ハリケーンの農業被害
わずか3週間(2008年8月18日から9月9日まで)に島国キューバには、熱帯暴風雨フェイ、ハリケーン・グスタフ、アイケと三度も襲来した(地図1)。様々なキューバの情報源によると、これら嵐の影響は、キューバ史上、物質的に最大の破壊的な気象災害と記述されている。このリポートは、三度の嵐で引き起こされたキューバ農業の被害を評価する。
2008年8月16日の午後、嵐で荒廃したハイチに大規模な氾濫を引き起こした後、熱帯暴風雨フェイは毎時40マイル(mph)の風速でキューバ南東に近づいていた。その後30時間、嵐は風速約15mphでキューバ南部海岸に並行して西北西へと動き、風速は50mphと強まった。8月17日夕方、熱帯暴風雨は北側へ回わり、8月18日の早朝、50mphの風速を残しつつ、キューバ南岸のマタンサス州のピッグス湾の近くの人口が乏しいサパタ半島を超えて移動した。
嵐は北に向きに変わると、前進速度が約10mphと遅くなった。動きが遅いため、いくつかの地域ではかなり降雨量が累積した。キューバ政府によれば、局所的には豪雨は18インチと同じほどだと報告している。いくつかの河川やクリークは水が溢れ、道路、高速道路、低地で浸水を引き起こした。突風は66mphと報告された。
この嵐の降雨と風で、住宅やインフラ、そのほとんどが屋根で被害を受けた。キューバ中央部の北部にある主要な柑橘類産地、ハグウェイ・グランデでは浸水や根ごと樹木がなぎ倒される等、農業被害も報告された。しかし、嵐の影響範囲は一般には中部に限られた。
8月18日の朝遅くには嵐はキューバ北部海岸から首都ハバナの東側、カルデナス近くまで動いた。これは過去4回、熱帯暴風雨が、フロリダに上陸した経路である。しかし、最も激しい降雨や風は嵐の東側であったことから、首都ハバナは最悪の影響は免れた。
2008年8月30日、ハリケーン・グスタフは145mphの風速で、カテゴリー4のハリケーンとしてキューバ西部に襲来した。これは、過去キューバに襲来した中でも最強のハリケーンのひとつで、報告された212mphの突風はこれまで記録された中でも最も早いものであった。
グスタフは、8月26日に、まず75mphの風速でカテゴリー1のハリケーンとしてハイチを叩いた。カテゴリ1のハリケーンの風速は74~95mphである。ハイチに上陸するとまもなく熱帯暴風雨へと弱まり、この強さを維持しつつ、ハイチ海岸を去り、南西方向のジャマイカへと動いた。8月28日と29日に熱帯暴風雨は、ジャマイカ上を移動し、ジャマイカの海岸を去った後、強度を高め、ほんの24時間余りで熱帯暴風雨からカテゴリー4のハリケーンに勢力を強めた。そして、西北西へ移動し、キューバ南西部に地下図いた。カテゴリ4のハリケーンは、風速が131~155mphあり、一般に13~18フィート以上の関連した沿岸高潮がある。キューバ当局は、グスタフで予想される風、雨、高波を予測し、キューバ西部沿岸や低地域から40万人以上を避難させた。
グスタフは、まず、人口約8万7000人の青年の島をたたき、激しい洪水と強風で被害を引き起こした。キューバのリポートによれば、島の住宅の80%がこの嵐でダメージを受けたか破壊された。島の市民防衛のチーフは、すべての道路が水で洗われ、島内の配電線はほぼ完全に破壊されたと指摘する。
青年の島の農業生産は、重要な柑橘類の他、主に地元市場向けである。キューバ政府は、グスタフの強風、豪雨、氾濫によって島全体の柑橘類や加工施設が破壊されたと報告している。さらに、島の家禽生産の80%もダメージを受けたか破壊された。
次にグスタフは、バタバノ)湾を急速に超え、ピナル・デル・リオ州南部の町、ロス・パラシオスに上陸した。同州の幅は狭いが、嵐は数時間でこれを横切り、ラ・エスペランサ町の近くの沖合へと動いた。しかし、この強力なハリケーンはかなりの被害を残した。
キューバ政府は、ピナル・デル・リオ州の総住宅ストックの45%以上に及ぶ12万戸以上の家屋がダメージを受けたか破壊されたと報告した。ロス・パラシオス町のリポートによれば1万3000戸のうち1万戸がダメージを受け、うち6,000戸は完全に破壊されている。サン・クリストバル町の近くでは1万1000戸の家屋が嵐でダメージを受けたと報告されている。
