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歴史復元のモデル



2006年10月23日 ハバナ  


 キューバの首都の歴史的なセンターでの進行中の回復仕事は、ユネスコのコンサルタントから称賛され、全世界の遺産地区を保全するためのモデルとなっている。

 来年、アバナ・ビエハは、ユネスコの世界遺産として宣言された25周年を祝うことになる。その2.1平方キロの全地域の1/3が完全に復旧している。

 2人の極めて優れた独立した専門家、オランダの建築家、シルビオ・ムタルとエクアドルの建築家、フェルナンド・カリオンは、ユネスコから任命されたリポートで「成功をおさめ、立派な都市」の一部として、その地域でキューバ政府によりなされた仕事について説明している。

 アバナ・ビヘハの革新は、まさに他の都市のモデルとなる以上に、成功した政策であり、それは、非常に多様な状況において、解決策を見出すことが可能なことを示している、と専門家は言う。

「アバナ・ビエハの復旧で用いられたある概念は、他のラテンアメリカや世界の他地域でも考慮するに値します。このモデルを移転させることはできませんが、それから学ぶべきです」

 ハバナに拠点を置いたラテンアメリカとカリブ海の文化のためのユネスコの地方事務局長のハーマン・バン・ホッフは言う。

「並はずれた経験:世界遺産、オールド・ハバナの総合的マネジメントモデルの評価」という昨年9月に出版された書物で、コンサルタントの評価は載っている。

 この書物は、カストロ政権が歴史的なセンターでの復旧作業のために設置したハバナ市の歴史オフィスとユネスコとの共同作業の結果だ。その書物は、ハバナの植民地時代のセンターの1994~2004年にかけての復旧、修理と保護についての仕事を厳密に、詳細、かつ、深く記してある。

 世界遺産の場所を蘇らせ、保全するための努力は、研究された10年間に着実に成長しているが、この方向に向けた最初の重要な第一歩は1980年代前半にまでさかのぼる。
 歴史的なセンターの回復は1981年5月5日に始まり、最初の五ヵ年の復旧計画で1988年に設立されたハバナの歴史的なオフィスによって調整された。

 本になるアイデアを思いついたのは、ハバナの歴史事務所エウセビオ・レアル所長であり、同氏は、ユネスコの元文化局次長、Mounir Bouchenakiにより支持された。その目的は、問題ある10年のキューバの回復経験を評価することだった。

 この書物で、ヴァン・ホッフ氏は、キューバの経験を、歴史的な確実性や大衆によるその楽しみを損失することなく達成された、遺産保護のための空前のモデルと呼ぶ。

 まことに、アバナ・ビエハの魅惑的な環境を抜ける散策は、訪問者たちを何世紀も前の時代に遡らせ、キューバ人たちが今日暮らす巨大な博物館の印象を引き起こす。だが、このフィーリングは、マジックの結果ではなく、ハバナの歴史事務所により工夫され、実行された慎重な戦略の結果なのだ。

 その始まりから、旧市街の復元は、コミュニティを含めた政策の中で発想された。

「この政策は、市の歴史的なセンターが何であるべきかについての包括的なビジョンの一部です。シティ・センターはその人々のためにあり、居住者は遺産や都市そのものにふさわしくなければなりません」

 ヴァン・ホッフ氏は述べ、キューバの経験が「長期的に持続可能である」との望みを示した。というのも、「それが、それ自身で収入を生み出し、社会的で文化的なプロジェクトに投資されるマネジメント・モデルだからだ」。

 ハバナの歴史オフィスからの情報によれば、その企業(オフィスがその業務のための資金を集めるため、観光やサービス部門に開設した多くの業務)から得られた利益の60パーセントは、プロジェクトにささげられ、それは復旧のための財政的な利益をあげ、約40%が社会事業に費やされている。

 その本は、遺産回復仕事のベースとなる経済面について論じている。カリオン氏によれば、それが扱う投資金額に関して、キューバの復旧のための努力は、ラテンアメリカのすべての歴史的なシティ・センターの中でも最も遠大なものだ。

 建築家パトリシア・ロドリゲスは、1994年に始まったアバナ・ビエハ復旧のためのマスタープランのヘッドなのだが、本で言及した10年以上で、歴史的なセンターで設立されたビジネスが「約2億5000万ドルを生み出しています」と語る。

「国際協力を通じて約1400万ドル、その地区の経済活動の税金からは別の1400万ドル、そして、キューバの銀行からの資金では6700万ドルが調達されています」と彼女は言い足す。

 ロドリゲスさんは「国からの3億4100万ペソ(法定交換レートで約1360万ドル)に加え、このすべてがそのエリアに再投資されました」と言う。

 市の歴史オフィス企業システムは、1994年のDecree-法第143号に基づき創設され、歴史的なセンターの復旧作業を国による補助金よりもむしろ自己資金調達活動に変えるために1年も早く作成された。この自己融資と社会、環境、文化、そして、コミュニティの面への総合的なアプローチで定義された、アバナ・ビエハの復旧モデルの革新的な特性は、他国で用いるために考慮すべき事例にしている。

 この歴史的な地区の2/3は、6万6700人の住宅であり、いまだに保全を待っていることから、この書物は、植民地時代の住居の修復を支援する国際的な救援への請願も含んでいる。まだ修理中の建物には、17世紀のキューバ建築の例が残されているごくわずかな事例、プラト・ピュイグの家、そして18世紀後半の最も重要な都市のモニュメント、副知事の宮殿、セグンド・カボがある。

 ロドリゲスさんは「老朽化した建物の崩れの回復を続けるため、地元住人を移動させるため、歴史的なセンターの内外で多くの住居が既に造られています」と指摘する。

 彼女は、旅行者たちが歴史的なセンターのアルマス広場にあちらこちら行くのを目にするが、アバナ・ビエハに産まれ育ち、年金暮らしのザナイダ・ロペス氏は、復旧にかかわる理論上の複雑さは苦にしなかったが、「ここに住むのは現在、はるかに良い」とだけ言った。


 Orlando Matos, Havana Offers Unique Model for Restoring History, Inter Press Service, Oct 23,2006.