
全国市民防衛は、危険が差し迫っているとき、全災害対応システムを動かし、地元や全国メディアにアナウンスする。国家市民防衛の司令部(ハイ・コマンド)は、国の緊急災害対策で、全国・コントロール・センターの立場を取る。この国家の構造は、ローカル政府の指導部を通してコミュニティ組織とうまく調和している。
以下に描くのは、コミュニティ・レベルで実際に、どのように災害対応がなされているかの「スナップ」である。ハリケーンが二度襲来した直後の2002年秋の11日以内に、青年の島の様々なコミュニティを訪ねた際に行ったいくつかのインタビューからの抜粋だ。
強力なハリケーン・イシドレやリリーの襲来で、ピナル・デル・リオと青年の島で計1万8000戸の家が破損・破壊されたが、リリーでは死者はゼロで、イシドレでも一人が命を落としただけだった。この節の残りでは、災害時に現場で起こる災害対応の重要な四局面を描いてみよう。
2002年10月の青年の島へのオクスファムの訪問からのノート
「まず、私どもは周知段階に入ります」とコンラド・ベニテス協働組合の組合員は説明する。「警報段階に入れば、家畜を高地に移し、女性と子どもを避難させます」嵐が来れば、警告段階で…、ひとたびハリケーンが去れば、回復ステージです」と協力組合の組合員は続ける。「われわれは、ダメージを評価し、クリーン・アップするためのチームを編成します」
青年の島のホセ・マルティ協同組合のコミュニティ・メンバーは、警告や警報段階でやったことについて説明する。中学生全員は寄宿学校から家に戻され、危険な地域に住んでいた全員が避難した。嵐が襲来するはるか以前から、全員が緊急プランによって避難所をすでに割り振られていたのだ。持てる資源を最大限に活用するため、ハリケーンに耐えられるように頑丈に建てられ、浸水するリスクがない近くの住民か親族の家に、可能な限り多くの人々が指定される。この指定された近所の家に行けない人々は、政府の職員によって、たいがい学校になるのだが、避難所に運ばれる。協働組合の管理職は、背中合わせに二度もハリケーンが襲来したにもかかわらず、1,300頭の家畜をいかにうまく高台に協同組合が避難させ、2頭だけしか失わなかったことを説明する。また、協働組合のリーダーは、急速に高めた水位で足留めされた人々を救うために、浸水したクリークを横切って、組合員たちを避難させた。
このインタビューでは、青年の島の主要都市、ヌエバ・ヘロナのムニシピオ政府の代表は、防災対応での役割を説明するため、教育、医療、水資源(水質管理と分配)の地元代表や地元の大規模組織の代表を集めた。例えば、厚生省は、避難所を管理し、医療と物資を提供し、警察はセキュリティを備えた避難所を前提とする。ムニシピオのパン屋は食物を避難所に提供し、人民は避難の重要性を明確に理解し、避難所のプロトコルは省庁間相互の協力を促進する。2002年9月と10月、ハリケーン・イシドレとリリーは、青年の島の電気を断ち、テレビ放送もできなくなった。だが、ムニシピオ政府は、気象研究所や市民防衛の職員、コミュニティのボランティアとが情報を伝達できるよう電話回線とアマチュア無線で連絡網を作り出した。
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ひどく安易に聞こえるかもしれないが、この「スナップ」は、キューバにおける災害対応を取り巻く最も重要なものが、人々の集団協力であることを示す。
よきガバナンスの組み合わせには、教育され、有効で機能するシステムにかかわる国民がある。結果として、信頼感や自覚を促され、こうした構造を用い、それを実践に移すための訓練や資源を手にしている多くの人々がいることになる。
段階1 周知: ハリケーンの72時間前
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| 嵐の前に収穫する農民。ハリケーンやその他の自然災害に島が弱いことが、キューバの農民は、準備と安全の文化を取り入れることにつながっている |
キューバにハリケーンが襲来しそうなこの段階では、ほとんどのキューバ人はラジオやテレビの音声が聞こえる範囲から離れていることは決してない。市民防衛が警鐘をならし、迫りつつあるハリケーンについての情報を系統的に人民にアップデートし続けるうえで主要な役割を果たすのはメディアだ。州やムニシピオ議会の代表は、市民防衛の地元本部長としての役目を果たし、地元の指導力に依存するガバナンス戦略が稼動しだす。彼らは、司令部(コマンド・センター)を組織化し、自分たちの組織体制を活性化する。調整会議を召集し、緊急プランを見直し、その地区の地元住民に準備させる初期対策を講じ、必要となるかもしれない輸送機関や設備を割りふり、責任とタスクを定める。