ピナル・デル・リオ州の被害の指標として、キューバの電気組合の職員は、州の全配電線が影響を受け、150の高圧線の鉄塔が風で崩れ、全システムが再建されなければならないと報告している。また、当初被害ではピナル・デル・リオ州とハバナ州で500以上の学校が被害を受けたとされている。その後の新たなリポートでは、キューバ西部と青年の島で1万3070haの根菜類、2,931haの粒類grain、543haの果実を含め、5万5700haの作物が破壊された。さらに、877の有機菜園とそれ以外の392の集約農業サイトも影響を受けた。リポートによれば、2万5900トンの農作物が破壊され、1,200トンの農作物がダメージを受けた。さらに、4,355トンの備蓄食料も嵐でダメージを受けたり破壊された。グスタフは18万haの再植林地にもダメージを与えたと報告されている。
ピナル・デル・リオ州は、キューバ最高のタバコを産地である。キューバ政府の役人による当初のリポートでは、格納されていたタバコ葉1,800トン以上(2007年の全生産量の約7%)がダメージを受けたとしているが、その後のリポートによれば、格納されたタバコ葉のうち800トンは完全に破壊されていた。キューバ政府は、タバコ乾燥小屋や貯蔵場所では3,414が破壊され、1,590がダメージを受けたと報告している。圃場で育つタバコは、風雨で激しい損害を被った。このことはキューバの食料供給には影響しないとはいえ、短期的には葉巻の輸出が落ち込み、食料や建設資材を購入輸入するために資金が必要なこの時期に、キューバの外貨獲得力を下げ、ハリケーンからの回復の制約となろう。
また、柑橘類の樹木や加工施設でもピナル・デル・リオ州とハバナ州では多大なダメージを受けた。完全に熟したか、ほぼ熟した果物のほとんどは、カテゴリー4のハリケーンの風であおられ、ほとんどの果物が落ちた。また、多くの場合、樹木にもダメージをあたえ、いくつかは根からなぎ倒された。
また、リポートによれば、ロス・パラシオスにある、ピナル・デル・リオ州全域に供給している米の処理施設も嵐で甚大な被害を受けた。格納倉庫の屋根のひとつが吹き飛ばされ、ストックしていた米の25%以上が失われた。砂糖や米は一般的には野菜や作物よりも激しい風雨に耐えられるが、激しい浸水では作物は破壊される。グスタフの経路に沿った砂糖や稲は、かなり被害を受けたと予想される。
コーヒーはキューバ西部のロサリオ山地内でも生産されている。国営ラジオは、コーヒー収穫がグスタフの襲来時にピークのシーズンで動いており、嵐によりその領域でのコーヒー被害が非常に深刻だと報告している。
また、リポートは、嵐で最も直接影響を受けたピナル・デル・リオ州の養鶏業の100%が8つのムニシピオで大きな打撃を受けたとしている。
キューバは細長く、比較的狭い島で、西端から東端まで1240キロ以上、最も幅広い場所では190キロ、最も狭いところは29キロの幅しかない。ハリケーンは、一般に北側のベクトルで襲来し、そのため、島の最も狭い幅を超えて動く。しかし、アイケはキューバの全長に沿って東から西まで動いたため、国土の約2/3にハリケーン級の風が吹いて、キューバ諸島全体に熱帯暴風雨風と豪雨をもたらした。
ハリケーン・アイケはまず、2008年9月8日の早朝、キューバ東部のオルギン州のバネス市近くのプンタ・ルクレシアでキューバに上陸した。キューバに近づくにつれ、ハリケーンはカテゴリー4の強度に達したが、上陸する寸前には、豪雨を伴いカテゴリー3のハリケーン(風速111~130mph)へと弱まった。アイケは、とりわけ強い高波があり、キューバの北部沿岸に沿って沿岸地域で激しい氾濫を引き起こした。ハリケーンは20フィートの波をキューバ東部にもたらしたと報告される。国営テレビは、ハリケーンが上陸した地域の近く、東部バラコア市の沿岸近くで5階建てのアパートの上にも押し寄せた波が飛び散っていることを示している。
