| 2005年 | |
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1980年代には、キューバはラテンアメリカで最も重要な農薬の消費者でありました。私どもは米国からは独立しておりましたが、ハイテク=高収量=農薬技術的なパッケージで輸入される投入資材に依存しておりました。ですから、社会主義圏が崩壊すると、1990年の社会経済危機がやってまいります。食料は大いに不足し、1993年には、私の給料は第一世界の生活水準から3米ドルまでなってしまったのです。
キューバの料理では、カボチャはとても重要ですが、私はその新品種を見つけだすことに取り組んでおりました。 「ええ、もちろん、科学的なお仕事で、あなたをご支援したいとは思いますよ。ですがね、これ以上の肥料や投入資材はないのです。試験用の土地も準備できておりません。トラクタの燃料やスペア部品がないものですから」 実験ステーションで、私はそう告げられました。つまり、有機農業は、意識面で必要だったからではなく、経済状態により強制されていたわけです。私自身の科学モデルは溶けてしまいました。ですから、私どもは品種改良で、政策立案者と研究者、農民たちが、分権化している参加型の種子体制へと転換する新たなパラダイムを必要としていました。私は実験ステーションから農場の現場に移動しなければならず、農民とかかわりあい始めることが、私の仕事となったのです。公的な胚形質は地元のステークホールダーの「オープンソース」となり、農民たちは地元に適合した品種を選抜しはじめました。
農民たちが、多様な改良種子を手にすることが出来るようなり、穀物改良の真のパートナーとなったとき、一体どのようなことが起きたのでありましょうか。農場の遺伝子多様性が5~20倍も増えたのです。農民たちは、農民圃場の学校(farmer field school)を開校することを決め、科学者たちの役割も品種を決めることから、農業生物多様性のファシリテーターへと変わりました。農民たちが参加することで、キューバでは、ジャガイモの種と濃厚飼料の生産が可能となったのです。農場に組織培養法での増殖ができる状態で、農民たちは働き始めました。 分散型や参加型の品種改良の取り組みは、ラテンアメリカ全域に広がっております。農民と科学者は、イノベーションと利益をわかちあうために交流する必要があるのです。
小規模な農民たちには、納得がいく収量、納得がいくエネルギー消費量で、健康な食べ物を生産できるほどの起業家の能力があるのでありましょうか。端的に言えば、あるのです!。農場が研究室になれば、イノベーションや技術移転の経費は下がり、小・中規模の企業を強化するキャパシティ・ビルディングが生まれます。小規模な農民たちは、それをやれるのであります!。ですから、キューバにおける低投入型農業の経験は、将来的にはそれ以外の場所においてもおそらく適切であろうし、それは、社会経済的な危機に対応したのみならず、真の開発の選択肢でもあるのです。 |
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