2005年11・12月 本文へジャンプ

ハリケーン・ウィルマでハバナ浸水

ハリケーンに襲来されても人災なし
ハリケーン・ウィルマでベダドの高い地区に移動する母親と娘

 ハリケーン・ウィルマは、歴史的に記録を破り、歴史メーカーだった。数時間で熱帯暴風雨からカテゴリー5級のハリケーンに拡大して、それを公式上どんな嵐の最も速い激化にもした。

 10月23日にキューバをかすめたときには、6mもの激しい波が沿岸をたたき、約800mも内陸まで浸水し、カテゴリー3まで沈静化しても、送電施設を壊し、屋根を拭き飛ばし、ハバナの数地区を見る影もないほど浸水させるほど強力だった。

 にもかかわらず、死者はなかった。それ以外の領域で、ハイチ12人、ジャマイカ2人、ユカタン半島8人、フロリダで5人が命を落としたのとは対照的だった。

 ウィルマやさらに大型の嵐でも、キューバでほとんど人命が失われていないことは、デザインによる。効率的で、有効で、モデルにもなると国際的にも認められ、その防災システムは、早期に、かつ、何度も提供される的確な情報が、一連の連携した対策とあいまって、人命を救えることを立証している。

キューバ当局は、予報が重要な役割を果たすことがわかっている。熱帯暴風雨かハリケーン襲来すると予想される96時間前に、国家予報センターは、初期警報(Early Advisory)を発する。その後、72時間前に周知段階があり、全メディアが嵐の軌道と進展についての特別リポートを始める。この段階で、人民たちはハリケーンの襲来に備え始め、これまで数年間で学んできた対策を行う。飲用水を確保し、非腐敗性食品を仕入れ、家のドアと窓を固定する。この段階では、市民防衛の職員も、災害プランを見直し、更新し始める。

 キューバは、ハリケーン警告 (襲来が予想される48時間前)とハリケーン警報(24時間前)として、初期の警報と周知段階を用いる数少ない国のひとつだ。

 国家予報センターのホセ・ルビエラ博士によれば「私どもが、ハリケーン警報を発するときには、ほとんどすべてが備えられています」という。

 嵐が回転するため、風速が時速約64キロに達すると、電気は切られる。ハリケーンに関連する共通の死因となっている、切れて地上に垂れ下がった電線による感電死を防ぐためだ。ハバナ市民の中には、移動が遅いウィルマに際して、電気が早く切られすぎた、と不平をもらした者いた。激しい風があたる何時間も前から電気なしに残されたからだ。にもかかわらず、彼らは、警戒は必要だと語った。

避難するか、それとも・・・・
浸水地区から小さなボートでの専門チームによって外まで運ばれる避難

 キューバの避難は、妊娠女性や高齢者から、標高の低い村の住民まで、傷つきやすい人々を最優先させており、重要なことに、こうした避難には乗り物が提供されている。例えば、ウィルマでは、ハバナ州の南海岸のプラヤ・ロサリオの海辺の全集落が安全な地区に移動しなければならなかったため、町民を避難させるために何十台ものバスがやってきた。嵐が立ち去ると、113戸のうち、3戸だけが立ったまま残されていたが、どんな死傷も報告されなかった。

 海外からの観光客からの収入に大きく依存するこの国にあっては、旅行者の避難も防災プランの主要な要素だ。ウィルマでは、海辺のホテルとリゾート地から1,000人以上が内陸に動かされた。MEDICC Reviewのスタッフは、1軒のハバナのホテルから避難を目にした。英語とスペイン語で、どこに向かい、どうなるかについて説明を受けて、避難民は外に案内されていた。観光職員は、嵐の影響は増え、1カ月内外は続くと評価する。

 だが、災害が迫る前からの避難は、トリッキーな方程式でもある。だれも自然か潜在的な盗みで家を棄てて逃げたがらないからだ。他の場所のように、キューバにおける避難も自発的だ。それでも、政府はより実用的にするためにいくつかの革新的なサービスを提供している。テレビ等の家庭の貴重品用に倉庫スペースを設けて安全な避難を保障し、ペットのためにも避難所を設けているし、震災時の避難場所には、医療、食料、水も確保されている。

 だが、あるものは、警告に耳を傾けずにとどまろうとする。そして、ハリケーンが襲来して、より危険な状況の中で、避難するのだ。

 ウィルマでは人命こそ失われなかったものの、多くの家は幸いではなかった。キューバ西部の沿岸地域では悲惨な氾濫で、深刻な損害がもたらされ、海面が高まり、ハバナのマレコンの海辺の道路まで海水が注ぎこまれ、プラヤ、セントロ・アバナ、アバナ・ビエハ、そしてベダド地区を池にした。10月24日にこうしたストリートは、膝までの高さ、ある場所では、肩の高さまで水だった。3万1000人の住民が自分たちの持ち物を手に避難した。