ひとたび上陸すると、アイケはカテゴリー2の強度(96~110mph)へと勢力を弱めた。9月8日には西側へ移動し、カマグウェイ州カマグェイ市の南西部プンタ・マクリヘス近くで正午頃のキューバの南海岸から去った。その後、嵐は、キューバ南中央の海岸線に沿った沖合を西北西の方向へと動いた。嵐の目は沖合であったが、強風と豪雨を含め、嵐の北東部の四分円は、キューバ島の上をこの経路で直角に移動し、中央部のすべてにハリケーン級の風と集中豪雨を持たらした。
翌日の昼、9月9日にアイケは、カテゴリー1のハリケーンとして、ピナル・デル・リオ州のサン・クリストバル町近くのプンタ・ラ・カピタナで西キューバで土地に向かって横断した。これは、ハリケーン・グスタフがほんの9日前にキューバを叩いたエリアに近かった。約6時間後、嵐は再びグスタフが沖合へと動いたほとんど同じ場所で沖合へと動いた。アイケが非常に大きい嵐であったことを指摘すべきである。3日後、9月12日に、ハリケーンが、米国海岸を打つのを準備していたとき、衛星画像は、アイケの雲と雨の外側の帯がいまだに半分、キューバ西部をカバーしているのを明確に示していた。
キューバには、世界の最もアクティブで効果的な緊急対応システムのひとつがある。ハリケーンの脅威があると、キューバは、大規模な避難を動員できるのである。キューバのプレスは、全国民の約25%に及ぶ約270万人がハリケーン・アイケに備えて避難したと報告した。このハリケーンへの備えと大量の疎開のため、ハリケーンによる死傷はキューバでは極めて低い。しかし、こうした準備にもかかわらず、キューバのプレスは、ハリケーン・アイケで7人の死者を報告した(熱帯暴風雨フェイとグスタフでは死者は報告されなかった)。
ハリケーンや熱帯暴風雨によるキューバの被害にちての包括的な公式の詳細は得ることが難しく、これはアイケにもあてはまる。全国で電気や通信連絡システムが大規模に破壊されたことを考えれば、これは驚くべきことではない。しかも、あらゆるレベルでのキューバ政府の役人やキューバ人たちは一般に、ダメージを記録するよりも復旧作業の方により興味を持っている。国際プレスの損害リポートはかなりばらつくが、特定の数値や矛盾する報告を以上に、キューバのグランマ紙が報じているように、キューバにとって、グスタフとフェイとあいまったアイケのダメージは壊滅的なものであった。
グスタフは、キューバ西部の細長い帯状の領域で12万戸以上にダメージを与えたか破壊したと評価される。リポートは、さらに32万4000戸の家屋が島全体でアイケによってダメージを受けたか、破壊されたと評価する。うち、6万3000戸以上の家屋は完全に破壊されたと報告されている。キューバ政府は、20万人以上がこれら家屋のダメージのため住宅を失ったことを認めた。破壊された家屋が取り替えられるまでは、長期にわたり、避難所にとどまらなければならないであろう。それ以外の何十万人もの人々も、やむを得ず高価な修理で自分たちの家を完成するのを待つことを強いられている。
グスタフの強風と豪雨はキューバ西部に集中的な被害をもたらしたが、アイケの経路は島全体で風や氾濫による多大な損害が確実となった。アイケによりいくつかの地域では最大48ミリの降雨が報告され、ピナル・デル・リオ州のラス・テラサスでは38ミリ以上の雨が24時間で報告された。250~300ミリの降雨量の報告がキューバの多くの地域では一般的であった。こうした豪雨で引き起こされた低地での河川やクリークの洪水、そして、低地での集積に加え、87のダムと貯水池があふれたと報告され、こうした構造物の下流でさらに氾濫を引き起こした。
キューバの政府の報告書は、アイケにより、キューバ東部で4,000トンの食料が失われたかダメージを受けたことを示す。ビジャ・クララ市だけで、180の地区の食物配送センターと貯蔵場所がその屋根の一部かすべてを失った。
キューバ政府は、サトウキビ全体と精糖産業がアイケで多大な損害を受けたと報告する。 政府の公式報告は、ハリケーン強風で15万6600haのサトウキビがなぎ倒され(この損害の用語は「lodging」)、51万8879haのサトウキビが浸水した。浸水したサトウキビは救済されるだろうが、新シーズンの収穫は数カ月は始まらず、収量はダメージを受け、収穫はより困難となろう。水が速やかに排水されなければ、収量に害を及ぼすため、氾濫も深刻な問題だが、どれほど早く浸水した圃場が排水できるかについてのどんな情報も利用可能ではない。また、レポートは、降雨と氾濫で新たに植えられた3,895haのサトウキビが失われたことも示す。いくつかの地域では、サトウキビが地面から洗い流されるほど深刻な状態である。砂糖省は、今年のサトウキビの約50%がハリケーンのため失われるかもしれないと述べている。
