米国人によるキューバ防災力の視察リポート2
ハリケーンを予測し、効果的に災害救助のイニシアチブを実施するうえで成功を治めているキューバをモデルに米国は何を学べるのだろうか。この問いかけが、ラリダ・アン・トーマス、ガルベストン市長と国際政策センターのウェイン・スミスに率いられた我々キューバ視察ツアーの主な関心事だった。2007年に国際政策センターが主催したワーキング会議と2008年4月の米国の専門家のキューバ視察のフォロー・アップとして、大西洋フィランソロピーの支援を受け、我々視察団は、ガルベストン市とキューバとでハリケーンへの備えと救援の取り組みを比較することを目指した。
視察団は最初にダゴベルト・ロドリゲス外務副大臣と会見した。モントレーで2007年に開催されたハリケーン会議のキューバ視察団の団長として、ロドリゲス副大臣はハリケーンのコーディネートの取り組み問題を熟知しており、市長との協力を強調した。相互にとって重要な課題の理解を促進する重要性について明確に話しあった。市長は、ガルベストンとキューバとの歴史的な類似性についてふれ、ガルベストンで命を救うこと、被災したインフラの再建と関連した難題を強調した。副大臣と市長とは、両国で救援の努力を強化する必要性に同意し、さらなる協力を促進するうえで、経済封鎖を克服する挑戦も認識した。
視察団はラテンアメリカ災害医療センター所長、ジェルモ•メサ•リデル博士に対応してもらった。リデル博士は、243の病院と医療機関が総合緊急医療システム(SIUM)を形成しており、人命救済を国が確証し、センターでは、災害医学の新たな分野を重視していると説明した。キューバは、カリブ海諸国の支援を受け、災害医療の開発を強化しており、2009年10月14〜15日には、医療と災害の最初の会議を主催する予定である。約100人の各国の代表の出席が予想される。トーマス市長とガルベストン•ポートのジェラルド・サリバン議長は、テキサスの医療関係者を会議に参加させることに関心を示し、この新たな医学分野を開発するリデル博士の努力を称賛した。
キューバのハリケーンの予測システムを学ぶため、我々視察団は、ホセ・ルビエラ所長率いる気象研究所を訪ねた。著名な所長は海外に出張中であったが、予測ユニットのアシスタントが、気象センターの主な機能と目的について説明した。市長や視察団の他のメンバーに説明されたように、キューバには68の測候所があり、それが嵐を追跡し、キューバに近づくとき警告を行う助けとなっている。気象報告はたいがい6時間毎に放送されているが、嵐が近づくと3時間毎になる。最初の警戒は上陸が予想される72時間前に鳴らされ、たいがい48時間前の警戒の後、嵐の経路にあたるエリアから避難が行われる。市民防衛の責務について話しを聞くと、そのコミュニティの全員がかかわるとのことだった。定期的な避難訓練を行い、住民は何をしたらよいかがわかっているのである。
しかも、彼らは、マイアミにあるハリケーン・センターと研究所とのコミュニケーションや協力が頻繁で効果的だと断言した。両センターは、ほぼコンスタントに情報交換を行っており、米国の気象観測飛行機がキューバ領空を飛ぶことも許可されているのである。そのリポートはキューバ人たちにも提供される。まことに、両気象サービスの協力のあり方は、ハリケーンやそれ以外の自然災害に対する防衛にかかわる米国とキューバのすべての機関で目にしたいものである。
医療分野の詳細は、1997年に設立されたピーア・レチューのジャーナル、MEDICCのエディター、キャサリーン・バッカリーから提供された。この雑誌の第一目的は、キューバと国際社会との協力を推進し、ヘルスケア基金を増やすことにある。この米国にあるNPOは、サービスを行う分野でトレーニング・プログラムをサポートしており、キューバの図書館にも雑誌を提供している。ブッシュ元大統領はキューバへの短期旅行を禁じたが、そのネガティブな決定の影響にもかかわらず、グループは、ホンジュラスや南アフリカと交流プログラムを持ち、キューバで唯一の英語での医療の出版も行っている。
