2003年10月 本文へジャンプ

キューバの早期警戒システム

はじめに


 ハリケーンは、人々の命を奪う自然災害のひとつで、熱帯大西洋やカリブ海領域では、最も人命を奪う傾向がある。例えば、米国ではそのダメージは、それ以外のハザードを超えている。

 領域のそれ以外の国でもダメージは莫大で、1998年に中米で何千人もの人々を殺したハリケーン・ミッチは記憶に新しい。

 強風、豪雨、洪水、高塩、竜巻。ハリケーンでは、ほぼ全種類の気象災害が見出される。だが、その中でも中心となり最も危険な特性と考えられているのは強風で、最大風速によりシンプソン・スケールと称される5カテゴリに分類されている。危険なハリケーンのほとんどは、カテゴリが3、4、そして、5のものだ。

 最近の一例は2003年9月に米国の大西洋岸を強打したハリケーン・イサベルである。ほんの数日前にはイサベルはカテゴリ5のハリケーンだった。海岸線に達したときにはわずかカテゴリ2へと弱化した。にもかかわらず、イサベルは、23人の命を奪い数百万人を力なく残した。しかも、そのインパクトを米国立ハリケーンセンターが、公式状況報告で、ためらいつつ示したのが、ほんの24時間前であったことを指摘しておくことは興味深い。

 2001年11月、カテゴリ4のハリケーン・ミッチがキューバを打ち砕いた。その損失があまりに甚大であったため、歴史的な敵である米国も、40年以上の経済制裁にブレークを入れ、キューバへの食料販売を助けた。しかし、キューバ当局は、重要な保護対策を講じて70万人以上を避難させ、このハリケーンに対応した。結果として報告された死傷者は5人だけだった。

ハリケーン・ミッチによるキューバの被災

 ここ数10年、キューバでのハリケーンによる死傷者は極めて少ない。領域のそれ以外の貧しい国と比較すればその結果は劇的なもので、米国における人命損失だけが比較として考慮できるほどだ。その結果、キューバの経験は、政治家や研究者たちの間で大きな論争を産み出している。

 中には、社会主義国におけるリスク削減政策を注視するよう呼びかけている人もいる。とはいえ、キューバのこうした結果の背後には様々な多元的な要因がある。それは、「国際防災の十年」の主な3要素を考えることで見えてくる。 (1)人民のハザード・リスクの認識、(2)公共政策のコミットメント、そして、(3)は科学知識の適用である。

ハザード・リスクの公共的な認識


 この要素は、キューバにおいて人民の自己準備を奨励するうえで極めて重要である。事実、キューバはその隣人と比べて相対的に数少ない死傷者の記録を伝統的に保持してきた。統計的に言えば、キューバは2年に1回、熱帯サイクロンに見舞われる。キューバは1888~1998年にかけ大西洋で発生したハリケーンの11%の影響を受けてきた。その結果、キューバ社会はハリケーンの脅威への適切な認識を発展させてきたのである。

 キューバと米国にとって、最も致命的であった20世紀の4回のハリケーンが、このことを例証するうえで役立つ。以下の表に示すように、1926年と1944年のハリケーンはカリブ海で最も人口が多いハバナ市を襲来したが、キューバの死傷者は、いずれの場合でも米国より低いのである。

キューバ

米国

死者

死者(人)

1932

3,500

1900(ガルベストン)

8,000

1963

2,000

1928

1,836

1926(ハバナ)

600

1938

680

1944(ハバナ)

300

1919

60


 もちろん、人々にリスクやリスクにどう応じるかの適切な考え方があることだけが唯一の理由ではない。だが、それがあれば、生きのびられるチャンスはある。

適用された科学知識


 おそらく、三番目の要素はさほど知られていないが、キューバには、伝統的に高水準のハリケーンへの科学知識がある。

 19世紀に、スペイン政府とカトリック教会は、ハバナでカリブ海地域の最初の気象サービスを開発した。キューバの気象学の技術力は、20世紀前半にハリケーンのモニタリングで米国をリードしていた。