コミュニティ段階では、革命防衛委員会、大規模組織、ファミリー・ドクター、学校長と諸機関の代表の全員が自分たちの責任をレビューし、各コミュニティで被災しやすい住民リストをアップ・デートし、緊急プランや避難計画を見直し、避難手順や非難場所、供給資材をチェックする。良きガバナンスの「金色のダース」のひとつに、効果的なコミュニケーション・システムがあることを思い出してほしい。
2002年10月にオクスファムが行ったインタビューで、ピナル・デル・リオのある一人の高齢の農民は、子どもだった頃と今日の状況との違いをこう対比している。
「当時は、天候の様子以外には、ハリケーンがくることは何もわからなかった。ラジオがあっても、それが真上にきて、天井を飛ばすまで吹きまくるまでわからなかった」
現在では、全国市民防衛の指示のもと、メディアが、嵐がどのように進歩しているのか、国がどんなフェーズにあるのか、どんな手段が実施される必要があるのか、どこにリソースがあり、国の残りがどう暮らしているか、そして、伝達発表を人々に知らせる。こうした情報のすべては、キューバ人たち全員には身近な防災や災害の言葉で、明確にパッケージされる。市民防衛構造に組み込まれたキューバの無線ラジオ協会の会員は、この段階やさらに進んだ段階で電気が切れる場合に備える。
段階2 警戒: ハリケーンの48時間前
ハリケーンのリスクが高まるにつれ、すべての組織、機関、団体は完全動員に入る。各州とムニシピオとゾーンの市民防衛センターは、それがサービスすることとなる領域ですべてのコーディネートや情報の中心となる。市民防衛センターは、調整会議の場所となり、スタッフが問題に対処し、解決策を作成し、ニーズがあれば資源の分配を指示する。そして、その直上の政府レベルと連絡をとりあう。
センターは、非中央集権型のローカル政府構造を通して、地区に非常時の実行計画を指示する。人々はハリケーンへの準備を本気で始める。すべての学生は学校から家に帰宅する。とりわけ、寄宿学校から戻る。もし、市民防衛が、農業分野や地元の当局と調整し、時間があると判断すれば、ボランティアは、収穫できる作物をすべて取り入れ、家畜を高台につれていく。市民防衛の司令部が避難命令を出せば、計画に従ってリスクが高い人々から避難が始まる。領域の市民防衛の避難の責任者は緊急プランに概説されているよう輸送を動員し、人々は可能な限り自分たちの家を固定する(Castro
2003)。
全員が準備を
「私どもはハリケーン・ホルヘがキューバに襲来した1996年にハバナで暮らしていました。私たちは外国人でしたから、人々は、私たちが何をするかを知らないと想定していました。そこで、私たちのアパートの内外の隣人が次々とやってきたのです。浴槽を水で満たし、窓にテープで貼って、電気商品のプラグを全部抜いて、バッテリーか蝋燭を手に入れ、車庫に車を入れるようアドバイスをしてくれました。アパートの全員がエントリー方法で窓にテープをするのを助けていました。
キューバ女性連盟の地区代表は、調子がどうかを確認するために、「傷つきやすい人々」をチェックしていました。コミュニティの医師は、地区の患者を診察し、予防措置として病院に輸送する人が必要かどうかを決めていました。人々は、彼らの配給をストックし、ろうそくを数え、水と調理用の食料を満たしていました。
「全員が、子どもさえもが、何をしたらよいかをわかっていました」
1996年にハバナで暮らしていた国際救援ワーカーとのインタビュー
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ライフライン構造 ハリケーンが近づけば、ライフライン構造へのキューバの2つの主な有形資産が、地元のリーダーシップとコミュニティ組織を通じて動員される。時宜を得た大規模な避難とよく組織化され、安全で資源のあるシェルターの制度だ。政府のさまざまな部門は協力し、スムーズに避難過程と避難所システムを機能させる。
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| ここに示した協同組合のリーダーは、災害マネジメントの取り組みの主人公だ。キューバの協同組合は、危険に直面すれば、メンバーを避難させる準備ができている |
キューバはどうやって命を救っているのか?
