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2006年9月4日 ハバナ

アリナ・ディアスさんは、ほぼ毎晩、ハバナの海岸にでかけては、息子のアベルがいなくなった2年前に時のことを熟考する。21歳になった学生がなぜ家族を置き去りにし、リスクをおってまでその冒険をしたのか、ディアスさんにはいまだに理解できない。

 「アベルには欲しいものを全部、手にさせていました。素敵な家、ガールフレンド、お金、父親の車。でも、アベルはもっとモノが欲しかったのです。もちろん、私たちも悪かったとは思います。小さい頃から欲しいものを何でもあげようと懸命に働いてきたからです。アベルはキューバでは決して手にできないモノを夢み始めてしまったのです」

 そう、ハバナの中心部のベダド地区でアベルさんの母親(45歳)は口にする。アベルは数人の友人とともにボートを買い入れ、2004年の4月のある晩に海に漕ぎ出した。

「3日後、アベルのガールフレンドが、やけっぱちになって電話をかけてきました。米国で待っているはずの親類から便りがないと。ひどいものでした。以来、二度と連絡がないんです」と、彼女は言い足す。ディアスさんは過去に戻りたい気持ちだ。

 これとはまったく違った地区で、ガブリエル・ヒメネス一家は、首都を流れる川の土手にリサイクル資材で作った小屋住まいだ。床は土間だし、電気もポンプも水道もない。だが、3人の息子たちは誰一人として国から出ることを考えていない。ヒメネス氏は37歳で一人身になったときに、成功する唯一の機会が故郷を出てハバナに引っ越すことだと決意した。

「そして、ここでこうしています。私どもはキューバでも最も貧しい貧民街で、窮乏生活を送ってはいますが、二人息子は大学をすでに卒業しましたし、もう一人の息子も技術者になりました」とヒメネス氏は語る。氏は人々が直面する深刻な住宅問題が解決されることを待っている。

「もっと良い家が借りられるチャンスを持てるよう、自分や息子の給料を貯金しています。『革命か死か』を宣言しながらもね」と氏は述べた。

 ハバナの200人の住民を対象にIPSが行ったアンケート調査によれば、主な不満は住宅事情だ。1959年の革命と47年間に及ぶカストロ政権の成果について問いかけてみると一番多く声に出たのは、低賃金、高物価、基本サービスが非効率であること、二重通貨(キューバ・ペソとCUC)、そして海外旅行の規制だった。ところが、90年代の深刻な経済危機で、いくつかの社会セクターに悪影響が出たことを回答者の多くが認めはしたものの、大半は医療サービスに満足し、価値ある人的資本の育成に寄与する「万人のための無料の教育」に感謝していたのだ。

 調査の回答者は、農村での経済・社会的な発展や年金と結びついた雇用保障、女性たちの新たな機会創出、人種平等の促進政策、90年以来の暴力が増加の中でも市民が安全であることを称賛した。

「革命が勝利したとき、私は15歳でした。私は識字力向上キャンペーンのために働き、家の縛りから自由の身となり、働き学び始めたのです。一言で言えば、私の人生は変わり、この国がいかに変化しているのかを目にし、感じたのです」

 元医師で、革命防衛委員会活動に熱心なマルタ・ディアスさん(62歳)はそう語る。

「ポリオワクチンを配布し、自発的な献血者を探し、近くの学校では子どもを面倒みて教師を助けています。1959年に求められたすべてが達成できていないことはわかっていますが、以前よりも世の中は格段に公正になっています」と、ディアスさんは言う。

 だが、今、ディアスさんは、ハバナ大学で誇りを持ってジャーナリズムを学んでいる自分の孫娘のことを考える。孫たちと自分との間には違いがあることもわかっている。

「私が守るために戦わなければならなかったことは、今では彼女たちの権利となっています」

 一方、ディアスさんの孫娘はこう指摘する。

「経済の問題があらゆることに影を落としていることはわかっていますが、もっと情報にアクセスできるべきだし、インターネットも自由に使えるべきです。他国を訪ねたり、ホテルやビーチで休日を過ごせる機会もあるべきです。この改革によって社会間の格差は広がるかもしれませんが、それは既に存在しているのです」

 政府が何十年も促進してきた人類平等主義を裏切る金持ちや少数の特権のある人は別としても、半世紀前から始められた社会化のプロセスをどう認識するかで、多様な世代が今日は共存しているのだ。支持する者から反対する者まで、カストロの社会主義革命に対する見解は様々だが、中間層は、体制に改革がもたらされることを望んではいるものの、それ以外の多くは反対もせず、安定と適合を選んでいる。

 アバナ・ビエハの歴史地区の広場に売り場所を持つ本屋は、この最後の範疇に入る。

「とても繁盛していますし、制度がどう機能するかもわかっています。ここには国営書店にはない本がありますから、ツーリストたちは私のところにやってくるのです。競争相手は片手で数えられるだけしかいません。どうして、私が改革を求めましょう」と、彼は言う。

 ある32歳になる歴史家の意見によれば、人々が国を去るのは、決してもたらされることがない改善にしびれをきらすためだ。

「われわれは米国の経済封鎖を非難することに人生を費やしています。ですが、経済封鎖の影響があるとはいえ、問題のほとんどは、われわれ自身が犯した過失、非効率と国内政策の失策にあることが真実なのです」

 多くの人々がキューバを去っているし、出たがっている人も多い。だが、さらに多くの人々がキューバに残って、そこで暮らすことを望んでいる。

 2年間をマイアミですごし、その後は休暇でキューバに帰国し、滞在している27歳のキューバ人のようなケースもある。彼の分析はとてもクリアーだった。

「マイアミでは、本当に一生懸命働かなければなりませんでした。ですが、ここでは貧しいとしても飢えることはないのです。私には、観光客に貸せるだけの広い家がありますし、それで収入も得ています。やらなければならないのは、必要な物資を担保するだけです。そのうえ、それは私のものだし、私は自分のやりたいことをやっているんです」と彼は説明した。


 Dalia Acosta,Why Some Leave, or Want to, and Others Stay, Inter Press Service, sep9, 2006.