ダメージは、精糖業のインフラでも大きかった。キューバ政府は、150の産業用の鉄道施設と同様に115の精糖工場が被害を受けたと報告した。報告によれば、132の倉庫がダメージを受け、少なくとも4万トンの格納された砂糖を浸した。砂糖省は、砂糖プランテーションの690キロ道路、精糖工場とプランテーションをつなぐ14の鉄道や道路橋が嵐で流されたとしている。
製糖産業が構造改革の一部としてある程度回復しつつある時、このすべてがもたらされたのである。キューバは、1980年代後半には世界最大の砂糖輸出者で、年間約800万トン以上の砂糖を生産し、ブラジルとインドにつぐ3番目の大産地であった。だが、1990年代に製糖業は厳しくなり、キューバ砂糖生産は2000年には約100万トンまで低下し、国内需要に対応するため、砂糖を輸入すらしていた。構造改革は2002年に始まり、リポートは2007/2008年には収穫が150万トンに達し、砂糖輸入の必要性を排除したことを示す。2008/2009年のシーズンの砂糖生産は2007/2008の生産量を約25%上回ると評価されていた。
しかしながら、ハリケーンの被害は、今度の収穫のためのその後の成長ができず、その後の季節での減少をもたらすかもしれない。
政府が米の大量輸入のニーズを減らすため米の生産量を増やそうと試みているとき、水田の洪水が米生産に有害に影響すると予想される。強風により多くの地域でバナナと食料バナナに大規模な損失があるとプレスでは特別に述べられている。リポートは、グアンタナモ州で20万のバナナと食料バナナの損失、グランマ州のラグナ・ブランカで15万本の損失、ビジャ・クララ州でのバナナと食料バナナのエリアの80%、そして、ビジャ・クララ州の他の作物の70%の損失を示している。別のリポートは、パパイア、キャッサバ、野菜、マメ、トウモロコシ、サツマイモを含め、それ以外の1万haの作物と共に東部の州で3万2305haのバナナと食用バナナの損失を示している。
アイケはキューバの重要な三カ所のコーヒー産地に影響を与えた。東部のシエラマエストラ、中部のエスカンブライ、西部のロサリオ山地である。キューバのコーヒー収穫のピークは9~12月であることから、今年の収穫では、全国でコーヒー生産の損失が深刻と報告されている。最も影響を受けなかったエリアでさえ、風害でダメージを受け、コーヒの約10%が破壊されたと報告されている。同じ割合のコーヒーも、直ちに収穫する必要があり、あるいは失われるであろう。リポートは、キューバの中央部のコーヒー生産地域で約50%が失われたかもしれないと述べている。コーヒーは東部のグランマ、グアンタナモ、オルギン州の多くの重要なコーヒーを生産ムニシピオで完全に失われたと報告されている。
キューバ政府は、道路をきれいにし修理し、コーヒーの落ちた樹木を取り除き、地面にちらばるコーヒー豆を集めて加工処理し、残された作物を収穫するため学生や農業労働者を山岳地のコーヒープランテーションに送ると報告している。しかし、コーヒー・プランテーションへのアクセスが困難なため、進歩は遅く、アイケによって、収穫用の労働キャンプ、加工施設、乾燥機は大きく被害を受けた。キューバのコーヒーのほとんどはプレミアム市場に輸出されていることから、作物の損失でコーヒー輸出による外貨収入は減るであろう。
キューバの柑橘類は、8月に熟し始める。全国の熟した柑橘類のほとんどが木から落とされたか樹木の多くが強風でダメージを受けたか破壊されたと予想される。農業副大臣は、アイケで13万5000トン以上の果物が破壊されたと報告している。リポートは、5万トンの落ちたグレープフルーツを加工か家畜飼料用に救うための努力が進行中であったことを示す。
現シーズンでの果物の損失以上に、樹木へのダメージも今後の生産に悪影響をもたらす。キューバでは、ハリケーンがないときでさえ柑橘類産業の長期的な見通しの制約となる柑橘類が緑色化する問題を抱えている。樹木に致命的で治療法も全く知られていない細菌性疾患のHLB