「最も重要な要素は、タイムリーな避難であるように思えます。リケーン・ミシェルでは、1100万国民のうち、約70万人が避難しました。これは、キューバの高配した乗り物、燃料不足、と不十分な道路網を考えれば、これはかなりの功績です」
ベン・ウィスナー博士、「社会主義と嵐。ガーディアン2001年11月4日」
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避難 自分たちの家を出たくないことを認め、避難所への負担を最小にするため、キューバの避難プランは3つの選択枝に基づいている。もし、家族がハリケーンに家が安全であることを認め、浸水する危険性がないならば、彼らは、自宅内にとどまり、嵐に弱いと認められた家からの隣人を中に入れる。もし、人の家にタイルの屋根、ファイバー・セメント(fiber-cement)、または屋根葺き材料があれば、彼らは現場打ちコンクリート(poured
concrete)の家に移らなければならない。もし、こうした選択枝が地区で既に割り当てたならば、家族はグループ避難所に割り振られ、輸送が提供される。馬車の荷車からトラックまで、すべてが、その地区の市民防衛の団長によって輸送のために動員される。団長は、情報を調整し、輸送資源を蓄え、避難を行うよう以前に指定されたさまざまな機関からそれらの人々に指示する。リスクの高い地区にいる人々を避難させるため、輸送のヘリコプターやボート等の必要なあらゆる手段は、この目的のために、市民防衛のレスキュー隊のサービスのときにためにおかれる。
避難が命を救う
「警戒段階で、リスクが高いすべての地域、沿岸部などから家族ははなれます」とカストロ氏はオクスファムのインタビューで語る。「カテゴリー4か5級のハリケーンは5、6階建ての建物を破壊します。私どもの町の外れにあるすべての高い建物から人々を出し、全生徒を呼び戻し、市民防衛は、学校に警告し、生徒たちを迎えにでかけ、家に連れて帰ることを組織化します。生徒が家にいれば、人々を避難させる必要があっても、一緒にいるので家族はずっと冷静なのです」(18)
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避難所 コミュニティの避難所は、しばしば学校か他のムニシピオの建物であるため、あらかじめ準備される必要がある。初めの警報段階では、ムニシピオの非常時供給から水、薬と供給のストックを受け取る。さまざまな省と団体の協力は、避難所ですぐに明らかだ。疫学は点検し、州のパン屋は彼らのために食事を用意し、それらはディレクター、次長、医師、看護師、警察、赤十字の代表によって配置される(Cuban
Red Cross 2003)。
人々が彼らと協力するため、これらの2つのライフライン構造(避難手順と避難所)が、命を救う。避難チームと避難所が確立されると個人を訓練できる。人々が避難のために教育されないなら、彼らが政府を信頼せず、どの避難所に行くかを知らず、彼らが協力せずに命が失われる。キューバのライフライン構造の成功した実施は、有効に有形資産を利用するためにソーシャル・キャピタルを確立する重要性を示す。
コミュニティの医療部門の役割
厚生省の事例は、いかに緊急対策が、それらの役割と特殊責任に従って、組織化され、省をこえて密接に調整されるかを例証する。この水平で垂直なコーディネートが、人々とリソースの最適な使用をし、人々の仕事と非常時対応でのその役割のつながりを強化している。厚生省は、緊急と臨床ケアで、病気の予防、衛生疫学手段の担保、病院への明確な指というマルチな訓練上のアプローチに保証するために全国市民防衛とキューバ赤十字と調整する。