 警告があったにもかかわらず、多くのものは、「驚かされた」と口にした。というのも、これほどの浸水は、1993年の「一世紀の嵐」以来、ハバナでは目にされてこなかったからだ。ボートで妻と一緒に避難するようになった、ベダド5番街とE通りのある居住者は、隣の家の2階に貴重品を移す最中だった。

「隣に運ぶのと同じほどほど早く水がやってきました」

 乾いた地面に渡ったすぐ後に、こう語った。

「3人の子どもはすでに友人の家にいて、今、それを聞いたところです。水が引いて、家に戻れば、ひどいものでしょう」

 当局への目前の課題は、貯水槽が海水に浸されたため、飲料水が汚染されたことだった。保健所のスタッフが、貯水槽から海水をかい出し、淡水で洗い流して、塩素消毒をしていたが、嵐の後には、ハバナの周囲の家庭に飲用水をポンプで送っているトラックが見にできた。その数日後には、医療チームが戻って、汚染がないかどうか貯水槽をチェックしていた。

 現場は、ベニスにも少し似ているが、ゴンドラの代わりにレスキュー隊がをボートをこいでいる。当局はレスキュー隊を調整したが、運河と化したストリートは、警察によって交通遮断された。

「私どものグループのメンバーには何人かお年寄りもいます。まだそこにいるのです」

 リネアとK通りの角に立ち、向こうの浸水した地区を示しながら、ウィリアム・ケアリー・バプテスト教会のエステラ・ヘルナンデス牧師は言う。牧師は、もし、必要ならば、それ以外の他の避難民がいる彼女のベダドの教会の避難所で安全になることを待っている。

 ある場合では、医師たちは浸水した地区にボートで往復し、キューバの赤十字は、パセオとリネアのストリートの交差点に移動病院を建てた。

 喘息に苦しむ人々が特別に懸念されたが、浸水地区の中心にあるカミロ・シエンフエゴス病院の救急治療室に勤務する医師は、数人の喘息患者は診たが、負傷者はわずかしかいなかったと語る。

 帰宅するものにとっては、残骸は悲痛だった。

「これは、もう困難なんてもんじゃありません」

 膝の高さまで海水に浸かり、荷物が浮かんだアパートを目にして、セントロ・アバナのコロンに住むエンリケ・アスバレス氏は語る。

「ここまで水が入るとは誰も考えませんでした。隣人が入って、いくつかを取っておき、私は、救えるものを救うでしょう」と映画制作者でもある氏は語る。

 都市の建物の完全な被害は、時とともにはっきりするであろう。というのも、専門家によれば、多量の水と塩分で既に痛んだ建物をさらに劣化させるからだ。

嵐の教訓

 水がいったん引けば、キューバではOperation Auroraと呼ばれる、災害マネジメント計画での復旧段階に近づく。そして、その先の清掃作業は重要だ。被災地での大規模なボランティア活動が、その業務を緩和し、浸水した住民は、政府から食料、新たなマットレス、テレビ、そして、ファンを提供される。医師と看護しはチームを組んで、各家庭の健康診断にまわる。

彼の妻といくつかの所有物を持ってボートで避難する5番街とE通りの住民「水が引けば、戻って損害を見ます」

 だが、防災のプランナーや国の医療や防災当局の仕事は終わらない。ハリケーン後には、嵐で得られた教訓を分析し、次に備えるため、その知識を総合的な戦略に折り重ねる時間となるからだ。最近の評価は、2004年の8月にキューバ東部に襲来したハリケーン・デニスがされている。

 キューバでは1996年~2002年まで16人がハリケーンで命を落としたが、厳しい査定からは、市民防衛コーディネータに即座の対応が多すぎることが明らかとなった。傷つきやすい領域からの避難の少なさ、避難所として不十分な建物が用いられたこと、そして、不十分な食料供給だ。確かに、ハリケーン・ウィルマの教訓は、激しい氾濫の影響、沿岸帯の早目の効率的な避難、そして、このような動きが遅いハリケーンに対する様々なリスク・マネジメントのアプローチに重点がおかれるであろう。とはいえ、いつもキューバの防災戦略を決めているひとつの教訓は、人命保護が最優先ということだ。

ハリケーン・ウィルマの概要
持続風速は67mph、最大風速86mph
避難者60万7,542人(友人か親戚の家が53万7200人以上、残りは避難所)
避難所数1,325
高台に移動した家畜41万3,850頭
動員されたボランティア10万3,000人


 Conner Gorry, Hurricane Wilma: Living to Tell the Tale, MEDICC Review, No. 9, Nov/Dec 2005.