(Huanglongbing)である。ハリケーンの風は、この病気を確実にさらに広めるであろう。
マタンサス州西部にあるハグェイ・グランデにある柑橘類ジュースの加工処理施設もおそらくアイケでダメージを受けている。キューバ政府は、シエゴ・デ・アビラ州にある大規模な果物加工処理施設が嵐でひどくダメージを受けたと報告した。このすべてが、国内の新鮮な柑橘類の果実とジュース供給とキューバの新鮮な柑橘類と濃縮ジュースの輸出市場に有害な影響をもたらすであろう。柑橘類からの外貨獲得も減るであろう。
全国で農業生産用の200以上の温室にも多大なダメージが報告された。キューバ全域を襲った強風を考えれば驚くべきものではない。
牛の損失はリポートが得られないが、ラス・トゥナスやカマグェイ州の牧場主は、大規模な氾濫を予測し、主要な牧草地から高台まで家畜を動かしたと報告されている。停電での冷却ができなくなり、肉の貴重なストックが失われたともリポートされ、強風で全国のニワトリ小屋に多大なダメージが引き起こされたと報告されている。家禽類の50万羽以上が嵐で失われた。餌供給も嵐で深刻な混乱を受け、産業の回復を複雑にしている。肉と卵用の鳥の損失はキューバ国民のとって貴重なタンパク質源の供給に有害な影響をもたらすであろう。
このリポートは、キューバ農業への熱帯防風雨フェイ、ハリケーン・グスタフ、アイケの影響を報告したものである。キューバの経済、インフラ、農業にこうした嵐がもたらした被害の総計は壊滅以外の何ものでもない。このリポートはキューバ東部の沿岸地域に高波で氾濫を引き起こしたハリケーン・ハンナの影響は含めていない。あるAP通信の記事は、グスタフが、キューバの農業、食料生産、インフラを無力化したと報告している(Weissert,
Associated Press 2008)。しかし、Weissertの観測は、アイケが全島に及ぼしたさらに広範な破壊以前の、西部におけるグスタフによる壊滅的な打撃だけに基づくものだ。
国連人道問題調整事務所は、当初嵐の損害が30〜40億ドルと評価していたが、より最近のキューバ当局の評価では、被害額は50億ドルを超えるかもしれない。国家保全の全国機関の代表は、キューバのテレビで、キューバの資源は、アイケとグスタフで引き起こされた多大なダメージに対処するには適切ではないと述べている。
アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、カイマン諸島、中国、コロンビア、エクアドル、グアテマラ、メキシコ、ペルー、ロシア、スペイン、セントルシア、ウルグアイ、ベネズエラ、ベトナムを含め、キューバは様々な国から緊急援助を受けている。この援助には、資金の他、防災用品、食料、建設資材、住宅を失った人へのテントの形でもある。東南アジアの小国、東ティモールですら、キューバのハリケーン復興に50万ドルを遂行した。このリポートを公表している現在、キューバ政府は、米国からの一連の援助申し出を拒絶している(Robles,
September 22, 2008, and September 13, 2008)。
世界食糧プログラム他の多くの国連機関やオフィスは、キューバのハリケーン回復に対応し、350万ドル以上で、食料援助、建設資材、製品、道具、ヘルスケア供給、診療器具、農業景気回復のための救援物資の公約をしている。
キューバ農業がこうした嵐の被害から回復できる速度は、セクターにより異なるであろう。キューバ政府は、できる限り早く食料確保を改善する一助として人間や家畜消費用に生育期間が短い作物の植え付けや回復促進のためのプログラムを導入している。近年、キューバは、主に都市住民に果実や野菜を提供するため、都市菜園とオルガノポニコに依存するようになってきている。都市部にそれが存在することは、商品輸送の必要性を最小とし、流通も早く経済的に効率的である。こうした農業生産単位は、嵐の後の都市住民に食料、とりわけ、腐りやすい野菜、果実の供給において重要な役割を果たすかもしれない。