視察団は、ラテンアメリカの医科大学(ELAM)を訪れた。副学長ミダリス・カスティーリャ・マルチネス博士は、1999年に大学が設立されたと代表に告げた。それは、フィデル・カストロの考えで、1998年のハリケーンに続き、中米に医療援助を行うというキューバの努力のフォローであった。現在、学校には約1,933人の留学生がおり、彼らは、6年コースの最初の2年をここで過ごす。最初の2年後、次の4年間の学習とインターンシップを行うため、それ以外の医学校や病院へとわかれる。現在、この制度の下1万人の留学生がおり、全員がキューバ政府からサポートされている。
2005年に最初の学生が卒業して以来、5,600人が卒業して出身国に戻っている。災害医療は当初から重視されている。ほとんどの学生は低所得世帯出身である。キューバが彼らに尋ねる唯一のことは、地域コミュニティに奉仕するために帰国するかどうかである。ほとんどの学生は非常に献身的でそうしている。もちろん、彼らは出身国の規則に従わなければならない。
マルチネス博士は、彼女は1,500人の学生が今年さらに卒業することを誇りに思うと述べ、ラテンアメリカ医科大学は、カリフォルニア医療委員会から認められた。トーマス市長はいずれの達成について彼女を祝福した。我々のグループは、6人の米人学生とも会った。全員がキューバでの自分達の勉強を非常に楽しみ恩恵を得ていると述べた。
キューバの災害救助プランの主な要素
- 国民の参画:トレーニングと教育を通じ自然災害の準備に市民が参加する
- コーディネート:災害救助プランは政府の指導者、市民防衛、コミュニティ組織、そして、ローカルな政治指導者の参加により作成される
- ソーシャルサービスの維持:自然災害の間も病院、学校他のサービスが開かれたまま留まるよう、キューバでは不可欠な資源を提供する
- 脆弱性の特定:各ムニシピオは脆弱と考えられる住民やインフラを特定し、結果として避難プロセスを容易にしている
- 資産の保護・保証:キューバ政府は、市民が避難中に身の回り品を保護するのを助け、被害した資産が無料で取り替えられるのを確実にしている
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ハバナ市人民権力のフランシスコ・ペルドモ議長は、ベダド・マレコンのムニシピオのオフィスで我々グループを受けいれた。議長は、我々が同じハリケーンの経路で暮らしており、気候変動等高まる脅威に直面しており、それに対応するため協力する必要があることを強調した。トーマス市長とジェラルド・サリバンこのことに同意した。我々は同じ問題に直面しており、キューバと共にそれに立ち向かうために緊密に働きたい気がした。
それから、市民防衛のメンバーたちが、ムニシピオでの避難について説明した。彼らは1.5mも浸水したエリアの写真を我々に見せた。こうした状況下では、1階で生活している全住民は避難しなければならない。あるいは、ある場合は、部屋を一時的に上に移さなければならない。なお、家具を上の階に動かしたり、そのエリアから完全に移す手助けには軍や警察が利用可能だ。おまけに、彼らが存在していることが、資産が保護されることを人々に再保証している。建物のほとんどが頑丈に建てられていることを考えれば、全員が避難しなければならないことは稀であろう。避難はたいがい、低層階に限られる。例えば、ムニシピオにいる1万4372人の住民のうち、最終避難で避難したのは250人だけで、7,261人はたいがい上の階に移動した。若きも老いも皆は何をしたらよいかがわかっている。若者であれ、高齢者であれ、全市民は、毎年2日間のメテオロ、避難準備と対応訓練に参加する。そこでは、それぞれの場所と関連した参加型の活動で、全国とローカルな準備がテストされる。
