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| チャーリーの強風はハバナ州に大破壊を加えた |
2004年8月13日、0時過ぎに、ハリケーン・チャーリーがキューバ南西部に襲来した。記録によれば、夏の時期に襲来した史上3番目のハリケーンだ。そして、1日も違わずちょうど1月後には、カテゴリー5の大型ハリケーン・イワンが島の西部に襲来する。二度のハリケーンで、物質損失は数百万にもなった。にかかわらず、ごく一握りの死者しかでていない。同じくハリケーンが通過したそれ以外のカリブ海や米国南東部とさえかなり違う。国連の災害マネジメントチームは、キューバをハリケーンの予防のモデルとして賞賛している。
にもかかわらず、そこから学べる教訓もあった。
ペドロ・サエス氏は、ハバナ市のキューバ共産党の書記長だが、防災、動員と復旧の取り組みのチーフでもある。MEDICCとのインタビューで、氏は2度のハリケーンは、ハバナ市にとり別の挑戦となったと語る。
「チャーリーは、二時間ほどで抜けましたが、それはある種の天恵でした。ハリケーンとしては、かなり速く突っ走っていたからです」
だが、懸念される事情が二つあった。
「ひとつ目は、カテゴリー2のハリケーンとしてやってきましたが、陸上を抜ける間に風速を増し、カテゴリー3のハリケーンとして首都の縁を通り、北部沿岸を抜け出たという事実です。持続風速は170km/hで、最大風速は250km/hでした」
これは、風速の増加が、ダメージと損傷の主因であることを意味した。
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| ペドロ・サエス:ハバナハリケーンで最も危険なスポットの1つは都市の海辺のドライブだ |
二番目の問題はタイミングだった。
「チャーリーは正規の6月から11月までのハリケーン・シーズンに発展しましたが、とても早くやってきました。これ以外の夏の時期のハリケーンを思い出せないのです。伝統的に8月はキューバではバケーションの時期です。ですから、私どもは特別な対策を講じなければなりませんでした。例えば、通常、窓に板を張り、特殊な機器を守るため、教師は学校に近くにいます。ですが、このときは、まず彼らを見つけださなければなりませんでした。ほとんどのキューバ人の家族は、バケーション中か、ある種のレクリエーションのプログラムにかかわっていたため、私たちが声をかけなければならないほどのんびりしたムードさえあったのです」
ハバナ市と周囲のハバナ州の農村を合わせると約300万人の人口となる。彼らは、まず「警戒態勢」で大きな嵐という言葉を最初に耳にすることになる。これは、キューバの災害マネジメント体制の段階で、「ハリケーン警報」と「ハリケーン警告」に続くことになるフェーズだ。「警戒態勢の段階では、適切な燃料、交通、食料、住宅他の建物、家畜、船舶の保護を確実にし、全プランをチェックします。そして、何よりも、人命保護が、通常の民間防衛報告、気象報告、そして、どの地域が避難すべきかの決断を通じてなされます」
警報段階では、プランが発表され、避難が行われ始める時となる。
「例えば、寄宿学校の生徒を避難させます。どの子にとっても一番良い場所は家族のいる家だからで。また、浸水する可能性があれば、海岸沿いのホテルの観光客も避難させます」
サエス氏は、前回の嵐の時には、ハバナの海岸べりで運転するときに、洪水ですれすれで、15街区と同じほど内陸まで侵水したことを想起する。
「最後には、不安定な住宅に住む人々や浸水するかもしれない地域に住む家族を非難させます。ハリケーン・イワンだけで、25万人がハバナ市から避難したのです」
市と国は時代とともに、様々な避難形態、サエス氏が「地区連帯」と称するものを組み合わせた実験をしていく。そこでは、核家族は、国営の避難所とともに隣近所の家庭に移る。
「例えば、国会委員会の建物がラ・ティンバ周囲の地区の避難所に変わります。そこには、まだ、いくらか不安定な家があるからです」
サエス氏はそう指摘する。
だが、人々に避難を説得するのは大変ではないだろうか。サエス氏は、それが時の経過とともに解決された問題だと語る。
「最初は誰も家から出ようとはしません。ですが、数年間私どもは、その安全が第一だと納得させることができました。私どもは所有物を保護する対策も実施しました。大きい建物にはガードマンも出し、窃盗の気がうせるよう警察も配備されます。これについては問題が本当にないのです。避難経験が多ければ多いほど、人々は逃げることを望んでいます」