ハバナのベレン・イエズス協会で19世紀に最初の気象観測所が誕生した

 この開発がアメリカ気象局とのコンフリクトをもたらした。米国が望むよりもよいやり方で、キューバ人がサイクロンの予測が非常に優れていたからである。1870年には、彼らは、すでによく訓練を受け、その仕事に専念する何百人もの観察者や運営者のネットワークを設立していた。彼らの所長、ベニト・ヴィニェス神父は、サイクロンの予報にその人生を捧げ、大成功を享受していた。

 1963年に2,000人以上が命を落としたハリケーン・フロラの災害後、旧ソ連に支援されたキューバ政府は、国家気象サービスを改善すべく本格的な対策を実施する。まもなく、キューバはその警告力を自ら自足するようになり、米国とキューバの対立で1970年代と1980年代には、米国国立ハリケーンセンターとキューバの気象サービスとの関係は、歴史的に最低のポイントに達した。


公共政策のコミットメント


 二番目の要素は、極めて特殊な振舞いで、ユニークでもある。キューバは、社会主義国であり、1980年代と1990年代の社会主義崩壊も生きのびている。その政治構造は、中央集権化され、長期的に持続する共産主義の単独政党政府に基づいている。他国ではごく一般的な大きな政治上な内部抗争もない。

 このように制度的に安定していることが、長期計画を発展させる大きな支えとなっている。何年も攪乱されないやり方で実用的にそれを適用し、社会でモニターできている。そして、ハリケーンへの対応力は、教育や健康と同じく、資本主義と社会主義とのイデオロギー的闘争の一断片として、考えられている。

 人民をケアする政府は、象徴的で利他的なだけでなく、隣国に対し、キューバの制度の優位性を立証する実用的なアクションでもあるのだ。

 1960年代に社会主義政権が始まって以来、キューバは、米国政府との歴史的な闘争に浸されている。米国は、キューバに対して厳しい経済制裁を維持し、キューバ人たちはそれを封鎖と主張している。この闘争の結果、キューバ社会は、究極的には米国からの攻撃に直面することとなるため、軍事的なドクトリンの傘の下で高度に組織化されている。災害対応計画もこのシステムのメリットを活用するため、このドクトリンに含められている。

早期警戒のチェーンはいかに機能しているのか


キューバの気象研究所は、キューバの国の機能として、ハリケーン予測とモニタリングでリーダーシップを果たしている。そのモニタリング施設は、120以上のステーション、5つのレーダー、衛星画像にアクセスするネットワークに基づいている。その予報はキューバ自身のハリケーン予報手法で支えられている。事実、キューバはハリケーンについて、大がかりな科学研究がなされている西半球国の数少ない国のひとつである。

 これらをベースに、気象サービスは、米国国立ハリケーンセンターと類似したアドビソリー・システムをそれ自身で開発してきた。その脅威のレベルによって、12時間、6時間、3時間毎に状況報告が発表されるのである。

ハリケーンに備える市民防衛の会議

 キューバには、国家防衛委員会によって可動する警報システムがある。その機能と組織構造は、1997年の国防に関する法律に組み込まれている。このシステムの最高レベルは、政府の大統領と防衛大臣である。このシステムは、全国に広がる「防衛ゾーン」で構造化されている。そこで、システムは州とムニシピオ政府に情報を送ることができる。

 リスクのある主な経済的、社会的な懸念は、市民防衛センターとの直通電話線が維持される。ラジオ放送、テレビ・ネットワーク、そして、新聞は、いずれも公共サービスで、政府により完全にコントロールされており、民間のネットワークはない。

 ハリケーン警報下では、全メディアが、人民のために警告と指示を周知する役割を果たすため、国家防衛委員会に完全に従属させられる。

 キューバの災害マネジメント組織は、緊急時対応に焦点をあわせているだけでなく、リスク削減活動にも重点をおいている。

 防災プランは、リスク下で対策を実施するため、ローカルや農村エリアでの能力を築きあげるためデザインされている。この予防プランは、軍事的な意志決定の下に確立されているが、キューバ社会における軍事とシビリアンの構造は、実際には重なっており、それらの間の強力なコーディネートを確実にしている。