我々視察団はエンリケ・カブレラ病院を訪れた。1961年に革命後に建てられた最初の病院で、無料で医療を提供している。病院には615病床、19の病棟、2,300人の職員から編成されている。年間予算は2700万ドルである。また、医療を提供することに加えて、病院は173人の教授を配置している。彼らは、新たな医学教育プログラムで12の様々な研究を行っており、キューバや海外出身の学生に大学生コースを教えている。不可欠の医療を提供するうえでの病院の成功ははっきりしている。3.02人の乳児死亡率はハバナの4.7人や全国の5.2人よりもかなり低い。さらに、2008年以来病院の職員は1万2772の外科手術を実施している。そのほとんどが、ベネズエラと2004年に設けられたジョイント・プログラム、奇跡の計画の下にある。
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| ハバナの有名な「マレコン」(岸壁)の上ではじけるハリケーン•アイケの高波 |
病院の職員が説明したように、奇跡の計画の主な働きはラテンアメリカ全域の患者に無料で、目の手術を提供することにある(例えば、白内障や難病)。外科手術は主にキューバの医療関係者によってなされ、彼らはトレーニングや後方支援も提供する。プログラムの結果はかなり良く、4年と半年でエンリケ•カブレラ病院だけでの4万619人の患者を含め、35カ国で150万人の患者を手術している。キューバは、8カ国で働く42人の病院職員を含め、18万5000人の医学の専門家が参加して103カ国で医療協力を行っているが、これまで、62のアイ・ケア診療所がその領域で設立されている。そして、病院はキューバの災害救助装置の欠かせない要素としても機能している。視察団は病院で国のエリートの緊急医療ブリガーダのメンバーたちとも会ったが、それはキューバのヘルスケア組織の最も印象的な面である。2005年の開始以来、ヘンリー•リーブ•ブリガーダは世界中で緊急災害救援活動を行っている。壊滅的な被害をもたらした地震の後、1960年に35人のキューバ人がチリに急派遣されて以来、この特有の医療ブリガーダの設立は、キューバの豊かな災害救助史を反映している。その後、キューバの医師は、一時的な診療所を設立し、医薬品を提供し、将来の犠牲者たちを援助するように医療関係者をトレーニングすることを含め、災害救助を行うため、ラテンアメリカ、アフリカ、アジアの20カ国以上に急派遣されている。医療ブリガーダの印象的な救援の努力について聞いた後、市長は、キューバの救援の努力についてさらに学ぶこと、そして、いかに国が、自然災害の間と後にその国民を保護するかへの関心を述べた。
ハリケーンはキューバ史に固有のものだ。米国のガルフ・コーストとウィンドワード諸島の間にキューバは位置し、それは破壊的なハリケーンの頻繁な経路となっている。とりわけ、多くのキューバ人の心でいまだに共鳴するのは、1932年11月9日という日付である。それは、おそらくキューバで最も破壊的な嵐で、カマグェイ近くで島に襲来し、その風速は155MPHで大規模な大波を伴っていた。嵐の後は動揺し、ほぼ物的損害が4000万ドルで3,000以上が命を落とした。それは、ハバナを襲い約600人を殺した1926年の嵐以上のものだった。革命政権は、その存在の始まりの年から、人命を救い資産を保護するという現在の目標に重点をシフトさせ、国の災害マネジメント組織を改革し始めた。
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| ハリケーン後に市民が避難するのを直ちに助けることに救助隊員は応じる |
キューバ政府は人命を救い、資産を保護することに重点をシフトさせることに成功した。とはいえ、ハリケーンを追跡し予測するシステムでは、アメリカ国立気象局に遅れを取っている。残念ながら、キューバに対する経済封鎖で、米国の気象局の職員が、キューバの気象関係者がハリケーンを探知することを支援できないようにし、矛盾を永続させているのである。とはいえ、主には技術的な改良、市民との良好なコミュニケーション、ハリケーンを予測するため気象センターへの投資の結果、1980年代までにはかなりの改善が見られた。気象通報の連夜の放送は1981年から始まったが、これは、極めて重要な情報を市民に周知することを通じ、犠牲者をなくすという政府の主な目的の改善の助けとなった。事実、キューバの気象センターも、的外れで頼りないと考えられていたが、1999年には89〜92%の正解率で嵐を予測するようになった。この率は、米国やヨーロッパと同じである。このため、コミュニケーションの増加と市民のかかわりと結びついた技術進歩は、キューバ政府がハリケーンの前に人民をよく準備させることを可能としたのである。