警告段階が発表されればすぐに、すべての医師がその人の割り当てられたポストに報告する。さまざまな病院は、が特定の近所に配属されているファミリー・ドクターとともに、それらの地区本部として機能する。この間、避難所に割り振られた医師は、医療品を蓄えて、その状態について確かめるためにそれらを点検する。女性連盟の代表と地方のDCNの下でCDRの避難委員会と調整して、ファミリードクターはその地区に送られる。家庭の患者について検査して、コーディネートで避難を助けるためにだ。同時に、病院は、非常用のストックと電源を組織化して、それらのスタッフ適用範囲を保証する。塩素錠剤は、ハリケーンの間、有用性に飲用水を保証するために厚生省を通して被災民に分配される。
青年の島のローカル政府との2002年10月のインタビュー
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| 豚もすべて 民間防衛は避難を行うことについて非常に良心的だ。ホセ・マルティ協同組合のメンバーは、農民がその家族を避難させたケースを引用するが、滞在して、ハリケーンから彼のブタを保護することに決めた。氾濫への警告があり、民間防衛チームは彼を連れ戻そうとしたが、彼は立ち去ることを拒否した。浸水し始め、カンペシーノは、彼のブタとテーブルの上にいった。そして、彼は屋根にブタに乗せなければならなかった。市民防衛は、頑固な農業者を避難させるためにボートを送った。彼は、ブタも避難させないならさらないとレスキュー隊に言いました。彼は、彼が最後に入る前に彼らが各ブタをボートにひとつずつと主張した。 |
段階3 警告:ハリケーンの持続中
ひとたびハリケーンが国土にあり、その影響が感じられるようになれば、国は警告段階に入り、完全な災害の対応手段が実施される。メディアは、情報やオリエンテーションを放送し続け、市民防衛センターとの通信を維持し続けるよう最善を尽くす。嵐が続いている間は、全員が避難所の下にとどまることを強いられる。嵐が続く間は、市民防衛とローカル、ムニシピオ、州の機関の代表は、そのポストにとどまり、必要に応じて行動し、もし、必要ならば、アマチュア無線を通して州と国の市民防衛司令所とのコンタクトを維持する。
段階4 復旧:嵐の後
ハリケーン・リリーの2週間後、ヘロナの通りの残骸は片付けられ、ムニシピオ政府は、医療スタッフと疫学部が、病気のコントロールを制御できたことを私たちに知らせた。次に、ほとんどの居住者は飲用水に近づく手段を持ち、彼らのコミュニティまでトラックで運ばれた。それらの家がまだ住めなかったため、多くの人々がまだ避難所にいたが、人々はいたる所で働いていて、マットレスを乾かし、再建の材料を回収し、島のインフラを再建するために働いていた(19)。
嵐がいったん国土を出れば、復旧段階が発表され、ローカルと州政府のリーダーは、市民防衛の責任者としての役割で、被害かさらなる損害につながるどんな構造やインストールにも焦点を合わせ、クリーンアップのためのチームを動員し始める。応急手当は、水質浄化、分配、サービスの復旧を含む安全な飲料水の確保に向けられる。
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| ハリケーンのダメージに対応するための地図を示す州の科学・技術・環境省の職員 |
避難所にいる人々が帰宅できる前に、市民防衛はまず構造的な保全について建物を調査する。ローカル当局は、その領域での各ビルと住居へのダメージのセンサス調査を実施する。このセンサスは、ムニシピオから州まで構築され、次に、全国的になり、修理とリハビリを最優先させる基礎として用いられる。経済的損失、農業災害、他の損害インディケータを計算するため、別の同時のセンサス調査もなされる。市民防衛は、海外投資協力省(MINVEC)とハリケーン被害のための国際協力と援助に関係するすべての件で調整する(Castro
1994)。
エリアがクリーンアップされ、サービスが復元されると、この最終的な非常時の段階はだんだんゆっくりとなる。全国市民防衛の司令部は、非常通報システムの非活性化を首相に提案する。一度承認されれば、全国市民防衛は非常時の終了と、首相による承認で正常な意志決定の過程に戻ると発表する。どこでも、可能であるところでは、州、ムニシピオ、そして、ローカル当局は彼らの毎日の管理義務に焦点を合わせ、より長い回復手段を国家構造に組み入れる。