また、個人あるいは恊働組合の農民に対して未利用地を利用可能とし、農業計画と意志決定を中央から地方レベルまでシフトさせるとの政策が最近の発表されたが、この実施は、キューバ農業の回復の加速化の助けとなるかもしれない。とはいえ、1990年代前半のソ連崩壊以来、キューバの農業投入資材の利用は一貫して問題となっている。ハリケーン以降に、キューバの農業副大臣は、回復のための種子や有機肥料の利用に限度があることを認めた。適切な資源とインプットがなければ、キューバの農業回復プログラムのすべてが挑戦に直面しよう。
また、キューバの作物や備蓄食料が大規模に破壊されたことは、キューバが中期的には不足食料の輸入を増やす必要があることを示す。倉庫や冷房装置へのダメージ、多くの送電線の被害復旧で直面する困難を考えれば、輸入は痛みにくい品物となることが必要であろう。キューバへの地理的な近さと小ロットでの出荷からは、比較的短距離でも経済的に有利なことから、キューバの短期的な食料需要の多くの供給源は論理的には米国となろう。ハリケーン以前でさえ、キューバ政府は、経済や外貨供給での問題を認めていた。それは、燃料と食品価格の高騰とニッケル価格の下落のため、その債務を再編するよう何人かの債権者に尋ねていたのである(ニッケルは価格でキューバ最大の輸出製品)。ハリケーンからの復旧という凄まじい挑戦は、キューバの財政にさらに緊張を強いるであろう。農業輸出からの収益は短期間には低下し、観光収入も国内のいくつかのエリアでホテルや施設がダメージを受けたことから低下するであろう。こうした理由から、キューバは食料購入先を購入資金を提供してくれる国や企業に集中させるかもしれない。
フィデル・カストロは、キューバの指導者としてほぼ50年、キューバのテレビやプレスで常に堂々とした風采で登場してきた。国難の時には、フィデルのリーダーシップのスタイルはさらに明白で、地元のキューバ人と話すために頻繁に最大の被災地を訪問し、革命のために辛抱するようキューバ人たちを励ましてきた。現在の指導者、ラウル・カストロは大きく違い、より控え目なリーダーシップ・スタイルである。このコントラストは先月のハリケーン災害で特に明白で、公共での存在は限られていた。食料危機を伴い、かつ、非常に限られた資源でインフラを再建する挑戦に対して、キューバ人たちがラウルのリーダーシップのアプローチにどう応じるのかはまだわからない。キューバ政府がその対応策を決議するには少なくとも6カ月かかると認めているからだ。ラウル・カストロ政権下では、生活水準の改善への期待が高いが、深刻な不足と長引く不況の組み合わせは、広範なシニシズムを促進するかもしれない。
自然災害の中、大規模な避難を実施するキューバの指揮統制システムの有効性はこうした嵐でも示されている。財政的な制約に直面する中、大規模な全国的な救援や復興の取り組みを管理することは、キューバ政府にとりかなりの挑戦であろう。とはいえ、政府の行動が効果的だと認められれば、危機は、管理への信頼性を潜在的に高めるかもしれない。
1959年の革命以来、キューバ人たちは、政府が安価な価格(助成金を支給)であるレベルの基本的な食物を供給することを期待するようになっている。キューバの最近の主な市民不安が1994年の筏危機で起きたことが注意されるべきである。その一部は危機的な食料不足によるものであった。こうした事件と関連した国家安全保障問題から、当時、軍事と国防の代表であったラウル・カストロが、キューバ農業でのマーケットの開始を可能とする大きな農業政策の変化を促進し成功したのである。それは、キューバにとって重要な市場志向の改革である。キューバの農業市場、メルカドス・アグロペクアリオスでは、国の食料収集機関アコピオへの義務付けられた販売量を超えれば、余剰農産物を農民たちは自由市場価格で販売できる。こうした市場についてのさらなる詳細は「Structural
Change in Cuban Agriculture in the 1990s” [Messina 2001]」を見ていただきたい。キューバの農業政策の新たで重要な変化は、まだ地平線の彼方にあるのかもしれない。
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