キューバの防災組織がかなり改良されているにもかかわらず、ハリケーン検出のコーディネートとキューバと米国との救援の努力は、まだ取るに足らないままにとどまっている。1900年に、キューバ政府は、テキサスのガルベストンに襲来しそうであるとアメリカ国立気象局に警告しようと絶望的に試みた。だが、残念なことに、アメリカ国立気象局は、この警告を意に介さなかった。どうやらハリケーンを予測するキューバの鋭い能力を嫉妬して憤ったらしい。結果として、6,000人以上が命を落とし、それは米国史上で最もひどい自然災害のままで残っている。二国は地理的に近接しているにもかかわらず、逆説的に、些細な違いと永続的な政争が、相互の関心ある問題で不可欠の協力を妨げ続けている。
米国では、たいがい市民のかかわりや高度な計画が欠けた状態でハリケーンのための具体的な準備がなされるのとは対照的に、キューバでは準備は1年間の出来事である。そこでは、上述したように、あらかじめ市民がよく準備できるように深刻なハリケーン情報を含め、気象通報は国営テレビとラジオで絶えず放送されている。そのうえ、キューバの成人全員は、いかに避難の手順を助けるかについて、成人を教育するためにデザインされた市民防衛の訓練プログラムを受け、軍、政府、州、そして、ローカルの近所グループを伴う複雑な避難の過程を能率化しなければならない。毎5月、キューバの市民は義務的なハリケーンのドリルに参加しなければならず、そこでは避難の手順がシミュレートされ、政府の職員は傷つきやすい市民をよく特定できる。それは、キューバのハリケーン準備の重要な要素である。視察団のニック•クラジはこう断言する。
「これらは、明らかに私たちが手にしているのと同じ資源を手にできない人々なのに、何百万人もの人々を避難させることができているのです」
かなり乏しい資源で、なぜ、キューバ人たちは、その市民をうまく避難させ、犠牲者を少なくできるのであろうか。準備と避難のキューバのシステムは、コーディネート、動員、資産の保証、そして、人々をターゲットとすることを含め、いくつかの原理に基づく。キューバのハリケーン警報は、96%のテレビ視聴者と97%のラジオの聴取者のもとに届く。そして、視聴者は、教育とトレーニングに基づいて適切に避難の準備ができている。次に、キューバ政府は、市民防衛のリーダー、保健省、ムニシピオの人民委員会と地元組織とコーディネートし、避難の準備ができている人民を動員する。ほとんどの市民は、安全なエリアの近所や親族に避難所を求める。これは、キューバの「連帯」の本質的な価値の事例だが、それ以外の多くは、国内の他のエリアに避難するか、国が運営する避難所に退避する。
コーディネートや動員は米国での災害救助計画でも一般的なものだが、資産の保護と保証がキューバと違う。キューバには、現在、年間5万戸の住宅を建設する能力があるが、その一部は経済封鎖による建築資材の不足のため、政府は資産保護を市民に約束するのである。言い換えれば、政府の役人たちは、人々の家具や身の回り品をより高い地面に移動させるのを助け、結局は、ハリケーンでダメージを受けたり、破壊されたりした住宅の再建を約束するであろう。このことは2008年以来、約50万戸の住宅がダメージを受けたり破壊されたりした国にとっては、確実に簡単なタスクではないが、資産保護を担保することが、避難の過程を支援するうえで決定的なのである。
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| ハリケーン・イケの大波が「エル・モロ」、スペイン植民地時代に建設されたハバナの有名な要塞に対してはち切れている |