サエス氏は、METEOR運動と呼ばれる年に一度ある防災訓練についてもコメントする。隣家であれ、避難所であれ、特定の場所への避難用準備を家族にさせるもので、そのアイデアに慣れ親しでいく。
警告が発せられるのは、嵐が差し迫っているときで、教室も職場も不可欠の業務以外は、閉鎖される。そして、これが人命救助に対する公的協力が一番大切な時だ、とサエス氏は語る。
「ハリケーン・チャーリーでは4人の命が失われました。ですが、本質的には個々人の軽率さのためにです。私どもは継続的に情報を提供し、教育を行うことで、最小限まで減らそうと努めています」
それ以外では、どのような対策が人命を救うのだろうか。
サエス氏は、それに主に貢献することとして電気の切断を指摘する。毎時50-60kmまで風速が達すると、電気会社は電気を切る要請を受け、結果として、倒れた電柱や切れたケーブルで感電死することから人々を救うのだ。ケーブルは洪水の下にたいがい隠れているからだ。
そして、ひとたび嵐が過ぎ去れば、一番難しい段階、復旧が始まる。ハリケーン・チャーリーのケースでは、ハバナ市、ハバナ州、青年の島で損害額は10億ドル以上と見積もられた。一番の被害は、首都の西部地域やピナル・デル・リオ州に送電している高圧電気塔だった。嵐で37の鉄塔が倒れたのだ。大打撃だ。
ハバナ市とハバナ州では、1400本の電柱が倒され、480キロ以上の電線が切れた。同じく深刻なのは、2領域全体の10%にあたる約7万4000戸が完全か部分的に破損したことだ。ピナル・デル・リオ州と青年島では5万4000ha以上の農産物も破損した。そして、約60万羽の産卵鶏と7000万個の卵も失われる。
だが、ハバナ市だけで、ハリケーン・チャーリーのわずか数日~数週間の間に約14万5000人もが、クリーンアップと修理努力に参加した。旅団が組織され、約100万立方メートルもの倒木や枝、瓦礫を片付けたのだ。
ハリケーン・イワンが襲来したとき、彼らは復旧作業をしていたが、西部で急に曲がり、嵐はメキシコ湾内で消散した。では、二度のハリケーンから学べたのだろうか。ペドロ・サエス氏は、公共参加と教育とが防災や復旧の鍵であるとの信念が補強されたと述べ、それもまた改善の必要が明らかにされた領域だ、と語る。
「例えば、電気です。私どもは、嵐の間に良いセンスで、これまで予測されてこなかった発電機を導入する必要があります。これは投資が必要です。また、停電で給水所がポンプ送水できなければ、トラックが欠かせません。必要があるとき、被災地までトラックで水を運ぶ仕事をする必要もあります。また、避難プランを改善し、ハリケーンの規模ごとに応じて、より明確にそれらを立て直す必要もあります。経済封鎖を考慮して、やれる範囲で、ハリケーンの風に抵抗力のある住宅建設も必要です。そして、最後に、頻繁にプランをチェックし、頼りにしている資源が実際に現場にあることを担保する必要があります。トラック、発電機、ケーブル等が必要なときに本当にあるかどうかをです」
このことには疑問の余地がない、と述べ、彼はハバナは、学び続けなければならないと語った。
「カリブ海に住む限りは、少なくとも今後25年は、つらいハリケーン・シーズンがあるだろうと、気象学者は私どもに告げたのです」
| ハリケーン・チャーリー10億ドルの被害 |
人命損失こそ、きわめて少なかったが、ハリケーン・チャーリーの激風はキューバ西部を通りぬけ、ハバナ市、ハバナ州、ピナル・デル・リオ州と青年の島に深刻な被害を残した。
以下に、最も重要な例のいくつかをあげる。なお、指摘がない場合は、被害は4領域の合計である。 |
倒壊した高圧送電鉄塔 28
1400の送電ポストがダウン(ハバナ市、ハバナ州)
12万8000戸の停電で、50万人に影響(ハバナ市)
4日間、130万人が断水(ハバナ市)
部分的か完全に破壊した住宅、7万3584戸(ハバナ市、ハバナ州)
一部破損した精糖工場6
既存263のうち、破壊した潅漑施設105
農作物被害5万4325ha
サトウキビ畑2万1785ha
柑橘類6万6881トン
食用バナナ/バナナ14万4250トン
43万2840羽の産卵鶏を含め、58万8151羽の家禽類
天然林と公園2,766ha
一部か完全に破壊された学校798
一部か完全に破壊された医療施設312
一部か完全に破壊されたスポーツ施設60
一部か完全に破壊された文化センター63
100万立方メートルの樹木、枝、瓦礫
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