キューバから米国が学べる教訓
米国では、タイムリーに大規模な組織だった避難によって、多くの命が救えるかどうかは疑わしい。米国災害コントロール・センターの2000年5月5日付の「死亡率と移動」というウィークリー・リポートの情報によれば、1999年のハリケーン・フロイドでの52人の死者のうち45人、2003年のハリケーン・イサベルで報告された24人の死者のうちの18人は以下の3つの問題のひとつで命を落とした。
- 人々は不十分な構築物(トレーラ)を避難所とし、それは、ハリケーンで破壊・破損した
- 人々はおぼれたが、多くが車内だった
- 人々は避難が遅れ、交通地獄の渋滞で交通事故死した。
こうした死亡は防げたかもしれないが、国においては、自治体は避難について国の意志決定に応じることは強制されない。各自治体には、独自に避難決定を権限がある(Kim
2002, 3)。だが、決定がなされても、市段階には実施能力はまったくない。これとは対照的に、キューバでは、ひとたび国家市民防衛がそれを示せば、傷つきやすい領域からの大がかりな避難が警戒段階から始まる。政府には、トレーニングや緊急プランに基づいて避難を指示する権威がある。ライフライン構造や準備活動への住民参加の重要性を教育していることが、緊急手段を人々が遵守する重要な要素となっている。
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どの国であれそうなのだが、災害復旧は、キューバでも時間もかかるし複雑だ。おまけに、経済危機の影響と米国による経済封鎖とがあいまって、塩素から釘までの材料確保で影響をうけ、資金調達や輸送に遅れがでるキューバでは、これがとりわけ難しい(20)。以下は、キューバの災害復旧を段階的に描いたものではないが、災害復旧やその脆弱さにおける格差の影響を減らすキューバの制度や再建をかなり容易にするそれ以外の制度面で鍵となる要素を示す。
以前にも論じたように、サービスに普遍的にアクセスできるキューバの制度が、人々の脆弱性や人口の脆弱性の格差の双方をかなり減らしている。これが、ハリケーンの被害から復旧するうえでのハンディキャップの影響がより少ないことにつながっている。ミレン・ウリアルテ博士は、「Cuba: Social Policy at the Crossroads, Maintaining Priorities, Maintaining Practice」の中で、「ぼろぼろにもかかわらず成立している」とキューバの社会的・セーフティ・ネットを分類しているが、本質的には、このことが、全体的な資源不足でサービスが影響を受けていたとしても、キューバ人たちが奈落の底にはめったに転落しないことを意味している。というのは、サービスが普遍的に提供され、人的資源が豊かな制度の中にいるからである。危険な影響を受けるときに、人々がサービス・システムに入るのではない。彼らは既にシステムの一部なのだ。被災者が誰であれ、システムの中では既知であり、だから、フォローされることになる。そして、そのサービスは、医療、教育、そして被災した作物の保険まで及ぶのだ。
災害復旧で誰もがたいがい経験するのとはあまりに異なり、キューバの社会的な一体感は、ハリケーンによって損なわれるよりも、むしろ強化される傾向がある。材料が入手に基づく、復旧サービスへのコミットメントやキャパシティがある。人々は基本的に政府のこのコミットメントに期待している。1990年代には、経済危機によって被害資産の改築工事でかなりの遅れがでた。家を失った人々や家族や友人と同居できない人々は、家が修理されるまで政府避難所に住むよう割り当てられた。ハリケーン・ミシェルの後には、すべての家が修理されるまで、再建用に基本的には政府は、国の建築資材の生産のすべてを、破損住宅のそれに振り向けた。
