独立戦争の戦場となった平原の州

州の概要

 広さは6589平方km。最も観光的には魅力に乏しい州である。ラス・ツナス州の発展は遅く、地域は1847年まではバヤモに属し、オリエンテ州から分離したのも1975年と新しい。主な経済活動はサトウキビ生産と放牧で、州の中心部では肉牛の放牧が、北と西部ではサトウキビ生産が行われている。

ラス・トゥナス市
 人口12万人。市が正式に設立されたのは1847年のことである。市は公式には、La Victoria de Las Tunasと称される。1868年10月、第一次独立戦争に対するスペイン側の勝利を記念し、当時の州の統治者、ビセンテ・ガルシア・ゴンサレス(Vicente Garcia Gonzalez)によって1869年に命名された。
 第二次独立戦争の際、1876年の9月26日、彼の手によって市は大半が焼け落ち、1895年に市は自由軍に占領され、二年後にもスペインが取り替えそうとしたが、再び独立自由軍の手に落ちた。この戦火によって、ほとんどの歴史的な遺構は失われている。今日は州都として発展しつつあり化学工業も盛んだが、1975年までは周辺の農村用の小さな市場でしかなかった。

ロス・マルティレス・デ・バルバドス(Los Martires de Barbados)記念館
 1976年10月6日、キューバ飛行機が、ベネズエラからハバナに向けて通常飛行をしていたが、バルバドス(Barbados)から飛び立った後に爆発し、キューバのフェンシング・チームを含め、57名のキューバ人その他73名の命を奪った。犯人がバルバドスで飛行機から降りた後に、シートの下に爆弾を残していたのである。これは、極右のキューバ系アメリカ人が行なったテロ事件である。

周辺
 プエルト・パドレ(Puerto Padre)は、人口25000人。サトウキビ生産用のターミナルである。
 ラス・トゥナス市の北方45kmにあるマナティ(Manati)も、周辺の製糖業や化学工業で成長している。
 マナティの近くの、コト・デ・カサ・ヤリグア(Coto De Caza Yarigua)には、255平方kmの湿地と塩湖があり、ここにも自然のリザーブがある。一般には、マナティ・ハンティング・リザーブとして知られる。この近くでは大きなコメ生産も行われている。
 ラス・トウナスの18km北方、セロ・デ・カイシム(Cerro de Caisimu)は、ホロホロ鳥やハトなど野生動物が豊富で、狩猟区となっている。ヤリグア川(Yarigua)の丘の上にはハンティング用のロッジもある。


引用文献
(1)Christopher Baker, Cuba Hand book, Moon Travel Hand book,1997. P559〜568
(2)David Stanley, Cuba, Lonely Planet,1997. P307〜311
(3)Andrew Coe, Cuba, Odyssey, 1995. P224