ただ資産を保証することに加え、キューバでの災害準備のコーナーストーンは、傷つきやすいと考えられる市民や資産をターゲットとすることを伴っている。国内のあらゆる傷つきやすい市民や住宅を特定することは信じがたいように思えるが、市民防衛のリーダーたちは、州やムニシピオと恊働し、主にリスク研究に基づき、アップデートされた複雑な記録を編集する。次に、国内の各14州と169のムニシピオは、資産とインフラの被りやさと同様に、潜在的な物的ダメージと脆弱な市民をからめて、災害プランを工夫する。それぞれのローカルのデザインプランの主な目的は、各ムニシピオの人口、経済セクター、インフラを慎重に統計分析し、リスク(危険性と脆弱性)を特定することにある。すなわち、各ムニシピオは、名前、年齢、物理的なニーズ(すなわち、病気)、必要とされる特殊なサービス、幼児、妊娠女性、障害者の人数を含め、例年基準で全市民の詳細な情報を編集する。例えば、ベダド-マレコン・ムニシピオは、ハバナの絵のように美しい海岸に沿って位置し、11.8が平方キロに17万4329の総人口がおり、108の地区からなり、重大と考えられる1,564の経済上の目標を持つ。これに従って、ムニシピオのリーダーは、脆弱な市民と住宅構造をターゲットとした救援努力をよく調整するうえでこのデータを使う。こうした詳細な情報を集めることで、当局は、嵐の前に正確にどの市民が特別な支援を必要とするか、あるいは、ただ動産を保障する際にただ支援を必要とする人なのかを直ちに決定できる。
災害救助プランのそれ以外の重要な要素は、脆弱な住宅とインフラの識別である。明らかに、各ムニシピオは、自然災害の深刻度と脅かされた住宅の数の相関関係を計算し、インフラスを保護するために予測される最も効果的な対応手段を工夫する。脆弱と特定されたエリアには、嵐が接近する前に、発電機、飲料水、そして、追加の医療関係者が提供される。コミュニティのメンバーに、そうした不可欠なサービスを提供する責務があるからである。こうして、キューバ市民は、どのような天災であれそれが起こる前にハリケーン準備情報を受け、エンパワーされ、複雑な計画にかかわるのである。
自然災害の打撃:キューバの即時の対応
ハリケーンやそれ以外の自然災害がくる以前から慎重で詳細な計画を立てているとはいえ、人命や資産を救う際には国の即時対応の有効性が決定的である。前に指摘したように、各ムニシピオは、避難過程で、特別なニーズに対応するため、傷つきやすい人々や住宅の建物を特定している。それに応じ、病院、パン屋、食品加工センター、ホテル、電話サービス、教育センターを含め、72時間まで独自に作動する発電機が備えられ、戦略的な位置づけがなされている。このため、自然災害があった後も、欠かせない医療を提供するため病院は開き続けているし、食品も変わらずに流通し続け、電話センターも全国とのコミュニケーションを維持できるのである。ガルベストン市長が市民防衛の職員たちに明らかにしたように、キューバとは対照的に、米国では避難しない人にとって不可欠の病院やそれ以外の重大なソーシャルサービスがしばしば閉鎖され、結果として、傷つきやすい人々が脅かされてしまう。キューバでは、コミュニティの医師たちが直ちに被災者を治療するが、国内にある243の病院や医療施設も自然災害中も開かれ続けている。
| 嵐の後に犠牲者を援助する:キューバの明確な医療組織 |
自然災害に備え、速やかな救援を提供することに加え、キューバの医療制度は、自然災害の犠牲者たちに対してサービスを行う能力でも有名である。自然災害の直後から犠牲者たちを支援することが、キューバの災害救助戦略の礎石となっている。それは、キューバの政策で基本的な人権として、ヘルスケアが優先されていることを暗示する。自然災害の犠牲者に対する支援や一般的な医療ニーズは、新たな災害救助医療分野で訓練を受けたエリートの医療ブリガーダ、そして、国の大規模な病院システムを通してなされている。
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| ハリケーン•アイケの経路は、米国とキューバの双方に上陸した数多くの嵐の経路を沿っている |