 キューバの国内経済は、極めて中央集権化され、政府に依存していたままにとどまっている。個人所有者は、実際に中小企業だけに減っている。こうした条件下で、避難のための資源、インフラと輸送他の保護手段は、ただひとつのソースだけからもたらされている。

結論


  キューバの経験は、非常に異なる社会と経済をベースに支えられているため、西側社会には完全に適用されにくい。イデオロギーに基づき、共産主義政府の下で実施される社会的、経済的構造が、いかなる社会的、経済的な活動でも直接行動を取るその能力を支える傾向があることは疑いがない。しかしながら、キューバの場合、米国との対立と経済封鎖が重要な特異性を確立している。

 厳しい経済封鎖のストレス下におかれた社会は、自然災害の影響を大いに懸念しなければならない。そのうえ、資本主義との強力なイデオロギーの戦いで、キューバ政府は、永久的な軍事侵略のリスクの下で、それ自身を考慮している。緊急時対応のために迅速な反応能力を作り出す、あらゆる社会のステージがかかわる軍事的ドクトリンを開発している。

 事実、キューバ人たちは、米国政府との政治的な対立のシナリオの中で、自然災害に直面し、より効率的であることを強いられている。これは、おそらく、災害援助外交のアプローチとは反対の見解である。対立下での保護手段は、敵が災害から利点を活用できないようなやり方で開発されている。

 キューバの経験は、すべてが政治的であるわけではない。アメリカ大陸ではユニークであるハリケーン警報には、ハリケーンのリスクや技術力に関して、しっかりとした社会的な意識の歴史的背景がある。そして、この特異性にもかかわらず、早期警戒システムにおけるキューバの経験からは、いくつかの教訓が確立できる。

リノ・ナランホ・ディアスは、ハバナ大学卒の気象学者。1989年に地理学で学位を取得。現在のスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラ大学で、研究者として働いている。以前、キューバの気象サービスの首席研究員として25年以上を過ごし、ハリケーン警報と気候災害に深くかかわってきた。

 まず、リスクに対する公共の強力な社会的意識が構成できていることである。それは、ハリケーンのリスクのある数多くの国の長期的な教育的なタスクである。貧困、孤立、教育の欠如、そして、運命に対する伝統的な気持ちが、この目標を到達するうえでの主な障害となっている。

 ハリケーンのモニタリングと予測能力の開発は、有効な早期警戒システムを達成するための決定的な問題である。カリブ海や中米地域のほとんどすべての国は、世界気象機関の第四地域(北米、中米、カリブ海)のコーディネートの枠組みの下、米国国立ハリケーンセンターの情報に大きく依存している。このことが、基本情報へのアクセスを確実にしている。とはいえ、ハリケーンの影響を直接受ける中では、国家のモニタリング能力が主な役割を演じるが、数多くの国はこの責務を果たすことができていない。

 この最後の話題に関しては、米国国立ハリケーンセンターは、キューバを含め、カリブ海地域の早期警戒システム戦略で極めて重要な役割を果たしている。とはいえ、この役割は、国家の気象サービスの代用品とはならない。残念ながら、このエリア内の数多くの政府は、その能力を築きあげる戦略を持っておらずそして、警告の全責任を全米国立ハリケーンセンターに委ねてしまっている。

 適切な早期警戒システムは、国家当局がその人民を教育・保護する手段を確立するための持続するコミットメントの意志を持つときにのみ、達成可能である。そして、これは最も難しいタスクである。数多くの国では、それは、今世紀中には手が届かないものかもしれない…。


 Lino Naranjo Diaz, Hurricane Early Warning in Cuba: An Uncommon Experience,October 2003.
出典: Early Warning Systems: Do’s and Don’ts,Report of Workshop 20−23 October 2003
Shanghai, China, 6 February 2004.