「ここには多くの経験と多くの連帯感があります。人々は本当に助けあい、それが大きな違いを生み出しています。大規模な参加があり、ハリケーン・ミシェルの後には、全員が清掃作業を手伝い、トラックがすべてを運び去り、4~5日間で、都市のクリーン・アップ作業がなされました。全員が修理と再建に打ち込んだのです…。私どもは他の人々のことを考えるよう教育されています。そして、全員のことを考えます。これは人民を保護することです。連帯が、このすべての鍵なのです。ですが、これは完璧ではありません。ですから、私どもはそれで前進する必要があるのです」
2003 年3月、シエンフエゴス、地方自治体の代表
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| 復旧での市民参加は、キューバ・モデルの中心となる概念だ |
連帯 絶えず資材が不足している中で働いているため、キューバの人々は、災害時にはすばらしい連帯感を示す。ハリケーン直後、人々は影響を受けた地区の被災者のために衣服を集め始める。2002年10月、ハリケーン・リリーとハリケーン・イシドレがピナル・デル・リオ州の何千軒ものタバコ納屋、電動設備、住居を破壊したとき、何百人もの大工や電気技術者が、ボランティアで州を支援に他の地区からやって来た。彼らは、タバコ納屋を再建し、電気サービスを修理するのを助けた。そして、ボランティアたちが、同州を支援している間には、ボランティアたちの本来業務は、各職場で同僚たちがわかちあっていたのだった。ピナル・デル・リオ州では、州政府が、ボランティアたちに食事や住居を提供した。こうした連帯感は、国内にある人的資源を最大限に活用し、普通は関係する場所には旅をできない人々を、貢献という形で直接結びつけ、様々な領域からの人々の間に絆を作り出している。
動員 コミュニティのクリーン・アップや復旧作業がされているとき、コミュニティでの仕事のために動員できるというキューバ人たちの経験や専門的技術は、この復旧段階ですぐに明らかとなる。キューバでは、政府が主な雇用者であり、復旧を担当するために、様々な職場から、その本来の仕事を残たままで、地区のクリーン・アップなどのように災害復旧のためのタスクを各従業員に割り振れるのだ。
生産上の損失も個人的ではなく、政府が負担する。もちろん、こうした損失は、全国民に雇用、サービス、利益を提供する政府の能力に影響はする。とはいえ、少なくともひとつの小さなメリットがある。ハリケーンで受けた物理的な損失は、多かれ少なかれ、全国民の中に等しく薄められるのだ。
「フィデルが、このすべての家を再建しようと言い、我々はやった。どの家も電気や浴室があり、良い堅固な家だった。各コミュニティには所有権を家に与える行為があった。我々は修理し、3万3000軒を再建した。すべてが2001年のハリケーン・ミッシェルで破壊されたり破損されたものだ。資材が問題だった。様々なビジネスは、労働者や国を通して手に入った資源を彼らに送った。職場もボランティアや物資の輸送で支援し、いくつかの職場は、その従業員が彼らのために働けるよう、金銭を支払いながら、送ったのだ」
2003 年3月、シエンフエゴス、市民防衛代表
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キューバの制度がいかに復旧力を強化しているかは、その開発モデルで説明したが、このことは、公平さと脆弱性との相関関係ということを再度想起させる。キューバの開発モデルの目標は、ベーシック・ニーズのサービスに全国民が普遍的にアクセスできるようにすることだ。これは、災害時にとても金銭をかけることとなる、典型的な格差、脆弱性の不公平さ。そして、回復支援を受けられるかどうかという格差を減らしている鍵だ。貧しい人々は災害に見舞われると、たいがい、ダウンスパイラルで落ち込んでいくのだが、キューバの経験は、格差を減らす政策が、それを減らすことに向けた第一歩であることを示している。
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