米国のガルフ•コーストでハリケーン・カトリーナが深刻な影響を及ぼした後、米国の犠牲者たちに対し緊急医療援助を行うため、前述したヘンリー•リーブ•ブリガーダが設立されたのは、2005年9月19日のことである。ニューオリンズ近くにハリケーンが上陸することがわかると、キューバは、直ちにワシントンに直ちに弔辞を送り、緊急医療援助を申し出た。ハリケーンの犠牲者を援助するため、わずか24時間のうちに、全14州から1,586人の医師たちが召集され、米国が承認するまで待機していた。だが、米国国務省はキューバ政府の行為を拒否し、「国家安全保証への懸念」を引用することで、犠牲者や潜在的に人命を救う緊急災害救助を提供する医療ブリガーダを排除している。ブリガーダは、政治上の違いにもかかわらず、犠牲者を援助するために準備されたものだが、米国メディアではわずかしか注目されず、この非難的な表現に医療ブリガーダは、かなりの憤りを覚えたのだった。
医療ブリガーダは、最終的に米国でハリケーン・カトリーナの犠牲者たちを助けることを禁じられたが、彼らの海外での仕事は賞賛に値する。カトリーナが米国に上陸したちょうど1週間後に、医療チームはグアテマラに派遣され、ハリケーンで被災した約60万人の犠牲者たちを援助した。その後、致命的な地震でパキスタンが被災した後には、医療ブリガーダはパキスタンへと出向き、広範な人道的な危機に対応し、2,564人の医療関係者のブリガーダは、32の野戦病院を建築するのを助け、驚くべきことに170万人の患者(全犠牲者の73%)を援助した。ブリガーダのメンバーたちは、彼らの成功を予防テクニックを使う結果と考えた。地域の方言を学び、流行病を未然に防ぎ、初期の災害後の「死の2番目の波」を逸らすことに。それゆえ、予防技術を医療ブリガーダが重視したことは、市民の死傷者を減らす国の複雑な災害救助モデルに沿っったものである。
キューバの災害と救出モデルを米国が利用するには多くの問題が残されている。かなりの政治的な違いや米国政府が義務的避難を規定できないことを考えて、多くの懐疑論者たちは、キューバ・モデルの適用性を打ち捨てている。だが、キューバ・モデルの多くの原理は、米国でも首尾よく模写できる。すなわち、米国は、資産を保護し、途切れることなくソーシャルサービスを提供し、ハリケーンの準備と救援に国民を従事させることを重視するキューバ政府と相互に重要な問題でさらにコラボレーションすることで、大きく利益を得るであろう。
ハリケーン・グスタフとアイケの被害
- 総資産被害(2008年のU.S.ドル) 94億ドル
- 被災家屋45万戸
- 家屋を喪失したキューバ人20万人
- 作物被害35%
- 約300万人が避難
- 死者7人
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おそらく米国の政策立案者が見習うべきキューバの災害救助モデルの最も顕著な面は、市民の参画の重視である。災害マネジメントでは政府が大きな役割を演じているが、全市民が自然災害への供えと救援の努力を助けるうえで基本的な役割を演じている。つまり、当局が災害救助の努力を実施することを助け、特別な必要性のある人々にすぐさま支援を行うため、動員され知識のある国民を備えているほうがよい。そのうえ、知識を受け、自然災害が引き起こすリスクに鋭くかかわり、意識している大衆は、より自発的に避難するであろう。これとは対照的に、米国の避難過程はしばしば強情な住民から無視されている。
地理的な近接性や共有する歴史に基づき、米国とキューバの政策立案者は、お互いに重要な課題でさらに協働しなければならない。事実、この点が我々視察団が出席したあらゆる会議で明確に話された。キューバの指導者たちが、政治的な違いをわきおき、ハリケーンの探知と救援の努力での協力を通じ、人命を救うことを切望したからである。米国とキューバとの関係の親善の見通しはありそうであることから、災害救助と人命救済の努力を調整するため、軽薄なイデオロギーの違いをわきにおくことが重要である。
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