、再び彼らを革命に統合させる何千人ものソーシャルワーカーの養成だ。

 グアンタナモのソーシャルワーク・プログラムの責任者であるヤスミン氏はこう語る。

「自分たちのコミュニティの個別訪問を終えた後、全人民の戸別訪問プログラムをはじめました。そして、スペシャル・ピリオドの影響で、疎外された人民や家族を見出したのです。そこで、ソーシャルワーク・プログラムが現れました」

 鍵となるのは、働きも勉強もせずに、フラフラして社会に不満を抱き、軽犯罪に走り、非社会的な行動を取り、キューバ人たちが「失われた若者」と呼ぶ若者たちだ。それが、キューバ共産党青年同盟やソーシャルワーカー、教育者たちの主な目標だ。だが、イギリスでは労働党政権がこうした若者たちに対して、敵対的で懲罰的であるのとは大きく異なり、キューバのアプローチは、若年たちやその家族が直面する問題を解決するため、心を込めて、本当の支援を行うことに特徴がある。例えば、高等教育機関への入学者を増やすための大きな努力が払われている。ローカルな大学研究センターを設置し、教師やソーシャルワーカーとともに働くことで、高等教育機関への入学試験に失敗した人々のための実践的なプログラムが導入されている。

 これとは別に、ソーシャルワーカーたちは囚人たち、とりわけ、若者の囚人とも働いている。10人の囚人あたりに1人のソーシャルワーカーがいるのだ。そして、大学や専門学校に通学する機会を確保し、彼らが学業を終えればスムーズにコミュニティに統合されることを支援している。グアンタナモのキューバ共産党青年同盟の2等書記官エネルミス氏はこう強調する。

「困惑し、誤って導かれるものがいつも少しはいます。キューバ共産党青年同盟はこうした人々と共に働いています。私たちはだれも決してこばみません」

 グアンタナモの米国基地と強制収容所に近接し、経済的に疲弊するカイマネラ町のキューバ共産党青年同盟に対して、ブリガーダから寄贈されたステレオセットで、キューバ共産党青年同盟はキューバの最も貧しく最も恵まれない地区のひとつで、若者たちとともにその活動を広げることであろう。

 我々は身体障害者、高齢者、精神病、そしてふと気がつけば疎外されている人々全員に対して、その暮らしを改良し、真の革命の恩恵を与える目的で働くことに専念しているソーシャルワーカーたちとも出会った。

 キューバでは国際主義の精神も明るく燃え盛っている。7月26日通りでの、ハバナの革命防衛委員会の祝典で、我々は偶然、1970年代と1980年代にアンゴラで戦い、南アフリカでの人種差別主義アパルトヘイト体制の打倒に大きく貢献したキューバ人の戦士のグループとも出会った。革命の理想を維持するうえで、資本主義や帝国主義の野蛮さを直接的には一度も知らない若い世代に、その経験や知識を広めることで彼らは決定的な役割を果たしている。

 革命の初期にチェ・ゲバラの仲間で親友であったアンヘル・アルコス氏との会合ではこのことを痛感した。会計士であったアンヘル・アルコスは1959年に米国の雇い主から、莫大な亡命資金を提供されたが、氏は亡命せず、産業の国有化のために働くためキューバにとどまった。そして、ゲバラが人間の意識を変える鍵とみなしたボランティアのワーク・プログラムの開発に携わったパイオニアのひとりだった。アルコス氏は以来、今日まで、社会主義の構築に貢献し続けている。

 我々は、長年、ロック・アラウンド・ザ・ブロッケードの友人で、以前に在ロンドンキューバ大使であったレイナルド・マンセボ氏と会見する栄誉も受けたし、キューバ共産党青年同盟の国際局長で、2002年にロック・アラウンド・ザ・ブロッケードの講演旅行でイギリスを訪れたケニア・セラーノ氏との出会いも刺激的だった。ケニア氏は、アンゴラで戦ったキューバ人たちの国際主義と同等なベネズエラへの若い世代のかかわりについて説明した。我々は、キューバ滞在中に、ベネズエラで開かれる「世界若者フェスティバル」への準備をしている若者たちの派遣団にも出会った。

 そして、それ以外のハイライトとしては、「キューバ5」の親戚とあったことや7月26日のモンカダ攻撃記念日でのハバナのカール・マルクス劇場でのフィデル・カストロの講演を聞いたことだった。

 社会主義を深め、広げるためのキューバの過去の戦いの事例や今の思想の戦いは、イギリスでの我々の仕事を元気づける。ハバナの全国共産党青年同盟や我々に同行して通訳を行い、1日中我々の質問に答えてくれたユエニエリス、我々が滞在したグアンタナモの芸術校のスタッフ、その他訪問先や会見であった人々に感謝をしたい。
                (イギリスの反人種主義・反ファシズムのHPからの記事)

Brigade to Cuba: Inspired by the Battle of Ideas, Fight Racism! Fight Imperialism! 187 October/November 2005.